第14話 シャチと少女

 午前二時に僕は目覚まし時計のアラームが鳴る前に目を覚まし、アラームの設定を切る。

 運動着を着て新聞を発行している建物まで走り、バックに二三〇部ほど入れて軽快に走る。原付よりも走った方が速いので、毎日走り回っていた。僕に向いたアルバイトで、苦はない。

 ただ、午前二時は深夜なので、嫌な現場を目撃することは多々ある。


 街中を走っていると、若い金髪の少女と厳つい髪が目立つ耳にピアスを付けた男がネカフェの前あたりで口論になっていた。


「も、もう帰る。家族が心配するから……」


「あぁ? 良いじゃねえか、ちょっとくらいよ。お前もそのつもりで付いてきたんだろう? 家に居にくいからって俺に甘えて来たじゃねえか」


「はぁ? な、なにわけわかんないこと言ってるの。口で一回してあげたんだからもう、十分でしょ」


「こっちは二万払ってんだ。そんなんで足りるかよ。金が欲しいなら体で稼げばいいだろ」


 まだ高校生程度に見える男が金髪の少女の手を強く握り、そのままネカフェに連れ込もうとしていた。

 少女の方は叫ぼうにも、すでに深夜で警察が来たら親に連絡されるとわかっているのか、自分だけで何とかしようと藻掻いている。それをうざったいと思ったのか、男が拳を上げ少女の顔面をぶん殴った。さすがに見過ごせない。


「あの、どこ高出身ですか?」


「あ? 誰だてめえ……、どこ高出身も何も、俺は泣く子も黙る藻屑高校在住だ糞が。丁度、殴り足りねえ気分だったんだ。ここで俺様に会ったのを後悔してもらおうかっ!」


 どうやら、彼は藻屑高校の生徒らしい。

 僕は大ぶりの拳を軽く交わしたあと、金髪少女の前に出て庇うようにしながら男と位置を入れ替わる。藻屑高校の生徒なら鯛平という男を知っているだろうか。


「なら、鯛平と言い男を知っていますか?」


「あぁ? なんだ、お前。鯛平先輩を知ってんのか? 鯛平先輩、超カッコいいよな。あの『陸の鯱』をボコボコにして来たらしいしよ。俺も、あの人みたいになりてえってずっと思ってるぜ!」


「そうですか……」


 ――鯛平、僕をボコボコにしたって言ったんだ。まあ確かにぼこすか殴られていたけど。


「君は鯛平に勝てる?」


「は? 勝てるわけねえだろ。鯛平先輩は超強い。俺みたいな新米は手も足も出ないぜ」


「なら、潔く引いた方が良い。僕はアルバイトの後に約束があるから時間が無いんだ」


「さっきから、わけわからねえことばかり言いやがって……。お前の顔、一度も見た覚えがねえから藻屑高校の生徒じゃねえだろ。なら、ぶっ飛ばしてもいいよなっ!」


 厳つい髪型の男は殴る蹴るを繰り返し、僕を痛み付けようとしてくる。

 拳を打ち出したり、蹴りを入れる際、人間は無意識に呼吸を止める。そうしなければ力が乗らないのだ。

 だから、殴る蹴るを続けるのは全力疾走と変わらない。足を動かさなければ血流が悪くなり、すぐに酸欠になって足下がフラフラになる。だからボクシングの試合中に足を止めてはいけないのだ。素人なら、三分拳を振るっているだけで息切れするだろう。


「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ……、あ、当たらねえ」


「よし、逃げよう」

「えっ、ちょっ……」


 僕は金髪の少女の手首を持ち、軽く走る。後方にいる男は脚が千鳥足になり、真面に折って来れていなかった。

 殴っていればすぐに問題を解決できたかもしれないが、会長との約束があるので逃げ一択。すぐ逃げていたら、少女の脚がどれだけ早くても追いつかれていただろう。

 盛大に体力を削らせてもらった。避けるだけなら、体力はほぼ消費しない。


 人気のいない所に行くと僕が不審者扱いされそうなので、車の横行が多い明るい通りに出て少女の手を放す。


「ふぅ……、逃げ切った。君、こんな時間に何してるの。危ないよ」


「うぅ……、ご、ごめんなさい……」


「色々事情があるんだろうけど、深くは聞かない。今回は僕が近くにいたからよかったけど、次はどうなるかわからない」


 金髪少女のつむじを見ると少々黒みがかっている。どうやら金髪は地毛ではないらしい。

 服装はミニスカートとキャミソールのような肩紐が付いている薄手の服。どこか、知り合いに似ているような気がするものの、化粧しているのか顔が大人びていてよくわからない。

 身長が一四五センチメートルに行くか行かないかという低身長に加え、僕を見て少し怯えるような雰囲気からして大人と言う訳ではないだろう。


「これに懲りたら、夜遊びはもうしない方が良い。君はとても可愛いから、悪い男が寄って来てしまう。お金の稼ぎ方は探せば沢山あるから、無理しちゃ駄目だよ」


 どこか妹に説教しているような感覚になりながら、うなだれている少女の頭に手を置き、落ちつくまで待った。

 少しすると、少女が頬を膨らませ黒い瞳に涙を溜めながら見つめて来た。その表情が物凄く桃澤さんに似ていた。女の子の泣き顔は似ているのだろうか。


 どうしよう、僕は女の子の扱いが糞ほど下手くそかもしれない。おろおろしていると、やはり泣き出した。首に掛けていたタオルを差し出すと少女は顔を隠すようにして鼻水をすする。

 近くの花壇に腰を下ろし、彼女が泣き止むのを待つ羽目に……。本気を出して走れば配達に間に合うか……。泣いている女の子を放っておけるほど僕も薄情ではない。

 花壇の端に座り背中をさすってあげていると少女はずっとずっと泣き続ける。相当溜まっていたらしい。もう、桃澤さんと同じくらい泣いている。辛かったんだろうな……。


「う、うぅ、貧乏だって学校でバカにされて、悔しくて叱ってくるお姉ちゃんとお母さんを突っぱねちゃって、お母さんが倒れちゃって……、うぅ、見返したくて……、携帯電話が買えるくらいお金を稼いだ。でも、どんどん学校に居ずらくなって、家にもいずらくて」


 少女の口から辛い日々を告白された。不幸を比べるわけではないが、彼女も僕と同じように辛い日々を送っているようだ。僕は何も言わず、ただただ背中をさすり続けた。


「た、タオル、ごめんなさい……。化粧とか鼻水とか、涙とかでグチャグチャに……」


「気にしないで。タオルは結構持っているから、持って帰ってもいいし、ゴミ箱に捨ててくれてもいい。洗えばまた使えるから……って、僕が使っていたタオルを使うのは嫌か。やっぱり、捨てておこうか」


 僕はスポーツタオルを受け取ろうとしたが、少女は頭を長い金髪の先が鞭のようにしなるほど振った。捨てるのはもったいないと言い、また使うそうだ。


「なら、いいんだ。じゃあ大通りを歩いて出来るだけ明るい道を通って帰るんだよ」


「う、うん……」


 少女の顔はすっきりしており、先ほどより明るかった。泣いて心の鬱憤が晴れたのだろう。僕が立ち上がると少女も立ち上がり、僕の体に一度だけ抱き着いてきた。


「えっと……」


「ご、ごめんなさい……。もう一回……、もう一回だけ、頭を撫でてください……」


 少女の手に力が入り、放してくれる様子はない。


 僕は仕方なく、少女の後頭部を撫でた。外套のオレンジ色の光が、まるでスポットライトのように降り注いでいた。警察がいたら捕まりそうな状況だが、人影はない。


「た、助けてくれてありがとうございました。本当にありがとうございました!」


 金髪の少女は深々と頭を下げている。でも、まだ少し怖そうだった。何かしら抑止力になればいいなと、僕は少女に教える。


「もし、また若い男の人に声をかけられたら『陸の鯱』に言いつけると伝えるんだ」


「陸の鯱……?」


「まあ、悪い人が聞いたら怖がる名前みたいな……。とにかくもう夜遊びはしないように」


 金髪の少女はコクリと頷き『陸の鯱』と呟きながら走って行った。

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