慌ててCDを買いに向かった。気がつけばCD屋自体がほとんどなくなっていたけれど、渋谷のタワーレコードはまだ生き残っていた。だからそこに向かった。邦楽ロックコーナー、大々的に展開されている『剣と鞘』の新譜。同時陳列されていた、僕の持っていなかった旧譜も全部買った。おかげでフェアのクリアファイルがもらえた。何枚も買ったから、いっぱいもらえた。

 クリアファイルを大量に受け取りながら、これじゃまるで最近ハマった人みたいだと思ってなんだか腹が立った。自分は古参なんで、インディーズの頃から知ってるんで、と言いたかった。誰にだよ。

 とにかく家に帰る。CDは買ったけど、結局聞くのはサブスクだ。本末転倒な気もするけれど、便利だから仕方ない。

 新譜だけは開封して、クレジットを確認した。

 全作詞:野見修保

 その名前を、じっと見つめる。本当に田伏の作詞じゃないんだ。しかも、カップリングも全部作詞していた。

 改めて曲を再生した。

『世界は輝く』という曲だ。

 聴きながら思う。

 もしかするとこの作家は、田伏よりも田伏の曲を理解しているのかもしれない。

 来るべきところに正しい言葉が来ている、そういう感覚。聴いていて、抜群に気持ちの良い言葉だった。こいつは何者だと改めて思い、曲を聴きながらスマホを操作してWikipediaを見る。それによれば、この作家が作詞をするのは初めてらしい

 だとすれば、それは――。

 視界の端でひらりと何かが動いて、確認すると歌詞カードに挟まったチラシだった。

『シングル『世界は輝く』購入者限定ライブ 応募券』

 と書かれている。そのQRコードを、気がついたら読み込んでいた。


 倍率は相当だったようだが、あっさり当選のメールが来た。

 もしかすると昔のよしみかもしれない、と少し思う。けれど、単にくじ運が良かっただけだろう。

 僕はライブ会場へ向かった。プレミアムなライブなのだろう、ハコはかなり小さめで、そうだ、メジャーデビュー前の最後のライブがここだった、と思う。その後、ベースの脱退なんかがあって、少しライブがなくて、そして彼らはメジャーデビューしたんだった。

 久しぶりのライブに、なんだか気分が高揚していた。最近立て続けだった嫌なこともなんだか忘れられるくらい、僕は気分が良かった。そうか、そういえば昔もライブに来ると嫌なことを全部忘れられていた気がする。だけどもうライブには簡単にいけなくなってしまった。彼らが売れてしまったからだ。

 そう考えて複雑な気持ちになりながら開演を待つ。

 始まった一曲目は、もちろん『世界は輝く』。会場の空気が一気に熱くなって盛りあがる。そのままほとんど曲間もなく、二曲目。

 イントロですぐにわかった。『名前のない怪物』だ。おお、この曲か、という周囲のリアクション。意外なチョイスだったのだろう。僕はその選曲に、他の人とは違う感慨を覚えていた。

 僕は思った。

 このライブは僕のためにあるんだ。

 それからずっと、休憩もMCもなく連続で曲を披露した。

 何分経っただろう、もう終わりかもしれない。次の曲が聞きたい、次の曲が流れる、それを繰り返し、いよいよ彼らは一旦演奏を止めた。

 MCだった。

 汗を拭いながら田伏は言った。

「今日のハコ、久しぶりで。メジャーデビューの前に一回、ここでライブしたことあるんですよ。前にここでやったときに来てくれてた人とか、いるかな」

 他の人たちがパラパラと手を挙げる中、僕はなぜか挙げられなかった。なぜだろう。もちろん手を挙げたかった。得意げな顔で、嬉しそうに。でもできなかった。

 恥ずかしかったんだ。

 手をあげたら、きっと田伏は僕を見るだろう。

 ずっと追いかけてなかったことを、多分向こうは知っているだろう。考えすぎだと思ったけれど、僕はそのまま両手を下ろしていた。

 田伏は手を挙げたファンにありがとう、と感謝の言葉を述べて、少し近況の話をしたあと、

「今日は『世界は輝く』の発売記念のライブということで。このお方を紹介しないとですね」

 と前置きをし、

「野見修保さんです」

 そう言って客席を指差した。一人の男が立って、スポットライトが当たる。

 気の弱そうな人だった。なんというか、生きることが苦手と顔に書いてある感じで、活力に溢れる田伏とは対照的だった。田伏に紹介されて、気まずそうにぺこぺこしている。マイクをスタッフから渡されて話し出した。

「こんにちは。作家の、野見修保といいます。本日はライブにお邪魔しています。も、盛りあがってますかー?」

 煽り方が明らかに場慣れしていない。それでも観客は優しいので、わぁーと声をあげた。田伏はそれを見て楽しそうに笑っている。

「今回のシングル『世界は輝く』で作詞を担当させていただきました。それについていろんなお声をいただいて……『剣と鞘』の曲は田伏剣の世界観でできているんだから、他の人には表現できないし関わってほしくないというお声もありました。当然だと思います」

 会場は静かだった。じっと彼の話を聞いている。彼の話し方には、そういう風に人を惹きつける何かがあるように思えた。彼は続けた。

「なので僕は、田伏剣の世界観の模倣はやめようと思いました。それが誠実だと思ったからです。ですから、僕は僕の表現を追求しました。――僕は僕に書ける最高の歌詞を書いたつもりです。それがオーディエンスの求めているものかはわかりませんでしたが、今日の皆さんの反応を生で見られて、とても嬉しかったです。ありがとうございました」

 拍手。

 田伏が話し出した。

「彼とは実は同級生だったんですけど、その時はほとんど交流がなくて。若い頃から作家デビューしていて、すごいなって思っていました。今回、俺が出した曲にすごく素敵な歌詞を書いてくれて、想像以上でした。俺も負けてられないなって、思っちゃいましたね! ――改めて修保に、盛大な拍手を!」

 大きな拍手。二人のやりとりを見ていて、僕は何かを悟った。

 周りの人は多分気づいていないけれど、僕にはわかった。

 微笑んでいた田伏がギターのストラップを背負い直して、一転真剣な表情になる。会場が一気に静まって、ライトが落ちてステージには田伏を照らすライトだけ。

「……それでは、最後の曲です。新曲になります。――『You sing your song.』」

 わあっとさざめくような歓声が湧いて、すぐに曲が始まった。

 攻撃的なイントロ。ずんずんと響く低音。周りのオーディエンスが手を掲げて振っている。僕は呆然とそれを、何かどこか遠くのできごとのように見つめている。

 田伏が歌い出した。


  お前はお前の歌をうたえ

  お前にしか歌えない歌をうたえ

  これはお前のための歌じゃない

  お前の歌はお前にしかうたえない

  お前はお前の歌を探せ

  それはお前にしかうたえないんだから


 僕は立ち尽くしていた。そして感じていた。

 ――これは僕の歌だ。これは僕の歌だった。彼らが僕のために書いた歌だ。

 当たり前にそんなわけはないし、彼らのメッセージは真逆だったのに、僕は強く強くそう思った。

 これこそが僕の歌で、だけどこの歌自身がそれを否定している。

 僕は思う。

 僕はずっと彼らを追いかけてきた。

 離れた時期もあったけれど、僕は彼らのことがちゃんと好きだった。

 多分、これからもずっと好きだ。今日、やっぱり僕はこのバンドが大好きなんだと再確認した。だから僕は今日ここに来れてよかった。そしてそれは、あの人のおかげなんだ。僕は客席を見た。そこには、野見修保がいる。彼は体で小さくリズムを取っている。

 彼と田伏の関係。その間にあるもの。

 それは、きっと――。

 曲が続く。この曲の作詞は誰なんだろう、そう思ったけれどそんなのは実はまったく瑣末なことだった。今のこの曲の圧倒的なパワーがすべてだった。


  その歌はうたわれるのを待っている

  だからはやく見つけてやれ

  その歌は救われるのを待っている

  だからはやく はやく はやく


 田伏が叫ぶように歌う。汗が飛び散ってライトをきらきらと反射する。

 間奏。

 ギターが鳴らされて、ドラムがリズムを刻んで、ベースが跳ねる。

 ステージが、会場が一体になっている。

 彼らは輝いている。きらきらと、ライトを浴びて。

 ――まだまだもっと

 ――もっと俺たちは先へ行ける

 彼らはそう言っているようだ。ライブでその声が聞こえるのは、その声を聞かせてもらうのは、リスナーにとって何よりも幸せなことだ。ああ、この声を僕はかつて確かに聞いた。彼らのライブはいつもその声を聞かせてくれた。だから僕は彼らを追いかけたんだ。隣に立つ女性が、泣く曲ではないのに涙を潤ませて目元を拭っている。こんなに幸せなライブはそう無いだろう。

 歌は続いた。きっと、最後のサビ。


  お前はお前の歌を書け

  リズムもメロディも自由でいい

  誰にも縛られない言葉を探せ

  お前の歌はお前にしかうたえない

  お前はお前の言葉を信じろ

  お前を信じろ


 僕がどんなに僕の中を探しても、きっとこんな歌は出てこない。一生を書けても僕はこれを見つけられない。僕はそれがわかる。だからこの歌はとても残酷で、僕はとても悲しい。でも僕はこの歌が存在することが嬉しい。この歌がこの世界に生まれてきたことが嬉しい。これが僕の歌でなかったとしても、――だとしても、これは僕の歌なんだ。そう思える、それが正しくなくても。

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