第30話 ルーティン
一二時三〇分を過ぎるとどこからともなく音楽が鳴り始め、水中が見えるガラス越しからイルカたちが泳いでいる姿が確認できた。
深い場所から一気に飛び上がり観客たちを沸かせる。その間に口もとにマイクを付けた飼育員がステージ上に現れる。
観客を沸かせたイルカたちに餌を投げ入れ、新たな命令を手の動きで表すとイルカたちの息の合った大ジャンプが披露される。数回の芸で観客の心を捕まえ、イルカショーに釘付けにしていた。
――あのイルカたちは訓練されているんだよな。恥ずかしかったりしないのかな? まあイルカに限らず鯱やベルーガも訓練されて色んな芸を覚えたんだ。でも、自分でその芸をすることはない。人に命令されてようやく芸をする。
僕はイルカショーを見ながら観客が湧いている中、打開策を思いついた。水族館に遊びに来て何かしらの切っ掛けを見つけられるとは……。
愛龍と桃澤さんはもう、完全にイルカショーの方に釘付けで盛大に楽しんでいる。その二人を見て和んでいた。
イルカショーは二〇分程度で終了し、多くの人が満足した様子で観客席から離れていく。
興奮が冷めきらない愛龍と桃澤さんはメモパットに殴り書きしながら、互いの気持ちを交換し合い、さらなる楽しみへと昇華させているように見える。
南館三階にあるフードテラスと言う海の景色が見られる飲食処に移動し、遅めの昼食とする。桃澤さんの言った通り、昼時からずれているため、人気がまばらだった。
僕がうどんを頼む中、愛龍と桃澤さんは昼食と言う名のスイーツを買っている。まあ、何を食べようと二人の勝手だから良いんだけれど。
四人席に座り、ひと時の休憩。
「えっと、桃澤さんが声を出せるかもしれない方法を思いついたんだけど」
「え……、なになにっ! どうするの!」
愛龍は口もとにホイップクリームを付けた状態で聞いてきた。
僕は愛龍の口もとに付いたホイップクリームを親指の腹で拭い、綺麗にする。
「そんなに焦らなくても話すから、落ちついて食べて。化粧が綺麗に乗ってるんだから汚したらもったいないよ」
「あ、う、うん……、あ、ありがとう……」
愛龍はいきなりしおらしくなり、大人しくパフェを食べて進める。
僕は前に座っている桃澤さんに視線をもう一度向けると先ほど以上にむっす~っと顔を顰めさせている。明らかに機嫌が悪い。
ほんの一分前までにこにこしていたのに……、なんでだ?
「あ、えっと、あのー、桃澤さん、うどん、食べる?」
僕は一応小皿を受け取っていたので聞いてみると、少し微笑んでコクリと頷いてくれた。お、女の子の心境がわからない。お腹が減って機嫌が悪いのだろうか。
小皿にうどんと汁を入れ、新しい割りばしとれんげと一緒に桃澤さんに渡した。
「いいなー、私も食べたいー。パフェ上げるから、私にもちょうだい」
「はいはい……」
僕はお盆ごと、愛龍に差し出す。
愛龍はパフェとスプーンごと僕に差し出した。
金属製の持ち手が無駄に長く掬う部分が異様に小さいパフェ用のスプーンを持ち、ふんわりとした白いホイップクリームとイチゴを掬って口に運ぶ。
愛龍は僕が使っていた割りばしを持ってうどんを摘まむとずるずると啜り、レンゲを持ってかつおだしが利いた汁を飲む。
「「うん、美味しい」」
何事もなかったようにパフェとうどんは交換され、もう一度桃澤さんの方を見ると口がぽかーんと開いていた。驚愕と言うのが一番近い表情かもしれない。
「桃澤さん、食べないとうどんが伸びちゃうよ」
桃澤さんははっとすると、割りばしでうどんを摘まみ啜って食すと汁を全てのみ切る。そのまま、パフェを差し出してきた。うどんのお礼かな……。
僕は桃澤さんのパフェを普通に食べる。すると桃澤さんの顔がやけに赤らんでいた。口から湯気が出そうなほどで、メモパットに文字を走らせる。その後、くるりと裏返して僕に見せて来た。
『海原君の……エッチ』
その瞬間、うどんを吐き出しそうになったが、ぐっと堪え、無理やり飲み込んだ。
「そう、成虎はエッチなんだよ。こいつ、相手をドキドキさせること平然とするから、気を付けないと駄目だよ」
隣にいた愛龍もメモパットの内容を見たのか、全く否定しない。相手のパフェを食べたらエッチなのか? えぇ……。
「成虎はテレビとか、アニメとか、漫画とか全然見ないし、友達が少ないから、こういう普通遠慮しがちな所でも完全に無意識で乗り越えるんだよ。こっちは結構やばいってのに」
僕は愛龍と桃澤さんに鋭い視線で睨まれる。僕は後で食い殺されるのか……。
桃澤さんにお盆ごと奪われ、うどんをずるるるると吸い食われる。僕が買ったうどんなのに……。
皆、食事を終えた頃、落ちついてきたので僕が考えた桃澤さんの声を出す方法を伝える。
「桃澤さんの声が出せない原因は緊張とか、心の問題とかだと思うんだ。失敗するかもしれない、怒られるかもしれないとか。なら演技をやり終わったイルカみたいに餌みたいなご褒美をあげる。あと、演技をする前に何か事前準備をする。ルーティンってやつかな」
「そんなんで上手くいくの?」
「何もしないよりは効果があると思う。家で声が出せる時に前動作を行ってから話す。僕たちと話そうとするときも前準備してから話そうと心掛ける。出来なくても頭を撫でてもらうとか、ハグされるとか、何か気持ちが上がることを繰り返せばもしかするかも」
「まあ、時間も無いしやってみる?」
桃澤さんは軽く頷いた。まず、前動作を決める。何でもいいと思うが、目立ちにくい深呼吸に決めた。
ご褒美は周りに人がいたら頭に手を置いてもらう。自分しかいなければ手を胸に当てて軽く叩く、と言った心が休まる行動に決める。
ルーティンを決めたら早速開始してもらい、深呼吸してから話そうとしてもらう。声が出なくても、口の動きは作ってもらう。声が出なかったら胸に手を置き優しく叩く。
家の中でも同じような動作を繰り返していたら、根本的な解決は出来なくても県大会に間に合う可能性は一パーセントほど上がったはずだ。
食事を終えた僕たちはフードテラスを出て、回れていない場所を歩いていく。その間、桃澤さんは愛龍の問いかけに深呼吸、口の動き、頭を撫でられると言う行為が終わった後、筆談で伝える。
ものすごく間が長くなってしまったが今まで声が出ないからと言って筆談に頼ってばかりだった。
だから、いつまでたっても会話が出来なかったのではないだろうか。
僕も同じように、何か技を打った後に頭を狙うと事前に決めておけば相手の頭を狙えるかもしれない。ただ、その攻撃を相手に知られたらカウンターを食らう可能性が高まる。
鯱やベルーガ、イルカたちのように体に覚え込ませれば出来なくなってしまったことでも、もう一度出来るようになるのではないだろうか。出来る出来ないで悩まず、これをやったらやる、くらいまで覚え込ませれば……。って、本当にそれでいいのか。まあ、今まで無意識にしてきたことを意識してやるようにするだけだ。何も悪くない。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます