第44話 シャチと鬼
午前二時頃、外は真っ暗だと言うのに牛鬼ボクシングジムの中はLEDの白い明りで目が覚めそうなほど明るかった。僕と万亀雄は硬い床の上で正座させられていた。
「えっと、芽生の送って来た文章を読むと万亀雄に弟を人質に取られて無理やり言うことを聞かされた。その挙句、首を絞められて気絶させられて縄でぐるぐる巻きにされた後、不良たちに差し出されて海原君を呼び出す餌にされたと……」
愛龍は携帯電話の画面を見て、腕を組んでいる二人の化け物に事情を伝えていた。一人は鬼の権化……。もう一人は人を食い殺しそうな兎。
「万亀雄、お母さん、すっごく悲しいわ。せっかく良い子になってくれたと思ったのに。女の子の弱みを握って利用してたなんて……。うぅぅ……」
「か、母さん、こ、これには事情があって、そ、その、不良共を一網打尽にするために」
卯花さんは「おだまり!」と言い、正座している万亀雄の顔をグーで殴った。あまりにも強烈な一撃で万亀雄は失神し隣にぐったりと倒れている。拳が速すぎて見えなかった。
「あぁ、怜央君、ごめんなさいね。万亀雄がそんな乱暴しているなんて、知らなくて」
卯花さんは万亀雄の近くにいた怜央君にぎゅっと抱き着いていた。だが、抱き着かれている怜央君は鯛平を前にした時以上の恐怖を得ているのか、顔が青くなっている。あの、万亀雄を一撃で失神させるほどの女性なのだから仕方ないか。
「成虎……、私との約束を破ってリングの中以外で人を殴ったのか……」
会長はまさしく鬼の形相で僕を見下ろしてくる。エンマ大王と言っても信じる者がいそうなくらい身が震える。嘘を付けば、舌を抜かれるどころか二度目の命はないだろう。
「は、はい……。殴りました……。桃澤さんを助けるためだったとはいえ、会長との約束を破ってしまったのは事実。ボクシングを潔く辞めて田舎の祖父たちのもとに帰ります」
「バカ野郎っ!」
会長のげんこつが頭部に打ち込まれる。頭蓋骨が割れていないか心配になるほど痛い。床に額を当て、痛みに我慢しながら顔をあげる。
「僕は後悔していません。ボクシングやこの場に残ることを捨ててでも、桃澤さんを助けたかった。それだけです」
「……前、私の夫の話をしたな。あの時、まるで夫が自分から不良共を狩りに回っているかのように言ったが、そうじゃない。私が不良共をぶん殴っていた。数に負けそうになった時、あいつは喧嘩が嫌いなのに助けに来た。その時から私は喧嘩に勝てなくなってな。毎回助けに来てくれるあいつを見るたびに喧嘩が弱くなっていった。不良たちをぼこした後はもう、燃え上がるような口づけを……」
どうしよう、会長は夫の話が始まると凄く長いんだよな……。すでにのろけ話が始まってる。愛龍なんて、恥ずかし過ぎて顔が真っ赤だ。
「ママ! 話が長い! パパが大好きだったのはわかったから!」
「むぅ、せっかく気持ちよく思い出話をしていたのに……。まあ、仕方ない。結論だけ言おう。成虎、今回の件は不問とする」
「え……、な、なんでですか……?」
「なんで? そんなの、成虎の拳を振るった理由に正当性があるからに決まっているだろ。そこで拳を振るわなかったら、逆に叩きだしていたな。ま、お小言は県大会の後だ。二人共、こんど風呂の中でたっぷりと扱いてやる」
僕の顔は血の気が引いていくのに桃澤さんの顔は赤くなっていく。彼女は知らない。会長のお尻ぺんぺんが、血反吐が出そうになるほど激痛だと言うことを……。
愛龍は僕の顔と伸びている万亀雄の方を見ながらクスクスと笑い、芽生にぎゅっと抱き着いていた。
「はぁ、私を呼んでくれれば秒で助けに行ったのに。相手が再起不能になるまでボコボコのフルボッコにしてやったのになー。にしても、芽生、最近そっけなかったじゃん。ものすごく悲しかったんだけどー」
愛龍は桃澤さんの頬を突き、ジト目を向けている。携帯電話にメッセージが届いた音が鳴ると、すぐに確認していた。
「なるほど、万亀雄のせいだったんだ……。起きたらシメてやる。また、何か万亀雄に言われたら、私に言って。ボコボコにしてやるから」
桃澤さんは愛龍の発言が事実なんだろうなと確信しているような苦笑いを浮かべ、頭を縦に動かしていた。
伸びている万亀雄は卯花さんに運ばれ、家に帰って行った。
「えっと、芽生と怜央だっけ? 今日はもう遅いから泊っていきな。親に連絡しときなよ」
会長に言われた桃澤さんと怜央君は頭を下げていた。携帯電話で家族に連絡したらしい。
「じゃあ、私が芽生を貰っていくから。弟君の方を成虎の部屋で寝かせてあげてねー」
愛龍は桃澤さんの手を取り、そのまま部屋に連れて行ってしまった。
「怜央君、シャワーでも浴びようか。その後、傷の手当ね」
怜央君はこっぱずかしそうに「う、うっす……」と呟き頷いた。一緒に脱衣所に移動し、泥まみれの体をシャワーで綺麗にする。
怜央君の体はやはりまだ中学生だからか、少し子供っぽい。でも、髪が金色なので違和感があった。タオルで股部分を隠す姿が普通に中学生っぽくて少し安心する。体の至る所に打撲痕があるが、湿布を貼れば問題なさそうだ。グチャグチャの髪にシャワーヘッドからお湯をかけ、石鹸で洗っていく。
「こ、こんなにシャワーを使っても良いんですか?」
「え……、いや、そうしないと石鹸が流せないでしょ……」
怜央君曰く、家だと桶一杯分のお湯で体を洗わないといけないそうだ。なんなら、その残り湯で洗濯するらしい。さすがに切り詰め過ぎだと思うのだが……。まあ、今は良いんだよと言って体を洗ってもらった。
――ん? 体を洗った残り湯で洗濯……。ちょっと待て……。桃澤さん、僕のタオルに使った洗剤の名前を教えてくれなかったけどお風呂の残り湯で洗ったりしたのかな。いや、さすがにないか。桃澤さん、そう言うところに厳しいからな。
僕たちはバスタオルで体を拭き、僕の下着類を怜央君に貸す。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます