A Family in a Doll House 4


 姉についての長い話が終わっても、ミノリはしばらく黙っていた。話が始まった時からずっとそうで、何度か微妙に視線をそらした形で私に何かを言いかけたのだけれど、その都度うつむいて、を繰り返して、結局ひとことも言わずじまいだ。

 そろそろ夕刻に近い時間だった。実家を早々に離れた後、私たちはとりあえずのドライブに出かけたのだが、肝心な話を後回しにしたままのデートはどう取り繕っても楽しいものにならず、結局遅い昼食にかこつける形で、アパートからそう遠くないレストランに立ち寄り、二人して長い長い午後を過ごすこととなったのだった。

 ミノリも私もあまり食事処にこだわりはないし、ファミレスでもファストフードでもよかったのだけれど、女装姿のミノリと、平素女装がデフォルトのセミロングの男が一緒にいると、何らかの違和感を覚える人はそれなりにいて、特に若い連中は遠慮なくちょっかいをかけてくることがある。肖像権フリーの芸人かなにか(そういう存在がいるとして)と勘違いしてスマホのカメラを向ける輩にもうんざりするほど出くわした経験から、大衆的な店は避け、いくらか小洒落た創作日本料理店なる店を選んでみたというわけだ。

 店の人もお客たちも、わけありっぽい雰囲気の私たちを遠巻きに指さしたりはせず、微かに聞こえるスクリーンミュージック風のBGMと相まって、ひとまず私たちは落ち着くことができた。けれど、食事の後に昔話が始まると、雰囲気はどんどん重苦しいものになり、覚悟していたこととはいえ、しまいには話をどう締めたらいいのかわからなくなってきた。

「ええと……迷惑だった、かな? こんなに全部話すつもりはなかったんだけど」

 一度、ミノリは私の目をまともに見てから、すぐにまた横へ視線を逸らし、ううん、と小さく首を振った。

「その、つまりさ……何が言いたかったかっていうと……親父が言ったみたいに、母さんがあのドールを姉ちゃんのつもりで首を引きちぎったなんてことは、あり得ないってことで」

 適当なことを並べているうち、ようやく話の大元に気づいた。そうだ、ドールだ。そもそもの謎は、どういう経緯であのドールがあんな姿になったのかということだった。

「母さんはずっと悔やんでた。自分がもっとしっかりあの子を支えられていたらって。そりゃいくらかは姉ちゃんをなじりたい気持ちぐらいあっただろうけど、だからって親父みたいな解釈になりようがない」

 そこは同意するのか、ミノリも頷いた。

「あの人形ははっきり親父だと見なして壊したってことに間違いない……と思う。ただ、正直よくわからないんだけど、だったらどういうつもりでその後もあの家にいたのかなって。私もさんざん言ったのに、離婚しなかったし、親父の知らないところで色々復讐していた、という感じでもなかったし」

 ミノリが何かを言いづらそうにしているようだったので、私は急いで先回りした。

「ああ、純粋に自分一人じゃ生計立てていけないからっていうのもあったとは思う。そういう計算はあっただろうし、私もそこはとやかく言うつもりはないの。あと、私が独立するまではって理由も大きかっただろうし……でも、それならそれで、あの時期にそんな呪いみたいな真似なんか、なんで――」

「呪いだったから、じゃないかな」

 不意にミノリが口を開いたので、ちょっとびっくりした。筋が見えないセリフに、つい目を白黒させてしまう。

「え、どういう、こと?」

「お母さん、ほんとに呪いかけてたんじゃないかなって。その、まじない的な意味じゃなくて、精神的な意味で……つまり……自分自身にってこと」

 私はミノリを見た。いつからか、ミノリは私を正面から、眼の奥をのぞき込むようにまっすぐに視線を合わせていた。

「人形は鏡台の引き出しにずっとあったってことは、捨ててなかったってことだよね?」

「あ、うん。そう、だけど」

「つまり、毎日引き出しを開けて、自分が壊した人形を見てたのかも知れないってことだよね?」

「! そんなはず――」

「可能性として」

「……あり得ない、とは言えないけど」

「ちょっと嫌な言い方だけど……それって、毎日死体を眺めてたってことじゃないかな」

「…………」

「お母さん、心の中では、とっくにお父さんを殺してたんだと思う」

「……いや、でも、だったら」

「多分、離婚しないで、ずっとそうやって夫と向かい続けることで、春華さんへのケジメっていうか……贖罪のつもりだった……のかも」

 知らず、胸を押さえていた。呼吸が浅くなっていて、ちょっとどきどきしてる。

 むちゃくちゃだ、と言い返したかった。あの母がそんなサイコな思いを抱き続けていたなんて、にわかには信じられなかった。

 でも否定できない。そう教えられると、なんだかあちこち腑に落ちるところもあるのだ。姉の自殺直後は悲しみの感情だけで姉の後を追いそうに見えた母が、初七日を過ぎた頃から、妙に落ち着いて、どこか清々しささえ漂わせていたこと。父と言い争うようなことはほとんどなくなったのに、反面、夫婦らしい距離の近さとか、家族らしい最低限の気遣いがめっきり見られなくなったこと。

 とは言っても。

「そんな……そんな気持ちずっと抱えてるぐらいなら……母さんにはずっと言い続けてたのに……離婚しなくてもいいから、この家を出て一緒に暮らそうって……そのつもりで、私も資金貯めてたから……」

「そしたらお母さんは何て?」

 暗い目つきになっているのを自覚しながら、私は宙を睨んだ。思い出せなかった。あれはいつのことだったか? 母は淡く笑っていて、何か、適当にあしらうような言葉を口にして、それまでにも同じようなやりとりが続いていたから、ついイラッとなって「もういいよっ」みたいなセリフを口走ってしまって――

 あの時、母は何て?

「あまり……突き詰めて考えない方がいいと思う」

 気が付くと、またひどく心配そうな表情で、ミノリが顔を寄せてきていた。

「お父さんとは、もう割り切ってしまったらいい。今後は、ただ静かに過ごせるようにしてやったらいいよ……お姉さんのことも、この際区切りをつけたら……」

「……区切りをつけるって、なに?」

 つい苛立ちを含んだ声で訊き返すと、ミノリは少しだけ「しまった」という顔を見せた。そのせいで、私ははっきりと不機嫌さを自覚してしまった。

「ねえミノリ、あんた、もしかして前から私たちのこと知ってた? 朝は朝であのドールのこと、〝姉ちゃんの呪い〟とか言ってたし、初めて聞いたにしては、何か色々勘が鋭いって言うか」

「そ、そんなわけじゃ……あの、お姉さんの呪いっていうのは、もののたとえで。……つまり、事件の記憶が、チアキの家族のみんなにネガティブな影を落としてるっていう意味、みたいな……」

「適当な言い訳はやめて。母の話なんて、つい今さっきしたばかりじゃない」

「え? ……あ」

 私は半ば揚げ足取りで言っただけで、ミノリもそこは適当にごまかせばいいのに、はっきりとはっとした顔を見せ、そんな様子を見せた自分自身にさらにうろたえた。

「なに、どういうこと? あんた、まさか」

 ミノリは答えなかった。カメのように首をすくめて、半ば硬直した姿でいる。

「ねえ、何か隠してる? ……もしかしてミノリ……親父の会社の関係者、とか――」

「や、そ、んな」

「だから親父を大事にしてやれみたいなこととかっ。あっ、朝に親父につっかかろうとしたの止めたのも――」

「違うってば!」

 思いがけない大声でミノリが叫んだ。ほどよいノイズがお互いの壁代わりになっていたレストランで、一斉に視線が集まってきた。私たちは気まずそうにいったん口をつぐみ、ややあってから、店内は再び人々の話し声と薄いヴェールのようなBGMとが織りなす、静かなカオスへと戻った。

「……違う、から。私、チアキをだますようなことは、してない、から」

「でも、何か隠してはいるんだ?」

 理性的に話を仕切り直すつもりだったのに、私の声からとげっぽさはなくせなかった。そのままじっとうつむいていたミノリは、やがて諦めたように、「帰る」と言った。私も、もう引き留めてやり直せる空気じゃないな、と思った。

「送るよ」

「いい。ここからなら、歩いても遠くないから」

 一瞬、デミオを置いたままで彼女のアパートまで同行することも考えたが、ミノリだって女装姿で仕事に出かけ、日々の生活を送っているのだから、ことさら過保護にするのも失礼かと思い直す。

 いささか後味の悪いまま、私たちはレストランの前で別れた。



 その夜、私は夢を見た。

 前後のことはひどくあやふやながら、確か夢の中で母が現れ、昼間思い出そうとしてどうしても思い出せなかったセリフが、録音のプレイバックのようにクリアーに再生されているのを、目の当たりにしている夢だった。

 ――あたしと暮らしてたら、あんた、結婚できないでしょ。

 ――ダメよ。あんたは自分で自分のおうちを作るの。あんたなりに幸せで、素敵なおうちを。……春華が作るはずだった分もね。

 ――バカ言いなさいよ。あんたの相手ってお嫁さん? お婿さん? そんなところにくっついてるおばあちゃんって何よ。

 ――あんたは未来のことだけ考えなさいって。この家のことは、いったんみんな忘れて。あたしのことも、春華のこともね。墓参りの時だけ、思い出してくれたらいいよ。

『なんで、忘れろなんて言えるんだよっ』

 べそをかきながら叫んでる自分の声が重なったような気がして、そこで目が覚めた。時計を見ると、まだ早朝とも言えない時間帯だ。

 暗がりの中、布団から身を起こしながら、しばらくぼうっと回想に浸る。そうだ、確かにそんな会話だった。大学三年の、夏の帰省の時だったか。その頃からソフトハウスで働いていて収入も十分出来始めたので、母に、いったん実家を出て一緒に暮らそう、と話を持ち掛けた時の。

 実際の母親は、もう少し困ったような顔で、歯切れの悪い言い方だったろうか。でも、私の未来の結婚話を持ち出して盛大に笑い声を立てたのは本当だ。

 まったく、ミノリが親父に結婚の話なんて切り出すから、変なタイミングで記憶のふたが開いてしまった――と思い出して、そういえばあいつ、結婚の話なんてしてくれたんだなあと、今更になって変に感動してしまった。

 のりと勢いで、ついメールを打とうとして、すぐに頭を抱える。昼間のあれは、どう思い返しても自分が悪い。あの程度のいさかいで愛想をつかされるとも思えないけれども、株が大きく下がったのは確かだろう。

 あるいはこのままフェイドアウトになるのも覚悟しなければならないだろうか? そんな情けないことを思っていたら、そのまま朝までほとんど寝られなかった。


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