第8話
カレールーのブロックを割って、野菜や豚肉を煮込んでいる鍋の中に入れる。カレールーが溶けてスープが美味しそうな色に変わっていく。
俺はおたまでカレールーがだまにならないようにように一定のスピードでかき混ぜる。
鍋からは食欲をそそるいい匂いがして、鼻を刺激する。
「まだ、出来ないの?」
隣の部屋からリリアの声が聞こえる。
「あともう少しで出来るから」
「待てないーよ。ねぇ、トム」
リリアはおそらく隣に座っているトムに賛同を求めた。
「……う、うん」
「ちゃんと言いたい事は言わなきゃだめよ」
「リリア。トムに変な事教えるなよ。それにリリアが言ってる事はただのわがままだからな」
「うるさーい。お腹が減ってるのよ。お腹が」
リリアがとても面倒くさい状態になっている。まぁ、心を開いてくれていると思えばいい状態なのかもしれないが。
「……何か手伝う事ある?」
トムが隣の部屋から来て訊ねてきた。
「えっとね。そこの戸棚から皿三枚とスプーン三つ取って」
「うん。分かった」
俺は戸棚を指差した。トムは指示通りに戸棚を開けて、皿とスプーンを取り出した。
「はい。お皿」
トムは皿を手渡したきた。
「ありがとう」
俺はトムから皿を受け取った。
「スプーンをあっちの部屋に持って行って」
トムは頷いてから、隣の部屋に行った。なんだか、その後ろ姿が愛らしく見えた。
火を消して、ルーをかき混ぜた。ようやく、カレーが完成した。
俺は引出しを開けて、中からしゃもじを出した。その後、蛇口を捻って、しゃもじを軽く洗い、軽く振って水を切った。
炊飯器の蓋を開けた。中からは湯気が立ち込めてきた。とても美味しそうにご飯が炊きあがっている。俺はしゃもじで中の米を混ぜた。
「二人ともいっぱい食べれるか?」
「食たべれるに決まってるじゃない」
「……いいの?」
隣の部屋に居るトムが不安げに訊ねてくる。
「いいから聞いてるんだよ。もう一回聞くぞ。いっぱい食べられるか、食べられないか?」
「いっぱい食べる」
トムは大きな声で答えた。俺はその大きな声が嬉しくて、少し涙が出そうになった。
「よし、足りなかったおかわりしていいからな」
「うん」
「私もおかわりOKよね」
「運ぶの手伝ってくれたらな」
俺はいじらしく言った。すると、隣の部屋からうるさい足音が近づいてきた。きっと、いや、確実にリリアだ。
「さぁ、早く渡して。持って行くから」
リリアは真剣な表情だった。どれだけ食い意地が強いのだ。
「……ははは」
俺はリリアの真剣な顔が面白く感じてしまい、笑ってしまった。人の顔を見て笑うのは失礼だとわかっているんだが。どうしても堪えきれなかった。
「何よ」
「……何でもないよ。何でもない」
「本当に?」
「本当だよ。皿によそうからちょっと待って」
俺はリリアから視線を逸らして、カレーを皿によそい始めた。今、リリアの顔を見ると無条件で笑ってしまう気がする。
――三人分のカレーをよそい終えた。
「はい。これ、リリアの分。自分で持って行って。あとは俺が持って行くから」
俺はカレーが盛り付けられた皿をリリアに手渡した。
「わかった」
リリアは軽くスキップをしながら隣の部屋に向かっている。
「カレーがこぼれるからスキップは禁止」
「ごめん、つい。テンションが上がちゃって」
「テンション上がっても」
「……すみましぇん」
「よろしい」
リリアは大人しくリビングに向かった。
俺は自分の分とトムの分を持って、リビングに向かって歩く。トムの分のカレーが少しでもバランスを崩せばこぼれてしまいそうだ。気合を入れて、大盛りにしすぎてしまったせいだ。我ながら情けない。
トムの分のカレーをなんとかこぼさずにリビングに辿り着いた。
リリアはトムの隣に座り、早く食べさせろと言わんばかりの表情を浮かべて、俺を見ている。
俺は先に自分の分のカレーを先にテーブルに置き、その後、ゆっくり、カレーがこぼれないようにトムの前にカレーを置いた。
危なかった。本当に危なかった。今度からは気をつけないと。
「ありがとう!」
トムは満面の笑みで言った。
トムは目の前のカレーに釘付けになっている。口元は緩み、よだれが今にも垂れそうになっている。よほど、お腹が空いていたのだろう。
自分が作った料理でこんないい表情をされたら、こっちまでいい気分になってしまう。
「早く食べようよ」
リリアが急かしてくる。
「わかった、わかった」
俺はリリアとトムの向かいになる場所に座った。
「よし、手を合わせてください」
俺の一言でリリアもトムも両掌を合わせた。
「いただきます」
「いただきます」「いただきます」
リリアとトムは言い終わった瞬間、かぶりつくかのように食べ始めた。
「ちゃんと噛んで食べろよ。カレーは逃げないから」
トムは口いっぱいになるほど頬張っている。頬にご飯粒が付いていることを気づかないくらいに。
リリアは口を大きく開けて、これほどかと言うぐらいの量をスプーンですくい、口に運んで、モグモグしながら食べている。
俺は二人の姿を見つつ、カレーを頬張った。なんだか、いつもより、美味しく感じる気がする。調理法が変わったとか味付けを変えたとかじゃない。きっと、リリアとトムと食べているからだ。やっぱり、ご飯は一人で食べるのではなく、誰かと一緒に食べる方が美味しくなる。それはたぶん食卓を囲む行為が、見えない隠し味になっているのだ。
「トム、美味しいか?」
トムは食べながら頷いた。そして、突然涙を流し始めた。
「おい、どうした?辛かったのか?」
トムは首を横に振り、スプーンを皿の上に置いた。
「大丈夫?はい。ティッシュと水」
リリアがトムにティッシュと水を手渡した。
「……ありがとう。お姉ちゃん」
トムはカレーを飲み込んでから言った。
「何か嫌いなものでも入ってたか」
「……嫌いものなんてないよ。ただ、こんなに温かいご飯を食べたのも、誰かと一緒にご飯に食べたのも初めてで……なんだか分からないんけどうれしいんだ」
トムの気持ちが分かる気がする。全く同じ境遇ではないが、俺も育ての親に拾われるまで、温かい料理を食べた事はなかったし、誰かと一緒にご飯を食べると言う事も知らなかった。
食事と言う行為は、ただ空腹をしのぐだけ。不味いとか美味しくとかではない。食べられるか食べられないかだった。けれど、温かい料理を食べさせてもらった時、初めて、ご飯が美味しいと思ったし、誰かとご飯を食べる事がこれほど気持ちを安心させて温かくしてくれるものなんだと知った。たぶん、トムも今その感覚に触れているのだろう。
「……そっか」
「それならもっといっぱい食べて幸せにならないとね」
リリアはトムの背中を擦りながら言った。リリアなりの気遣いなのだろう。
「お前はどの立場の人間なんだよ」
「うーん、えーっと、……同じ釜の飯を食べている人間の立場かな」
「なんだよ、それ」
「なんとなく意味分かるでしょ。ねぇ、トム」
リリアはトムに救いを求めた。
「お姉ちゃん。ちょっと何言ってるかわかんない」
トムは笑いながら言った。
俺もリリアが何を言いたいか理解出来ないが、トムが明るくなったから良かった。
「おい、こら、トム。こう言うときはお姉ちゃんの肩を持つべきなのよ」
「だって、分からないだもん」
リリアはトムの頭を拳でグリグリした。
「痛いよ。お姉ちゃん」
「お姉ちゃんの言う事聞けない子はお仕置きよ」
「やめてやれよ。それ以上するならおかわり禁止だぞ」
「え?それは困る。ごめんね、トム」
リリアは俺の一言ですぐにトムの頭から手を放した。どれだけ食い意地があるのだ。
「いいよ。お姉ちゃん」
「よし、トム。どっちがいっぱい食べられるか対決しようじゃないの」
「わかった。絶対負けないよ」
リリアとトムは再び、カレーを食べ始めた。
「おかわりするのはいいけど、絶対に残すなよ」
二人は食べながら頷いた。
「……ったく、お前らなぁ」
俺も食べるのを再開した。
二人の皿を見ると、あれだけ多く盛っていったカレーがなくなりそうになっている。トムは育ち盛りだからいっぱい食べるのは分かる。けど、リリアの大食いだけは意味が分からない。この前のシチューもそうだったが、なぜ、これだけの量を食べて太らないのだ。どこに栄養がいっているか教えてほしい。
「おかわり」「おかわり」
二人はほぼ同じタイミングで言った。二人の皿の上には何も残っていなかった。
「分かった、分かった」
「やるわね。トム」
「お姉ちゃんこそ」
リリアとトムはにらみ合い、火花を散らしている。
「ちょっと待ってて。入れてくるから」
俺は食べるのを中断して、立ち上がった。そして、二人の皿を手に取り、キッチンの方に向かった。
「トム、あと何杯食べれるの?」
「三杯は余裕だよ」
「そう。それなら私の勝ちは決まりね。私は5杯はいけるわ」
「……いや、あと6杯はいける」
「なに……やるわね。私は6杯と150グラムはいけるわよ」
「僕は6杯と200グラムは大丈夫」
リビングからは不毛な争いが聞こえる。ご飯を食べる事に勝ち負けなどないのに。まぁ、それだけ、おかわり出来ると言う事はカレーが美味しいと言ってくれているのと同じに違いないと思うと、とても嬉しい。
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