第34話 シャチとリュウの風呂

 授業を終え、掃除当番ではないので教室を飛び出してジムに向かう。

 帰るや否や腹式呼吸からの一撃と言う流れを体に叩き込む。

 ボクシング中の呼吸は大切だ。でも、拳を打ち出すとき、また攻撃を受ける時はほぼ無呼吸。そうしなければ筋肉に力が入らず力が出ないし、攻撃を受けたら内部にダメージが入ってしまう。

 だから、呼吸してから攻撃の流れに入るのは理にかなっていた。まるで、鯱が海面にあがり呼吸してから海に深く潜るかのよう。動いて考えるために、酸素が必要だ。空気を沢山吸えればその分、冷静になれるし力強い攻撃が打てる。

 僕はサンドバック目掛けて拳を打ち続けた。意識を保ち相手に集中する練習を繰り返す。


「成虎……、気合い入ってるね……」

「会長が見せた動画に感化されたんじゃない?」

「あの、左拳が出せれば誰にも負けないと思うんだけど……。同じ利き手じゃ難しいかな」

「ほらほら、お前ら、サボってんじぇねえよ。さっさと動け」


 三人の女性は会長に尻を叩かれ、渋々動き出した。


 僕が帰って来て一〇分ほど後、愛龍もジムに戻ってくる。ウォーミングアップの後、リングに乗って会長とミット打ちを始めた。

 彼女もインターハイで優勝を目指し、いや……、その先のプロ日本一、さらに先の世界一を目指して龍の舞のようにリングの上で動き、咆哮のような唸り声をあげて拳を突き出す。

 嫌ってほど才能を見せつけてきた後、僕と交代。

 先ほどまで、サンドバックにしていた練習を、会長目掛けて同じようにするだけ。だが、初めは全く思い通りに行かない。

 でも、呼吸に関しては褒められた。戦っているとどうしても呼吸が浅くなっていく。その時、どれだけ早く酸素を取り込んで意識をはっきりとさせるかが深手を負わない鍵だと言う。


 時間を忘れるほど拳を放ち気絶するかと思うくらい練習をやり切った。


「あと二週間、毎日、練習します」


 会長に言ったら「休みの日も必要だ」と言われ、アイアンクロウを放たれる。

 僕は「県大会前日の六月二二日土曜日を休みにします」と痛みに耐えながら答えた。会長から「まあ良い」と言われたがヘッドロックされる。頭が割れそうになってようやく解放された。良いんじゃなかったのか。


 ☆☆☆☆


 僕は皆が夕食を得ている間に、お風呂に入ろうと思って脱衣所にやって来た。だが、後方からもう一人……。


「ねえ、成虎、今日はさ……、久々に一緒に入らない?」

「愛龍……、僕たち、高校二年生だよ。小学生じゃないんだから……」

「なになに~? もしかして、私の裸を見たら、興奮しちゃうの~。昔は気にしないって言っていたのに~」


 愛龍はくっきりとした二重の瞳を細め、柔らかそうな唇が伸びるほど口角を上げてニタっと笑いながら肘で僕の体を突いてくる。

 この前、スリガラス越しに見えた愛龍の素っ裸の輪郭は後方の暗がりと脱衣所の光を反射させている肌によってくっきりと浮かび上がっていた。普通の肌の色と違う部分も絶妙に浮かんでいた当時の光景が脳裏によぎる。


 ――このおバカは一体何を考えているんだ。僕だって男だぞ。愛龍の胸がぺったんこだった時から裸体は見慣れていると言え、高校生になってからは風呂に入る時間を出来る限りずらしてきた。

 でも、いきなり一緒に入ろうなんて言われたら心臓が早まるに決まっている。


「愛龍は会長に似て美人だし、胸も会長に似て来ているし、興奮しないと言ったら噓になる。猛獣だと思って出来るだけ気にしないようにして来たけど、昔から知ってるから、やっぱり愛龍は女の子で……、なんて言うか、卑猥な目で愛龍を見たくないと言うか……」


「ふ、ふぅーん……。ば、バーカ、冗談に決まってるでしょ! 本気にするな変態!」


 愛龍は僕の腹に拳を打ち込み、強烈なダメージを内臓に与えて来た。夕食を得る前でよかった。そうじゃなければ、胃の内容物を全て吐き出すところだった……。


「ま、一緒に入るのは遠慮するけど、背中くらい流してあげても良いよ」

「愛龍がそんな優しいことしてくれるなんて、明日は雪かな……」

「もう一発殴っていい?」


 愛龍は僕の裸体なんて見ても一切興奮しないと言う。そりゃそうか。じゃなかったら一緒に入るなんて言わないよな。

 小学生低学年のころから一緒に生活している仲。彼女はすでに義理のきょうだいみたいな存在だ。

 でも、僕は愛龍の体を見て、たぶん興奮してしまった。心拍数が上がるとはそう言うことだろう。平常心でいられなくなってしまう。なら、もう一緒にお風呂に入るべきじゃない。


 僕が広い石風呂のお湯に入り、愛龍は半そで短パンの姿で足湯状態。一風変わった状況。でも、彼女が裸じゃないのでいつも通り、平常心でいられた。


「ねえ……、私って美人なの……」


 愛龍はお湯から上げた熱った足先の親指を合わせながら、呟いた。彼女の手や顔に張られている絆創膏の数は一枚。


「僕はそう思うけど、他の人はどうかなー」とからかい混じりに呟いた。


 愛龍は案の定「ムカつくっ!」と叫びながら大量のお湯をぶっかけてくる。鼻からお湯が入り、少々せき込んで苦しむと彼女は自分からして来たのに、妙にしおらしくなって誤って来た。

 まるで、自分の力が制御できないの、とでも言いたそうな表情。


「ま、愛龍のトバッチリを受けるのはいつものことだし、気にしないで」と慰めてあげないと、案外引きずる面倒臭い子だ。その点に関しても、僕は彼女の扱いに慣れていた。


 一五分ほどお湯につかったあと、石風呂から出てシャワーのある壁際に移動する。その間、愛龍は僕の裸など気にしないと言っておきながら両手で目を覆っていた。隠れていない耳が少々赤らんでいるように見えなくもない。お湯が目に入ったのかな。


 僕は髪を洗おうとしたら愛龍がシャワーヘッドを持ち、お湯をかけてくる。髪まで洗ってくれると言う。何か後ろめたい気持ちでもあるのか。後が怖いんだけれど。

 彼女に髪と背中を洗ってもらい、残りの箇所は自分で洗って石鹸の泡をお湯で流すと気分がさっぱりした。

 僕は愛龍の体を洗ってあげられないので、何か別の方法でお礼しないとな。


 お風呂から上がり、バスタオルで体を拭きながら愛龍の方を見る。すると、彼女が着ている白色の半そでと桃色の短パンが少し濡れて下着類が軽く透けてしまっている。いつも、スポーツブラなのに今日は普通のブラジャーだった。たまたまだよな……。透けやすい白の半そでと桃色の短パンなのも……たまたまだよな。


「えっと、愛龍、背中を洗ってくれてありがとう……。その、何かお礼を……」


「じゃあ……」


 愛龍は服を着替え終わった僕の前にやってくる。濡れた服を着たままだと風邪をひいてしまうかもしれないのに、気にする素振りが一切無い。いったい、何する気だ。

 僕は殴らせろとでも言われるんじゃないかとビクビクしながら愛龍の発言をまった。

 いつも放たれるオーラが強すぎて背丈を間違えそうになるが、彼女は一六二センチメートルほど。僕よりも背丈が低い。

 目が大きく鼻筋がすっと通っている顔立ちの良い美少年のような幼馴染が僕の顔を見上げながらじっと見つめてくる。

 美少年が持っているわけがない膨らんだ胸部を僕の胸に押し付けるくらい近づいてきている。距離感があまりにも近い……。

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