第3章 走査線 :3-4 ミッドナイトブルーの潜入

剛志と彩音はバー「ミッドナイトブルー」に到着した。美紗の言っていた通り、一見しては何の変哲もないバーだった。外観も内装も、普通のバーそのもので、特に怪しい雰囲気は感じられなかった。入口には控えめなネオンの看板があり、薄暗い照明が柔らかく店内を照らしている。中に入ると、ウッド調のカウンターやテーブルが並び、心地よいジャズの音楽が流れていた。バーの隅には古びたピアノが置かれ、時折常連客が演奏するのだろうかという雰囲気が漂っている。


「ここですね。」剛志は少し緊張した表情で彩音に言った。


「ええ、行ってみましょう。」彩音は自信を持って答えた。


二人はバーの中に入ると、カウンターの向こうに立っているマスターに近づいた。マスターは初老の男性で、落ち着いた雰囲気を漂わせていた。


「いらっしゃいませ。何にいたしましょうか?」マスターがにこやかに問いかけた。


「実は、少しお尋ねしたいことがありまして。」剛志が切り出した。「御堂美咲さんという女性が最近よくこちらに来ていたと聞いたのですが、彼女のことをご存知ですか?」


マスターは少し考えるように目を細めた。「ああ、美咲さんですね。確かによく来ていました。ですが、2週間くらい前からぱったり来なくなりましたね。いつも一人で飲んでいましたよ。」


「彼女が誰かと一緒にいたことはありませんか?」彩音が尋ねた。


「いいえ、一人でしたね。彼女は一人で静かに飲むのが好きなようでした。」マスターは首を振った。


「なんでもいいんです、何か気になるような会話など聞いていませんか?」彩音はマスターに迫るように言った。


「え?あ、いや。特には。たまに私と話すこともありましたが、気になるようなことは何も言っていませんでした。」マスターは少したじろいだものの、名乗りもしない二人組に物腰柔らかに答えてくれた。


「そうですか、ありがとうございました。」剛志と彩音は礼を言ってバーを後にした。


バーを出た瞬間、二人は互いに顔を見合わせた。剛志の表情には失望の色が浮かんでおり、彩音も少し肩を落としていた。


「空振りか…」剛志はため息をついた。


彩音はカバンから手帳を取り出し、メモを見ながら考え込んだ。「まあ、そう簡単にはいかないですよね。でも、ここで諦めるわけにはいきません。」


剛志は頷きながら、バーの入口を振り返った。「そうですね。もう少し何か手がかりがあるかもしれない…。」


彩音は周囲を見渡しながら言った。「もう一度、周りを見てみましょう。何か見落としているかもしれません。」


二人はバーの周辺を再度チェックし始めた。裏路地やゴミ箱の中、ポストの裏側など、細かいところまで調べる。剛志は手がかりを見つけるために必死だった。


「剛志さん、見て!」彩音が剛志の元に駆け寄り小声で言った。彼女の指さす先に、黒いローブを着た人物がバーの裏口へ向かっていくのを目にした。


「黒いローブ…!」剛志は驚きの表情を浮かべた。「追いましょう。」


二人は顔を合わせ、急いで後を追った。黒いローブの人物が入ったと思われるバーの裏口にはカギはかかっておらず、二人は思い切ってドアを開けた。


そこには不気味な地下への通路が口を開けていた。見渡したが他にドアもなく、バーにつながっているとは思えなかった。


「行くしかない」剛志と彩音は息をのみながら階段を下りていった。地下通路は薄暗く、無機質なコンクリートの壁が冷たく感じられた。何かの手がかりが得られるかもしれない期待感と、地下通路が醸し出す危険な雰囲気が二人の緊張を高める。


ギィィ、バタン、カチャリ。 慎重に進んでいく二人の背後で、扉が閉められた音が響いた。ハッとして扉に駆け寄る。


「閉じ込められた…!」剛志は焦りを隠せずに言った。


「どうしよう…」彩音も不安そうに言った。


二人は焦って扉をたたき、ドアノブを回してみるがやはり扉は開かない。


そのとき、背後に人影を感じた。そこには黒いローブが立っていた。その手には刃渡り10センチほどのナイフが握られていた。


「危ない!」彩音が叫んだ。


黒いローブの人物は剛志に向かってナイフを振り下ろした。剛志は咄嗟に身をかわし、相手の腕をつかんでねじり上げた。剛志には格闘経験などはなかったが、とっさに体が動いた。ジムで体は鍛えていたし、ランニングを趣味として日常的にしてはいたが、自分がナイフを持った相手に立ち向かうなど想像したことはなかった。これが火事場の馬鹿力というやつか。


黒いローブは鋭い声を上げ、拘束から抜けようと体を揺さぶった。相手の抵抗を力で抑えながら、剛志は足をかけて相手を倒そうとした。しかし、黒いローブは驚くべき体幹の力でそのまま剛志を振りほどいた。


「剛志さん、気をつけて!」彩音の叫び声が響いた。


剛志はバランスを崩しながらも、なんとか体勢を立て直し、再び相手に向かって突進した。二人は激しく取っ組み合い、地下通路の壁にぶつかりながら、互いに一歩も譲らない戦いを繰り広げた。剛志は相手にナイフを使わせないよう、ナイフを持つ右手の手首をつかんだ。相手は空いた左手で剛志の顔面にパンチを繰り出すが、その動きを読んだ剛志は体をひねり、その勢いのまま相手の腹部に強烈な膝蹴りを叩き込む。黒いローブは痛みで一瞬動きを止め、その隙をついて剛志は相手の手首をねじり、ナイフを奪い取った。


「今だ!」剛志は最後の力を振り絞り、黒いローブを壁に叩きつけると、相手はついに力を失い、崩れ落ちた。剛志は肩で息をしながら、ナイフを取り落とし、倒れた相手を見下ろした。


「やったか…」剛志は息を整え、彩音の方を振り返った。「剛志さん...すごい」彩音は茫然としていたが少し興奮しているようにも見えた。


剛志は自分がナイフを持った相手に立ち向かい、勝利したことに驚いていた。自分でも信じられない出来事に、全身が震え、アドレナリンが体中を駆け巡るのを感じた。こんなことが自分にできるとは夢にも思わなかった。


しかし、その時、さらに奥から複数の足音が近づく音が聞こえてきた。剛志と彩音は一瞬で緊張感を取り戻し、心臓が早鐘のように打ち始めた。二人の呼吸が荒くなり、どちらも一言も発さないまま、どうするべきかを必死で考えた。


「何か手を打たないと…」剛志が低い声で呟いた。


突然、しまっていた扉が開いた。そこから久保田の大柄な体が現れた。


「二人とも、大丈夫?」久保田が息を切らしながら言った。


「久保田さん!」剛志と彩音は驚きと安堵の表情を浮かべた。


「早くここを出ましょう。」久保田は急いで言った。


三人は足早に地下通路を抜け、バーの外に出た。息を整えながら、剛志は久保田に礼を言った。「助かりました、ありがとうございます。」


「どういたしまして。間に合ってよかった。でも、次はもう少し慎重にね。」久保田は微笑みながら答えた。


「どうしてここに?」彩音が尋ねた。


「神崎くんから、ミッドナイトブルー付近で黒いローブの目撃情報があったことを聞いて、嫌な予感がしたのよ。」久保田は真剣な表情で答えた。


剛志と彩音がバーに向かった後、神崎は事務所で引き続き黒いローブの人物についての情報を調べていた。彼はインターネットの掲示板やSNSを隈なくチェックし、関連する書き込みを探していた。


しばらくして、神崎はミッドナイトブルー周辺で黒いローブの目撃情報が複数あったことを発見した。その書き込みには具体的な時間や場所が記されており、信憑性の高い目撃情報であることがわかった。


「これだ…」神崎はつぶやき、すぐに久保田に連絡を取った。


「久保田さん、黒いローブの目撃情報がありました。場所はミッドナイトブルーの周辺です。これはただ事じゃないかもしれません。」


久保田は急いで事務所を出発し、ミッドナイトブルーへ向かった。


「だから急いで現場に駆けつけたんだ。二人が裏口から中に入るのを見て、後を追ったの。私は昔刑事だったから、こういった非常用の鍵や仕掛けを見つけるのは得意なんだ。」久保田は微笑みながら、自分の道具袋を見せた。


「そうだったんですか。ありがとうございます。」剛志は九死に一生を得た思いだった。


「久保田さん、私たちを閉じ込めたドアを閉めて鍵をかけた人物とは遭遇しなかったんですか?」彩音が聞いた。


「それがあのドアは勝手に閉まったの。あなたたちの背中を追っていた私の目の前でね。きっとセンサーか何かで誰かが通ったら閉まるように仕掛けられてたんだと思う」久保田は考察する。


「罠、ということでしょうか...。」剛志は背筋が寒くなった。そうだとしたらいったい誰が罠にはめたというのか。岡田美紗か、美咲か、それとも別の誰かか。


「とにかくここを離れましょう。美咲さんを探すのは想像よりも危険なことなのかもしれない」一同はバーを離れ事務所へ向かうことにした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る