第47話 ベルーガ視点一二
今年の三月、私は愛龍ちゃんに「試合を見に来てよ」と言われ、試合会場に行った。
怖かったけれど愛龍ちゃんから誘われたから、行かないわけにはいかなかった。そこで、初めて生でボクシングの試合を見た。
何かの大会だったらしいけれど愛龍ちゃんの強さは素人目でもすぐにわかるほど圧倒的……。
男の人の試合が始まると元父の姿を想像してしまい怖くて真面に見れなかった。けれど、もの凄い歓声の中、リングに上がる男性とほぼ無音の中、リングに上がる男性の姿を見て、強者と弱者なんだろうなと感じた。
凄く有名な人対知名度の低い人。有名な人が勝つに決まっている。そんな気持ちで見始めた試合。けれど、心の中で私はどこか弱者を応援していた。
頑張って、勝てるかもしれないよと、心の中で呟く。強豪を相手にしたら誰だって緊張する。私だって無名の高校から合唱部で全国に行って強者との戦いという緊張感を嫌なほど味わった。だから、弱者の方を応援したのかもしれない。
試合のゴングが鳴り、両者が動きだした。誰も気にしていなかった青年が猛烈な勢いで有名な選手を攻撃していく。
凪のような水面がいきなり波立ち始めるように、会場にどよめきが広がっていく。お腹当たりを殴るたび、相手は顔を守れなくなっていた。
青年の左拳が引かれ無意識にお腹の防御に入った強者は次の瞬間、顔面に左拳の直撃を食らっていた。立ち上がれなくなり、その場で世界が凍り付いてしまったかのような静寂が流れる。
私は応援していた方が勝った瞬間、血が沸騰したかのように足の先から頭のてっぺんまでまんべんなく血が巡り、鳥肌が立っていた。とめどない拍手を送ったと覚えている。ただ……、いくら待っても立てない強者は担架で運ばれていく。
もう、私は興奮冷めやらぬ状態だったけれど、後々、リングに立ち尽くしている青年が海原君だったと知った。
私はすでに、彼から勇気をもらっていたのだ。私も彼に勇気を与えたいと思い、声を出せるように努力してきた。けれど、結局私は立ち直った海原君ではなく、弱い私のままなんだと実感し、自暴自棄になってしまった。
でも、ボクシングは見ている人を勇気づける力がある。それは私が経験した。だから、舞にも見てもらいたかった。
なんなら、お母さんにも……。
「舞、本当に嫌な気持ちになったら見るのをやめても良いから、一緒に見に行こう。お母さんも一緒に」
「えぇ……、お姉ちゃん、そんなにボクシングが好きだったっけ?」
「うぅん、そういう訳じゃないけれど、私の親友と……知り合いの男の子が出るから、応援したいの」
「ふぇ~ん、その男の子ってもしかして、お姉ちゃんの彼氏~?」
舞はにやにやと笑みを浮かべ、私に肘をぶつけてくる。まるで隅に置けないなーと言われているような気分になった。
全力で否定し、あらぬ誤解をすぐに解く。だが、興味を少々持ってくれた。お母さんも、怜央が戻って来てくれて嬉しかったのか、今日は気分が良いらしく私たちと一緒に来てくれる運びになった。
午前一一時三〇分ごろ、皆で一緒に牛鬼ボクシングジムに到着。すると、大きな車がジム前に止まっていた。
八人乗りの車で顔がボコボコになっている万亀雄君が助手席から現れる。運転席から卯花さんが飛び降りて両脇のスライドドアを開けてくれた。私達は車に乗るのが久しぶりで、少々緊張しながら座席に座り、すぐにシートベルトを付ける。車内は甘い花の香りがして、卯花さんのような良い匂いだった。
父親と万亀雄君の妹は家で留守番らしい。来たがっていたそうだが、万亀雄君が野蛮なスポーツを妹に見せたくないそうだ。過保護というか、何というか……。
「じゃあ、出発するわよ~!」
卯花さんが運転席に乗り込み、シートをハンドルにギリギリまで近づける。卯花さんの身長があまりにも低いので、こんな大きな車を動かせるのか不安だったが、問題なく動いた。
ただ、真っ黒なサングラスを掛け、スピーカーから流れてくる音楽がヘビーメタルだったのが、意外過ぎて移動時間に何を話したかよく覚えていない。
県立体育館に到着し、私たちは卯花さんと万亀雄君の背中を追って建物の中に入った。すでに午後一二時頃。試合が始まる時間帯だ。
女子の体重が軽い階級から試合があるそうなので、焦る必要はない。試合場の中は広く、大きなリングが中央に置いてあって審査員が長机の近くに置かれた椅子に数人座っている。
小柄な女子生徒、高校生だろうが、知らない顔の者たちがリング上で試合を始めていた。私たちはスタジアムのような高い位置にある観客席に座り、試合を見る。
「お姉ちゃんの知り合いはいつ出てくるの?」
「もう少し後かな……」
私が喋ると万亀雄君の目が見開かれた。私もハッとし、自分の口に手を持って行く。周りに家族がいるおかげか声がするっと出てきた。
だが、この場が家ではなく多くの人がいる場所だと思ったとたん、首を絞められたかのように喉が閉まる。メモパットは持ってきているので意思疎通は出来るが私の症状をほぼ初めて見たであろう家族の顔は暗かった。
今日は一回戦だけで終わるそうなので、愛龍ちゃんと海原君の試合は案外すぐ見られるかもしれない。
ボクシングのルールをよく知らない私たちに、万亀雄君がプロとアマチュアでルールが違うと教えてくれた。高校ボクシングはアマチュアなので相手を倒すより、良い拳を何発打てたのかというのが得点になるらしい。
良い拳とはクリティカルブローといい、勝負を左右する。
高得点を狙うために必要なのは、一、ベルトから上側への質の高い打撃の数。二、技術や戦術の優勢を伴って競技を支配していること。三、積極性。という、素人にわかりにくいものばかり。
だから、万亀雄君は「難しいルールは無視して応援したい方を応援していればいい」と言った。ざっくりとしすぎな気もするが、それくらいがちょうどいいのかもしれない。
有名な私立高校の名前ばかり呼ばれる中、聞き覚えのある高校名が呼ばれ、愛龍ちゃんがリングに入った。
頭と胸にクッション材のような防具を付けている。ただ、雰囲気が他の出場者よりも明らかに異物だった。
小さな動物のぬいぐるみが置いてある中で、ドラゴンの等身大ぬいぐるみが置いてあるかのような風格を漂わせている。
一ラウンドが始まって愛龍ちゃんの拳は相手に容赦なく撃ち込まれ、ダウンを奪っていた。圧倒的な強さで勝ってしまい、明らかな実力差で周りも引き気味……。
万亀雄君が「あいつは全国レベルだからな」と呟き、苦笑いになっていた。やはり愛龍ちゃんは本物の強者らしい。
女子の試合が終わると、男子の試合が始まった。迫力は段違いで両者の攻防が熱いとこちらまで熱くなってくる。試合が進み、ミドル級と言われる高校生の中で一番重い階級に入ったと万亀雄君が教えてくれた。
「陸海高校二年、海原成虎君。天地高校二年、鮫島昇君。試合の準備をお願いします」
アナウンスが掛かると、私の身が引き締まった。万亀雄君の顔は苦い……。
私は『相手は強いの?』とメモパットで万亀雄君に質問してみると「シゲが怪我させた相手の弟だ」と教えてくれた。
「え、あのカッコイイ人、もしかして……」
「鮫島? えぇ、なんであの人が試合に……」
リングの上に海原君と鮫島昇さんがリングに上がると舞と怜央が互いに何か思ったのか、互いに喋り出していた。舞は私に、怜央は万亀雄君に話かける。
「お姉ちゃん! あの青い防具を付けている人、私を助けてくれた人だよ! 間違いない!」
舞は興奮し、席を立ちあがっていた。周りに迷惑だから、すぐに座らせる。
「兄貴、鮫島って人、鯛平にボクシングを教えてた……。同じ人に見える」
「鮫島と鯛平が繋がってたのか? まあ、同じ中学出身ならわからなくもないが」
怜央と万亀雄君はものすごく険しい顔を浮かべていた。舞と正反対だ。
――海原君、頑張って……。
私は両手を握りしめ、心の中でただひたすらエールを送る。でも、思っているだけじゃ伝わらないとわかっていた。胸の中で渦巻くこの思いを……、どうにかして彼に伝えたい。
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