第43話 シャチとカメとレオ

「はぁ、はぁ、はぁ……。本当に硬い……」

「そっちこそ、拳が糞重いんだよ……」


 僕と万亀雄は互いにぶっ倒れるほど殴り合い、車の騒音を地面から感じていた。互いに立ち上がれず、ドロウ状態。でも、僕はまだやらなければならないことがある……。

 軋む体を起こし万亀雄の手首を握り引っ張った。彼は苦笑いを浮かべながら立ち上がる。


「おらっ! さっさと、倒れろやっ!」


 鯛平は血まみれの拳を構え、ボロボロの状態で地面に倒れている金髪オールバックの怜央君に向って叫んでいた。怜央君はボロボロの状態でも立ち上がり、拳を再度構えている。


「怜央君が何でここにいるのかわからないけれど彼が戦っているのに僕たちが立たないわけにはいかないよね……」


「たく……、どれだけタフなんだよ」


 僕と万亀雄が殴り合ってわかったこと。彼は悪に手を貸したわけではなかった。ただ、僕と喧嘩がしたかっただけ。桃澤さんは僕をおびき寄せ、さらに大量の魚をおびき寄せるための餌だった。

 僕たちの島の中にいる藻屑高校の生徒達はおそらく、鯛平が僕を数で押しつぶすためにこの場に全員集めているはずだ。

 万亀雄は鯛平に僕を倒す方法を教え、ばらばらだった藻屑高校の不良を集めさせた。そいつらを一網打尽にするために……。ほんと、万亀雄にはいつも頭が上がらない。

 でも、僕は会長との約束を破って、何ならそのせいで桃澤さんに勇気を与えられなくなった。加えて鮫島さんのお願いもかなえられない。

 ボクシングは出来なくなってしまうが、桃澤さんを助けられるのなら本望。愛龍の応援に行く資格も無い。これからどうやって生きて行こうか……。そんな無駄なことを考える前に、外来種を駆逐しなければ、多くの在来種が迷惑してしまう。


「ちっ……、ボロボロの癖に、何笑っていやがる……」


 鯛平は僕たちの方を見て、少しだけたじろいでいた。だが、後方にいる多くの者から僕をボコボコにしたと話している手前、逃げるに逃げられない状況だろう。ここで逃げれば、彼は確実に仲間からの信用を失う。


「くっ! お前ら! こいつらをぶっ倒せば藻屑高校の中で名が轟く! それだけで、女からモテまくりだ! すでにボロボロの手負い二人なんて、数で押しつぶせ!」


 鯛平の声を聴き、藻屑高校の不良たちは一斉に僕と万亀雄目掛けて走って来た。

 怜央君は桃澤さんの体を持ち上げ、河川敷の端に寄らせた。その後、一人で孤立して周りを見て逃げようとしている鯛平に向って突っ込んでいく。


 僕は顔を殴らず、ボディーブロウだけを使って藻屑高校の不良を一撃で沈めて行った。多くの人を泣かせ、多くの者から何かを奪って来たであろう彼らに、容赦など必要ないはずだ。でも、会長との約束を破ったと言う罪悪感が体の中で毒のように広がっていく。


 万亀雄は相手がだれであれ関係なく、顔面をぶん殴り吹っ飛ばしていた。喧嘩慣れしている者としていない者が半々。一年生が多いのかもしれない。これっきり、悪事は止めてほしいが、不良から抜け出すのは簡単じゃない。


「う、嘘……、ご、五〇人はいたはずだぞ……」


 僕と万亀雄の周りに藻屑高校の不良たちが軒並み倒れ、立ち上がれない様子だった。残り一人、鯛平だけが立っている。そのまま、僕たちの方を見て顔面を蒼白させていた。


「はぁ、はぁ、はぁ……。お前の相手は俺だ!」


 怜央君は鯛平が視線を泳がせていた瞬間を見計らい、真下から鯛平の顎目掛けて拳を打ち込んだ。あまりに完璧に入ったアッパーカットに巨体の鯛平も頭を後方にもたげ、地面に背中から倒れている。完璧に入ってしまい脳が揺れて四肢に力が入らず立ち上がれない。


 僕と万亀雄は寝ころんでいる鯛平のもとに向かう。そのまま腰を下ろし、話し掛けた。


「もし、これ以上悪さをすると言うのなら、お前らの情報を警察に持って行く。また、うちの島に手を出してみろ、その時はお前の顔面が完全につぶれていると思え。俺ら以外の奴に手を出したら……」


 万亀雄は鯛平の胸ぐらをつかみ、溢れんばかりの恐怖感を与えていた。彼に睨まれ、脅迫された者で再度不良に戻った者はいない。鯛平も、僕と万亀雄にやられたわけじゃないのに恐怖し、身を震わせていた。


「はぁ、はぁ、はぁ……。や、やった……、か、勝った……。勝ったよ!」


 怜央君は両手を上げ、ボロボロの顔なのに屈託のない笑顔を浮かべていた。まだ、万亀雄からボクシングを教わって二週間も経っていないのに凄い成長速度だ。


「凄くカッコよかったよ、怜央君。何度倒れても立ち上がった姿はまさしく強者だった」


「強くなっても悪事に手を染めるなよ。強さは誰かを守るためにあるんだからな」


「は、はい! 万亀雄兄貴!」


「兄貴……、へえ、そんなに仲良くなっていたんだね」


「こいつが勝手にそう呼ぶだけだ……。ま、弟分も悪くない」


 万亀雄はもともとシスコン気質があるのに、今度はブラコンになってしまったらしい。怜央君の頭を撫で、ものすごく褒めていた。


 僕は河川敷の端に寄せられている桃澤さんのもとに向かった。彼女は未だに亀甲結び状態。出るところが出ていて、あまりに破廉恥すぎる……。桃澤さんの姿が卑猥すぎて見れない。猛獣たちの素っ裸より卑猥ってどういう状況だ。あり得ない。


「も、桃澤さん、す、すぐに外します」


 手足は普通に縛られているだけだと知り、グローブを外して汗だくの手で縄を解いた。手足の縄を解くと……、体に巻かれた卑猥な縄のみ。だが、自由になった桃澤さんは突拍子もなく僕に飛びついてくる。

 あまりにも勢いが強く、後方に倒れた。嗚咽と鼻をすする音が何度も僕の胸もとで響き、相当怖かったんだろうなと優に想像できた。

 僕は桃澤さんの背中と後頭部を摩って涙を引かせたあと体の縄を解く。その後、また抱き着かれた。ものすごく力強くて抜け出せそうにない。こんな時、どうしたらいいのか、知らなかった。

 泣きたくなるくらい怖い経験だったのは間違いない。でも、僕が守っていたわけじゃない。彼女を助けたのは怜央君だ。お礼を言うべきは怜央君の方だし、元をたどれば鯛平が僕を狙っていたのが原因で桃澤さんを巻き込んでしまった。どうやって誤ればいいだろうか。謝って許してもらえるだろうか。


「桃澤さん、ごめん……。僕のせいで、怖い目に合わせてしまった。すごく怒っていると思う。僕を何度殴ってくれても構わないから、許してほしい」


 桃澤さんはおでこを僕の胸にどんどんと何度もぶつけて来た。そのたびに胸の中の空気が口から出ていく。息を吸って彼女の無事を実感すると、ようやく自分の胸の鼓動が恐ろしく早まっているとわかった。

 胸の内側で泣いている彼女の体を強く抱きしめる。柔らかくて暖かくて、ずっとこうしていたいと思ってしまう。

 桃澤さんが泣き止んだので僕は上半身を起こした。なのに、桃澤さんは離れてくれない。

 肩に顎を乗せ、未だに抱き着いている。大きな赤ん坊……、いや、コアラだろうか。

 彼女の背中を何度も撫でて後頭部をトントンと叩き、動物をあやすかの如く宥める。


「うわ……、姉貴のメス顔なんて見たくなかったな……。気持ちわりい」


 後方から怜央君の声が聞こえ、桃澤さんは一瞬で固まった。すぐに、立ち上がり怜央君の頬を摘まんでお仕置きしている……。

 桃澤さんの顔を見ると、耳まで真っ赤になっており何について怒っているのかわからなかった。それでも、昼ごろに会った彼女よりも明らかに元気そうだ。


 僕も立ち上がり、深呼吸を挟む。そのまま一件落着とでも言いたげな万亀雄の顔目掛けて右拳を放った。だが、やはり体が硬直し速度が落ちる。それでも振り抜いた。万亀雄の頬に柔い一撃が当たるもほぼ効果なし。


「次、怜央君と桃澤さんを使おうとしたら本気で顔を殴る」


「殴ってから言うなよ。まあ、遅い速度の割りに重い一撃だった。これを本気で受けたら、俺のカッコいい顔が台無しになっちまう。これに懲りてもう使わねえよ。あぁー、だが、芽生の甲羅縛りはエロかったな……」


 万亀雄の発言に同感してしまいそうになりながら僕は拳を握ったものの、先に動いたのは桃澤さんだった。熊の手かと思うほどの勢いがあるビンタが万亀雄の顔に打ち込まれ、続いて顎に一発。そのまま、脚を振り上げて股間に強烈な一撃を打ち込んだ。ボクシングなら完全に反則だが、喧嘩に反則もくそも無い。

 さすがの万亀雄も地面に倒れ、泡を吹く寸前だった。


「はぁ、はぁ、はぁ……」


 万亀雄にフラストレーションが溜まっていたのか桃澤さんはすっきりとした表情を浮かべていた。彼女を怒らせたら案外怖いのかもしれない……。温厚そうな雰囲気なのに……。


 携帯電話を見ると、午前一時三〇分頃。今回の件を会長に言ったら僕は試合に出られないんだろうな。まあ、桃澤さんを守れたから悔いはない。

 グローブを持って川の方に向って歩いていく。すでに何代目かわからないけれど、二週間前から新品を使っていた。でも、もうボロボロだ。やっぱり安い品だからかな。高い品を買った方が元が取れるのかもしれない。でも、新しいグローブを買う機会はもうない。このまま、川に投げ込んで僕のボクシング人生も終わりにしよう……。

 左腕を振りかぶったころ、左腕に桃澤さんが抱き着いてきた。そのまま、顔を横に振って僕を止めてくる。そのまま僕の手首を持ち、万亀雄の首と手首に縄を巻き着けて牛鬼ボクシングジムに連行された。

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