第4話

改札に慌てて切符を通して、モンドノット駅構内に入る。

 通勤時間ではないからか人の流れは少ない。

 周りを見渡して、マーレンナハト駅行きのホームがどこにあるかを探す。

 時間がない。あと、3分で電車が発車する。足が痛い。いや、節々が痛い。それにここまで走ってきて、息が荒い。

「ジェード、あっち」

 エマが指差した先にはマーレンナハト行きのホームに上がるエスカレーターと階段があった。微妙に遠い。けど、全力で走ればなんとか間に合う。いや、間に合わせなければならない。

「でかした。あとで、ジュース買ってやる」

「いぇーい」

「走るぞ」

 俺達はマーレンナハト行きのホームに向かって走り出した。

 人の流れが少ない為に走りやすい。もし、通勤時間だったら確実に乗るのを諦めていただろう。

 エスカレーターと階段の前に辿り着いた。

「どっちで行くの?」

 エマが訊ねてくる。

「階段」

 俺は即答した。普段ならエスカレーターを使う。けど、この状況でエスカレーターを使えばまず間に合わない。足腰にダメージがくるのは確実だが仕方が無い。時間との勝負だ。

「わかった」

 俺とエマは階段を上った。

 ホームに着くと同時に出発音が鳴った。

「の、のります」

 俺は右手を上げて、大声で言いながら、電車に乗った。

 エマとキッキも電車に乗った。

 俺達が乗ってすぐ後に電車のドアが閉まった。そして、電車は発車し始めた。

「……あぶなかった」

 酸素が足りない。口の中が鉄の味がする。早く、息を整えなければ。40歳手前の身体には辛いものがある。5年前まではこれぐらいで疲れなかったはずだ。老化か。いや、最近トレーニングをしていないからだ。また、トレーニングを始めないと。

「すりりんぐだったね」

 エマは嬉しそうに言った。

 そんな言葉どこで覚えたんだ。それにさすが5歳児。恐るべし5歳児。全然疲れていない。むしろ、走り足りなさそうにしている。少しでいい。体力と元気を分けてくれ。

「そ、そうだな」

「……キウ」

 キッキの弱弱しい鳴き声が聞こえた。キッキはロボットのストラップから元の狐の姿に戻り、エマの頭の上に乗った。

「どうしたんだ?」

「酔ったんだって」

 エマは頭の上に居るキッキを優しく撫でた。キッキが酔った理由はストラップの姿で揺れていたからだろう。

「そうか。あっちに着くまでゆっくり休んどけよ」

「キウ」

 キッキは頷いた。

「わかった。そうさせてもらうって言ってるよ」

 エマは動物の言葉が理解できると言う特別な能力がある。別界にもエマと同じように先天的にこの能力を持つ人間の事例は何件か存在する。後天的であればとある別界に行けば身に着ける事は出来る。だが、それには少なくても50年と言う鍛錬が必要で殆どの者は耐え切れず諦めてしまう。だから、この能力を持っている人間は極めて少ない。

「おう。じゃあ、座ろうか」

 俺とエマとキッキは切符に記された車両に入り、座席を探し始めた。

 別界に行く電車は基本座席指定のクロスシート。

 同じ車両に乗っている人の数は両手で数えるぐらいしかいない。

「ここだな」

 切符に記されている座席の前に辿り着いた。

「おくに行っていい?」

 エマが目を光らせて訊ねてきた。きっと、外の景色を見たいのだろう。いつも電車に乗ればこんな感じだ。

「いいよ」

「やったー」

「大きいな声は出すなよ」

「うん。わかってる」

 エマは窓側の席に座り、背負っていたリュックを床に置いた。その後、窓を両手で触って、景色を眺めている。

 別界行きの電車は窓が開かないようになっている。理由は大きく二つある。一つ目は別界に行く時に通るワームホール内で出ないようする為。ワームホール内に間違って外に出てしまうと知らない世界に飛ばされ一生自分の居た世界に帰られなくなってしまう可能性がある。現在でもまだ発見されていない世界が多く存在するから仕方が無い。

 二つ目は行く先の別界での危険を防ぐ為。別界はそれぞれ独自の環境や生態系を持っていて、どんな危険が降りかかってくるか分からない。だから、窓を開かないようにして、なるべく危険を最小限に抑えている。 

 俺は通路側の席に座った。座った瞬間、足の疲れが少し和らぐ感じがした。だいぶ、息も整ってきた。

「ねぇねぇ、きょうはどんなせかいにいくの?」

「夜がない世界に行くんだ」

「よるがないせかい?ずっと、おきとかないといけないの?」

 エマは深刻そうな顔で訊ねて来た。

「ハハハ、そんな事ないよ。ちゃんとみんな寝てるよ」

 俺は笑いながら答えた。

「そうなんだ。ちゃんとねれてるならあんしんだね」

「そうだな」

「たのしみ、たのしみ」

 エマは期待を膨らませている。エマの姿を見ていると、ふと感じる。自分自身が年を取りものの捉え方が変わったと。

 子供は何か新しいものに触れる時、恐怖や不安と言ったマイナスの感情より先に好奇心や高揚感と言ったプラスの感情が先に来る。だから、どんな事でもすぐに始められ、様々な事をスポンジのように吸収して成長する。

 逆に大人はマイナスの感情が先に来る。そのせいで、何を始めるのにも躊躇してしまい、新しい事を取り入れるのに時間がかかってしまう。その点においては子供達を見習わなければいきない気がする。まぁ、大人のマイナスの感情が先に来るのは悪いわけではない。それは今までの経験からどんな失敗をするか予測してリスクをどれだけ最小限に抑えられるかなどを考える事が出来るからだ。

 ――10分程経った。あと数分もすれば別界に行く為に通るワームトンネルだ。

 前側のドアが開き、女性の乗務員が現れた。

「本日もご乗車ありがとうございます。これからワームトンネルに突入する事とマーレンナハトに着いてからの事を先立って説明させていただきます。まず、ワームトンネルを通る時間は約10秒となります。窓は強化ガラスで出来ていますが安全の為、ワームトンネルに居る間のみ窓から手を離してください」

 エマはそっと窓から手を離した。

「ワームトンネルを通過し、マーレンナハトに到着後、ポラルン駅に着くまでに500mlの水が入ったペットボトルと太陽光を遮断出来る遮光サングラスを配布します。そして、まだ一度も言語豆を食べていない方には言語豆を配布するのでお申し下さい」

 言語豆(げんごまめ)とはどんな言語でも理解する事が出来るようになる魔法の豆だ。この豆のおかげで別界だけではなく自分達の居る世界の他地域の言語も理解出切る。しかし、動物などの言語は理解出来ない。効果は死ぬまで一生涯続く。

「では間もなく突入します。皆様は座席から立たないようお願いします」

 女性乗務員は乗務員専用の座席に座った。

 エマが突然手を握ってきた。なんだか、手が少し震えている気がする。

「どうした?」

「なんでもない」

 エマは強がっている。そんな事はすぐに分かる。表情が怯えているからだ。やはり、子供だ。どれだけ言葉で取り繕うとしても感情は素直だ。

「怖いのか?」

「うるさい。ジェードきらい」

「ごめん、ごめん」

 普段から言われているが言われる度にちょっと傷つく。今回は俺が茶化してしまったから仕方がないけど。

 俺は優しく手を握り返した。

「……ありがとう」

 エマは俺から顔を逸らして言った。こう言うところは素直に感情表現しない。照れ屋なのだ。普段は照れる事なんてないのに。

「突入します」

 電車のアナウンスが聞こえる。

 電車はワームトンネルに突入した。窓の外は真っ暗。光など存在しない。

「10・9・8・7・6」

 エマは目を閉じて、俺の手を握り締めながら呟いている。手を握り締める力が数字が小さくなるにつれて強くなっている気がする。子供の力だかちょっと痛い。

「5・4・3・2・1・0」

 突然、窓から光が差し込んできた。ワームトンネルから出たのだろう。

 車窓から見える景色はどこまでも続きそうな砂漠。なんだか、物寂しい感じがする。

「ついたの?」

 エマは目を閉じたまま訊ねて来た。

「着いたよ。自分の目で確認してごらん」

「……うん」

 エマは恐る恐る目を開けて、窓の外を見た。

「すな、すな、すな。すなばっかり」

 今先までの怯えていた様子はどこかに行き、テンションが上がっている。感情の振り切り方が激しい。

「この砂ばっかり事を砂漠って言うだよ」

「さばく。さばくはすないっぱい。すないっぱいはさばく」

 エマの声のボリュームが大きくなってきている。

「声のボリュームちょっと下げなさい」

「はぁーい」

 エマは素直に受け入れた。

「ジェード、ジェード。こんだけすながあればすなのお家いっぱい作れるね」

 外の景色を目を離さずに言った。初めての景色に心躍らせている。

「そうだな」

 女性乗務員が席から立った。

「皆様、マーレンナハトに着きました。まず、水とサングラスを配布します」

 前方のドアが開き、冷蔵庫の形をしたロボットが現れた。頭の部分には大量のサングラスが入ったケースが置かれている。

 女性乗務員はロボットの冷蔵庫部分の取っ手を引き、開けた。中には大量のペットボトルが入っている。

 女性乗務員は乗客にペットボトルとサングラスを渡していく。

「どうぞ」

「ありがとうございます」

 女性乗務員から俺とエマの分のペットボトルとサングラスを受け取った。ペットボトルはキンキンに冷えている。

「すいません」

「ほれ」

 エマにペットボトルとサングラスを手渡した。

「ありがとう。あ、ちゅめたい」

「ちゃんとキッキにもあげろよ」

「うん。ほら、キッキちゅめたいよ」

 エマは冷えたペットボトルでキッキの頬に触れた。

「キウー」

 キッキは鳴いた。きっと、冷たいと言っているのだろう。

 女性乗務員が元居た場所に戻る。

「それではマーレンナハトについて説明させていただきます。マーレンナハトは太陽が三個存在し、夜がありません。さらに太陽が三つあるので、外気温は常に70度を超えます」

「外にいるだけでゆでたまごできるね」

「お、おう」

 どこでそんな事覚えてきたんだ。俺は教えてないぞ。

「マーレンナハトに住む人々はその熱さをしのぐ為に街をドーム状の三層の透明な断熱板で街を覆っています。さらに午後7時になれば、断熱板の1層目と2層目の間に黒色の遮光板が敷き詰められ人工的な夜を作ります。それによって、体内時計を狂わせないようにされています。街は常に22度になるように気温調節がされています。ちなみにこの電車は他の別界行きの電車とは違い熱を中に通さない特殊な加工がされています。外側は熱いですが。質問がある方はいらっしゃいますか」

 女性乗務員が乗客達に訊ねる。

 乗客達は無言。質問はなしと言う事だ。

「ないです」

 エマが右手を上げて言った。

「お返事ありがとうございます」

 女性乗務員が優しく微笑んだ。

「それでは都市シューテルートワールのポラルン駅に着くまでしばしお待ち下さい」

 女性乗務員は乗客に向かって一礼した。

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