第7話

大勢の人々の声が聞こえる。

 それがその化け物の恐ろしさを物語っているようだ。

「あそこだ」

 男が指差した先には野次馬が大量に居た。そして、近くの建物は火に包まれている。何人かは消火活動を行っている。

 俺達は野次馬の後方に辿り着いた。視線の先には超巨大のクワガタのハサミのようなものが見えた。しかし、全容は見えない。

 上を見ると、建物の上部が切れている。人間技ではない。きっと、この先に居る化け物がやったのだろう。

「おい、道を開けろ。この人達の為に道を開けろ」

 俺達を案内してくれた男が野次馬に向かって言うが野次馬達は気づいていない。化け物に気が向いているのに違いない。

「くそ、このままじゃ子供が死んでしまう」

「どうやって、先頭に出る?」

「ちょっと待てよ」

 どうすれば野次馬の気を違う方に向けられるか。使えそうなものがあるか周りを見渡した。

 消化している人達が使っているホースが見えた。ホースを使えばどうにか気を逸らす事が出来そうだ。けれど、消火活動を中断させて、火が広がれば今以上の惨事になる。だから、借りる事は出来ない。どうする。どうすればいい。

「あれって」

 野次馬の中にボコボコにした三人組が居た。

「おい、お前ら」

 俺は三人組の筋肉質の男の肩を叩いた。こいつらを使うしかない。

「なんだよ。触るなよ」

 筋肉質の男は俺の手を振り解いた。

「おい、ってば」

「なんだよ。喧嘩売ってんのか」

 筋肉質の男は振り返った。

「お、お前は」

 筋肉質の男は俺の顔を見て、驚いている。

「どうしたんですか?兄貴」

「何か居るんですか」

 他の二人も振り向いた。

「お、お前は昼間の」

「なんでここに居るんだ」

 他の二人も俺の顔を見て、驚きを隠せないでいる。

「力を貸してくれないか。襲われている子供を助けたいんだ。力を貸してくれないなら分かってるよな」

「……わかった。力は貸すから止めてくれ」

 筋肉質の男は怯えながら答えた。他の二人も何度も頷いている。よほど、昼間の出来事が怖かったのだろうか。まぁ、自分達が喧嘩を売って来たのだから自業自得なんだが。

「よし、それじゃあ、大声であっちにも化け物が出たぞと叫けびながら、道を開けてくれ。いいか」

「わ、わかった。叫んで、道を開けさせたならいいんだな」

「そうだ。いけるか」

「あぁ、大丈夫だ」

「じゃあ、いますぐやってくれ」

 三人は頷いた。

「おい、あっちにも化け物が」

「本当だ。化け物がいるぞ」

「やべぇ、こっちに向かって来てるぞ」

 三人は叫びながら、野次馬を押して、道を開けようとしている。

「なんだって」

「死にたくない」

「どけよ。お前ら」

 野次馬の意識が目の前の化け物以外にも向けられるようになった。そのおかげで通れる道が出来た。

「ありがとうな。お前ら。リリア、行くぞ」

 俺とリリアは三人組が作った道を通り、先頭に出た。

 視線の先には男の子が倒れていた。そして、子供に近づく化け物が居る。

 化け物の両手にはカマキリのような鋭い大型の鎌があり、頭には先ほど見えていたクワガタのハサミ、胴体には大量の鎖が巻かれ、下半身は無数の鉄の針が付いていた。

 化け物が俺達を威嚇するように吠えた。その鳴き声は人間の悲鳴かのように聞くに堪えぬ声だった。

「助けてぇ」

 男の子が叫んでいる。

 俺は男の子に駆け寄り、抱え上げて、化け物から距離を取ろうとした。

 化け物はカマキリのような鎌を俺に向かって振った。

 鎌は当たらなかったが、風圧が俺達を襲う。風圧は想像以上の威力で、近くの建物に身体が打ちつけられた。

 痛い。かなりの激痛だ。風圧でこれほどの痛みだ。あの鎌をまともに食らえば、一瞬で人生が終わってしまう。

「大丈夫、大丈夫。お兄ちゃん」

 男の子が泣きながら、俺の身体を揺すりながら訊ねてくる。この子が無事で良かった。

「ジェイム」

 リリアが駆け寄ってきた。

「この子を連れて逃げてくれ。この化け物は想像以上に強い」

「駄目よ。貴方も一緒よ」

「いいから、早く逃げろ」

 俺は叫んだ。どう考えても敵う相手ではない。このままだったら、子供もリリアも死んでしまう。

「……私の力を使って」

「……力?」

「君、私の身体を見ててくれる?」 

 リリアは男の子に言った。

「……う、うん。分かった」

「大丈夫。すぐに終わるはずだから」

 リリアは男の子の頭を擦った。

「何をするつもりなんだ?」

「目を閉じて」

「説明してくれよ。どうするか教えてくれ」

「いいから早く。貴方の身体の中に入ってから説明するから」

「……分かった」

 俺はリリアの言うとおりに目を閉じた。この状況を打破するにはリリアを信じるしかない。

「ジェイム」

 リリアが俺の精神世界に入ってきた。

「どうすればいいんだ。このまま、目を閉じてたら死ぬぞ」

「もう、目を開けて大丈夫。目を開けたら、近くに落ちている何かを手にとって」

「目を開けていいんだな。そして、何かを拾うのか」

 俺はリリアの言うとおりに目を開けて、立ち上がった。リリアの方を見ると、リリアは倒れていた。本当に俺の中に居るんだ。

「お兄ちゃん、化け物がこっちに来てる」

 リリアの傍にいる男の子が指差して言った。化け物はクワガタのようなハサミで何度も挟む動きをして、こちらを威嚇しながら近づいて来る。

「ジェイム、早く何か拾って」

 身体の中からリリアの声が聞こえてくる。変な感覚だ。

「分かった。ちょっと待ってよ」

 何があるか、周りを見渡した。すると、手に取れる距離に鉄パイプが落ちていた。

「これでいいのか?」

「うん。それでいいよ」

 俺は鉄パイプを手に取った。

「拾ったけどどうしたらいいんだ」

「目を閉じて、頭の中で何かイメージして」

 目を閉じてイメージ?急に何を言ってるんだ。本当にこのままいたら死んでしまう。しかし、言う事を聞くしかない。

「イメージ?何をイメージしたらいいんだよ」

「うーん、武器とか」

「武器、武器をイメージしたらいいんだな」

「お兄ちゃん、化け物が鎌で攻撃しようとしてるよ」

 化け物はカマキリの鎌を振り上げている。このまま、鎌を振り下ろされば当たらなくても風圧で終わってしまう。

 俺は目を閉じた。

「早く、早くイメージして」

「イメージすればいいんだな。この距離感で戦える武器だよな」

「早くして」

 距離感が合っても戦える武器。剣は無理だ。銃は距離感が取れる武器だが引き金を引く時間がかかる。……もう、これしかない。

「……これだ」

 俺は目を開けて、鉄パイプを化け物の向かって、突きつけた。すると、鉄パイプが光を纏い、槍に変化して、化け物の胴体に刺さった。

 化け物はうめき声を上げている。ダメージを与えているようだ。

「先端がもっと大きくなるようにイメージしながら振り上げて」

「おう。大きくなるようにイメージしながら振り上げればいいんだな」

 俺は目を閉じて、力を入れて、先端が大きくなるようにイメージしながら、槍を振り上げた。

 目を開けると、槍の先端が大きくなり、化け物の肉を引き裂いていく。槍の重さは全く変わらない。鉄パイプの時と同じだ。

 振り上げた槍が頭部を引き裂いた。化け物は胴体から頭部までが半分に裂けて、身体の中から大量の血や臓器があふれ出ている。

「……やったのか」

 槍は再び光を身に纏い、鉄パイプに姿を戻した。

「やったのよ。さすが、ジェイム」

 身体の中からリリアの嬉しそうな声が聞こえる。

「よかった」

 身体全身から力が抜けて、崩れ落ちてしまった。きっと、極度の緊張から解き放たれたからだと思う。

「大丈夫?ジェイム?」

「大丈夫だよ。ちょっと、力が抜けただけだから。それより、この力は何なんだ」

「ドゥーフ。物質の再構築よ」

「……再構築?」

「そう。プシュケー一族の者は他者の身体内で居るときだけ、触れた物質をイメージしたものに再構築できる事が出来るの」

「そんな便利な能力もあるんだな」

「まぁ、その代わりに自分の身体は危険に晒されるんだけどね」

「いいことづくしではないんだな。いいのか?早く身体に戻らないで」

「そうね。戻るわ。目を閉じてもらっていい?」

「了解」

 目を閉じた。身体の中からリリアが出て行く感覚がした。

「おめぇ、凄いな」

「どうやって、槍を出したんだ」

「ようやく、化け物が居なくなった」

 後方から野次馬達の声が聞こえてくる。

 俺は立ち上がり、リリアと男の子のもとへ歩み寄った。

 男の子はリリアの手を握っていた。足は震えている。怖くて仕方がなかったのだろう。

「大丈夫か?君?」

「……うん……大丈夫」

 男の子は大号泣しながら答えた。

「助かったんだから泣くなよ」

「……だって、だって……怖くて……ものすごく怖くて」

「わかった、わかった。もう大丈夫だから」

 俺は優しく男の子の頭を擦った。

「うん……うん……ありがとう」

「どう致しまして。おい、リリア大丈夫か」

「……うーん、私は平気かな。ちょっと疲れたけど」

 リリアは自分の身体に戻り、答えた。

 男の子はリリアから離れないように手を握り締めたままだ。

「それならよかった」

「これからどうする?もっと、野次馬集まって来そうだし」

「そうだな。君、お父さんかお母さんは居るかい?」

「……いない」

 男の子は頭を横に振った。

「……そっか」

 この街では親や家族が居ない子供は珍しくない。俺も生みの親の顔も知らなければ、名前も知らない。そして、知ろうとも思わない。俺を捨てた親の事など。

「俺のところ来るか」

「……いいの?」

 男の子は驚きながら訊ねてきた。

「おう。その代わり一つ約束がある?」

「なに?」

「もう、この時間帯に外に出るな。俺がいいって言うまでは。わかったな」

「……うん」

 男の子は深く頷いた。

「よし、それじゃあ決まりだ。名前なんて言うだ」

「トム。ファミリーネームは知らない」

「トムだな。よし、今日からお前はトム・フォークスだ。いいな」

「うん……うん!」

 トムはとても嬉しそうな笑顔を見せて返事をした。

「じゃあ、リリアもトムもここから逃げるぞ」

 二人は頷いた。そして、俺達三人はその場から立ち去った。

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