第10話

朝食を終えた。リリアの食欲はやはり恐ろしいものだった。成人男性5人分は食べたはずだ。

 俺は朝食で使った食器を洗い終えてから、リビングに戻り、棚を開けて、中から紙粘土を取り出した。そして、テーブルの前に座るトムのもとへ向かった。

「よし、この粘土で自分の好きなものを作ってみな」

 俺は紙粘土をトムに手渡した。

「何でもいいの?」

「そう。何でもいいから」

「わかった」

 トムはリビングのテーブル上で紙粘土をこね始めた。どんな作品を作るかが楽しみで仕方が無い。だって、自分以外の作品を見るのは師匠以来だし、これでトムが好きなものが分かるからこれからの生活にも役に立つ。俺にとってはメリットしかない。

「リリアも作ってみるか?」

「…………」

 返事がない。どうしたのだろう。俺はリリアを見た。すると、リリアはお腹を掻きながら爆睡していた。何というか無防備すぎる。もう少し気を張ってほしい。それにご飯を食べた後にすぐに寝たら牛になるぞ。

 俺は溜息を吐いた。なんでだろう。俺は何でこの女性に心を奪われそうになったんだ。今に思えば訳が分からない。まぁ、女性に弱いのは自他共に認める。けど、けど。

「お姉ちゃん。寝てるね」

「そうだな」

「毛布をかけてあげなきゃ」

 トムが立ち上がろうとした。

「いいよ。俺がするから。その代わり、いいものを作ってくれよ」

「……うん。頑張る」

 トムは紙粘土を再びこね始めた。

 俺は部屋の隅に置いてある毛布を手に取り、リリアにかけた。

「……パン。ラーメン。おにぎり。パン」

 リリアは寝言を呟いている。寝ても食べることばかり考えてるのか。それに出てくる食べ物が炭水化物ばかり。それも、パンだけ二回。

「……ユリア」

 リリアは涙を流しながら言った。目は覚ましていない。どうやら、これも寝言のようだ。

「大丈夫。絶対に助けるから」

 俺はリリアの頭を軽く撫でた。その後、頬に伝った涙を手で拭き取ってあげた。


 玄関の上がり框に座り、履いた革靴の紐を結んでいた。

「ジェイム、まだー」

 リリアが催促してくる。よく言えたものだ。何度も起こそうとしても起きなかったくせに。そのせいで家を出る時間が遅くなった事も忘れているし。そして、凶暴な寝相のせいで怪我をしかけた。昨日、襲ってきた化け物とは違うベクトルだがリリアは危険だ。

「もう終わるから」

 靴紐を結び終えて、立ち上がった。

「それじゃあ、行って来るね」

「トム。インタホーンが鳴っても危険だから絶対に出たら駄目だぞ」

「うん。分かってる」

「じゃあ、行って来る。俺達が帰って来るまでには作品完成させろよ」

「頑張る」

 俺とリリアは玄関のドアを開けて、外に出た。空はオレンジ色に染まっている。人々の足取りは早い。夜になるまでに自宅に帰ろうとしているのだろう。仕方ない。だって、この街の夜は危険だから。誰も命が欲しいに決まっている。

「いってらっしゃい」

 トムが家の中から手を振っている。手は粘土と絵の具で汚れている。顔も同じように汚れている。頑張って人形を作っている証拠だ。俺はそれがとても嬉しい。

 俺はドアを閉めて、鍵を閉めた。

「じゃあ、行くか」

「うん。情報を集めに」


「やっぱり凄いね」

「……そうだな」

 昨夜、トムが化け物に襲われた場所に訪れていた。化け物の死体は回収されている。けれど、地面に飛び散った血は拭き取られていない。それに化け物が破壊した建物も何も直っていない。いや、手をつけていないと言ったほうが正しいのかもしれない。

「これからどうするの?」

「カジノ付近に行く」

「中には入らないの?」

「入らない。いきなり入るのは危険すぎる」

「……わ、わかった」

 俺とリリアは近くにあるカジノに向かい始めた。

 歩いていると、昨日の化け物の恐ろしさがどれ程凄かったかが分かる。倒壊した建物の瓦礫で店が壊れていたり、人々がどことなく怯えて周りを気にしていたりしている。

 ヴァルトヘルトは危険な街だと誰しもが知っている。殺人事件や強盗事件など息をするように起こっている。慣れてはいけないが誰もが危険には慣れている。しかし、あの化け物のような未知の危険にはまだ慣れていない。抗体が出来ていないのだ。もし、昨日のような化け物がまた現れれば混乱が生まれる。それと同時にまた事件が増え、今以上に危険な街になってしまう。それだけは何があっても阻止したい。そうじゃないと、この街から希望がなくなり、絶望が人々を支配してしまう。

 カジノ・ミラージェンの近くに着いた。建物の入り口前ではバニーガール達が客引きをしている。あの格好でよく外で長時間居られるなと思う。風邪を引かないのか。いや、そんな事どうでもいいか。

 ミラージェンの外装は嫌味な程に装飾され煌びやかだ。はっきり言えば下品だ。これでいいと思った経営者の顔が見たい。

「ねぇ。聞き込みでもする?」

「聞き込みはしなくていいよ。嘘を教えられるに決まってる」

「……それじゃあ、どうするの?」

「情報を買うのさ」

「……情報を買う?どう言う事?」

「まぁ、俺に着いてきたら分かるから」

「今、説明してよ」

 俺はカジノの近くに建っている建物と建物の間で靴磨きをしている男を指差した。

「靴磨き……って言うか人を指差さない。これ常識よ」

「ご、ごめん」

 リリアに怒られてしまった。自分が少し情けなくなった。いや、リリアに常識について言われるのはちょっと違う気がする。なんだが、苛立ちが沸いてきた。まぁ、人を指差した俺が悪いから反論は出来ないが。

「それでどう買うのよ?」

「ちょっと見てて」

 俺は靴磨きの男のもとへ駆け寄った。リリアもついてくる。

「靴磨きお願いするよ」

「……三ドル」

 俺はズボンのポケットから財布を取り出し、財布の中から三十ドルを手に取り、靴磨きの男に渡した。

「なんで、三十ドルも渡すの?一桁間違えてるわよ」

 俺は人差し指を口に当てて、「ちょっと静かにしてて」と言った。

「……わ、わかった」

 リリアは俺の言う事を聞き、静かになった。

「何が知りたい?」

 靴磨きの男は低い声で訊ねてきた。

「地下格闘技の大会の参加方法。そして、開催日時」

「一つ目は今貰った金で教えてやる。もう一つは二十ドル支払えば教えてやろう」

「……仕方ないな」

 俺は財布から、20ドルを手に取り、靴磨きの男に渡した。

「よし、商談成立だな。両方教えてやろう。地下格闘技の大会の参加方法はマフィア専属のファイターになる事だ。そして、開催日時は明日の夜だ」

「……ありがとう。マフィア専属のファイターになる為にはどうすればいい?」

「追加料金を貰おうか」

「……いくらだ」

「いや、教えるのはやめておこう」

「なんでだ」

「後ろを向いてみろ」

「……後ろ?」

 俺とリリアは靴磨きの男の言うとおりに後ろを向いた。

「おい。お前ら、見つけたぞ」

「本当だ、本当だ」

「ボスに怒られないで済みますね」

 昨日ボコボコにした三人組が立っていた。そして、三人組は俺達の方に向かってきた。

「おい、お前。いや、救世主様」

 中央に居るリーダー格的な男が言った。……なにが救世主なんだ。昨日、俺のせいで頭を強く打ってしまったのか。まぁ、なんでもいい。早く、靴磨きの男に情報を聞かないと。

「……救世主ってなんだよ」

「それはあれだよ」

「そう。あれだよ、あれ」

「だから、なんだよ。ちゃんと説明しろよ」

「お前ら、俺に続け」

 リーダー格的な男は俺に向かって土下座をした。両脇の二人も、男と同様に土下座をしてくる。……いきなり、なんだ。どう言う風の吹き回しだ。状況が把握出来ない。

「どうか、俺達に力を貸してくれないか。いや、貸して下さい」

「貸して下さい。貸してください」

「お願いします」

 三人は全力で頭を地面に擦り付けている。なんだか、居た堪れない気持ちになる。これだけ、土下座されたら力を貸さないと可哀想だ。

「……何に力を貸したらいいんだよ。ものによったら力を貸してやってもいいけど。いいだろ。リリア」

「……うん。ここまでされたらねぇ」

「……本当か?」

 リーダー格的な男は顔を上げて訊ねてきた。男の額は砂で汚れている。

「本当だよ。だから、早く案件を教えてくれ」

「お、おう。俺達の代わりに地下格闘技の大会に参加してほしいんだ。俺達が出たら一瞬で死んでしまう」

「え、今、何て言った」

「だから、俺達の代わりに地下格闘技の大会に参加してほしいって」

 俺とリリアは目を合わせた。何て言う偶然、いや、奇跡と言えばいいか。昨日、こいつらをボコボコにしていてよかった。暴力はよくないけど。まぁ、正当防衛だ。俺は悪くない。

「それって、ファイターになるって事か?」

「そうだ。俺達のファミリーの専属ファイターになぁ。まぁ、今回の大会限定だけどな」

「……わ、分かった。力を貸すよ。なぁ、リリア」

「うん。いいよ。って言うか、全力で手を貸してあげる」

「よし、それじゃあ、話は早ぇ。今から、俺達のボスに会ってもらう。お前ら、立て」

 土下座をし続けていた二人は立ち上がった。二人とも、中央の男以上に砂で額が汚れている。言い方は悪いかもしれないが間抜け顔だ。

 俺は後ろを向き、靴磨きの男を見た。靴磨きの男は得意げな顔で口角を少し上げている。

「……ありがとう」

 俺は小声で言った。靴磨きの男は軽く頷いた。

「じゃあ、行きましょう。救世主に女神」

「女神って私の事?」

 リリアは嬉しそうにリーダー格的な男に訊ねた。リリアは変な所に反応する。掴みどころが本当に分からない。まぁ、それが良いところでもあるけど。

「当たり前ですよ」

「やったー。ねぇ、聞いた?ジェイム」

「聞いたよ、聞いた」

 俺達は三人組の男達のボスに会う為に歩き始めた。

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