第21話 シャチとサメ
携帯電話を買ってから三日が立ち、シムカードが届いた。
すぐに組み込むと携帯電話がインターネットに繋がり、離れていても連絡が取れるようになる。僕と桃澤さんは愛龍の指導のもとメッセージと電話が無料で出来るアプリをインストールし、アプリ内でグループを作った。
すると三人でメッセージを送ったり見たり、電話したりというようなやり取りができるようになる。
愛龍が携帯電話初心者の僕たちにグループ内だけでなく、一対一でもメッセージの交換出来るように準備を整えてくれた。
初めは使い方が全くわからなかったが、繰り返し使っていると慣れた。でも、学校の授業中は携帯電話を取り出せないので、メモパットを使っている。桃澤さんと筆談するときはいつもメモパットなので、学校にいる間はあまり携帯電話を使わなかった。
愛龍は万亀雄の連絡先を教えてくれて、メッセージを送ってみるとすぐに「おう」と返事が返って来た。べ、便利すぎる……。これが文明の利器……。
携帯電話は便利すぎるとわかった。
僕は午後八時に寝る生活なので、それ以降は連絡できないと桃澤さんに伝えている。午後八時以降はメッセージが送られてこない。取り決めを作っておくと寝る時も返信の心配をする必要が無く安心できた。
愛龍と桃澤さんは少し遅くまで連絡を取り合っているのかな……。
☆☆☆☆
五月の下旬の土曜日。少しずつ焦りが出てくる時期になった。
僕は未だに相手の顔が殴れない状況にあり、桃澤さんも学校の中で声を出そうとするが掠れた吐息しか出ていない。
妹や母親が相手なら言葉が出せるそうだが、歌うことはままならないと言う。六月の下旬にある県大会に間に合うかどうかという不安が体に纏わりついてくる。
「はぁ、はぁ、はぁ……。意識を持ったまま相手の攻撃を躱してボディーを打ち込む。何度も同じように相手を翻弄してガードが下がって来たところを見計らって頭部、又は鳩尾を狙う……。それだけなのに、全然うまくいかない……」
冷房を掛けなければ体から発せられる熱と汗によって暑すぎて熱中症になりそうなほど疲弊している僕はリングから降りてパイプ椅子に座り込む。
土日はジム内でほとんどトレーニングしていた。
休んでいる暇など無く、ただひたすら食べて体を動かす。そうしていれば、いずれ頭部を殴れるようになるんじゃないかと思っていたが、僕の体に刻み込まれたトラウマはものすごく根深いらしい。
「成虎、体は出来上がって来ている。無理やり落とすよりもそのまま鍛えた方が体に負担がかからない。ミドル級で良いな?」
会長は僕の体重や身長、筋肉量に体脂肪率など事細かに記載した紙を持ち、高校ボクシングで最も上の階級を口にした。前は一つ下のスーパーミドル級だったが、成長期と言うこともあり、難しい増量ではない。
「会長がそう言うなら僕は構いません」
少し休憩したのち、僕はサンドバックに向って拳を放つ。サンドバックが殴られるたび、金属製の鎖がガッシャンガッシャンと嫌な音を立てながらジム内に響く。
「……成虎、この前戦った鮫島和利の弟と思われる青年がスポーツ紙に掲載されていた」
会長はものすごく話にくそうに顔を顰めながら、ボクシング系のスポーツ紙を見せてくる。僕はそのスポーツ紙を受け取り付箋が張っているのを見た。
「後で見ます」
「今、見ろ。あとで見ると言っていつも見ないだろ。同じように切磋琢磨している同士が乗っているんだ。まあ、成虎への取材もしたいと雑誌側から言われたが帰ってもらった。うちはそう言うのお断りだって知らねえのかね」
僕が渋っていると会長が両手を上げて襲い掛かろうとしてくるので、グローブを外し付箋がしてあるページを開く。
期待の新星現る、と言ううたい文句がデカデカと書かれていた。
ボクシング部がある同じ県内の私立高校に通う鮫島昇、高校二年生。
同級生で、僕が怪我させてしまった相手の苗字と同じ。加えて、乗っている顔がとても似ていた。なんなら、使っているグローブが全く同じだった。写真を見ただけでも察せるのに、記者のインタビューに答えている内容で、核心する。
『昇選手は何のためにボクシングをしているんですか?』
『一人の男を倒すためです。俺は兄に一度も勝てなかった。その兄を倒した男を倒せば、兄より強くなったと証明できます。大会に出てくるかわかりませんが、同じ階級で当たることを願っています』
鮫島昇が答えたインタビューを読むと、文章から沸々湧き上がる怒りや恨みが感じられた。怒っていない方がおかしい。
ずっと背を向けていた相手の鬱憤を前側から受け止める。それで初めて僕は対等に戦えるはずだ。ものすごく怖いし、またボクシング人生を壊してしまうのではないかと体が強張り、呼吸が荒くなっていく。過呼吸のようになっていると、力強く抱きしめられた。
「よく読んだ。また、一歩前進したな。今ので、成虎の戦いたいと言う気持ちが本当だとわかった。当時のお前に見せたら絶対に見れなかったはずだ。ほんと、大人になったな」
会長は過保護すぎる……。
僕は会長の親友の息子でしかない。ほぼ他人みたいなものだ。なのに、本当の息子のように接してくれるし、家族同然だと言ってくれた。
今の僕がいるのは間違いなく会長のおかげだ。この恩は一生をかけて返して行かないといけない。だから、約束は絶対に破れないし、会長を泣かせるようなことは絶対に出来ない。
「あぁー、会長だけズルい。抜け駆けして成虎君に抱き着いてるー」
「もう、いい歳したおばさんが、娘と同い年の年下を落とそうとしてるー」
「さすがの猛獣も、この時期は発情期かな~」
恐れ知らずの三人のおバカ猛獣は会長を弄っていた。会長を弄るなんて、命がいくつあっても足りないと言うのに。僕に抱き着いている会長の喉から唸るような音が響く。ものすごく低い音で、背筋が寒くなった。冷房が効きすぎているのかもしれない……。
会長が僕から離れると、僕に背中を向けた。元から広い肩幅が、より一層広く見え、石よりも硬い拳が握り込まれる。角が生えて棍棒を持っていたらまさしく鬼そのもの……。
三名は震えあがりながら、会長に襲われて悲鳴を上げていた。
「鮫島昇 ……。身長一七六センチメートル、体重七二キログラム……。ミドル級で負けなければ当たるかもな」
僕は自分で作ったおにぎりを食べた後、水を飲みエネルギー補給。
グローブを付け、練習を再開した。
今頃、桃澤さんはアルバイトの最中だろう。合唱部のある土曜日の午前中以外と日曜日はほぼオールでシフトが入っているらしい。
桃澤さんは合唱部の先輩に頭を下げ、声が出ない間は聞き役になるそうだ。アルバイトの方も申請が学校に通っているので問題ない。時給が高く大好きな水族館で働けて幸せだと教えてくれた。僕も水族館が好きなのだが、最近は練習ばかりで行けていない。
無駄なことを考えていれば、意識がなくなることもない。でも、それは雑念でしかないため、試合に勝てると思えなかった。集中しながらも、感覚ではなく意識を持ったまま戦う。それが出来れば僕はまた一歩先に進めるはずだ。
土日は卯花さんがいないため、僕と愛龍が全員分の料理を作っている。
牛鬼ボクシングジムの経費で食費は下ろされる。まあ、お金を集めて会社の経費として扱えば、税金が安くなるらしい。とにもかくにも、沢山食べられるのは寮の良い所。
体が主本なので、タンパク質と糖質多め。だが、野菜なども取らないと健康に悪いので、サラダや野菜炒めなどを出す。
愛龍や会長の大好物の揚げ物は脂質が多いので、却下し豚の生姜焼きや鳥の照り焼きなどを作る。
愛龍は出来た料理を長テーブルに移動させる配膳係。
彼女は料理は苦手なので、僕が担当している。ジム内にいる猛獣たちは揃いも揃って料理が出来ない。女子力皆無の方達だ。もう、食べることしか頭にない。ほんと、猛獣……。
卯花さんがいなかったら僕の生活はもっと厳しい生活になっていただろう。もう、抱きしめて感謝したいくらいありがたく思っている。
「私の彼氏、プロの料理人かっていうくらい料理が上手すぎる~」
「なんか、勝手に成虎君が彼氏だと勘違いしているやばい女がいる~。にしても、私の彼の料理、なんでこんなに美味しいの~」
「あははは~、もう、二人共、夢見すぎ~。にしても私の彼氏がこんなに料理が上手だと私の女子力の低さが目立っちゃうな~」
三人の猛獣はまたしてもありもしない記憶を捏造していた。そろそろ病院に行くのを進めた方が良いかもしれない。プロにも拘らず、居心地がいいからって寮にずっと蔓延っているから彼氏ができないんだと言ったほうがいいだろうか。まあ、彼女がいない僕が言っても説得力がないか……。
自分で作った料理を食す。無難な味だ。自分で作った料理はどうしてこう、他の人が作った料理よりも美味しく感じないのだろう。この差が愛情の差なのだろうか。
一時間三〇分ほどの昼食兼昼休憩を終え、横腹が痛くならないよう軽い運動から練習を再開する。
ボクシングジムなのだから、当たり前のように一般客もくる。
大概女性で、家通いの中学生とか別の高校の生徒、体を引き締めたいと思っているおばさん達、会長や愛龍は仕事をこなしながら、自分達の体も鍛えている。
三人のプロたちもバカなことを言わずに仕事に集中している。
唯一男の僕は空気になって筋力トレーニングに励んだ。
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