第20話 ベルーガ視点五
海原君と愛龍ちゃんが帰った後、私は香水のにおいが抜けた家の中に入る。
愛龍ちゃんから受け取った携帯電話を両手で握りしめ、小さな夢の一つが叶った喜びを下手くそな踊りで表現した。携帯電話内のデータは全て消去されているため、愛龍ちゃんの個人情報の漏出はない。後は数日後に来るシムカードを携帯電話に入れるだけ。
私は浮足立った状態で手洗いうがいした後、母に土下座するくらい頭を下げた。逆に今まで持たせてあげられなくてごめんね……と泣きながら言われる。貧乏人ゆえの無知。もっと早くから知っておけば、携帯の通信料を一気に下げられたのに……。
母と弟、妹の持っていた携帯電話の通信プランを全て解約し、安い通信プランに変えるだけで、月一万円ほど浮かせられる計算だった。やらない手はないと二人が返ってくるのを勉強しながら待つ。ときおり、腹筋して肺活量を鍛えるトレーニングもする。
午後五時頃、健全な時間にインターフォンが鳴り、妹の舞が帰って来た。
「ただいまー」
「お帰り……」
私が出した声が思ったより細く響く。自分でも幽霊みたいな弱々しい声だなと感じながら、愛龍ちゃんから聞いた話を舞にする。すると、舞は……。
「あぁ、携帯電話なら売って来た。最新機種の超高い奴だったし、二五万円で売れたよ」
私は舞の発言に腰を抜かしそうになった。なんせ、アルバイト代が入った後、携帯電話が欲しいと言っていた舞に五万円しか渡していなかった。
いったいどうやってそんな高い携帯電話を手に入れたのか謎だったのだ。聞いても舞はそこだけ教えてくれなかった。
でも、もう二度とやらないと言う。二五万円のうち五万円を私に返してくる。残りのお金も誰かに渡してきたと。
携帯電話の解約はすでに母と済ませていたそうだ。こんなに手が速い子だったなんて。私より現代っ子だからかな……。
「あ、そうだ、今日の朝、私の好きな人に会ったの! その人ね、お姉ちゃんと同じ高校の制服を着てた! 学年はわからなかったけど……、私が通っている中学校近くの大通りを走ってた。同じ通学路を使ってるなら、もしかしたら家が近くかもしれない!」
――ま、舞の満面の笑みが眩しすぎる。いや、この子、最低三年も年上の男の人を好きになっちゃったの。どれだけませちゃってるの。でも、私と同じ高校の生徒なら悪い人はあまりいないだろうから健全かな。ただ、中学一年生と付き合ってはくれないだろうな。
私は複雑な気持ちになりながら、舞の眩しすぎる笑みを見ていた。
「手を振ったらね、私に手を振り返してくれたの……。あぁ、髪をバッサリ切ったのに私に気づいてくれて覚えていてくれたんだって思ったら嬉しくて、微笑んだ顔がカッコよすぎてきゃぁ~って叫んじゃった。もう、どうしよう、会いたくて仕方ないよ」
「あ、あはは……。ま、周りに迷惑をかけないようにね……」
「うん! あぁ、あの人に彼女がいたらどうしよう……。あんなにカッコよくて優しかったら絶対彼女がいるよー。うぅ、若さで何とかなるかな。お姉ちゃん、どう思う!」
――いや、そんなこと聞かれても……。私としては夜更かしするような男とつるんでほしくないんだけど。そもそも、中学一年生に手を出そうとする高校生とか、今じゃ警察沙汰になるんじゃ。でも、舞をここまで改心させてくれた相手だし、多めに見るか……。
「と、とりあえず、告白してみるしかないんじゃない?」
「そ、そうだね! 愛は言葉にしないと伝わらないよね! 今度会ったら、告白するよ!」
舞の判断力の高さに少々恐ろしくなりながら、私は一言……、
「舞、焦りは禁物だよ。速さも大切だけど、相手のことをもっとよく知らないと……」
「なるほど……。確かに名前も知らない相手にいきなり求婚するのは早すぎるか。とりあえずもっと会話しないと駄目だね」
――名前も知らなかったのか。あ、危ない危ない。そんな人に妹はあげられないよ。
私は安い携帯電話を買いに行く約束を舞と交わす。そのまま、一緒に料理を作った。いい女は料理が作れなきゃだめらしい。好きな人のために料理を覚えたいんだとか。
あぁ、舞のやる気がずっと続きますように……。ずっと嫌がっていた勉強まで始めてしまう。いい女は頭もよくなければならないとか。あまり根を詰めすぎないようにと伝える。
そんな、舞の姿を見て母はものすごく喜んでいた。もう、不良から脱却しただけで嬉しそうだったのに舞が良い子になって泣いていた。
ただ……、午後九時頃。
「おい! 姉貴、さっさと開けろや!」
周りの迷惑も考えず、舞の双子の弟である怜央が帰って来た。
私が扉をあげると靴すら脱がず、家の中に入り椅子に座って脚を組んだ。髪は白かと思うほど金色で、少し長めの髪をオールバックにしてワックスでガッチガチに固めていた。ちょっとずつ元父に似てきているせいか、母や舞と同じトーンで喋れない。
「ちょっと、怜央! なんで、靴のまま家に入ってきてるの! 脱げバカ!」
私の代わりに部屋から出て来た舞が激怒し、怜央は舌打ちしながら靴を脱ぎ捨てる。
「これでいいだろ」
「はぁ……、まじで、糞ダサい。そんな恰好していて恥ずかしくないの?」
「舞だってちょっと前までほぼ同じだっただろうが。なんだ、いきなり良い子ぶりやがって。先輩たちから金をもらってビッチじみたことしてたくせによっ! 糞の血が流れてんだから俺たちも糞なんだよボケ! どーせ、すぐ元に戻るぜ!」
「怜央は男のくせに年上に媚び売って頭をヘコヘコしながらなっさ~けなく、お金貰って下っ端みたいな役割してるくせに。そんな男らしくないことして恥ずかしくないの? 家に帰って来て俺つえーからオーラ出してるつもりだろうけど、一切出てないから。本当に強い人は俺糞つえーとか言わないから! 雑魚!」
舞と怜央の言い合いが激しすぎるし、何を言っているのかよくわからない所だらけ。
私は割って入れるほどの声が出せず、取っ組み合いになってる二人の間に体を入れて止めるしかなかった。
「はぁ、はぁ、はぁ……。一回『陸の鯱』にボコボコにされたらちょっとはマシな男になるんじゃない」
「へっ。『陸の鯱』なら、藻屑高校の鯛平先輩がボコボコにしたってよ。三年の先輩の言う通り鯛平先輩、超カッコいいぜ。滅茶苦茶憧れる」
「な……、そ、そんな……」
「今日、三年の先輩が鯛平先輩とその師匠の鮫島先輩って人に会わせてくれるんだ。まじで楽しみ。俺も鯛平先輩みたいに超強くなってやる!」
怜央は脱いだ靴を履き、家に帰って来てからまだ二〇分しか経っていないのにもう、家から出て行ってしまった。テーブルの上を見たら、料理だけはちゃっかり食べてる。早食いの才能があるのでは……。
「あぁあ~、うっざ。なにあいつ、あいつときょうだいとかほんと嫌なんですけど!」
舞は皴になった寝間着を伸ばし、見るからにイラついていた。
「ま、まあ、舞も前まであんな感じだったからね……。多分、怜央にも何かしら切っ掛けが必要なんだよ。あの子、ああ見えて結構臆病だから、犯罪に手は染めないと思う。温かい目で見守ってあげよう」
「うぅ……、お姉ちゃん、いい女すぎ!」
舞はばたりと倒れ、膝を抱えて蹲った。今まで舞が何をして来たのか聞かない。きっと、聞いてほしくないだろうから。これ以降、何もしないでくれればそれだけで十分。
「お姉ちゃん、一緒にお風呂入ろ……。お風呂って言っても、体を拭くだけなんだけど」
「うん、良いよ」
私と舞は二人で風呂場に入り、互いの体を洗いあった。久しぶりに一緒に入ったので少々気まずかったが、一人で入る時よりも心が温まった。
「こんど、お風呂にお湯を溜めて一緒に入ろうよ。私、お風呂に入らず桶に溜めたお湯だけを使って体を洗っているってクラスメイトに言ったら完全に引かれちゃった。今、思えばなんでムカついたのかわからないんだよね」
「あはは……、まあ、普通はシャワーとか、お湯に浸かるんだろうね」
私と舞は互いに笑い合いながら、使ったお湯で洗濯ものを洗う。その時、私は舞が持っていたタオルに目がいった。青と黒が基調のスポーツタオルだった。
――あれ? あんなスポーツタオル、家にあったっけ……。
舞はスポーツタオルを満面の笑みで洗っている。舞の好みと全く違うタオルで、盗むわけも無し、気になった私は口を開く。
「舞、そのタオルどうしたの?」
「ああ、これ? これわねー。私を助けてくれた人がくれたの。もう、化粧と鼻水と涙でぐっちゃぐちゃだったから返すに返せなかった。私が泣いてた時、ずっと背中をさすってくれたんだよ。あんなに優しい男の人に初めて会った。糞父野郎とは大違い」
「そ、そうなんだ……。ほんと、不意に優しくされちゃうと泣いちゃうよね……」
「というと、お姉ちゃんも優しくされて泣いちゃった経験がおありで?」
「う、うーん、どうだったかな~」
「あぁ、隠してるー。お姉ちゃん、わっかりやす~い」
妹に完全に気づかれるほど、私の真顔は効果が無いらしい。
「もしかしたらスポーツタオルに名前が書いてあるかもよ」
舞は「確かに!」と言いながらタオルのタグを見る。そこにU・Sとペンで書いた文字があった。名前のイニシャルだろう。私達は溜息を吐き、バスタオルで体を拭いて寝間着を着てから洗濯物を干した。
私は舞と同じ布団で、抱きしめ合って眠る。
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