第24話 ベルーガ視点六

 私は土曜日の朝、学校に向かい昼前に合唱部の練習に参加していた。

 部長に頼み込み、部員の歌を聴きながらメモを取り、感じた思いを文章で伝えている。

 部活を終え、用意していた服に着替えた後、電車で水族館まで向かった。昼から閉館後までアルバイトをこなして帰る途中、電車内で見ていた携帯電話に愛龍ちゃんからのメッセージが届く。「仕事をさぼりたいから、遊びに来て」と誘われた。

 帰り道に少し寄り道するだけなので何ら支障はない。いつも降りている最寄り駅で下車。

 自分の服装が貧乏くさくないか、目に入ったカーブミラーで確認しようとするも、携帯電話で自撮りすればいいのではと気づく。斜め上方向から自分の姿を携帯電話の液晶画面で見ると無性に恥ずかしくなり、写真は撮らなかった。

 母の使っていた服をケバくないように舞に見繕ってもらっていたので問題ないと自信を持ち、牛鬼ボクシングジムに入った。

 女性ばかりのジムに入るのに、なぜか毎度緊張してしまう。ふと、海原君を探してしまった。練習している場面は見た覚えがないので、見れるかもしれないと期待していたが、少々残念。

 愛龍ちゃんが近くにやって来て抱き着こうとしてきたが、一瞬立ち止まった。自分の体をクンクン嗅いで、苦笑いを浮かべ、その場で立ち止まる。

 携帯電話を触って意思疎通を図っていると会長さんに怒られるそうなので、メモパットを使って筆談した。

 彼女曰く、練習以外の時間はジムの手伝いをしないといけないからものすごく面倒臭いらしい。少しでもサボらせてと、筆談で伝えてくる。終わり間近だったが利用しているお客さんは多かった。それだけ人気のジムなのだろう。


 一〇分ほど筆談しているとエコバックを両手に持った海原君が戻って来た。

 その時のジム内の雰囲気が異様だった……。小学生からおば様まで、海原君の方を見たのだ。始めはただ、女性ばかりいるジムの中に男が入って来たから驚いただけかと思っていた。

 でも、皆の瞳がキラキラと輝いている。憧れ? 尊敬? 

 表情からして嫌悪感を抱いているわけではなさそう。ジム内の雰囲気に愛龍ちゃんは少々不機嫌そうに見える……。


 海原君は気にしている様子が一切無い。逆に、私の方をじっと見てくる。買い物に行ったあとなのに妙に爽やかだった。シャワーでも浴びたかのよう。

 何気に休みの日で海原君に会ったのは彼が傷心している時に水族館に来たあの時だけ。休みの時の雰囲気は平日の時と違っていた。そんな些細な変化がわかってしまうのは、隣の席にいる彼をずっと見てしまっていたからだろうか。

 スポーティーな半そで短パン姿だけれど、以前不意に抱き着かれてしまった時のがっしりとした体形が脳内に簡単に思い起こされる。


 家に帰って来てからも、海原君の姿が脳裏から離れなかった。なんなら、アルバイト中に今、海原君は頑張って練習しているんだろうなと考えていた。

 男子は他にも沢山いるのに、なぜ海原君ばかり思い起こされてしまうのだろうか。

 彼は午後八時に寝てしまうので、夜に連絡を取り合えない。

 愛龍ちゃんとは何度も連絡を取り合っていた。他愛のない話だけれど、いつもと違う生活が味わえて楽しすぎた。これが携帯電話の力……。料理もインターネットで調べれば沢山のレシピが見られた。だが、何とも言えない味。どうやら、私は料理が普通に下手らしい。


 食材が無いので、舞に買い物を頼んだのだけれど私が帰って来たころに家にいなかった。怜央は昨晩、帰って来ていないし、ものすごく心配。

 連絡手段はあれど、連絡に出る気配はなかった。


 午後六時五〇分ごろ。熱中症かと思うほど熱った舞がよろよろと帰って来た。

 私は彼女の様子がおかしいと思い、すぐさま駆け寄り、体を支える。


「お、お姉ちゃん、どうしよう……。想像だけで妊娠しちゃいそう……」


「な、なにを言っているの……」


 舞は怜央を見つけ、昨晩帰らなかったことをしかりつけたらしい。

 だが、聞いてもらえず殴られそうになったと。そうしたら、業務スーパーで買い物していた舞の大好きな人がまた助けてくれたらしい。

 怜央を軽くあしらったそう。攻撃されても手を上げず、怜央はこけて背中を打った後、逃げ出したと……。今日も帰ってこないだろうと言う。


「名前を聴こうとしたの。でも、心臓がバックバクで、息が出来なくて声が出なかったの。それで、U・Sさんは目線を合わせながら飴をくれて、頭を撫でてくれた……。もう、パンって、理性が飛んじゃってその場で放心してたらこんな時間になっちゃった」


「ど、どんな色男なの……」


「もう、すっごいの。色気むんむんなの。笑顔だけで、女の子を孕ませちゃいそう」


 舞の頭は完全にどうかしてしまったのか、中学一年生の発言とは思えなかった。中学一年生に色気を感じさせる男子高校生がいるのか……。逆に会ってみたいんだけれど。


 ――そう言えば、海原君も買い物に行っていたな。舞のプリン頭は結構目立つし、助けてくれた人に見覚えがあるかも。聞いてみる? でも、スーパーはどこにでもあるし、全然違う場所に居たらわからないか。


 舞は完全にガチ恋のようで、食べ物も喉が通らない様子。まさか、自分よりも先に妹の方が恋を知る羽目になるとは。

 どこぞの強くて色気むんむん高校生のせいで妹が、変な男が好きな性癖になってしまった。どう責任取ってくれると言うのだろうか。まあ、正義感のある人なのは間違いないの、悪い人ではないと思うのだけれど……。


「お姉ちゃん、私もおっぱい、大きくなるかな……」


「な、なるんじゃないかな……。お母さんも大きいし、一杯寝れば必然と大きくなるよ」


「中学生でもおっぱいが大きければ好きになってもらえるかもしれないよね……」


 ――妹よ、おっぱいを好かれても何も嬉しくないと思うよ……。


 私は舞に心の中で突っ込みながら彼女の恋を応援する。

 私もいつか舞のように恋焦がれる時が来るのだろうか。ただ、私は恋にちょっとした恐れを抱いている。母が父を好きになってしまったばかりに、今の状況があると言ってもいい。まあ、母が父を好きにならなければ私や舞、怜央はこの世に生まれてこなかったのだけれど……。

 盲目的に恋したら、待っているのは地獄。真っ暗闇の海に沈めてくるような男ではなくて、闇の中でも光になってくれるような、頼りになってついて行きたくなる優しい人。

 そんな男の人がいるのかと疑問に思いながら、以前、くじけそうになっていた私を照らしてくれたのは海原君だったと思い出す。

 涙が枯れそうなほど泣いたのに清々しかった。学校で早く会いたいなと思う回数は数知れず。携帯電話で連絡を取るのもいいが、やはり筆談がしたい。

 ゆっくりと考えて、伝える内容を真剣に選んでいる彼の横顔が見たい。その時間は海原君を見ていても何ら不自然じゃないから。って、今は海原君の姿を想像している場合じゃない。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る