第25話 ベルーガ視点七
もう、五月が終わりそうだと言うのに未だに声が出ない。家なら出る。なのに学校で出ない。これじゃあ、歌えない……。
来月に県大会がある。追い込まれると追い込まれただけ、声が出なくなっていく。家の中はやはり気分が落ち着くのだろう。学校でも同じくらい落ち着いて話せればいいのだが、どう頑張っても出来なかった。
喉に異常はないとわかっている。精神的な問題だと言うことも。過去の大きな失敗が要因だと何となくわかっているけれど、トラウマを克服するためには、もう一度、あの場に立たなければならないと思っていた。
ただ、そのために必要なのは歌えること。歌うためにトラウマを克服しないといけないのに、歌えないからトラウマを克服できない。
もう、一生歌えないかもしれない。家族の前だけ、ぼそぼそと呟いてこのまま大人になったらどうしよう。
大学に行きたいけれど、行けなかったら高卒で仕事を探さないといけなくなる。資格を取るにも勉強しなければいけないし、面接は会話ができないと絶対に受からない。
障碍者と言う訳でもない、真面な職に就けないかもしれない。そうなったら、夜のお店で働いてお金を稼ぐことになる。あぁ、また暗い気持ちになっている。
私は暗くて寒い海の中をさまよっている声の出ないベルーガのよう。仲間から逸れて声が出せないから見つけてもらえない。
光が届かない中、声が出せないから餌も探せない。もう、死を待つのみ。そんなふうにネガティブになってしまう自分が嫌いだ。
歌えた時はネガティブな気持ちになどほとんどなかった。辛い生活の中でも、希望を見いだせたのに大好きな歌が奪われてしまった私は尾ビレが腐ったベルーガの如く海に沈んでいる。
舞と一緒にお風呂に入り、体を洗って明日のアルバイトに備え、早めに眠った。
六月の県大会まで全力で頑張ると海原君と約束した。勝手に諦めるわけにはいかない。辛くても私の光になろうとしてくれている彼の背中を追いかけて行かないといけないんだ。
午後九時頃、眠ろうとしていた時、携帯電話に二通のメッセージが届いていた。
一つは万亀雄君から『六月二二日に芽生に会いたい』と……。そんな文章がいきなり送られてきて、少々ドキリとする。
別に六月二二日じゃなくてもいいのではないかと思って『何で、その日なの?』と送り返した。すると『その日じゃないと駄目だからだ』と……。説明不足でよくわからない。
『部活とアルバイトがあるから遅くなるけどいいの?』
『ああ、かまわない。芽生はあのシゲが見つめたくなるほど優しくて凄く可愛いからな、聞いてくれると思った』
万亀雄君は簡単にドキリとさせてくるような言葉を送ってくる。やはり、やり手だ。
海原君曰く、彼は女に手を上げた経験は一度もないし、お母さんと妹が大好きな男だから怖がる必要はないらしい。
きっと相談されている件で直に話したい内容があるのだろうと解釈し、了解した。万亀雄君は強いと海原君が言っていたので、きっと不良が現れても守ってくれるだろう。
もう一通のメッセージは愛龍ちゃんからだった。
『ママに成虎の息抜きをしてやれって言われたから六月最初の日曜日に芽生のアルバイト先の水族館に行くね』と……。
――で、デート。愛龍ちゃんと海原君が……。寄りにもよって私がアルバイトしている水族館に来なくてもいいじゃん……。ら、ラブラブっぷりを見せつけようって言うの。って、私は別に海原君のクラスメイトで愛龍ちゃんの親友じゃん。なら、応援してあげるのが正しい選択のはず。
私は返事しようとした。でも『楽しんでね』と送れない。
愛龍ちゃんと海原君が二人で水族館を巡っている姿を見かけたらと想像するだけで心臓が苦しい。たった一文のメッセージを送るだけなのに。言葉だったらすぐに言えるのに。考えれば考えるだけ、送れなくなってしまった。挙句の果てに……。
『私、アルバイトを休んで館内を案内するよ』と……、送ってしまった。二人のデートを邪魔するなんて私は何を考えているんだ。最低にも程がある。練習で忙しい二人の珍しい休日なのに、その中に私も無理やり入り込もうなんて……バカじゃないか。
メッセージを取り消そうと思ったが、その前に愛龍ちゃんから連絡が来て『ほんと! 嬉しい! 私、本当は芽生と遊びたかったんだよ!』と。
そんなメッセージを貰い、目頭がじんわりと熱くなった。もう一生親友でいたいと本気で思ってしまった。
愛龍ちゃんは明るくて、元気で、仲間思いで、皆から人気がある。
海原君のことが大好きなのに土地狂った私がデートに無理やり割り込んでも怒りを一切見せず、楽しみだって言ってくれる心の広さ。
私のみみっちい精神じゃ、愛龍ちゃんの足下にも及ばない。せめて、二人 だけの邪魔はしないように心掛けないと……。
「えっと、えっと……。あぁーん、全然上手く書けないっ! お姉ちゃん、U・Sさんにラブレター書いて!」
舞はタオルのタグに書いてあったU・Sと言うイニシャルの高校生に会った時、また話せなかった場合を考慮して携帯の連絡先と自分の名前、思いをラブレターに書くと言い出した。
彼女はお世辞にも文字が上手いと言えない。
私は毛筆の書写を習っていたので、文字が上手く書けるが舞は習っていなかった。そのため、文字はつたない。私が書けばそれなりに良いラブレターになるかもしれないが、私が書いても全く意味がない。
私は舞にボールペンで文字を書く練習をさせる。嫌になれば自然と気持ちがそれるんじゃないかなと期待していた。
でも、彼女のやる気は本物で学校の宿題をやり終えた後、学校でもらって来たプリントの裏にびっしりとひらがなを書いていく。私が書いたお手本を真似して一字ずつ丁寧に映していた。三カ月もすれば綺麗な文字が書けるようになるだろう。まあ、その間情熱が続けばだけれど……。
舞の方はもう不良に戻る気はしなかった。怜央の方は悪化している気がする……。
どこかの美少女に会って舞と同じように改心してくれないかな。あぁ、でも、夜遊びする美女なんてろくな人がいないだろうし、騙されちゃうかも。
元父も悪女に騙されてしまった口なので、頭の悪さはきっと遺伝している。怜央も元父の素行の悪さが自分に流れている血のせいだなんて決めつけているが、私はそう思えない。
彼はとても優しい子なのだ。今はどうしたらいいか迷っている最中なのだろう。早く気付いてほしい、怜央は怜央のままでいいのだと。彼が帰って来たら一緒にご飯を食べて浴槽にお湯を溜めてぎゅうぎゅうになって入ろう。お
母さんも一緒に川の字になって四人で寝よう。無事に帰ってきてさえくれればそれで万々歳。怜央は糞父の子だけれどあの男と同じになるわけじゃないのだから、大丈夫だと抱きしめながら言ってあげたい……。
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