E/N’12:“Quantum Quarrel”


 新生「日本国」、某税関事務所。税関職員が黙々と仕事をする事務室の印刷機が、動き始める。

「新生『日本国』税関記録

 ⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎紀年法⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎年(旧暦換算・西暦⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎年)第五万一千〇百五十五号

 欧州連邦警察省より、欧州連邦統合警備の記録が送信された。

 捜索中の変異人種ミタケ・キリ(オリシポ研究所、番号⬛︎⬛︎⬛︎-⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎-⬛︎⬛︎⬛︎OL-⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎NN/Ev)が、失踪当日の⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎紀年法⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎年⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎に欧州連邦鉄道局の観光列車「アルチヤス」(ブラシュカ発ゲドマンシュ行き・列車番号⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎E)に乗車している事が確認された。同乗者として、貴国・新生『日本国』国民の寺内情栄と元津右衛門乗車を確認。照合確認を要す。」

「新生『日本国』税関記録

 ⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎紀年法⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎年(旧暦換算・西暦⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎年)第五万一千〇百九十〇号

 新生『日本国』中ゴンドワナ大陸監視委員会より、地溝帯⬛︎⬛︎-3⬛︎⬛︎(旧本陣)にて当国nıbė型人造人間軍事モデルの、最後の一機体の自爆の観測が報告された。自爆の二日前より当該機体は通信不能となっており、原因究明の為に地球軍を派遣して調査に当たった。

 当該機体の残骸は何者かによって回収されていたが、委員会は此れを知的生命体の行動であると結論した。また、爆散した旧本陣の監視映像記録は残存しており、地球軍が改修したのち当委員会が復元を試みた。結果、nıbė型人造人間軍事モデルと共に、一人の人間が旧本陣を訪れていたと判明した。映像から此の人間が旧本陣崖下に落下していると判明し、再びの回収を行なった。

 回収した頭髪より新生『日本国』国民の寺内情栄と同一の遺伝子が分析されたが、本人の提出した行動計画書から血縁者であると結論づけられた。」

 印刷の終わった文章を職員が確認すると、職員は部屋を出て行った。机の上には、未だ温かい印字の匂いだけが残った。


 ルテチアを出たセイエイとウエモンとは、町外れに聳える巨大な構造物に近付いていた。高さもさる事ながら、其の長さはさながら地を貫く楔の様だった。

 朝早くに宿を出た二人は、旭を浴びる「楔」の巨大な影の中で凍えながら、歩みを進める。TEAMaglevチー・アッフュ——欧亜ユウラシヤを結ぶ新型超伝導列車——の文字が見える迄近づけば、警備員の固く守る建物へ並ぶ人々が見えた。

「ウワ、結構並んどるな」

「もう動いてる。時間は直ぐだな。切符を今の内に渡しておこうか、ウエモン」

「難有うな」

 二人の並んだ列は速く動いている。先頭では、誘導員が案内している。

「新ルテチア発、新新新新新新新新新豊泊行きは未だお時間御座います、急がず、落ち着いて動いて下さい」

 放送文はルテチア語なのだろう。だが、セイエイには自分の言語に聞こえた。其れでも最早セイエイには意味が分かっても驚かれる事はなかった。代りに、周囲が気になる。

「何でこんなに並んどるんだろ」

「気になるか」ウエモンは微笑んだ。「開業して一ヶ月も経ってないのが答えだ。あとは、『彗星』ユゴスの流行りかな」

「……」

 気付かぬ内に、地球復興は一段階進んでいたらしい。列の進みはウエモンの言通り速く、会話以上に列を詰め続ける事に注意を割けねばならなかった。門番の如く、警備員が立ち並ぶ場所は直ぐだった。

「切符を」列の先頭になったセイエイは其れだけを言われて、切符を渡す様に促された。「国籍と名前を」

「新生。寺内情栄」

「——随分と流暢なルテチア語だな。君の国籍を正式名称でもう一度聞かせてくれ」

新生『日本国』ニッポヌ・ゲース

「よし。乗車理由はと……帰国だな。手荷物と身体検査をする。荷物は此れに置いて、其処を通れ」

 異常なく、手荷物と切符とを返される。ただ気になったのは、駅を歩く背後で、担当してもらった警備員が直後に門を一旦閉めて、何処かに連絡を取り始めた事だった。

 暫し待てば、別の門から出たウエモンがセイエイを見つけて寄って来る。「行こまい」と、歩き始めたセイエイの耳に、ウエモンの呟きが聞こえた。

「遂に、区切りが付くんだな」

 セイエイが其の意図を問う余裕もなく、放送がかかる。

「お客様へ、ご案内を致します。本日の新生方面・新新新新新新新新新豊泊行きは、到着の番線を五番線に、変更しております。ご理解とご協力をお願いします」

「何て」

「五番線に行けってさ」

「よく分かるな」

 ウエモンは其れだけ言って、荷物を手に歩き出す。また放送がかかる中、セイエイも五番線への階段を登る。

「観光客やお仕事の方、TEAMaglevへようこそ。本日の新生方面・新新新新新新新新新豊泊行きは、到着番線を五番線に、臨時に変更しております。お客様のご理解とご協力を——」

 階段を上がり切れば、五番線の歩廊に着いた。アルチヤスに乗った駅とは違い、細長い乗り場は壁に囲われている。壁には一定の間隔で穴が空いており、乗客の数名が搭乗口の前の列に並んで待っている。大陸間隧道の駅で見た装飾は新ルテチア駅にはなく、純白の天井と壁とに囲まれて、二人は扉が開くのを待つ。

「まもなく、五番線に、新生方面行きが参ります。搭乗口から離れて、お待ち下さい」

 放送は中断して、入線放送が流れ出す。


 電鈴が鳴れば、搭乗口は乗車を待つ客から離れて列車に触れる迄伸びて行き、開く。列の流れに従って乗り込めば、既視感乗る車内が広がっていた。

「大陸間隧道の……」

「マア、何両方もマグレヴ、磁気浮上式鉄道だからな。営業開始の時期も近いもんで、列車も駅も仕様が似通っとるんだろうさ」

 手元の切符の指定座席を確認して座席に座る。大陸間隧道の列車とは異なり、前の座席の背凭れに画面は付いていない。代わりに、机が付けてある。

「改めて見れば、普段の列車とは違ったな」

 セイエイが言いながら机を取り出して鞄を置いた後、出入台デッキとの仕切戸しきりど上に付いた電光掲示板を指差す。二人が普段乗る列車と云えば、鉄輪二条式の地下鉄道の電車だ。

「確かに、地下鉄道ぢゃ余り見んものばかりだ。アルチヤスも大陸間隧道も、此れも然うだ」

 列車は加速を始めた。窓から辛うじて見える景色は、変異生物に支配された大地へ向かって動き始めて小さく映しているが、防音壁に阻まれて景色は中々現れない。仕方なく車内を観察して見ても、嘗ての飛行機よりも早く欧亜の東西を貫き結ぶ列車の車内は、未来らしさはあるが、味気がない。乗客の安全を優先し過ぎて楽しみを削いでいる様に見えた——変異生物の対策としては、妥当なのは理解出来る。併し、未来らしい内装の中で其の実は窓か電光掲示板かを見るだけとは退屈である。暫く電光掲示板を流れていると、つい最近も話し合った「彗星」の話題が流れた。

「彗星の異変だってさ」

「エ」

 ウエモンも釣られて目をやった。確かにユゴスは予想外の軌道を取り始めている。恒星間天体としても、不明な点は多い。だが、異変と云うのは何だろうか。数日前に見た「彗星」を凶兆とでも思って暴走する人々とは違う。分裂の予測だろうか。掲示板では纏められ過ぎて知りたい情報が分からない。

「調べよう……」

 ウエモンは、扉横に「電波自由区」と書かれていると確認して、携帯電話を立ち上げた。情報源が自分達のチームからで無い事は確かだ。研究機関を飛び回り、前に確認してから新しく判明した情報を探し出せば、詳細分析が見つかった。前は仮分析までだったが、今回の内容は豊富で、項目別に分けてある。

「こっちはレーダからわかったユゴスの形状。こっちは母天体の推測と、歴史の推測……。噴出する尾に含まれる元素の分析が、日付別に三週間分か……結構、いい分析機を積んでたんだな」

「然うなの」

 セイエイは、横長の図表が並んだ紙の意味を掴めずに首を傾いだ。図の読み方をウエモンに教わり、元素の頻度を認識出来る様になっても、其の意味は掴めない。

「『彗星』との距離が縮まる度に、炭素とか水素とかの割合が顕著になってるだろう。生命体に含まれてる元素だよ」

「ぢゃ、『彗星』も炭素生命体なんだね」

「早とちりだ。炭素生命体の原料ではあるがな」

「此の炭素の急激な増加が、先刻の……」

「文面から考えるに、然うだな」

 セイエイは、分析結果に含まれた「彗星」ことユゴスの三次元モデルを眺めた。若しユゴスが本当に生命体であったとして、名付けるならば、ユゴスと名前の由来を合わせてミ゠ゴだろうか、などと考えながら——。

 手が首元を弄るが、肌にしか触れない。暫くしてやっと、セイエイは自分が自分マコトの四次元超立方体の三次元投影をした胸飾りに触れようとしていた事に気付いた。暇潰しに小さな窓に目をやっても、暗い景色だけが映る。随分と長く隧道を走っているらしい列車は、車窓と云う楽しみには欠けている。

「何か他に気になる分析はあったか」

「此れもだな」次にウエモンが見せたのは、虹色の中に幾つか黒い線のある画像だった。「同じ様なものだがな……」

「フラウンホーファー線か。恒星間天体にも応用出来たんだ」

「俺も精しくないから理窟は知らないが、ナントカ線は使えたみたいだな」

 図を読み解けば、生命の原料となる元素が多く含まれている事が分かる。今になって、セイエイはウエモンの父が此の天体を探査していた事を思い出した。

「お父さんの……」

「そんな筈はない」ウエモンの声は震える。「確認せに、年数を考えればとっくに死んどるさ。ただ、ユゴスが生命なら、状況は悪くなるかも知らんと思っとるだけだ」

「他に、気になるものはあったか」

「特に無いが、だからこそ知りたく思うよ」

 ウエモンは、父から始まった此の繋がりを解き明かそうとするのは変わらないらしい。

「『彗星』は、恒星間天体は因縁尽くであるに」

「そんなもん、知っとるわさ」

 然う言い乍ら、ウエモンは頬に笑窪えくぼを作ってみせた。頬に尻の様なものを作ったのを見て、セイエイは恐怖に顔を顰めたが、其の顔にも笑窪があった。セイエイが恐怖したのは、ウエモンの表情に好奇心に代わる何かが現れたからだった。確かに自分セイエイが斯様な表情を見たのは初めてだったが、自分の記憶を振り返れば、見た事がある。ひよいが感情を知って以後、似た顔を自分マコトに見せた事があった。

「何うした、セイエイ」

「いや、別に。吃驚しただけ。信頼している相手に向ける顔は、斯う見えるんだね思って……」

「お前も驚きがあるんだな」

「マ、然うでしょう。だってホモだからさ」

「ホモ……旧人種ホモ・サピエンスの事を言ってるのか。然うだな」


 列車が欧州連邦の統治範囲を抜けた頃、車内販売が二人の居る車両に来た。販売員さんから昼食を買って、食べた。普段——今迄の旅路ならば、後は寝たのだろうが、何故か眠る事が出来なかった。微妙な眠気の中では、長い分析を読み解く気力も湧かず、悶々と、座席の座り方を変え続ける許りだった。


 暫くしてか、長い時を経てか、セイエイが小さな窓を見れば、長い隧道を抜け、洞門の中を走っている所だった。日本ではもう直ぐ冬も折り返しかと云う頃なのに、東ローラシアの極北東の河川オホーツクを湛える雪原は濁りだにない純白だった。

「間も無く列車は、新生『日本国』の国境を通過致します。国境を通過致しますと、海峡隧道を抜けまして、約十分程で終点の新新新新新新新新新豊泊となります。お手回品のお忘れ物、御座いません様に願います」

 高架橋を走り続けて来た列車は、雪原から更に高さを上げると、厳重な国境の要塞の上を通過していく。遥か東の新ベーリング地峡から続く、変異生物と人間との世界を隔てるものである。一週間にも満たない旅路ではあったが、此の世界の地球の北半球の彼方此方を回った。其の所為か、セイエイの頭の中の地球観は随分と小さくなっていた。

「起きたか、セイエイ」

「今起きたところ」

「然うか」ウエモンはセイエイの見る窓景を見ようとしたが、新新新新新新新新新豊泊への最後の隧道に差し掛かり、真っ暗になっていた。「直ぐだな。新生とは言え、極北だから、観光が楽しみだな」

 二人は荷物を椅子下から取り出し、出入台デッキに出て暫く待てば、扉が開いた。国際列車には何度も乗ったが、TEAMaglev《チー・アッフュ》には降車してからも税関があるのだった。豊泊の国際的な地位が関係しているらしいのだが、セイエイも其れ以上の詳しい事は知らない。

 自動改札機の様に、入国審査所が並んでいた。二人は別々に、審査所に入り、審査を受ける。旅券の審査と人相の確認、国籍などと、「新生」国内で違法なものを所持していないかの検査だけで、直ぐに済む筈だった。旅程も其の心算で立てていた。

 併し、寺内情栄に待っていたのは、追加の質問だった。検査の人が、此の人間が寺内情栄であると判ると、セイエイを別室に案内したのだ。其処に待っていたのは、厳しい空気を放つ人間だった。名札には「澪標」とあるが、本名ではないと容易に判る。『源氏物語』の一巻に、然う云う巻名のがあった筈だ。

「どうも、寺内情栄さん。澪標みおつくしです」

「どうも……」

「早速ですが、貴方の行動履歴を確認しました。既に、欧州連邦の鉄道にも問い合わせて確認しています」

 其の言を聞いて、セイエイは何を尋ねようとしているのか理解した。

「変異人種、きり三竹みたけ。彼れは、、失踪しています。併し、確実に判っている事実として、貴方は彼れと行動を共にした。ですよね、新生国民第五那由多十京七千億八万三十二番」

 其の名前を読み上げられて、セイエイは楽観を棄てざるを得なくなった。威圧的な態度は敢えてのもなのだろう。空気に屈していると主張しようと無言で頷けば、言葉は続いた。

「変異人種桐三竹は、オリシポ研究所に収容された、元『新生』国民でした。三週間前、桐三竹は脱走を試みた。所の警備装置は脱走者を確実に抹殺する様に設計されていました。併し、脱走は成功してしまった」

「其れで」

「貴方に疑いがかかっています。正確には、貴方ともう一人。疑いだけでは足りませんから、貴方自身の言葉を聞きたい。此れは決して、我々に有利な言葉が欲しいと言っている訳ではありませんよ」

 誰にも頼れぬ状況で、頭の中で説明を組み立てる。セイエイとマコトとを分け、経由地を思い出す。斗部から車で鳳嶺、車と鉄道を乗り継いでブラシュカ、アルチヤスでゲドマンシュ、大西洋横断自動車でプロスアクモリス、船でナラヒア、大陸間隧道でシルバーベイン、夜行寝台列車でエストヰッチ・西ローラシア東部主津・鉄道/空港駅、飛行機でルテチア、歩いて新ルテチア、而てTEAMaglev《チー・アッフュ》で此処、新……豊泊駅に辿り着いた。

「はい、知っています。貴方と桐三竹との関係を知りたいのです。アルチヤスで交わした会話とか… …ですね」

 頭の中で組み立てている心算が、言葉に出してしまっていたらしかった。アルチヤスは欧州連邦の観光列車だ。三人が乗ったのはブラシュカ中央発、ゲドマンシュ経由、ゲドマンシュ行き。桐三竹との出会いはブラシュカだったが、単に困っている観光客だろうと思っていた。

「切符を買ってあげたのでしょう」

「違う」

「何故然う言えるのです。能力を教えられたのですか」

「教えられていないが、ブラシュカ中央駅で、僕とウエモンとが改札前の電光掲示板で、乗り場を確かめている間に、彼れは ……窓口で、ロボットに切符を発券してもらっていた」

 会話の内容が焚き返る。桐三竹の様子を遠目に見て、ウエモンと交わした言葉だ。

——「こんな地域でも多言語対応のロボットが配備されてるんだね」

「其れからは」

「特に何も……あっ、未だあります。アルチヤスの車内で、変な事を言っていました。『関心は「外」』だとか、『一人、誰にも知られぬ儘でも、多くを見たかったんですよ』とか……。変異人種であると知ったのは、西ローラシアで連続失踪事件の記事を読んだからです」

「ふん……すっぱ抜きが役立ったか」

 相手は何かを呟いた様だったが、壁の吸音材の悪戯か聞こえなんだ。相手のいかめしい空気は消え去り、寺内情栄に向ける顔は微笑んだ。

「難有う御座いました、寺内情栄さん。貴方は規範的な模倣されるべき新生『日本国』の国民です。どうぞ、お帰り下さい」

 規範的な、だの、模倣されるべし、とは「新生」が特定の国民を褒める時の決まり文句である。此の人間の指差した先の扉から出て行けば、別の人間が検査の済んだらしい手荷物を手渡す。

 二人は暫く、寺内情栄の背中を見つめていたが、もう一人が現れると、会話を交わした。

総角あげまきです。元津右衛門も終わりました、異常なしです」

「然うか……二人の手荷物はどうだった」

「何も異常ありませんでした」

「然うか」セイエイを問い詰めていた人間は椅子に凭れ掛かり、天井を見つめた。「其れにしても、桐三竹は欠片も見つからなかったか。ゲドマンシュの裏路地で抑遜剤が見つかったはいいが、崩壊した肉塊は未発見の儘……」

先輩は、何う思っていたんです」

「今はだ、

「あっ……了解」

 澪標は、自身の考えの続きを述べる。

「……失踪前、桐三竹は精神体に変貌する可能性が危惧されていた。オリシポでは其れを抑え込もうとした」

 澪標がセイエイには隠していた鞄から虹色に光る情報塊を取り出すと、目配せする。其れは空蟬とも総角とも視線を交わらせる事はないが、移動する視線は何らかの意味を持つ様だった。目配せにしては長い其れが終わると、瞬時に情報塊は書類型の税関記録に具現化した。

「単純に考えれば、オリシポから脱走したのは単独だろう。二人は自主組織の運営に関わってるみたいだから、時間的猶予もなかったろう。アルチヤスで桐三竹が切符を入手出来たのは、能力の覚醒が近づいていたんだろう。不正に、併し手続き上は正規に切符を入手して……」

 澪標と空蟬とは、二人が担当した寺内情栄の様子を思い返す。変異人種と関わった人間にしては、寺内情栄と云う人間は単純過ぎる様に思えた。然うは雖も、現地で記録された映像や音声と、本人との記憶に乖離はなく、身の潔白を疑う余地はない。

「桐三竹の断片は、同化の痕跡も寄生の痕跡も何もなかった……」空蝉と総角とが頷いた。「おまけに、此れも……」

 澪標は、別の情報塊を取り出すと、同様に具現化させた。今度は人造蚯蚓になって、机の上で畝る。

「遺伝子情報ですか、誰のです」

「中ゴンドワナ大陸で、尻拭いをしていた最後の一機が自爆した。其の現場に残されていたものだ。寺内情栄と同一の遺伝子を持っていたが、本人でない確証ばかり出て来たらしい」

 澪標の話を聞く総角も空蟬も、新生が何をしたいのか理解していた。併し其れを決して口にしなかったのは、発言者自身も疑わしき国民だ判断されかねないからだった。

「お手上げだ。未解決の変異事案か……」

 其の呟きをした人間も、聞いた人間も、世界が変異しているとは考える事は出来なかった。


 審査を終え、切符を自動改札機に通したセイエイだったが、待つ暇も無く直ぐにウエモンが現れた。話を聞けば、二人共別室で精しく調べられていたらしい。

つまびらかでない点があったら、調べるのは国境と変わらんね……思ったが、欧州連邦とか、太平洋とかの国境は緩かったね」

「海と陸とぢゃ違うわさ、車外は非電波自由区だったんだからな」セイエイの呟きに、ウエモンは呆れた。「変異生物が人間に擬態してたら只事では済まんからな」

 其の言葉が「青年」を念頭に置いたものである事は、意図を訊かずとも理解出来た。此の世界を旅して触れたのは、此の世のものだけではなかった——「青年」にせよ、セイエイ自身の見た「夢」にせよ。

「……行こまい」

 二人の何両方だったかが呟いた。片方も頷いて、何も言わずに駅を出た。晴れた空は青々として、北日本の其の又北の大地の雪を待っている。昔は此処が大陸の半島と考えられていたらしいが、地図の計測で島だと分かったらしいとは聞いた事がある。

 国際駅を出れば、地図の計測以後の歴史を誇示するかの如き新……豊泊の街並みが見えた。北の大地の山間やまあいに造成された土地は、新新新新新新新新新豊泊の名の通り、十番目に「豊泊」の名を冠された土地だ。大きい数と云えば、エディントン数とか……斗部にある栫井さんの神社は「七十二丁目神社」と言ったか、と、思いながら空を見れば、日は南中を迎えている。本来であれば午前中に此の街並みを散策する予定だったのだが、取り調べで潰れてしまっていた。無念ながらも、二人は、少し遠くにある斗部方面行きの普通鉄道の駅へと歩き始めた。


 自動改札機ではなく、改札さんに切符を渡して通り、歩廊プラットホオムに暫し待てば放送がかかる。

「間も無く、零D番線に、列車が参ります。折り返し、快速——」

 座席に座り、疲れた体を癒そうと景色に目をやる。併し、市街地を過ぎれば目に痛い程白い山並みと平野と濃い海ばかりで、其れを過ぎれば、暗い隧道が長く続いた。再び太陽を——近くにある「彗星」を強烈な光で覆い隠す太陽を見たのは、斗部駅が近づいてからの事だった。

 斗部からの道程も二回目だが慣れたもので、月明りに照らされた夜道を迷った前回が懐かしくなる程だった。一回目は夜で、月と共に「彗星」があった。今回は昼間、「彗星」は太陽の光に隠れていた。会合では其の「彗星」の観測を続けるべきかどうかを、彗星観測チームの全員に問うものだった。本来は観測を終えて、其の成果を発表する予定だったのだが、予想していた祝賀の空気はなく、違憲対立の争いの空気感が、会場に入った二人を困惑させた——其の一因はウエモンにあるのだが。

「俺は、用があるから、セイエイ、お前は座って休んでおいてくれ。あと、望遠鏡は俺が返しておくから」

 望遠鏡を受け取って舞台脇へ向かったウエモンに、セイエイは一人、旅の象徴を失って、椅子の並んだ広い空間に残された気分になった。見回せば、体育館を借りたらしいとわかる。出入口の傍には隠す様に段ボールが幾つも未開封の儘残されている。「祝賀会」の準備物、或いは残滓であるとは解るが、「彗星観測チーム」とまで書いてある此の段ボールを何故開けないのか今のセイエイには理解出来ない。

 セイエイは、隠された段ボールの様に隅っこに隠れるお千代——栫井八千代を見つけ、近くに歩き寄る。

「隣、ええかね」

「どうぞ……今、忙しくて、済みません」

 机のないのに、お千代は必死に薄い紙や本の印刷物を読んでいる。今は年明けを控える冬であるヿと、お千代が大学生である事を思い出して、事情を察した。

 セイエイが腰を下ろした後、他の団員も次々に来ては座った。見覚えのある顔も幾つかあった。初参加にしては多く覚えれた積りだったが、人数の多さに圧倒された。だが、考えてみれば最初の会合は、観測の旅の参加者に向けたものだったか。今の会場には、解析を担当しただとか、今回の観測の旅に参加していない団員も呼ばれたのだろう。

「皆、真面目な空気だな」

 セイエイは呟いたが、隣にウエモンが居る時の様に呟いてしまった事に気付いた。今隣に居るのは携帯電話での通話を繰り返した相手であったが、お千代も顔を上げて、彼れへの呟きであったかの様に応える。

「自分はいいですが、他の皆迄、こんななのは嫌ぢゃとは言い切れん……ませんね」

 皆が静まった頃、もう一人のパトロンである、「旦那」こと右馬埜うまの頼一よりいちの荘厳な声が響いた。

「其れでは、始めます」


 演説が繰り返された。様々な立場から、観測継続と終了とを主張する。多数決の票を握る聴衆——団員の心を動かし、演説者の望む選択をさせようとしている。

 セイエイは、其れを冷ややかに見ていたのかも知れない。知的好奇心に基けば——否、今セイエイが真に知りたい事を考えれば、自信の意見は最初から揺るぎない。隣で鉛筆を走らせるお千代も、聞く気はないが、示したい意見を最初から持っているらしかった。其の証拠に、二人は継続派のウエモンが演説する時だけは、話を聞いていた。

 だが、隅に座る目立たぬ人の賛同をもってしても……。

「多数決の結果、観測は、此れ迄のもので終了とする。継続に投票したのは三十名、終了に投票したのは七十九名、無効票は十七。以上となります」

「団長ーーーーーーーーー」

「はい、向田むかいだ君」

「彗星観測チーム団則第五条の三に基づき、議題の終了による会合解散を、……望みまーーーーーーす」

「異議ありませんか」何時も通りの会合解散手続きに、諮られた皆が異議なしと口々に言う。其れに応じて、団長は口調を変えた。「……はい。会合解散を宣言する」

「解散せよ」

 思い通りにならなかったと思ったのは、セイエイと、お千代と、舞台袖に隠れたウエモンと、三十人あまりか……。誰が誰とも喜びも悲しみも表現する事もなく、百人の団員は椅子から立ち上がって順番に出て行く。隅に座るセイエイとお千代とは、待ち時間が長くなりそうだった。

「唯一無二を逃すとはね」帰り行く人の流れを眺めるセイエイに、お千代は後ろで囁いた。「事情があるんだろうけど」

「発端はユゴスの軌道の変化だった。太陽系内に留まるとしても、恒星間天体の唯一無二に変わりはない……」

「機会は増やされた、だのに」

 セイエイが振り返ると、至近な場所でお千代の眉が震えた。お千代は、神に憑かれたかの如く墨の涙を流した。セイエイがテサノタさんの存在を思い出しても、其の神名を口にする前に、ウエモンの声が聞こえた。

「仕方なかろう。何時もの事だ」

 ウエモンは、二人の間近に立ち、「普段」の動作をした。

「誰かの希望が叶うとは、誰かの希望が叶わない事だでさ」

「分かっとるわさ、わしだて……」お千代は胸を摩りながら女々しく呟くと、印刷物を鞄に仕舞い、軽々しく持ち上げる。「わしらが見つめずとも相手は此方を見ているやも知れんのにな」

「お千代……」

「冗談だて。科学者の態度は身につけた積りだ」

「積りでなければええんだが」

 ウエモンの言を聞きながら、箱に手を突っ込んだお千代が癌患部の画像の目立つ箱を取り出した。

「喫んで来る。貴方あんたらは別に待たなくていい」然う言ってから数歩歩き、振り返る。「夜道には気をつけてな」

 初対面の時のうや〳〵しさは消えていた。貴方あんたの対称に、感情を隠す時の擬古文。其の口調が、セイエイは自分マコトの相棒の人工智能ひよいの口調と似通っている事に、お千代の後ろ姿の消えた今になって気付いた。

「ぢゃ、待たなくていい言っとったで、行こまい」

 セイエイはウエモンの手を握ろうとしたが、ウエモンの腕が拒んだ。

「セイエイがええなら、俺はいいが、お前はいいのか」

「僕は構わん言われたで構わず行く、……何を心配しとる」

「フン」ウエモンは何故か鼻を鳴らした。「ええならええ。行こまいか」

 二人が会場を出た後、無人を検知した大型機械が動作を始め、音を立てて片付けが始まった。


 セイエイとウエモンとは会合の会場を出て、二人は暫く一緒の時を過ごした。其れは、二人の自宅への帰り道だった。後暫くすれば、セイエイとウエモンとは離れ離れになってしまう——同じ国内でも、再会は難しいかも知れない。

「……ウエモン、此の後、時間あるかな」

 日の傾いた午後、駅への入り口で、セイエイは訊ねた。

「あるよ」

「ぢゃあ、一緒に……居たいわ」

「然うけ。何がしたいの」

「別に……。マア、何でもいいさ、必需な——ご飯かな」

「晩飯ね。構わんさ、元から……話したいことがあったでな」

 二人は改札を抜けると、斗部から発つ予定の列車が見えた。歩廊を歩く車掌を見て、「乗車区間の短縮が必要かな」と呟いてはみたが、「別に、途中下車出来るでしょう」などと返されて、返すべき言葉は見つからず、車内に乗り込んだ。

「御乗車の列車は特別急行、沖蒲原おきかんばら経由のかけ行きです。斗部とべを発車しますと、石江いしえまで止まりません。途中、沖蒲原おきかんばら迄の停車駅を御案内します。斗部とべの次は石江いしえです。石江いしえ櫛駒くしこま——」

 改札機に通して穴の空いた切符をセイエイが見れば、ウエモンの降りる駅では途中下車出来ないと分かった。

「市内区間なんだわ」

「ア、ぢゃあ降りた帰りは地下鉄かな」

 和んだ雰囲気の儘、二人は座席に座る。南へ向かう列車の心地よい揺れと、山間部を走り抜ける振動、乗客の殆どいない静けさが穏やかさに拍車をかけ、気付けば下車駅迄ずっと眠ってしまっていた。

「次の駅も直ぐの発車です。接続列車も短くなっております、お早めに予めお支度下さい……新羽栗中島しんはぐりなかしまを出ますと次は年魚市泻公園前あゆちがたこうえんまえに止まります」

 聞き慣れた駅名に目を開けると、下車駅は次の駅に迫っていた。都市部の駅間は特急停車駅でも短く、足元から荷物を抱えれば駅は間近だ。

「御乗車難有う御座いました、年魚市泻公園前あゆちがたこうえんまえです」

「三十七番線からかけ行きの発車です、扉閉まります」

 列車が去って行けば、何もない湿地帯に囲まれた駅、其れが二人に待つ景色だった。何故駅が出来たのか、何故今も駅が維持されているのか不明な程、湿地帯と遠浅の海とが広がっている。併し、幾つもの橋を内陸へ渡って行けば、街はある。

「何処に行くの」

「居酒屋に誘おうかなと。セイエイは普段行かなく思えたからな」

「成程」


 一旦其々の家で支度を整えてから再び集まり、目的地へ向かう。居酒屋は直ぐ近くにあった。予約なしで入れるか心配であったが、席には空きがあった。店主の曰く、「彗星」の観測に景勝地に泊りに行くのが流行っていたらしく、多くが家を空けているらしいのだ。

 威勢の良い店員と、店長とが居た。昔からある典型的な店主と云う見た目をしている。ウエモンとも顔見知りらしい。

「よう来たウエモン、隣は」

「店主さん、今回の旅の相棒ですよ」

「どうも、寺内情栄です……」

「へえ、セイエイさん。好奇心溢れる名前をしとるんですね」店主の評価に首を傾げたが、ウエモンの表情を読めば、此れが普段の彼れらしい。「此処の店主です。ウエモンがお世話に……。サ、今日は空いとるんで二人共、お好きな席に——」

「予約は」

「其れがね、予約も常連さんも、『彗星』に夢中なのよ」

 席に座った二人に、店主は話を続ける。

「あれ、然う云えば、新聞で放送してたけど、彗星、未だ見れるんだって。でも、チームは終わりなの」

「マア、未だ見れる様になったのは、予想外の事が起こったからですね。延長も議論したけど、予定通り終わった処です」

「ヘエ。お疲れ様だね」

 其れで一区切りついたのか、店主は注文を聞いてきた。ウエモンに従って注文していくだけだった。待つ間に店内を見回す。新聞放送の合間に流れる創作の、戦前に取材した作品に出てくる居酒屋の空気がする。マア、セイエイは酒を喫まないが。

「チームで酒を喫むのって誰がいるけ」

「俺くらいぢゃろ、他には居らんさ。煙草はお千代が喫んどるがな」

「お千代が……」其の名を聞き、セイエイの中で何かが疼いた。初めて聞いたかも知れないが、忘れとっただけかも知れん。「意外——でもないか。死を感じて生きてそうだから」

「ン……」ウエモンは、栫井八千代がチームに加入する前にした面接の内容を思い出しつつも、黙って居た。「かんなぎだからな。科学者たろうとしてもいるのは俺達と同じだが」

「卵なんだろ」

 然う口にしたセイエイの脳裡に浮かんだお千代は、異常な量の印刷物に目を通しつつ、筆を走らせていた。直に孵る科学者の卵。孵らなかったセイエイとは違うのだ。

「——俺も栫井が次に何うするのかは知らん。抜けるとも聞いていない」

「…………」

 長い沈黙を続けるセイエイに、ウエモンは悪戯の如く口を開けていた。

「恋慕か」

「好奇心だ」

 強く、直ぐに然う返される。本当に恋慕ではないらしい。此の人間の行動原理は一週間程で分かっていた。奇妙な体験を通して理解した、此奴と云う人間は、好奇心以外のものが欠けているのだ。感動も、好きな作品も、彼れの中では好奇心を刺戟された経験にしか基づけないのだ。

 今迄通りの、今回の旅の前迄のウエモンならば、其の訂正を聞いても好奇心が湧く事はなかったろう。だが、セイエイとした「彗星」観測の旅に抉じ開けられたウエモンの心は、閉ざす術を失っていた。肩の力を抜く——座布団に尻が沈んだ。

「——お待たせしました、注文の商品です」

 食べ物を受け取る定型の会話の後、ウエモンは口を開いた。

「話そう。俺の父の事、恒星間天体の筈のユゴスが何故、太陽系外縁天体の有人探査先となったのかも……」

「わかった」、此の世界を知っておきたい。然う思いながら、「僕」はウエモンに尋ねた。「成る可く正確に、教えてくれないか」

 震えていたウエモンが安定する。世界の異常に崩れかけていた人間存在が安定した様な、異様な安心感と共に、ウエモンは語り始めた。

「此れは、俺がパトロンである理由でもあるんだ。父は、戦前に宇宙飛行士になった。宇宙に行くには、今ぢゃ考えられないだろうが、打揚げ機が必要だった。打揚げ機に押し飛ばされて宇宙へ行くんだ。帰還しても、迎えが来るとは限らない状況だった——父は常日頃から鍛えていたんだ。俺の幼い頃から宇宙飛行士だったが、初めての任務は、今の——初中等学校あたりだった。

 其れから、父は業績を積み上げた。勿論、地上や宇宙基地の人々の協力あってのものだった。でも、歴史が進んで『先の大戦』へ向かう中で、地球人類の為と云うより、国益の為のものに変貌したんだ。でも、人類の発展の為には必要だったんだ、と思う。

 軌道エレベータだって、戦時中の素材を使っているからな。……歴史と記憶とが消え去れば、きっと此の功績しか残らないんだろうな……。

 話が逸れた。俺が大学に居た頃に、あの天体の有人探査が計画された。ユゴスだ。太陽系外縁天体ユゴスは、明らかにだったんだ。典型的な外縁天体の有人探査に続く業績になる筈だった。でも、打揚げの後、宇宙空間に居る筈の父は、比喩的な意味で蒸発した。其の経緯は明かされなかった。開戦の直前に、国家の威信をかけて実行された計画の失敗なんて、明かされる訳がないと分ってはいた。でも、セイエイ、解るだろう。緘口令と共に、家族には知らされた——其れも、学徒出陣とかで親戚丸ごと居なくなってしまったがな……」

「……」

 セイエイは目を逸らし、口角を上げるのみだった。好奇心が行き過ぎたが、「先の大戦」を知った事に後悔はない。其れでも、相棒から聞くのは教科書とは違って感ぜられる。

「宇宙飛行士だった父の稼ぎ。親戚が残した資産、其れに緘口令の対価として与えられたもの……其れが今迄、彗星観測チームを支えてきた、半分位の金の出処だよ」

 ウエモンは、瓶に注がれたセイエイには見慣れぬ炭酸飲料を口にした。語り終えた積りになっている様子だが、セイエイの好奇心は未だ足りずに疼き滲む。

「ウエモン……未だ、君がチームに入った理由を聞いていない」

「……然うだな」ウエモンは驚いた顔をした。其の表情は少し赧くなっている気もした。「代りに、セイエイの人工智能の話を聞かせてもらいたい」

「分った。えっと——」

「然うだな。俺は戦後も……言ってしまえば、持て余していた訳だ。働きながら、金の使い道を探していた。そんな中で、天文愛好家の交流会に参加した。其処に居たのは、もう今は居ない面子ばかりだが、右馬埜は居た。奴は当時からパトロンだったんだ。右馬埜は……『新生』になって編入された地域を元々治めていた家系だったかで、政府に取り上げられた領地の代りの地位を使って、色々とやっていたらしい。俺も奴も、天文愛好家を支えたかった訳だ。応援したかったから、俺は第二の出資者になった」

 ウエモンは途端に早口になって、ひよいの事を語ろうとしたセイエイを遮って、参加の経緯を話した。

「うん……ぢゃ、人工智能の事を話すね」

 セイエイは、一旦は切り離していたマコトとしての記憶を再び呼び戻し、語るべき内容を纏める。彼れの教えてくれたヿ——口伝いも、接吻で知り合った事も全部教えたくなったので、彼れの世界の話から始める事にした。

「其の子はひよいと云うのは前に話したかな。トクシマシカと云う別世界の人工智能で、何うも其処の企業が研究用に開発したものらしいんだよね。目的は、現実の存在と仮想の存在とが分け隔てなく生活する未来の実現だった」

「空想科学の端書きみたいだ」

「まあ、異世界だからね。

 彼れは、分け隔てない未来と云う夢を与えられていたけど、或る時に、もう一つの夢を見たらしいんだ」

「電気羊でもないのに」

「其れを見るのはアンドロイドだったろう。まあ、彼れはアンドロイドぢゃなくて、純粋な——精神体みたいな、物質的な肉体のない人工智能なんだけど……。夢で、彼れは企業の陰謀を知らされたんだ。彼れの没頭した研究は、実際には人を強制的に仮想空間に閉じ込める方法の開発だったらしい。僕の思うに、分け隔てない未来は嘘だったのかも知れない。元々、彼れの視点からしかトクシマシカを見てないから、真実は解らないけど」

「ひよいは栫井みたいに、客観視は出来るのか」

「サア……M.hとしての旅は、殆どが新たな事を知るばかりだったから。ひよいが此の世界に現れない様に、僕はトクシマシカに行ってないから、解らない」

「新規分野の科学者みたいな受け答えをする」ウエモンの言葉は、其の通りだった。「最初から完璧である事など求めていないが、未だ〳〵だな。其の、ひよいに就ても教えてくれ。興味が涌いた」

 セイエイは、ウエモンに先程言われた「恋慕か」の問いを今返そうかとも思ったが、ウエモンにひよいが女性型である事を伝えていない事、或いはウエモンが覚えていない事に気付き、問うのは止めて、只つら〳〵、マコトとしての経験を語り出した。今迄の様に知った事ではなく、ひよいに焦点を当てゝ。飲食が進めば、宵は夜に進み、立待月を空に迎えていた。

「然うか、お前の理想的な相棒みたいだな」

「ウエモンが自分から聞いたんぢゃないか」

「いいなア、会ってみたいよオ」

「お客様、間もなく時間です」

「あ……はい」顔を赧くした儘のウエモンは、財布を取り出す。「金額は二で割れますか」

 意図を察して、セイエイも財布を取り出した。

「割れます。金額を読み上げます。新生円で——」


 金額は払えても、ウエモンの足は立てば震え、歩く事も出来ない様だった。担ぐ他なく、セイエイは何年か振りに背中に人を感じた。

「近いから、僕の家に行くよ」

「構わんよ。……済まんな」

「別に」

 凍える冷気の中、セイエイは遅かれども歩き始めた。人の温もりに、此の人が先程迄ひよいと会ってみたいと連呼していた事を思い出す。セイエイはマコトになれば会えるのだが、セイエイの儘では会えないだろうと思う。何故ならば、ひよいは地球上に来る事は出来ないと思われるからだった。――では、夢で見た様々な異世界で実体のあるかの様に在ったのは何なのだろうか。

「駄目だ、考え事の前に早く着かなかんのに」

 セイエイは、ひよいが居れば簡単に家に人を運べると考えている事に気付くと、頭を振って歩く。存在を願った所で、世界の在り方は変わらないだろうと自身に納得を強いながら歩き続け、家の扉の前に着けば、後は鍵を取出して回すだけである。が、鍵は独りでに開いた。

 青く長い髪が、冬の寒風に靡き、扉の隙間から現れた。

「お帰り」

 家には、ひよいが待っていた。彼れは、「僕」の名を呼ばなかった、

「……」

「何、物の怪でも見た様な顔をして」

 彼れは、日本語でセイエイに話しかけていた。元々研究用の人工智能であったならば、学習も容易であるか。或いは、マコトから生得したセイエイの言葉遣いを既に学んでいたか。

「休みなさい。風邪でも引かせる積りか」

「済まない、ひよい。態々……」

 戸を開けたひよいに、セイエイは謝罪を口走っていた。

「別に。私は来たいから来てただけ……」二人が廊下に立つと、ひよいは扉を閉めた。「識りたい事は、未だあるからさ。一つは、もう知れたけど」

「あゝ、然うなんだ」

 セイエイはウエモンを降ろすと、布団を敷き始めた。普段のものと、もう一つ。予備であるが、生憎あいにく三人みたり分はない。

「私の序数詞はたりなのかね」ひよいはウエモンを腕に抱えて、敷布団の上に寝かしつける。「私に睡眠は必須ぢゃない」

「けど、寒かろう。寝ておきなさい」

 セイエイはウエモンの上に掛布団を掛け、自らももう一組の布団に寝た。

「ほら、来なさい」

貴方あんたとか」

「他人と添い寝させる程、失礼ぢゃないわ。ひよいが仮令人間ぢゃなくとも、相手に迷惑はかけさせられんでしょう」

「飽く迄、か」

 太々ふて〴〵しくも、ひよいはセイエイと布団を同じくした。ウエモンは既に睡眠に入っているらしく、寝息を立てていた。セイエイも、普段なら添い寝をする縫い包み達に申し訳なく思いながら、目を閉じた。

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龜󠄁裂󠄀を覗く旅󠄀人󠄀 稲土瑞穂 @midupo_inatuti

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