第5章 研究所: 5-3 山の影

久保田探偵事務所の応接室で、剛志・神崎・彩音・久保田の4人は、神崎のタブレットを囲んでいた。掲示板を通じて収集した夢に関する証言や地図上のデータを重ね合わせると、発症の中心と思しき場所が一つ浮かび上がっていた。その地点は、都心部から外れた山間にぽつんと存在していた。


「これは……何かの手がかりになりそうだな」と剛志が思わず声を上げる。


「夢を見た人々の発症時期を重ねると、この地点が明らかに中心になる……そう考えていいのよね?」と久保田が静かに問いかける。


神崎は深く頷いた。タブレットには発症者の位置と日付がマッピングされ、中心点を示すかのように赤くプロットされていた。


「決定的な証拠はまだありませんが、ここにはきっと何かあるように思えます。夢がこの地点から広がっていると考えるのが自然です」


「問題は、そこがただの山だってことよね」と彩音が言う。「でも、だからこそ逆に怪しい気がします。まるで何かを隠すために“ただの山”として見せかけているように思えるんです」


剛志は黙って地図を見つめた。その眼差しには、確かな決意の色が宿っていた。


「行って確かめるしかない」


その一言に、久保田は小さく息を吐いて頷いた。


「……そうなるわね。ほかに手がかりはないもの。キュミちゃんと一緒に事務所の留守をしてるから、調査に行ってきなさいな」


「了解です」神崎が応じる。「俺と西園寺、そして宮崎さんで現地調査に向かいます」


その日の午後、三人は車に乗り込み、目的の山に向けて出発した。車内では会話も少なく、全員がそれぞれの考えに沈んでいた。周囲は宅地開発が進み、商業施設や住宅街が密集する地域だったが、その一角にだけぽっかりと残された自然区域が存在していた。まるで都市の皮膚に残された小さな傷跡のように、山は異様な存在感を放っていた。


「見えてきたな」運転していた神崎が小さくつぶやく。ナビが示す地点は山のふもとの小さな公園で、山頂までは車で行くことはできなかった。空は雲に覆われ、午後とは思えないほどの薄暗さが広がっていた。


近くのコインパーキングに車を停めた一行は、周囲を歩いて林道を見つける。登山客の気配はなく、鳥の鳴き声もどこか遠く、妙に静まり返っていた。


「やっぱり登山になりますね」と彩音が言う。


「だよなぁ」と神崎が残念そうに応えた。


「神崎先輩も少しは運動した方がいいんですよ。こんな山、たいした高さじゃないし」と彩音が笑いながら促し、三人は山道を登り始めた。


「道に沿って行けば近づけそうです」剛志がスマートフォンのコンパスアプリを見ながら言う。現在地の緯度と経度を確認し、中心点の座標を目指して進んでいく。


木々が生い茂り、道は次第に細くなっていく。ところどころには倒木があり、進路を妨げていた。落ち葉を踏みしめる音が、周囲の静けさの中でやけに大きく響いた。


ふと、剛志が足を止めた。「……何か聞こえませんか?」


全員が立ち止まり、耳を澄ます。しかし、風の音と鳥の声以外には何も聞こえなかった。


「気のせいかもしれませんけど……誰か、いたような気がして」と剛志は小さく付け加えた。


登り始めて10分もしないうちに、目的の座標に到着した。


「ここが夢の中心点……?」と彩音が少し拍子抜けしたように呟く。


目の前に広がるのはただの雑木林だった。ただ一つ、鉄塔の金属フレームだけが周囲の自然に不釣り合いな存在として立っていた。


神崎は鉄塔に近づいて確認する。


「こいつは……電波塔か?」


塔の上部には複数のパラボラアンテナが取り付けられており、送電設備とは違うことが見て取れた。鉄塔の下には簡素なフェンスがあり、施錠された出入口がある。


その後、一行は約一時間にわたって周囲の地形や目印になりそうなものを記録しながら調査を続けた。地面にはいくつか人工的な石の配置が見られたが、それが意図的なものかは判別が難しかった。動物の気配さえ希薄で、ただ静寂と木々のざわめきが風に乗って耳をくすぐるばかりだった。


そのとき、彩音が足をとられて倒れ込んだ。


「きゃっ……っ!」


神崎が駆け寄ろうとしたが、彩音はすぐに体勢を立て直し、自分がつまずいたものに目を向ける。


「……何か埋まってる」


彼女が草をかき分けると、銀色にくすんだ金属製の筒が半ば土に埋もれていた。表面には焦げ跡や加工痕があり、ただのゴミには見えない。


「ロケット……か?」神崎が小声で呟く。


剛志が慎重に拾い上げて軽く振ると、中で何かが動く音がした。筒の一端には蓋がついており、慎重に開けると中から一枚のフィルム写真が現れた。


三人はその写真を囲むようにして覗き込む。


「これは……」


褪せた色の写真には、若い男性が二人並んで写っていた。背景にはプレハブのような簡素な建物が写り、敷地の端には観測機材のようなものも見える。二人とも白衣を身に着けており、その姿勢や目線には何かに向き合う覚悟のようなものが感じられた。


「これは誰だろう?今回の件に関係あるのかな」と剛志が言う。山に不用品が捨てられていること自体は珍しくないが、無関係と断じるには何かが引っかかった。


「う~ん、わかりませんが、とりあえず持ち帰りましょうか」彩音は軽くロケットの土を払い、腰のポーチにしまい込んだ。


「そろそろ戻ろう。これ以上粘っても何も見つからなさそうだし」と神崎が提案し、全員が同意する。


神崎は赤外線センサーで作動するカメラを鉄塔の付近に設置した。誰かが後日訪れた場合、その様子が記録されるはずだ。彩音は小さなタグを鉄塔の根本に残し、あとで電波強度を測定するつもりであることを口にした。


一行は林道を引き返し、車へと向かった。


「コレといって、特に何もわからなかったですね」と彩音が肩を落とす。


「そうですね。でもカメラを仕掛けてきましたから、近いうちにまた来てみましょう」剛志が自他ともへの励ましとして返す。


──その様子を、少し離れた木陰から双眼鏡越しに見つめる人影があった。影は一言も発することなく、ただじっとその場に佇み、慎重に一行の行動を観察していた。


だが、彼らがその視線に気づくことはなかった。

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