第45話 シャチとサメ
「……ボクサーだからやっぱり、ボクサーパンツの方が好きなんですか?」
「いや……、特に関係ないかな……」
怜央君は洗濯機を使うなんてもったいないと言って桶に湯を入れて衣類を揉み洗していた。ものすごく家庭的な少年なのかもしれない。洗濯用ハンガーにかけ、僕の部屋で干す。
怜央君は僕の部屋の中に入ると目を輝かせていた。僕の部屋に男の子が好きな品は一切無いと思う。ゲームや漫画は無いので愛龍からはつまらない部屋だとよく言われる。
「俺、一人部屋に憧れがあって。今、姉貴と双子の姉の三人で一部屋を使っているんです」
「そうなんだ。じゃあ、寝る時も一緒?」
「はい。俺の家族、貧乏ですけど家族仲は良い方で、父親がいなくなってからは凄く幸せだったんですけど、学校じゃ、貧乏ってからかわれる対象になって。まるで不幸せみたいなふうに見られていつの間にか不良に……」
怜央君はしおれた葉野菜のように項垂れ、ベッド近くに座って膝を抱えながら呟いた。桃澤さんは家族のことを一切話さなかったが、彼は僕に教えてくれた。
父親が母親を暴行し、桃澤さんにも暴行や性的暴行を受けるようになって離婚したと。その間、桃澤さんが怜央君や双子の姉を守ってくれていたらしい。男なのに、守られていたのが悔しかったと、今度は自分が強くなって家族を守りたかったと。でも、屑の父親の血が流れているから自分も不良になったんだと自己嫌悪に陥って守りたかった家族に八つ当たりしていたという。
聞けば聞くほど、辛い話が出てくる。相談できる相手もおらず、携帯電話の本体は金持ちの子がもういらないと言うお情けで貰った品だそう。
話すだけ話したら、眠たくなってきたのか、うつろな表情を浮かべていた。ベッドの上に寝かせ、寄り添って眠った。
昔は万亀雄と一緒によく寝たものだ。懐かしい気分になり、心が温まる。
次の日、午前七時に目が覚め、桃澤さんと怜央君は僕と愛龍以外の皆と朝食を得ることになった。沢山の料理を見て、桃澤さんと怜央君は完全にてんぱっている。どうも、万亀雄が二人に迷惑をかけてしまったと卯花さんが申し訳ないと思い、奮発したらしい。両者は泣きそうになりながら料理を食していた。僕と愛龍は計量のため、朝食は計量後だ。
午前九時五〇分に点呼、午前一〇時に検診と軽量があり、正午から試合が始まる。今日は一回戦だけ行われ、二回戦、三回戦と決勝は来週の土日らしい。そうなると、桃澤さんの県大会が見に行けないじゃないかと思った。優勝してすぐに向かえば間に合うかも……なんて、考えていたのだが、彼女は浮かない顔だ。
合唱部の部長に「もう来なくていい」と言われたらしい。それが昨日だと教えてくれた。部活に集中出来なかった結果だと。毎日頑張ると決めた約束も出来なくなっていたと。万亀雄から何か言われていたらしいが、それは教えてくれなかった。
桃澤さんは未だに自分が情けなくて許せないのか、自己嫌悪に陥っている様子。でも、まだ一週間ある。諦めてしまったら、そこで今までの頑張りが全て無駄になってしまう。
「桃澤さん。諦めるのはまだ早いよ。今まで辛くてもずっと諦めずに生きて来たんでしょ。今の桃澤さんが昔の自分を貶してどうするのさ。過去の桃澤さんは未来の自分が少しでも幸せになれるようにって努力していたのに、こんなところで諦めたらもったいないよ」
僕は桃澤さんの手を握り、怜央君から聞いた貧乏性の彼女にとってよく効く「もったいない」という言葉を使う。少しでも前向きになってほしかった。だから今日、僕は戦わないといけない。彼女を勇気づけるために。
「よかったら、怜央君とお母さん、妹さんも一緒に見に来て。相手の顔を殴れなくても、ボクシングのリングで相手に立ち向かう僕の姿を見てほしい」
「私が桃澤家の皆を車に乗せて会場までいくわ。だから、移動費は気にしないで」
卯花さんは腰に手を当て兎エプロンを曝しながらいった。あまりにも頼りになりすぎる。
僕は卯花さんに感謝するためにハグすると、周りからブーイングを受ける。
桃澤さんの表情が暗くなって、明らかに嫌悪感を抱かれていた。なぜ……。
桃澤さんと怜央君は家にいったん帰り、午前一一時頃に卯花さん達と一緒に県大会の会場まで来るそうだ。
僕と愛龍は準備を整えて会長の車で午前九時三〇分ごろに会場に到着。
僕は男子更衣室に入ると各階級の選手たちが気合いを入れている様子が見受けられた。背丈や体格の大きな者達が、僕の相手だろう。その中に覚えがある顔を見つけた。僕から声をかけようと思ったが、逆に相手の方から声をかけてきた。
「海原成虎君だよね……。俺のこと知っている?」
黒い短髪と僕より少し背の高い青年、県内で有名な私立高校の体操服を着ている。よく見れば、周りのほとんどの選手が彼と同じ私立高校の選手だった。まあ、それくらいわかっていたけど。公立高校にボクシング部はあまりない。でも、僕と愛龍のようにジムに通っていれば高校に申請書を出して高校の県大会に出ることは可能だ。
「はい、知っています。鮫島昇さんですよね」
「同級生なんだから、敬語は必要ないでしょ。まあ、ぼちぼちといったところかな……」
昇は僕の姿を頭のてっぺんから足先まで視線を動かした。なにが、ぼちぼちというのだろうか。体格の話かな。
「海原と兄の試合は素晴らしかった。一瞬で悟ったよ。これが強者の戦いなんだってね。俺が到達できない海域なんだと悟ってしまったんだよ。悪く思わないでくれ」
昇は僕の肩に触れた。万亀雄や不良たちの攻撃を全て躱していたわけじゃないため、至る所に青染みが出来ている。少し触れるだけでも鈍い痛みが走った。
僕が苦笑すると、昇は乾いた笑顔を浮かべていた。まるで勝利を確信しているかのよう。
午前九時五〇分に点呼が行われ、すぐに診察と計量に映る。
「君、ちょっと厳しい練習の過ぎなんじゃないかい? 体中、内出血の跡が……」
健康状態が問題ないか診察してくれている医者が目を細めるほど、今の僕の体はボロボロ。それだけ深夜の戦いが激しかった。でも健康状態に問題はなかった。計量も問題なく通過しミドル級への参加が確定した。その後、卯花さんが作った朝食を得て、体力をつける。
軽いシャドウイングや駆け足、縄跳び、ミット打ちなどで体を動かしながら本調子を取り戻して行く。
他の者も体を動かして筋肉を暖めていた。何もしないでいきなり始めるより、体がよく動くのだ。
ウォーミングアップの際、昇の姿を見かける。鮫島和利さんが昇に話かけていた。何かしら口論しているのだろうか。体操服の胸ぐらを掴んでいる様子も見て取れる。兄弟喧嘩しているような様子だった。
僕は周りに気を取られているわけにはいかず、会長が構えているミット目掛けてグローブを打ち付ける。鳴り響く爆音は周りにいた者達の雑音をかき消すほど。もしかすると、雑音がそもそもなかったのかもしれない。拳を出す程度の動きで体に痛みはなく、問題なく試合が出来るはずだ。
愛龍と軽いスパーリングをこなし、試合開始時刻の正午を待つ。
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