第35話 リュウの慰めかた
「ねえ……、成虎は私が裸じゃなくても興奮する……?」
「え……、あぁ、どうだろう……、何されるのか怖くてドキドキしているかな……」
「おバカ……」
愛龍は僕にぎゅっと抱き着いてきた。まだ、お風呂に入っていないからか、彼女の汗と髪のにおいがふわりと漂ってくる。彼女のお願いはハグでいいのだろうか。
僕は同じく、愛龍の背中に腕を回した。後頭部を撫でる。
小学生のころ、愛龍は練習終わりに父親のところに行って褒めてもらっていた。生粋のパパっこだったので、よく覚えている。
彼女はボクシングを始めた頃から辛さや楽しさ、気持ちを静める時、いつも父親のところに行って優しい抱擁を貰っていた。
愛龍が抱擁を父親に求める時はいつだって感情が抑えられない時のはずだ。今、何かしら感情が乱れていてどうしようもないから男の僕に父親と同じ温もりを求めているのかもしれない。
長年、愛龍を見て来た僕だからこそ、いきなり抱き着かれてもさっと対処できる。
「愛龍、今日もお疲れ様。よく頑張りました」
愛龍の父親が良く言っていた言葉を愛龍にかける。これで気持ちが安らぐはず。
だが、愛龍は僕の胸に手を置き、勢いよく離れる。
その時の顔が見たこともないくらい真っ赤だった。インフルエンザにすらかかった覚えがない頑丈な愛龍が、少し濡れたくらいで風邪をひくと思えない。
胸に手を押し当てるようにして過呼吸になっていた。
何か重篤な病気なのかと心配したが、愛龍は僕の隣を通って走って脱衣所を出てしまった。走れるのなら問題ないか。
やはり、僕は愛龍の父親のようになれないらしい。愛龍に過去を思い出させて苦しめてしまっただけ……。ほんと、僕も学ばないな。
僕は脱衣所から食堂に移動し、夕食を得る。
「成虎君、愛龍ちゃんと喧嘩でもしたの? 愛龍ちゃん、料理をまだ食べてないのに部屋に行っちゃったんだけど」
卯花さんがご飯大盛のお茶碗を僕の前に置きながら聞いてくる。
「えっと、喧嘩したわけじゃないですよ。ただ、愛龍にお疲れ様と言っただけです」
「そう……。まあ、愛龍ちゃんは男の子にも負けないくらい凄く強いけど、心は年頃の女子高生だから優しく接してあげて。女の子の心は時計よりも繊細でガラスよりも脆いの。失恋した経験が無い女の子は特にね」
卯花さんは僕の手を小さな両手でぎゅっと握り、微笑みかけてくる。背丈は僕より小さいのに、本当の母かと思うほど包容力があって万亀雄が大好きなのもわかるほど安心する笑顔だった。
「す、すごい、ゴツゴツしい手……、こ、この手で私の体をまさぐられたら……、だ、駄目よ……、息子の幼馴染で、そんな想像しちゃ……」
卯花さんは僕の手を撫でまわし、息が荒くなって内もも同士をこすり合わせ始める。雰囲気がどんどん、変わっていった。
「う、卯花さん……」
「はっ……。ご、ごめんなさい。最近、夫が忙しくて全然かまってくれないから……つい」
卯花さんは僕の手を放し、微笑みながらちょこちょこと走って料理を取りに行く。やはり万亀雄の両親は未だに仲良しなんだな。幸せそうな家庭で何よりだ。
僕は卯花さんの手料理をたらふく食し、寝る準備を終わらせてから部屋に向かう。部屋に入ってベッドに寝転がると、愛龍の苦しむ声が聞こえた。
うぅ……、とか、だめ……、とか。どこか細く熱った声で、眠っているわけじゃなさそう。
僕は先ほどの抱擁で愛龍を悲しませてしまったのかもしれない。そう思い、隣の部屋に行って扉を叩いた。
すると、ベッドが傾いたのかと思うほど大きな音が鳴り、部屋の中で大鯰が暴れているのかと錯覚するほど騒がしい。
音が止まると瞳に涙をため、顔が先ほど以上に赤くなっている愛龍が扉を少し開ける。やはり、ずっと泣いていたのかもしれない。
「な、なによ……」
「その……、愛龍の気持ちも考えず、愛龍のお父さんの真似して、ごめん。いきなり抱き着かれたから、そう言うことかと思って……」
「別に、怒ってないから。逆に嬉しかったと言うか……、あ、あんな昔のこと良く覚えてたわね。私でもほぼ忘れていたのに」
「忘れていないよ。あんな、印象の強い人を忘れられるわけがないよ。僕を本当の息子みたいに接してくれた恩人で、誰よりも優しくかっこよくて……。愛龍、辛かったいつでも言って。僕は愛龍の泣き顔なんて見たくないから、いつでも胸を貸すよ」
「そ、そうやっていつも甘やかしてくるから……、私、変になっちゃったじゃん……。どうしてくれるのよ……」
愛龍はブツブツ言いながら僕の体に抱き着いてきた。
卯花さんの言う通り、愛龍だって心は普通の女の子なのだろう。
亡くなった親クジラが広大な海の奥深くに沈んでしまったら、もう二度と会えない。子クジラは父親の幻影を追うように海の中で藻掻きながら泳ぐ。
愛龍もずっとボクシングをこなして藻掻いてきた。いくら泳いでも、父親の姿は見えてこない。だが、彼が目指していた世界一という目的地にたどり着くため、未だに一人で藻掻いている。
愛龍の夢は彼女の持っている才能なら不可能じゃない。きっと世界の頂に立てる。でも、心が辛くなる時は沢山あるのだろう。弱音も吐けず、溜めこんで寝言を吐く日々。辛いに決まっている。
女子にしては引き締まったゴツイ体だが、僕からしたら愛龍の体も華奢だ。彼女の気持ちを察せる僕だからこそ、弱い部分を見せてもらえるのかもしれない。
僕は愛龍の体をしっかりと抱きしめる。それ以外に女性を泣き止ませる方法を知らない。
「く、苦しい……。これ以上は、心がもたない……、は、放して……」
「力、入れ過ぎたかな……。これ以外に慰める方法がわからなくて」
「毎日、ママにぼこすか殴られてるんだよ、これくらい痛くもかゆくもない。で、でも、ずっとしてるとボディーブロウみたいにじわじわ効いてくる。またおかずが増えちゃった……」
愛龍は僕の隣から廊下に出て、食堂に向かった。
気分が多少良くなったのか、表情が明るかった。やはり、彼女は笑っていた方が良い。彼女を泣かせるような男が現れたら僕がぶん殴ってやらないとな。まだ、顔は殴れないけれど。
愛龍を慰めた後、僕は部屋に入りベッドに倒れ込む。今日も疲れ切っていたので、五分も経たずに寝落ちした。
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