第29話 両手に龍とベルーガ

 桃澤さんはぼーっと放心状態で、もう満足してしまったのか口もとが緩み切っている。


「芽生、まだまだ時間はあるし、見ていない所が沢山あるんだから。さっさと行くわよ!」


 愛龍は桃澤さんと腕を組んで歩きだした。ぱっと見、男女のカップルかなと思わなくもない。なんせ、水族館は生粋のデートスポット。辺りを見渡せば家族連れよりカップルのほうが多い。

 男子グループ、女子グループもいなくないが、どこか楽しめてなさそうな雰囲気。そりゃあ、周りにキャッキャウフフとしているカップルが目に入る中、男友達とどう楽しめと……、と言いたそうな者ばかり。

 敗因は水族館という場所を選んだこと。テーマパークの方がまだ……、いや、あちらもカップルの巣窟か。

 遊ぶ場所と言うのは一人身にきつい場所なのだと、あらためて実感した。

 カップルで来てもらったほうが二人分の儲けが出てお店側も助かる。あぁ、そんな社会の闇を見るような考えをしてしまう僕はやはり、遊ぶのに不向きな人間らしい。


 こんなキラキラした場所に不良のような負のオーラを放つ人物はあまりいない(カップルを睨みつけている人は大勢いる)。だから、薄暗い場所でも安心して歩けた。もう、夜道とほぼ変わらないような場所でも、安心感がある。所々に警備員が立ってくれていると言うのも大きい。

 そうこうしている間に鯱の公開トレーニングが開催された。あんなに大きな生き物にどうやって教育を施すのだろう……。愛龍の視線は鯱に釘付けで憧れのアイドルを見ているかのような視線を熱く注いでいる。こんな女の子っぽい顔、久しぶりに見た。彼女は鯱が相当好きらしい。まあ、鯱のぬいぐるみを抱き枕にしてしまうほどだもんな。


 僕は不良たちからあんな漆黒の化け物みたいな存在だと思われているのか……。相当怖がられているんだな。でも、鯛平が僕をボコボコにしたって言う噂が万亀雄にまで広がるくらいだから……、多くの不良共が噂を聞き着けているんだろうな。今のところ何もないからいいけれど、周りの人に迷惑が掛かるのだけは嫌だ。


「きゃぁ~、可愛い~。あのフォルム、あの余裕のある態度、本気の時と無気力な時のギャップがたまらな~いっ!」


 愛龍はいつの間にか僕の腕を取って飛び跳ねている。なんか、子供のころにもこんな遊びされていた気がする。無意識か、久しぶりに遊べて楽しいのか……。まあ、殴られるよりは断然マシなので、放っておこう。


「…………」


 近くにいた桃澤さんをふと見ると、頬がハリセンボンのように膨れ、いつも大きな瞳がカマボコをひっくり返したようなジト目になっていた。僕の方を睨んでいるのか、はたまた愛龍の方を見ているのか定かではない。ただ、不機嫌そうな桃澤さんも愛くるしい。


「はぁ~、最高だったね~。ん……、あれ? 私、いつの間に成虎と腕を組んでたっけ?」


 愛龍は一五分経ってようやく気付いた。周りから見れば完全にカップルに見えてしまうだろう。僕としては歳が同じきょうだいなのだけれど、顔が全然違うので、周りがきょうだいと思うことは一切無いはずだ。


「まあ、いっか~。周りカップルだらけだし、私達も偽装カップルみたいに遊ぶ~? ツーショット写真を取ったり、料理やお菓子を食べあったりー」


「愛龍ももうすぐ県大会でしょ。甘い品は控えないと。まあ、一年の時にインターハイぶっちぎりで優勝してたから、今回も楽勝かもしれないけれど……」


「何言ってるの。楽勝なわけないじゃん。それに、私も階級上げるし……って、今はその話はしない! 遊びに来てるんだからね! 次、ボクシングの話題を言ったら前歯折るから」


「不意に怖いこと言わないでよ……」


 愛龍とわちゃわちゃと会話していたら桃澤さんが胸に手を当てながら止まっていた。メモパットが胸に押さえつけられている。息が詰まるのか表情が険しく、泣くのを必死に我慢しているように見えた。

 何を考えているのかわからない。震えながらにメモパットをひっくり返すと『私も喋りたい』と切実な思いを伝えてくる。


「うん、僕も桃澤さんと喋りたい」


「私だって、前と同じように芽生と喋りたい」


 桃澤さんは目を丸くして、メモパットとにらめっこ。すぐに書き直し『私も混ざりたい』と書き換えていた。

 どこか、仲間外れにされている感覚を得ていたのだろうか。仲間外れにする気なんて一切無かったが桃澤さんがそう感じたのなら、申し訳なかった。


 僕と愛龍がアイコンタクトを取ると、何となく考えている内容が理解できた。すぐさま桃澤さんの隣に移動し、腕を組む。

 桃澤さんは困惑していたが、僕と愛龍は彼女を持ち上げて軽く駆けた。声にならない悲鳴が聞こえた気がするが、近くにいたベルーガが鳴いた声かもしれない。


 昼食を得たいところだったが、今の時間は人が混雑するので少し送らせた方が良いと桃澤さんが教えてくれた。イルカショーを見た後の方がゆっくりできるんだとか。なら、その提案にしたがい、僕と愛龍は桃澤さんの横に立ちながら歩く。


 僕たちの間に混ざりたいと言っていた桃澤さんは、僕と愛龍に沢山話しかけるとメモパットを多用し、何とか対応している。でも、いったん考えて手を動かし、見せると言う行為はものすごく疲れるはずだ。

 言葉はほとんどの人が無意識に出している。喉の動きや筋肉の収縮具合、考えている物事の内容まで把握している人はほとんどいないだろう。つまり、桃澤さんは話すことが無意識で出来なくなってしまった状態にあると言える。

 静かな場所や一人の場合、家族となら会話ができるのは緊張しないで無意識に話せるからかもしれない。つまり、緊張と言う問題と言葉が出せない原因は密接につながっている。


 歌う時に緊張するなと言われても無理だ。普通の人は緊張しっぱなしで、声が震えてしまう。プロでも、大勢の前で歌う時は少なからず緊張するはず。

 桃澤さんの声が出なくなったきっかけはまだ知らないが、緊張しすぎて声が出なくなったことがトラウマになってしまった可能性が考えられる。どうすればその緊張を払拭させてあげられるんだろうか。


 ――お風呂に入りながら歌うとかどうだろう。お湯に浸かっていたら体の筋肉が解れて声が出しやすくなるかもしれない。そんな単純な話じゃないか。


 僕は水族館を回りながら桃澤さんの声が戻る方法を考えていた。彼女は僕と同じようにまだ何もつかめていない。何か切っ掛け一つで解決する可能性だってあるんだ。そのきっかけさえつかめれば……。


 水族館の中はものすごく集中できた。

 やはり、静かだからかな。でも、心臓はずっと高鳴っている。

 僕はこんなに水族館が好きだっただろうか。もう、三時間近く水族館の中にいるのに、未だに心躍っている。見た覚えがない魚、来たことがない展示場所、来場者の楽しそうな顔、そう言った色々な要素が混ざり合って僕の心は踊っているのだろうか。


 写真撮影ができる場所もあったが、少々お高い。

 僕は遠慮し、桃澤さんと愛龍の二人がツーショットで取ってもらっていた。二人の女子の間に挟まる勇気はなかった。

 二人は思い出として写真を購入しており、キャッキャワイワイと普通の女子高生のようにはしゃいでいる。まあ、女子高生なんだけど。


「本当に写真を撮らなくてもよかったの? 今なら特別出荷大サービスでピッチピチの女子高生二人がいっしょに映ってあげるけど」


 愛龍はものすごい威圧感を放ちながら、聞いてきた。撮れと、脅迫されている気分になる。なら、最初から三人で撮ればよかったじゃないかと思いながら写真を撮ってもらった。


 先ほど桃澤さんにした腕を持つ恰好を、逆に僕がされる羽目に……。左腕に龍、右腕に女の子がいる状態で写真を撮られる日が来るとは微塵も思っていなかった。

 男子たちが目から血の涙を流し唇を噛み切っているんじゃないかと思うほど悍ましい顔を僕に見せてくる。これは成り行きなんだと説明したいが、すでに嫌われていそうだ。


 一枚の現像写真を購入し、鞄にしまう。遊ぶにはお金がかかるんだな……。


 軽い思い出作りした後、イルカショーが見られると言う大きな会場に移動した。もう野球場かと思うほど広い観客席で視界の先に巨大なスクリーンとプールがあった。近すぎず、遠すぎない位置に座り、午後一二時三〇分を待つ。


 大勢の観客が席に座り、イルカたちの登場を今か今かと待ちわびていた。まだ、夏休み前だと言うのに、ほぼ満席。早めに来ていなかったら座って見られなかっただろう。

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