第12話

背後に誰も居ないのに気を張ってしまう。普段はこんな事はない。きっと、先ほどの出来事が影響をしているのだろう。仕方が無いと言えば仕方が無い。久しぶりにおぞましい雰囲気を身に纏った人に出会ったのだから。

 様々な姿をした生き物を見てきたが結局一番怖いのは人間なんだと再確認した。どんなジャンルの怖さも最終的には人間の悪の感情にたどり着く。

「……ありがとう」

 リリアが呟いた。声は震えていた。まだ、恐怖が身体から抜けきっていないのだろう。握っている手の震えが止まっていないのが証明している。

「もう、大丈夫」

「……うん」

 怯えている。あれほどに気が強く恐怖とは無縁そうなリリアが。それほどにアヴァーの雰囲気は常軌を逸脱していたのに違いない。

 コロンと、空き缶が地面に当たる音がした。

「きゃぁぁ」

 リリアは俺に抱きついてきた。リリアの手の力はかなり強い。絶対に離してなるものかと言わんばかりの強さだ。

「……ただの空き缶」

「……え?」

 リリアは上目遣いで俺の顔を見た。なんだか、とても可愛く見えた。いや、元から可愛いのは可愛いのだけど。

「……本当に空き缶?」

 リリアが訊ねてくる。

 これほど密着されていると嬉しい気もするが恥ずかしくもなってくる。それに心臓の鼓動が早くなっているのが分かる。きっと、俺は今、パニックを起こしているのに違いない。それだけはしっかりと把握出来ている。

 あまりこう言う事に慣れていなからどうすればいいかも分からない。でも、変なふうに誤解されるのは嫌だ。絶対に嫌だ。

「……見てみなよ」

 俺は混乱している事を悟られないようにリリアに目で空き缶を見るように催促した。

 リリアは恐る恐る空き缶の方に視線を向ける。

「……本当だ」

 リリアの顔がどんどん赤くなっている。そして、空き缶で驚いた自分が恥ずかしいのか何か分からないがキョロキョロし始めた。

「大丈夫?」

 俺が尋ねた瞬間だった。リリアは俺を突き飛ばした。突然の事で受身を取ることも出来ず尻餅を着いた。お尻は地面に当たった衝撃でヒリヒリする。

「ご、ごめん。急に色々と恥ずかしくなっちゃって。本当にごめん」

 リリアは何度も俺に向かって頭を下げる。

「……いいよ。気にしなくて」

 怒りなど全くない。俺も混乱していたから突然の事で驚いてはいるが、リリアから離れる事が出来て少しホッとしている。

 自分自身が少しずつだが正気を取り戻してきているのが分かる。

「大丈夫?本当にゴメン。もう、あーごめん」

 リリアの顔はまるで完熟トマトのように真っ赤になっていた。そして、あたふたしている。その姿が可愛くも、可笑しくも見える。

「大丈夫だから。落ち着いて」

 俺は立ち上がり、地面に触れた部分を払った。

「あーえーうん」

 リリアは落ち着く気配がない。もう、言葉さえおぼつかないでいる。どうにかしなければ。

「深呼吸……深呼吸」

 俺はリリアに言った。

「うーうん……深呼吸ね」

 リリアは俺の言った通りに深呼吸をし始めた。深呼吸を何度もしていくにつれて、顔の赤みがとれていっている。

「どう?落ち着いた?」

「……ごめん。落ち着いた。なんかパニックってたね。私」

 リリアは普段通りの表情に戻った。

「大丈夫?俺も似たようなもんだから」

「……本当に?」

「本当だよ」

「……そ、そうなんだ」

 リリアは俺から視線を外して呟いた。

「おう。それじゃあ、もう時間も遅いし、早く家に帰ってご飯を食べよっか」

「うん。大盛りOK?」

 リリアは満面の笑みで訊ねてきた。どんな場所でも食い気だけは変わらないのが良い所に思えてきた。

「いいよ。無理って言ってもどうせおかわりするんだろうし」

「よく、分かってるじゃん」

「まぁね。じゃあ、帰ろう」

 リリアは頷いた。

 俺とリリアは家に向かい歩き始めた。


 自宅の前に着いた。

 俺はズボンのポケットから鍵を取り出す。そして、ドアの鍵穴に鍵を差し回して、施錠を解除する。その後、鍵を引き抜いて、ドアを開けた。

 ドアを開けると、家の奥からトムが駆け寄って来た。

「おかえりなさい」

「ただいま」

「いい子にしてた?」

 リリアがトムに訊ねる。

「うん。してたよ。ねぇねぇ、見て見て」

 トムが俺の手を掴んでせがんで来る。

「分かった、分かった。ちょっと待ってくれ。靴脱ぐから」

 俺は靴を脱ぐ前にドアの施錠を閉めた。これを忘れてはいけない。この街では少しの気の緩みで命を失う恐れがある。

 俺は靴を脱ぎ、家に上がった。

 トムは俺の手を引っ張り、リビングに走って向かう。

 俺はこけないようにトムの走る速度に合わせて走る。

 リビングに着いた。机の上には掌サイズの熊の人形がある。出来栄えはとてもいい。俺が最初に作った作品より数十倍いい。センスがある。それにオリジナリティもある。見本もなしでここまでの物を作るのは才能でしかない。なにより、可愛い。可愛い過ぎる。

「凄いな、トム。才能あるぞ」

「本当?」

 トムが不安げに訊ねてくる。

「本当だよ。トム、お前は凄い」

 俺はトムの頭を撫でた。

 トムは嬉しそうな表情をしている。

 リリアがリビングに入って来た。

「なにこれ。マジ可愛いんですけど。キュート。愛らしい。かわゆい」

 リリアはトムが作った熊の人形を見て言った。

「お姉ちゃん。本当?」

「うん。本当、本当。お姉ちゃん。嘘つかない」

「やったー二人に褒められた」

 トムは両手を何でも上げ下げして、嬉しさを表現している。きっと、トムは素直の子なんだろう。これから一緒に生活をしていけばもっと色々な姿を見れるのだろう。

「よし、今日はご馳走を作るぞ。二人とも期待していいぞ」

「やったーご馳走」

「おかわりしまくらないと」

 俺はキッチンに行き、晩御飯の準備を始めた。

 

 翌日の午後6時になった。

 太陽は沈み、街は夜に染まっている。

 トムは昨日と同じように紙粘土で人形を作っている。どんな作品が出来るか楽しみで仕方がない。

 俺は地下格闘技大会の為に柔軟をしていた。ないとは思うが、試合中に足が攣ったりしたら生死に関わる。少しでも不安な要素は取り除いておきたい。

「……ジェイム」

 リリアが話しかけてきた。

「どうした?」

「提案があるの。聞いてくれる?」

 なんの提案だ?聞くだけ聞いておこう。

「いいけど」

「私もついて行く」

「なに言ってるんだ。昨日、アヴァーとの商談で俺だけしか来るなと言われてただろ」

 商談を無視してリリアがついて来たら、きっと、殺される。そして、俺もなにかしらの罰を受けるだろ。

 アヴァーなら確実にそうするはずだ。昨日少し会っただけだが分かる。この街で生きてきた感と言えばいいだろうか。

「……うん。分かってる。行くのはジェイムだけだよ。表面的にはね」

「……表面的には?」

「ジェイムの身体の中に入ってついて行く。それだったら外からは私の存在は分からない。それにドゥーフだって使える。どう?良いこと尽くしじゃない」

 リリアは得意げな顔をしている。

「……良いこと尽くしには思えるけど、それって君にかなり負担が掛かるんじゃないか?」

 最初に会った時の事を思い出した。リリアの能力はノーリスクではない。身体にかなりの負担をかけるものだ。それにもし、俺がへまをしたら、リリアの無事を保障できない。

「しゃーないよ。それは。妹の身体を取り戻せるならちょっとぐらいの無理でもする。いや、しないと駄目だと思う。お姉ちゃんとして。第一子として……ね。お願い」

 リリアは頭を深く下げてきた。

 決意がこもっているのが分かる。ここまでされたら承諾するしかない。まぁ、「第一子としては」は余計だと思うが。いや、リリアらしいからいいか。

「……いいや。だから、頭上げて」

「マジで。感謝。ありがとう。サンキュー」

 リリアは頭を上げて言った。先ほどまでの真剣さはどこに消えたのだ。別人だったのか。そんなはずはない。リリアはそう言う人なのだ。そう思わないとやっていけない気がする。

「……う、うん」

「よし、トム。お姉ちゃんが帰って来るまで、私の身体見てて」

「……わかった。でも、お姉ちゃんは本当にジェイムの身体の中に入るの?」

 トムはリリアに訊ねた。

「そうよ。お姉ちゃんね。ジェイムの身体の中に入るの。だから、私の身体から私の魂が抜けちゃって私の身体の中に魂がなくなるの。簡単に言えば起きるまで私の身体を守ってほしいの」

 本当に簡単な説明とお願いだった。

「……なんとなく分かった。とにかく、お姉ちゃんが起きるまで、お姉ちゃんの身体を守ればいいんだね」

「そう言う事。よろしくね、トム」

「うん」

「じゃあ、早速だけど始めよっか」

「本当早速だな。分かった」

「私がソファに寝転んだら目を閉じて」

「了解」

 リリアがソファに寝転んだ。

 俺はリリアの指示通り、目を閉じた。すると、次の瞬間、身体の中になにかが入ってきたのが分かった。きっと、リリアだ。

「OK。無事成功。目を開けていいよ」

 身体の中からリリアの声が聞こえる。

「それにしても変な感覚だな」

「慣れたら平気よ。だから、慣れて。今すぐ慣れて。さぁ、早く」

「そんなにすぐに慣れるか」

 身体の中のリリアに向かって言う。 

 トムが不思議そうに俺に視線を送って来る。

「本当にお姉ちゃんが身体の中に居るの?」

「うん。そうだよ」

「……なんか、面白いね」

 トムは言った。

「……面白いか」

 他人事だからそう言えるんだそ。自分の体に他人が居るこの感覚は決して面白くはない。だって、自分の行いが全部リリアに見られるわけなのだから。変な事できない。まぁ、変な事などしないけど。


 靴を履き終え、玄関のドアのドアノブを掴んだ。

「トム。誰が来てもドアを開けるなよ」

「うん。分かった」

「いい子だ。行って来る」

「いってらっしゃい」

 トムは笑顔で手を振っている。

 俺はドアノブを回して、ドアを開けて、外に出た。その後、外から施錠をした。

「よし、行こう」

 リリアが身体の中から言って来る。この感覚だけは慣れる気がしない。いや、慣れた方がおかしいと思う。

「……お、おう」

 俺は、いや、俺達はカジノに向けて歩き出した。

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