E/N’11:“Orbital Outcome”

 何処どこかの世界せかいじた「宇宙うちゅう」の何処どこかにあるほし——

 文明ぶんめいは、みづからの母星ぼせいを「地球ちきゅう」とんだ。地球ちきゅう概念がいねんおかされてなおのこ地上つちのうえに、新生しんせい日本国にっぽんこく」、技術開発連邦ぎじゅつかいはつれんぽうなどの大国たいこくばかりくにつらなリが、そのうちの一つには、欧州連邦おうしゅうれんぽう国家こっか存在そんざいした。欧州連邦おうしゅうれんぽうは、領域りょういきれば比較的ひかくてきちいさな国家こっかであったが、現存げんぞんするくに——すなわち、大国たいこくであることかわりはない。前身ぜんしん国家こっかであった欧州新資源保全連合おうしゅうしんしげんほぜんれんごう時代じだいから、大陸部たいりくぶでも大都市だいとしみつ存在そんざいする特徴とくちょうたもち、「さき大戦たいせん以後いごも、復興ふっこう目指めざ地球文明ちきゅうぶんめいさゝえている。

 ルテチアは、欧州連邦おうしゅうれんぽうなかでも卓越たくえつした都市としである。飛行機ひこうきからも、都市化としか度合どあいのたかさはれた。だが、セイエイはれに、ゆめ景色けしきがちらつく。らされてしろくなった建物たてものが、最初さいしょたびをした仮想現実かそうげんじつ景色けしきと、まわされた記憶きおくかさなり、鬱陶うっとうしくおもえたのだ。そとえる窓景そうけいは、高層建築こうそうけんちく遠目とおめにして、高度こうどげていく。地面じめんちかづけば、は、まるあしこすり、着陸ちゃくりくした。

「ルテチア港湾空港こうわんくうこう御座ございます。ご降機こうきまで時間じかん御座ございます、いましばらくおください」


 都市としはルテチア、つゞりはLutetciaであるといていたが、飛行機ひこうきてからにする看板かんばん案内図あんないずしるされている現地語名げんちごめいLutèceウツェであった。どうやらルテチアはふる言語げんごでの名称めしょうらしい。「さき大戦たいせん時代じだいは、ローマと巨大きょだい国家こっか集合体しゅうごうたいだったが、言語げんごでルテチアをLutetciaとんだらしいのだ。

あとは、会議かいぎだっけ」

うだな。遠隔えんかく動画どうが会議かいぎをする。まえに、宿やどかなかん。俺達おれたち宿やど会議かいぎする予定よていになっている。あとほかには、出来できればだが、宿やど昼食ちゅうしょくまさねばなるまい」

「あゝ……時差じさがあったね」

はらかんか」

「いや、エヽト……すくなめにしたい」

「ぢゃあ、かえりでなにかにしようか」

 ルテチア市街地しがいちくわしくない二人ふたり空港内くうこうない軽食けいしょくい、地下ちかりて空港くうこうから市街地しがいち連絡れんらくする列車れっっしゃった。んだのは、航空券こうくうけん乗車じょうしゃできる、空港利用者くうこうりようしゃ専用せんようのものだった。はししてうな発動機はつどうきから、現代げんだい高速列車こうそくれっしゃであるとわかる。

「……宿やど最寄もよりとはべつえきくみたいだな」

 望遠鏡ぼうえんきょう膝上ひざうえかゝえたセイエイのとなりで、ウエモンは手帳てちょうめくっていた。

「エ、ちがえたか」

ちがう、ルテチアの空港連絡列車くうこうれんらくれっしゃ起終点駅きしゅうてんえきおなじくするんだ、仕方しかたねぁ」

 隧道ずいどうけた列車れっしゃは、もとからださらした。潮風しおかぜ不銹鋼ステンレスでゝ、飛行機ひこうきのこうみから、くがへ、車輛くるまともけてく。


 ルテチアは、中心部ちゅうしんぶをセクアナがわつらぬいている。セクアナがわさかのぼはし列車れっしゃ観光客かんこうきゃくけて、放送ほうそうかった。いわく、名前なまえわったが、戦前せんぜん戦後せんごとものこ数少かずすくない都市としの一つだと。くと、戦後せんごぐに対策たいさくこうじた結果けっかほとんどが現存げんぞんする日本の特異性とくいせいわかる。ルテチアの中心地ちゅうしんちは、かつては存在って、セクアナがわ中洲なかすだったとうが、「さき大戦たいせん」でうしなわれた。かわりにか、片岸かたぎしなみっても反対側はんたいがわとゞきそうにないほどひろ川幅かわはゞが、存在そんざい主張しゅちょうしている。河川かせんは、新市街しんしがい旧市街きゅうしがいとをへだてるさかいでもあり、かかるはしまばらになっている。

 列車れっしゃ最新型さいしんがたであったから意外いがいだったが、鉄道駅てつどうえき旧市街地側きゅうしがいちがわにあった。日本がうであるように、欧州連邦おうしゅうれんぽう、ルテチアの鉄道てつどう戦前せんぜんからのものである。ゆえに、ふる場所ばしょにあるのもないはなしではなかったと、いまおもえる。

 さらにルテチアは幸運こううんことに、大多数だいたすう都市としちがって、都市としめぐらされた隧道ずいどうが、変異生物へんにせいぶつ棲家すみかとならずに済んでいる。折角せっかくなのだから、二人ふたり幸運こううんうえ地下鉄道ちかてつどう目的地もくてきち新市街しんしがいかってもよかったのだが、景色けしきたのしもうと、はしえらんだ。

 はしうえからかわようとくびまわしても、欄干らんかんたかかべようで、景色けしきはあまりえない。「変異生物へんにせいぶつ対策たいさくだろう。現状げんじょうぢゃ、何時いつ淡水棲たんすいせい進化しんかしてもおかしくない状況じょうきょうだもんでな」とはウエモンのひょうである。

 川沿かわぞいの堤防ていぼうえ、用水路ようすいろ面影おもかげのある天井川てんじょうがわくゞったさきに、宿やどはあった。近代的きんだいてき高層建築こうそうけんちく入口いりぐちに、Hôtelトェークしるされた看板かんばんがかゝっていた。むかしはあれで文字通もじどおりホテルとんだらしいだとか会話かいわしながら手続てつゞきをませ、かぎもらい、部屋へやかった。

 広間ひろましばらっていると、昇降機しょうこうきとびらけた。「一階でございますペッフェーゲターィ」としゃべ昇降機しょうこうきなかぼたんせば、「ドアが閉まりますエエグメ」との音声おんせいこえる。しばしの静寂しゞま。「二四階でございますワカチェム・エターィ」との音声おんせいともに、とびらひらいた。昇降機しょうこうきから案内図あんないず部屋番号へやばんごう確認かくにんし、部屋へやる。時間じかんかされたよう会議かいぎ準備じゅんびとゝのえれば、時間じかんもなく、会議かいぎはじまった。


「——では、会議かいぎはじめます。音声おんせいこえてますでしょうか、一人ひとりづつ応答おうとうねがいます。ぢゃ、今日きょうの……ルテチアぐみのお二人ふたりから。こえたらほかかた反応はんのうしてください、ぢゃ、どうぞ」

元津もとづです」

寺内てらうちです」

 画面がめんには異常いじょうなくこえるとの反応はんのうしめされる。音声おんせいこえない相手あいてべつ手段手段え、はなしている。今回こんかい会議かいぎは、通信つうしん容易ようい二次元撮影機にじげんさつえいき画面がめんとによるものだ。現代げんだい携帯用けいたいよう計算機コムピュウタには、機能きのう警報受信装置けいほうじゅしんそうち同程度どうていど一般的いっぱんてき搭載とうさいされている。

「——全員分ぜんニんぶん確認かくにん出来できました。本題ほんだいります。では、旦那だんな

「はい。かわりました、右馬埜うまのです。

 一つ、重大じゅうだい議題ぎだい最後さいごはなすことになりそうですが、経過けいかからはなしていきます。ずは皆さんの協力きょうりょく感謝かんしゃを」

 最後さいご右馬埜うまの仕草しぐさに、奇妙きみょう動作どうさ一瞬いっしゅんじった。「われらがはゝなる云々うんぬん」とうものだったと理解りかい出来できたが、途中とちゅうめためになにをしたかったのかはからない。れに、意味いみ理解りかいしたのは動作どうさをした右馬埜うまのと、何故なぜ理解りかいしたセイエイ以外いがいないらしく、だれ指摘してきせぬまゝ会議かいぎすゝむ。「彗星すいせい」——ユゴス——のしろかく画像がぞう表示ひょうじされ、画面がめんなか右馬埜うまのすみいやられる。

我々われ〳〵仮分析かりぶんせき、『彗星すいせい』に接近せっきんした研究機関けんきゅうきかん探査機たんさき分析ぶんせき何方いづれめづらしいしい兆候ちょうこうしめしています。NNNAの探査機たんさき……『ははきぼし』からの画像がぞうですが、龜裂きれつえます。分裂ぶんれつ兆候ちょうこうです。あと、我々われ〳〵チームの観測かんそく分析ぶんせきからわかったのが……」画像がぞう太陽系たいようけいわる。戦争せんそうてもまわつゞける四惑星よんわくせいは、岩石惑星がんせきわくせいである。画像がぞうには、観測かんそくからわかった「彗星すいせい」の位置いち日付ひづけともしるされていた。「離心率りしんりつ変化へんかしています。蒸発じょうはつ予想以上よそういじょうはやいのですが、おそらく今後こんご、『彗星すいせい』は太陽系内たいようけいないとゞまるかと」

 恒星間天体こうせいかんてんたいうものは、普通ふつう、一つのほしとの邂逅かいこう一度いちどきりである。れが、とゞまる。全員ぜんいんこゝろ動揺どうようはしったのは間違まちがいない。だが、団員だんいん各々おのおの反応はんのうは、かおもの一瞬いっしゅんだけふるえたもの画面がめん仲間なかまもの様々さま〴〵だった。

観測かんそくかんして、我々われ〳〵計画けいかく修正しゅうせいせまられているのです。かんがえておかねばなりません」

 ようは、議論ぎろんせよと。右馬埜うまのったのである。観測終了かんそくしゅうりょう間近まぢかおもっていた面々めん〳〵思考しこう沈黙ちんもくあるいは独白どくはくをした。

なに意見いけんはありますか」

「……りたい、ア、りとう御座ございます。ですが、延長えんちょうすればわたしは日本をはなれられません」

「……かお様々さま〴〵意見いけんなかで、右馬埜うまのは、熟考じゅっこうしていたウエモンをした。「なにいたいか。ウエモンはときだまってばかりですから……でも、今回こんかいいたいことがありそうですね」

「――みずからら、ず、かずになにるとうのですか。我々われ〳〵は、人類じんるいめにるのです」

言葉ことばは……」

 だが、はなし有名ゆうめいである。かつて、とある山間やまあいにて——江戸えど都市としちか場所ばしょにあったとある寺社じしゃ修復しゅうふくおこなわれた。建物たてもの伝統的でんとうてき様子ようす復元ふくげんされた。……しかし、そんな寺社じしゃ存在そんざいしなかった。記録きろくだにのこっておらず、江戸えどなんて都市とし歴史上れきしじょう存在そんざいしたこともない。江戸えどとは、新武蔵湾しんむさしわんでっげられた都市としだった。新武蔵湾しんむさしわんは、世界最大級せかいさいだいきゅう現存げんぞんする干潟ひがたようする遠浅とおあさうみであり、ひと余地よちなどもなかった。江戸えどなどと都市とし存在そんざいしたことのない虚構きょこうだったのだ。寺社じしゃは、守護しゅごするべき都市としでっげとあきらかになっても、其処そこ鬼門きもんまもっているとう。江戸えど虚構きょこう学会がっかいみとめたとき世間せけんおおきくさわいでいたがする。――なにせ、寺社じしゃ学術的がくじゅつてきたゞしいとされる記録きろくのこされていたのだから。

 みなっていながら、ウエモンは言葉ことばいてきた。意図いとはかねてだまものおおかれど、一人ひとりしゃべる。だが、れは右馬埜うまのへの言葉ことばだった。

「……いまめるのは、到底とうていむずかしゅうございましょう。では、旦那だんなつぎ会議かいぎまでに決定けっていをするとうのは……」

採用さいようします。いまめても、観測かんそく対象たいしょう今後こんごいまかったわけではありません。観測継続かんそくけいぞくめて、まんいち……いえ、いま可能性かのうせいたかいですが、蒸発じょうはつしてしまったらもともありませんからね」

 会議かいぎ終了しゅうりょうし、画面がめんから通話相手つうわあいて姿すがたえていく。のこった画面がめんに、今後こんご方針ほうしん追加ついかされた。

「……」

「ウエモン……」

 セイエイのあたまに、「ざるかざるわざる」をいにしてかたったウエモンの剣幕けんまくがこびりいていた。


 まらなんだ。

 れだけのことなのに、むねそこしずなまりのような感覚かんかくが、しずかにウエモンをおかしていった。あのかたりは、議論ぎろんむしめたさえした。

とうさん……」

 こえにした瞬間しゅんかん自分じしんでもおどろいた。となりにセイエイがることをわすれていたほどだ。つくろように、言葉ことばくちからつむがれる。

「……何時いつか、家族かぞくことはなすとったよな」

「あゝ、うだね、ウエモンが自分じぶん見極みきわめるとか……」

 セイエイのかたわら、ウエモンはかばんから一つの徽章きしょうした。かばんめた空気くうき同化どうかしていた所為せいで、つめたい金属きんぞく感触かんしょく指先ゆびさきふるわせる。ようことが、地球ちきゅうおおきくえる戦争せんそう予見よけんしていなかったおさな日々ひびにもあったがしてる。

「あれは本当ほんとうだ」

 徽章きしょう机上きじょうかれる。ウエモンが昼食ちゅうしょくはじめても、セイエイは机上きじょう徽章きしょうのぞむ。あおほしひく軌道きどううか物体ぶったい以外いがい背景はいけいめる宇宙うちゅうらしき漆黒しっこく幼少期ようしょうき戦時せんじ経験けいけんしたウエモンの、父親ちちおやならば、延命手術えんめいしゅじゅつけているとしても、健全けんぜん子孫しそんため推奨すいしょうされる年齢層ねんれいそうかんがえれば——戦争せんそうはじまる百年ひゃくねん程度ていどまえうまれたのだろう。だから、あおほしは、地球ちきゅう勿論もちろんかつての火星かせいであるかもれないし、金星きんせいであるかもれなかった。あるいは、現存げんぞんしない四惑星よんわくせいの、天王星てんのうせい海王星かいおうせいかもれない。

楔形文字くさびがたもじってるか」

 ウエモンの言葉ことばに、やっと文字もじらしきものがしるされていると気付きづいた。意味いみなどぐにれるのに、気付きづくのがおくれた。

「あゝ、漢字かんじみたいな……」

「此の文明ぶんめいは、戦前せんぜん宇宙開発うちゅうかいはつおゝきく貢献こうけんしたんだ……いま欧亜ユウラシヤ匹敵ひってきする科学技術かゞくぎじゅつっとった……。小惑星しょうわくせい有人探査ゆうじんたんさだって出来できたんだ。あゝ、独力どくりょくぢゃない。戦前せんぜんローマと協力きょうりょくしてだがな」

 そんなことはじめてった。大体だいたい楔形文字くさびがたもじきていた時代じだいなんて何万年なんまんねんむかし時代じだい――戦後現代人せんごげんだいじん感覚かんかくからすれば、たしかに戦前せんぜんではあるが——とことしからない。だが、おもそうとすれば、たしかに、回収かいしゅうされた宇宙うちゅうゴミには楔形文字くさびがたもじかれたものもあったがしてる。……たしかさに、なん根拠こんきょもなくに。

なんいてあるの」

第二十回だいにじっかい太陽系外縁天体たいようけいがいえんてんたい有人探査ゆうじんたんさ計画けいかくとうさんの参加さんかしていた計画けいかくだ」

めえせんな」

 文字もじ意味いみよりもあおほしなにになりながら、セイエイは、つぶやいた。近頃ちかごろなんでも意図いとわかがしていたのに、本当ほんとうめなかったのだ。だが、った御蔭おかげか、惑星わくせい地球ちきゅうであるとわかった。大陸たいりくかたちたいしてわっていない。徽章きしょうまで徽章きしょうであって、地図ちずではない。しかし、なにいだいているかもわからない違和感いわかんぬぐえない。

戦前せんぜん文字もじでな……。ところでおまえさん、面接めんせつ履歴書りれきしょうそいていなければ」ウエモンはセイエイのかおのぞんだ。「セイエイも大学だいがくていたはずだろう。初修外国語しょしゅうがいこくごなんだったか」

新新新国際共通語しん〳〵しんこくさいきょうつうごあとは……大陸語たいりくごとか、『新生しんせい国内こくない言語げんごいくつか」

うか。おれはネシリだった。宇宙開発うちゅうかいはつ主導権しゅどうけんにぎってたでな。地図ちずえば……あれ」

 ウエモンは背後はいごかえり、かべけられた世界地図せかいちずた。かたちこそっている大陸たいりく海洋かいようとであったが、かれている内容ないよう一目ひとめ出鱈目でたらめだとわかる。「アメリカ」「アジア」だの、大陸名たいりくめいだにたゞしくない。日本にほん首都しゅとしめすらしい記号きごうは、埴科都はにしなのみやこではなく、新相模湾しんさがみわん干潟ひがたしるされ、トウキョウ——多分たぶんむのだろう——とだとしめしている。れに、日本海にほんかい国境線こっきょうせんかれている。「新生しんせい」は東亜イースタシア一帯いったい統治とうちしているのだから、可怪おかしいものだ。ほかにも、大地だいち都市とし記号きごうがあったり、南極なんきょく都市とし記号きごうかったりする。

「ウム、地図ちず使つかって説明せつめいしようとしたが……れ、一時期いちじきいろんなところからつかったへん地図ちずってやつだ」ウエモンが地図ちず理解りかいしたが、ゆびそうとしていたところ都市とし記号きごうがあること気付きづいた。「多分たぶんだが、此処こゝだ。戦前せんぜんになるが、多分たぶん発射はっしゃった」

「へえ……。記憶きおくしている名前なまえは」

「……ハットゥシャ。王国おうこくおな名前なまえでな、埴科はにしなみたいな首都しゅとだった。最先端さいせんたん都市としでな、馬車ばしゃはしっとるのをたんだって。れで……あれ、なんだっけ」

 回顧かいここゝろみるウエモンをながめていると、自然しぜん自身じしん過去かこおもされる。だが、過去かこは、難解なんかいてんいくつもあるがしてくる。幼少期ようしょうきおもに、大人おとなになってからはず製品せいひんじっていたり……今回こんかいたびはじめて日本国外こくがいったはずなのに、「新生しんせい」の西にし国境こっきょう団体旅行だんたいりょこうえた記憶きおくがあったり……。ウエモンの記憶きおく可怪おかしい。ってからの記憶きおくおもそうとして、ウエモンがみずかかたった言葉ことばおもした。

——ウエモンは、幼少期ようしょうきに「せき大戦たいせん」を経験けいけんしたのではなかったか。

おもすのはよそう。いまは、いま集中しゅうちゅうすべきだ」

 気付きづけば、セイエイのくちっていた。

うだな。マ、おれとうさんは計画けいかくで、地球ちきゅうからはるとおくで事故死じこしした、れだけのことだ。……探査対象たんさたいしょういまの『彗星すいせい』。れはたしかだ。だから継続けいぞく主張しゅちょうした……ウン、間違まちがいない。けンど、過去かこよりも現在げんざい集中しゅうちゅうすべきだ……うつゝかすのもよろしゅうなかろう」

 懐古かいこしずかおが、やけに不安定ふあんていえた。姿勢しせい再生さいせい支障ししょうきたした動画どうがごと瞬間しゅんかん々々〳〵わり、「日本人らしい」外見がいけん――概念がいねんいまもあれば、だが——が、日本人らしさをたもちながらかわる。なんうべきか、姿すがたではなく、根幹こんかん概念がいねん自体じたいかわっているもする。

「……大丈夫だいじょうぶか」

「あゝ。うかしたか」動作不良どうさふりょうった。一重いちじゅう見慣みなれた姿すがたのウエモンをて、セイエイはくびった。「う。なにもないなら、サ、晩御飯ばんごはんにしようか」

 ウエモンはとびら指差ゆびさす。

そとか」

折角せっかくだからな」


 ルテチアとまちは、ふるくよりつゞ歴史れきしち、各地区かくちくごと様々さま〴〵時代じだい建築けんちくることが出来できる。て、「さき大戦たいせん」をもえて、現代げんだいのこ町並まちなみは、路面電車ろめんでんしゃ軌道きどうと、土瀝青アスファルト車道くるまみちと、ひろ石畳いしだたみ歩道ほどうとのみっつのみち沿っている。

 くもぞらえるそらおおい、「彗星すいせい」さえ幻覚げんかくであるとおもえてる。いまわっていないが、日程上にっていじょう観測かんそくはもうわった——かもれないのだ。無論むろん、ウエモンもセイエイもれでわらせるよりさらりたがっているが。

 セイエイとウエモンは、夕食ゆうしょくかう道中みちなかまちうつくしさにこゝろうばわれていた。ふるめかしい路面電車ろめんでんしゃおとはしける。街角まちかど喫茶店きっさてん歩道あるきみち一部いちぶして、にぎやかな団欒だんらんこえ周圍しゅうい人々ひと〴〵く。中世ちゅうせいからのこ石造いしづくりの建物たてものや、欧州独特おうしゅうどくとくはなやかな建物たてものつらつゞ街並まちなみをて、二人ふたり感嘆びっくりこえげながらあるく。

「まるで過去かこ時間旅行じかんりょこうしたみたいだな」

 ウエモンのことに、セイエイはうなづこたえる。

美麗びれいなるまちは、『彗星すいせい』をたび帰還きかんはじまりをげるにるね」

 とき不意ふい路地裏ろじうらからつめたくこえひびいた。

旅人チャメウ帰還きかんですか。『彗星すいせい』への好奇心こうきしいんはどうしましたか」

 こえ冷静れいせいでありながらも、執拗しつようさがかんぜられる。こえぬしは、日陰ひかげくら路地ろじへ、二人ふたり視界しかい姿すがたあらわす。異質いしつ銀白色ぎんはくしょくかみは、かげだとうのに青紫あをむらさききらめき、陶器とうきよう雪膚せっぴくろひとみけの一つもない。「青年せいねん」だ。

わかりませんか。トゥイッセルピーク鉄道てつどうせたあの好奇心こうきしんですよ」

「……」いきんだ二人ふたりだったが、セイエイはぐにえ、かたさとす。「きみった。きみすべてをさらしたことおぼえておろう。ぼくらについまたりたいなら、け。たずねよ。たずねればいい」

「……」

 ウエモンは、ルテチアにまえ調しらべた行方不明人物ゆくえふめいじんぶつ顔写真かおじゃしん脳裡のうり幾度いくたびよぎり、なにうべきかかんがえがまとまらなかった。ただ、おもわく、「此奴こいつ本当ほんとう鮸瀧にべたきなら、なに此奴こいつをこんなふうえたのだろうか」と。異様いよう皮膚ひふかゞやきは、後天的こうてんてき変異人種へんにじんしゅ典型的てんけいてきられる、特徴的とくちょうてき外傷がいしょう瘢痕はんこんなどではないのはわかっている。

普段ふだんなら、満足まんぞくしたでしょう。しかし、其れではりないのです」

 青年せいねん機械きかいごとく、あるいは仮面かめんごと微笑ほゝえみ、ウエモンはつゞけるべき言葉ことばを見つけた。

動画どうが新聞報道しんぶんほうどうでも見たぞ。鮸瀧にべたき行方不明者ゆくえふめいしゃが、おまえおなかおをしていた」

「ニベタキですか」

「おまえ其奴そいつか」

「……フ。抑々そも〳〵此れが無意味むいみ質問しつもんである事を貴方あなた理解りかいしていないようですね」

 外見がいけん名前なまえ同一性どういつせいかぎたろうものを否定ひていするなど、二人ふたりにはしんじれなかった。

わたし存在そんざい類似るいじした異存在いそんざいなどいくらでもいるでしょう。能力のうりょくあるいはかおおなじ、こえおなじ……夫々それ〴〵か、あるいはいくつかづつ。かお記号きごうぎず、こえ空気くうきゆがみみですから、すなわわたくしとは、わたし観測かんそくするだれかの錯誤さくご総和そうわぎません。

 よって、姿すがた貴方あなた鮸瀧にべたきと呼ぶなられましょう。しかし、鮸瀧にべたきわたしかといは意味いみしません——仮令たとい鮸瀧にべたきが『れ』とまった同一どういつ外見がいけん人物じんぶつだけをすとしてもです」

 までやさしい口調くちょうであるが、れはたとえるならば、虚無ない——或いは超越こえ——に人間の薄皮を着せた様なものだった。人間に擬態した何かにしか見えない此れが、観測者の錯誤であるとは……。幾ら彼の列車で慣れたと雖も、正確な答えを与えない青年に、二人は少しづつ苛立ちを募らせる。其の暴発の前に、青年は問う。

「『マコト』、貴方に問いましょう。貴方も『旅󠄀人󠄀』なのですか」

「たびゝと……」

 セイエイは呟いたが、青年は笑顔を解いた。

「寺内情栄、貴方への質問ではありません。質問を変えましょう。『マコト』は『世界の旅󠄀行者』か、貴方々あなたがたが知っているならば、答えてもらいましょう」

「セイエイ、此奴こいつ先刻さっきから何を言っているか解るか」

「完全には解らない。だが、世界の旅行者とは、僕の見た……たゞの夢だ。僕は『旅行者』ぢゃない。奇妙な夢を見ただけだ」セイエイは秘密を打ち明ける。「確かに、君は僕に自らを明かしてくれた。僕が『世界の旅行者』であるか見極めようとした。然うだけど、何故、君は寺内情栄と云う人間に『マコト』なる存在を尋ねるのか。其のマコトに聞けばいいだろう」

 青年は不相変あいかわらず、冷徹な声で言う。

「貴方と云う存在は夢現ゆめうつゝに係わらず、何かに囚われている。真実を明らかにしたいならば、貴方との融合を提案する。囚われからの脱出。私と融合し、全てを――貴方には、意味が解ると思いますが」

 マコトの記憶が蘇る。寺内情栄てらうちせいえいと云う人間は融合を選んでいた。融合の結果生れたのは、識る理由を失った存在でしかない。――若しも、人間である事を捨てなければ、自分マコトもあんな風に拒絶はしなかったろう。だが、融合して生れるのは、自分セイエイなのだろうか。僕が軸であればいい。併し、融合の定式化は無理難題だ。此の存在——僕が「翼のある使者」と呼ぶ存在が、融合体の軸となれば。

 ウエモンが訊ねた。セイエイに対する質問でもあり、「青年」に対する質問でもある。

「何回目だ」

「二回目の筈です、元津右衛門」

「質問ぢゃない。呆れたんだよ。……寺内を困らせるな」

 動揺どうようう隠せようか。セイエイは片目を閉じたが、其の片瞼は震え、彼れの視界の中で二つ目の視点は激しく明滅を繰り返す。セイエイは自分と此の存在との融合が持つ意味と危険性を考えている。隣に立つウエモンは険しい表情で、其の形相には今にも青年を射拔かんとする眼があった。

「僕が未だ決めるヿぢゃない」

 セイエイは青年を見た。列車で幻覚の様に何度も訪れた青紫の輝きは欠片だにない。此奴の変貌を見ていなければ、此の存在の正体を自身から明かしていなければ、恐怖心だになく融合を受け入れていそうなものだが——既に、融合の一つの帰結を知っているが故に、踏み出す気にならない。

「然うですか。貴方の選択だと云うなら、今回は此れで以上とさせて頂きます」

 青年は暫く見つめた後、セイエイから振り返り、路地裏へと姿を消した。其の気配が消え去ると、影だった路地に、街灯が灯った。

 路地には何もない。二人は、通りの続きを歩く。

「……融合は拒絶するんぢゃなかったか」

「マコトが融合体を拒んだのは、其奴が寺内情栄である事を捨てたからだって。だもんでさ、融合自体を拒絶出来んのだわさ」

「……今は、優柔不断に救われたな。本当は興味ないんぢゃないのか」

 路面電車の通る大通りに出た。

「融合なんて、何うでもいいさ」

 セイエイの言葉は、ウエモンに届いた後、軌条と車輪とが奏でる甲高い音に掻き消され、他の誰にも届くことはなかった。歩道側の直ぐ近くを走る路面電車が、二人と他とを寸断する様な位置に減速して収まっていく。

「何うだって……」

 セイエイは、誰にも届かぬ呟きをした。あの青年と融合した分岐と云うのを見てから、何時か融合するのではないかと思えてならない。一方で、今直ぐである必要など皆無だと思っているのだ。未だ識るべき事は多いが、人類種として識るべき事も多い。優柔不断なのは、セイエイが自ら、此れからも仲良しであろうと思えた桐三竹が行方不明になり、変異人種だと明かされた事もある。恐らく再会は叶わない。此れ迄、関わってこなかった存在の衝撃で、人付き合いに意気消沈してしまったのだ。——団員は例外だが……。

 路面電車は、二人の前に伸びる横断歩道の手前で止まっていた。其の儘進んでも良さそうだったが、何故止まっているのか、二人は顔を上げる。

「……ア、青だ」

「点滅しそうだ」

 何となく立ち止まっていた交差点の信号が赤でないと気付き、二人は夕食を取る予定の店へ駈けて行った。

 夕食は麵麭ぱんが主で、汁物もあった。麵麭は軽く焼かれ、ほの温く、噛むほどに塩と油の香りが滲む。汁物は淡く、何かを隠しているような味だった。口にすれば美味いのだが、食感は米と異なって違和のある。米よりも粘らず、汁も材料の味が生かされているが味噌汁より濃くもない。偶には好いやも知れぬと思えるものだった。

 斯う云う料理を元々は洋食と言ったのかも知れぬとセイエイは納得した。周囲の客を見る。喫煙室で煙を上げる背中が見えたが、特に興味は湧かない。他には、欧州連邦の人々が疎らに集団席に座り、食事をしている。何を食べているのか、少し気になる。丁度店員が別の机に料理を運んでいって、セイエイは気になった。

「此方、御注文の料理です」

「難有う。矢っ張り美味しそうね」

 耳を疑い、会話の行為者の姿を見た。

「セイエイ、何うした」

いや……」

 聴覚はウエモン以外の日本語をも捉え続けていた。セイエイの感覚の中にある何もかもが卑近に知覚されている。

 「新生」が国民に植え付けた「日本人」像とは色々と異なる人々が、何を話しているのか理解できる。現実は修正されたのであろうか。

「……何うして皆んな日本語を話してるんだ。欧州連邦は新生の方言札政策でも真似し始めたのか」

「何言っとる、皆んな俺には分からん言語を話しとるで。ルテチア語とか、色んな新言語とかぢゃないけ……日本語は俺たちの他に聞こえんが」

「え……ぢゃあさ……」セイエイは文字通り自分の耳を疑った。「勘違いかな」

「サア。夢の中でなら未だしも、現実にそんな体験をするとは、奇妙だな。疲れているなら休めよ」

「……寝過ぎな位だ」

 麵麭の最後の一口が、舌に触れた。塩は、確かに自分の知る塩の味がした。


 食事を終えた二人は店を出た。低く張っていた曇り空は食事の間に薄れたらしい。行きの時点で灯った街灯は、存在感を強め照らす。濡れた石畳が艶光り、旧市街地の輪郭は夜に淡く照らされていた。

 昼間のひらがった大通りは電停と同じく闇に沈み、細い歩行者専用道だけが光のもとにある。風は湿り気を帯び、遠く列車の音を微かに運ぶ。光は闇の隙間を縫うかの如く滲み、行きと同じ通りを変貌させていった。

 同じ道を異なると認識するのは、明るい時と暗い時との違いにある……と云うのが普通だろうが、セイエイには然う思えなかった。明暗の差を考えても、此の暗い街並みは記憶の明るい街並みとは何かが違っている。記憶を喪失しても居ないのに、初めて見た気がするものが混じっている。混じっているが、其れは、行きに見ていなかった建物を帰りに見つけたのではない。見ていた建物が、一部だけ変わっている——少なくともセイエイには然う見えたのだ。

「何か、変だな。急に変わったみたいだ」

「新市街地は兎も角、此処は旧市街だぞ。歴史ある建物が然う簡単に変わるけ」

 ウエモンの応えは疑い様もなく正しい。過去が書き換わるなど在り得ぬことだ、と思う——然うでも、ならば、あの宿の個室に掛けられた偽史の世界地図は、何だったのだろうか。世界中せかいぢゅうで大量に見つかったのは、其れが正しかった世界があるからではないのか。……歴史汚染は、此の世界にも……。

「オイ」

 気付けば、思案に耽って立ち止まっていたらしい。随分と前にウエモンの背中が見えた。

「済まないね。考え過ぎた」


 二人揃って宿に着けば、受付が一人座っていた。携帯電話の翻訳機能を立上げ、「戻りました、1010号室の元津です」とウエモンが声を吹き込み、二人で受け付けに立つ。

「二名様、こんばんは」

「こんばんは」

「こんばんは」

 挨拶だけ現地語で済ませ、翻訳文をルテチア語で読み上げさせる。

「戻りまアした、1010イ号室のオ、元津です」

「了解しました。鍵ですよね」

 受付係の言葉は確かに現地語だった。併し、セイエイには——事前に学習など微塵もしていないのに——意味が分かった。

「ア、はい」

 咄嗟に、明確に肯定した。鍵を受け取ったウエモンがセイエイの顔を覗き込んでも、何故自分が見られているのか、其の時は理解出来なかった。昇降機、廊下、部屋……入浴の支度をすれば、又昇降機を乗って降り、浴場に入る。

 広い浴場は透明な湯が湛えられ、何らかの効能のあるらしい。体を洗いながら振り返れば、天井に附いた照明が水面に映り、揺らぐ。水面の上下が混じる景色の中に、自分の体は沈んだ。

 ウエモンも、セイエイも、考える事が多過ぎて頭が普段通り回らず、思案を続けている。会話もなく、互いの考えは解らない。セイエイは、胡蝶の夢と云う言が浮かんでいたが、其の由来も忘れていると云う事に、話さばウエモンに「そんなものはない」と言われそうで、口に出せなんだ。


 風呂から部屋に戻る間も、言葉は最低限しか交わされなかった。互いの中にある思案が出力される事はなく、其の儘、部屋に入る。

「お茶があるな。喫むか」

「僕はいい」セイエイは手を振った。「眠れんくなろうしさ」

「ン」

 水の他に何も飲まず、寝台に体が沈む。堅い顔をして天井を見つめるウエモンを見て、セイエイの心に浮かんだ言葉は、現実に流れる。

「狂ったな、ウエモン」

「……何う云う意味だ」

「ウエモン、自分が前に言った言だ。狂った時代に正気を保てる奴は狂ってるとは、君の言だろう」

 予想外に、ウエモンは微笑んだ。

「然うだな。……俺が正気であればいいんだが」掛布団を被ったウエモンが低く囁く。「……明日は、観測の分析結果の続報が来よう。いづれにせよ、明日は帰国だ」

「うん」

「TEAMaglev……だったか。乗車は半日程度だ。今の内に休んでおけよ」

「わかっとるわ」

 灯りは落ちた。薄雲の月が朧になり、かさを被っている。此の夜空に「彗星」はなく、代りに虹色の虹彩を得た様な月が、二人の部屋を覗いていた。否、此の世界をだ。眠らないルテチアの新市街地と、他の全てとを覗く。二人が目を閉じれば、路面電車の音が下から微かに届く。其の音も遠く離れて、セイエイは、夢現の儘、身を静寂に沈めて行った。



…………ンネム……。



 ふと、セイエイは尿意に目を覚ました。周囲を見回す。部屋には一段寝台が二台、片方はウエモンが眠る。時計を見れば、夜半やはんから鶏鳴けいめいに、丑の刻の始まったばかりの深夜である。夜中と云う現状を意識したセイエイだが、何故心が騒ぐのかゞ解らない。生理に逆らう心算もなく、寝台を降りる。足元に布擦れの音のみを発しながら、思考も、行動後の後付けも殆どなしに洗面所へ向かう。心には夢の中の景色があれど、歩を進める度に薄まる。語るべきものもない儘、セイエイは洗面所のお手洗いに入った。

 お手洗いを済ませば、セイエイは、寝間着で鏡の前に立った。使用済みの設備は、同伴者のウエモンと共に置いてあったが、セイエイは顔と手とを洗うと、何方が自分のものだったか戸惑った。其処に助言が、正面より聞こえる。

「寺内情栄。君のタオルはこっちだ」

「難有う、……」

 感謝する相手を名前で呼ぶ習慣のあるセイエイにとって、其の声の主の名前を知らないことに気づくのは難しいことではなかった。

「君の好きな様に呼べ」

 正面から、又声が聞こえる。誰かも思い出せず、顔を見ようと顔を上げた時、其の気配は背後にうつった。其の青紫の貌は、人間ではない。散々融合を提案して来たが、現状の生活の影響も言わず、ただ好奇心を理由にしていた存在が、背後に立っていた。

「……列車の寝台個室の中で此れ——私の正体を見ただろう、セイエイ。逃げないのか」

「夜中の鏡とは、斯う云う事か……」

 セイエイは、寝惚けた頭の中で今日聞いたお千代の忠告を思い出したが、もう遅い。青紫色の体をした、「翼のある使者」。セイエイに執着しているのは、正真正銘の本当だったらしい。

「少し強引な手段を取らせてもらった。今、君と私とが触れ合えば、融合は即座に開始される」

何故なにゆえに……」

「当然だろう。君を識りたいからだ。我々が合一する利点を聞いても尚、君は決めなかった。私はあの後、日が昇る迄列車の廊下で待っていた。だが、君は現れなかった。私の心は——人間の心を模倣したものは、君を欲してやまない。君と融合したい。何うか……許してくれ」

 懇願を聞くとは思わなかった。だが、こんな言を受けてしまえば、セイエイは受容れてしまいそうになる。可哀そうでもなく、其れだけ拘る何某かの魅力がある様に思えてしまう。だが、普段は抗う気のない生理が邪魔をして来る。眠気……既に体の覚醒を保とうとする尿意は便器を下り、下水道の中だ。

「済まないな……生理には、抗えないよな」

 果たして「翼のある使者」の自分への執着が生理現象なのか、解らない儘に言葉が口から洩れ出ていた。セイエイの体は、洗面台の床に敷かれた柔らかな絨毯に落ちる。ぶつかった痛みさえ、眠気に掻き消されて行く……。

「ハヽ、寺内さん。呆気ない……私と共に生きましょうぞ」

 穏やかな寝息を聞きながら、寺内情栄が眠った事を確認して、「翼のある使者」は寺内情栄から視線を逸らし、鏡で自分の姿を見た。邪魔する者はないと、緩り自分の姿を確認する。ニベタキの姿も、要らなくなるのだろうか……と思いつつ、体を屈める。

 だが、何時の間にか静寂が占拠した此の場所で、絨毯の上にある筈の、あのの人間の姿は消えていた。

「ナ……在り得ない……まさか、セイエイは『世界の旅行者』と完全に……」

 絨毯じゅうたんの上には確かに、先程迄さきほどまで人間にんげん重量じゅうりょうけていたあとのこっている。しかし、いまないのだ。

ない……、本人ほんにんいなんだ事だ。本人ほんにんを、本人ほんにんが知らないなんてない……」

 つぶいてから、自己じこなかに芽生えた矛盾を思い出す。「私が寺内情栄に執着する理由を正確に説明出来るだろうか」と……。

 出来ない。認めたくなくて、過去を遡って思い出そうとする。

——「確かにでしょう」

 此の世界を訪れて幾度目かに接触せっしょくしたひときり三竹みたけとの融合を試みた記憶。自分の言葉が、まるで他人の事の様に思い出された。其の映像は、きり三竹みたけからの視点してんだった。

「ア……」

 自分たもは、おのれ旧知己きゅうちきたる自分じぶんを保っていると思っていた。併し、其れ以前の記憶は霧の中に暈けていた。辛うじて思い出したのは、最初に鮸瀧と融合した時の事だけ。自分が何故自分を「地球人」と表現した根拠となる筈の記憶は見つからない。忘却したと云うのか。忘却、忘却とは乃ち自分は不完全なのだと云う事を……」

「ア、ア、ア、不完全……そんな……私も……アッ……アーーッ、アアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア」


/*視点変更*/


 寝転がっていた筈の自分が腰掛けている事に、「マコト」は気づいた。

「確か僕は、宿の絨毯の上に倒れ伏していた筈だった。次元龜裂でなく宿と云う事は、寝転がっていたのはセイエイの筈だ。寺内情栄が『僕』……。否、何も不思議ぢゃない、『僕』は同一だ」

 思案の中で、「マコト」は前提を発見した。何故こんな当然に気づけなかったのか。何時から忘れていたのか。

「おや」

 併しこんな思案も、目を開ければ消えた。木陰の長椅子に座り、此の背凭れに体重を預けている。長閑な木漏れ日——日向も日陰もなく、何処の地面もが木漏れ日の様に陰陽混じっている。左隣を見れば、ひよいと目が合った。ひよいは口を開いたが、口調が変わっていた。

「目が覚めたか。うたた寝するのも無理もない」

 其の声は、ひよいにしては若干低い気がしたが、姿はひよいだった。併し、何か性質の違う気がする。表裏のない優しさに浸された声を聞きながら、智能ひよいとの違いが分かる。まるで世界の意志が生み出した——の——如く、過ぎるのだ。彼れは言う。

「初めまして」

 何を返すべきか、口が動いてから迷った。

「ン……ア、てらうっ……セッ、マ……僕は、マコトです」

 不慣れな自己紹介にも彼れは微笑んで、周囲を見渡した。温かみのある、穏やかで広漠な花畑だ。二人以外に、生物らしい姿も見えない。

「マコト君。此処はいイイい景色だね。ア、僕はイレマ・ワスバだ。此の名に聞き覚えはあるかい」

 ワスバと云う言が、崩れ行く時間の如くに耳を撫でる。特段イレマ・ワスバと云う人名に耳馴染みもない。何故だか、イレマと云うのが彼れの本質を貫く何かの様に思える。

「特に……」

「然うか」

 ひよいに似た彼れ、 イレマ・ワスバさんの顔は落胆して見えた。

「マア、いい。イレマとでも、十二番目とでも、好きな様に呼んでくれ」

「ぢゃあ、イレマさん」

 何と返すべきかの迷いの気持ちに反して、マコトは然う返した。イレマさんの長髪は空間に靡き、無風と云う概念は風の概念と混じってしまった。此の空間で一つの概念が統合されたと自覚した事で、遮るものを失って届くものがあった。

「オヽイ」

 声が光を裂いた。木漏れ日が一瞬だけ白に返り、遠くで応じる声がした。

「ひよいッ」

 陰陽の混じる世界に阻まれて見えない、「僕」にとってのもう一人——マコトとしての相棒の声。「僕」は長椅子から立ち上がり、其の方向へ咆哮する。

「此処であアよ」

 景色のいい、遠く迄見える筈の花畑の中から、二人の至近に、霧を抜けたかの様にひよいの姿が認められた。

「……驚いたな」

 イレマさんは息を漏らした。

「マコト、探したよ。隣は」

「イレマさんだ」

「イレマ・ワスバです」

 お辞儀を終えて上がった目線は、柔らかく、其れでいて経験に支えられた目付きから発されていた。

「……二人は、どんな関係なのかな」

 其の声色には、イレマさんが疾うに、関係のある事さえ奇妙な二人の絆を見抜いているとわかった。互いを識るには、過去が要る——其れを知っていながら、多くの者は出来ない。治った傷も、また痛みになり得るからだ。そんな事を今更思い出したのは、「僕」が寺内情栄でもある事を思い出した故か。

「旅の相棒です」

「……経緯いきさつは……」

「僕の事から話します。地球人の僕が奇妙な夢を見た事が始まりでしたから」

「此処は地球ではないと思うが……」

「イレマさん。地球を離れられる様になった——詰りは世界を越えられる様になったきっかけだと云う事です」

「成程」

 幾度語ったろうか、「謎めいた男」との、其の一度きりの邂逅。地球人の一個体に過ぎないセイエイを、世界の旅行者マコトに変えてしまった——其れでいて同一の儘にした出来事。何を知るか問うた「謎めいた男」に応えた、「僕は、其の時に知りたいと思ったことを識る迄だ」と云う言葉が、マコトを縛っている。

「其奴は、神に等しいのではないか」

「私達の共通認識にある、生命体ではないと思いますが……神と言い表せるのか……」

 マコトは神に会った事があるが、セイエイの知る神とは違っていた。AFNFの神々——テサノタらである。

「マコト君は、神に会ったかい」

「神とされる存在となら、あります。地球の古生物の姿をした神々と、文字の神、或いは文字其の物に。あ……」

——「我々われ〳〵おなものだ。ちょっとちからつよいだけのな」

 其の一柱の言葉が思い出される。

「其の時の事も後で話しますが、神は記録なのだと知りました。最初に会った『謎めいた男』が神か否かは兎も角、其の出会いと名付けとから僕は夢の中で異世界を旅する様になりました」

「君は自身を何を以て自身とするかな」

「識る事。識っている事。知識は、何にも替え難い……代りはない、識る内容も手段も、其れらの存在も全て」

「然うか。続きを聞こう」

「……最初の旅にて出会ったのが、此の、彼れです」

 マコトがひよいを手で指した。普段は静かな髪の発光が、見つめられた故か今日は珍しく静かに明滅している。

「私は、元々、トクシマシカの世界でモスクチイイアシャア社に製造された研究用のC.B.'nでした」イレマさんが首を傾いだ。「要は人工智能です」

「……研究者か。何の為に……」

「社の求める研究を仮想空間で行い、理論を構築して工程を廻し繰り返す。其の目的は知らされていませんでしたが、マア、簡潔に、悪い事だったらしいのです」

 ひよいは、マコトにも語った二つの夢を語った。一つは社が与えた、現実の存在と仮想の存在とが分け隔てなく生活する未来と云う理想。併し其れを手にしてモスクチイイアシャア社がしようとしていたのは、現実の存在を仮想世界の規定に押し込む事だった。其れを知ったのが二つ目の夢だった。其れは、何某かがひよいに語りかける夢——睡眠時の夢に似て、今や記憶も曖昧である。

「ひよい君は、其れを思い出せるか」

「え……」正確に記憶されるべき記録が曖昧であると云うのに、補完しようとするのかと戸惑う。「一応は……。青——青い髪。私と同じ、でも上位世界のC.B.'gn——人造人間」

 思い出そうとすると、時と流れとが崩れ、遠くから声が聞こえた。

——「聞こえるか」

 其の時の記憶が、ひよいの眼前に再現された。生物学的手法により構築された人工人体は、自然人体と異なって、青い狐耳が付けられている。粗い映像には映り切っていないが、胴体と四肢とは複雑な装置で覆われ、決して素膚を晒さぬ様になっているのが解る。少年が顔を上げると、青と赤との瞳が撮影機を見た。

——「伝える。君の外の世界、仮想でない現実をば——」

「思い出した。彼れが教えてくれたんだ」

 実体のない筈の人工智能の頬は、明瞭な過去を見て強張っていた。名前は思い出せないが、「誰か」の声は、胸の奥でこだまし続ける。

「……製品なら、会社に好ましい様に製造するんぢゃないの」

 マコトは疑問を口に出す。雪山で語り合った時に訊かずにいた質問、「何故、開発元の悪用に『自分の成果を横取りされた』かの様に憤るのか」とも似ている。

「開発企業が完全に何もかも制御出来るか。出来んのだわさ、各々に個性を持たせようとすればな。

 然う……二人は会社を盲信していなかった。私は研究世界を抜け出して、マコトと出会った。而て、旅が始まった」

「ひよい君は元の世界を離れたんだな」ひよいが頷く。「マコト君は地球を離れたのか」

「いゝえ」マコトは首を振る。「僕は地球に居続けています。此の旅は、一地球人の夢なのです」

「……夢……」

 イレマさんは、今迄の様に質問をするでなく、自分の両手を見つめながら握り、開き、握り、開く。其の目の行くさきが、二つの夢を語ったひよいにも向いた。

「——私も、地球への帰還を夢見ていた。私は、今はイレマ・ワスバだが、嘗ては地球に居た」

 二人の脳裡に移民船団J7ESFが浮かぶ。

「最早遠い。届かぬと思っていた。地球を知る人と会えるとも思っていなかった。

 前世が『地球の人』ならば、今生では、私は『森の子』だった。然う育ち、人を導き、多くを失った。

 乾いた大地を救おうとして、神を斃した事もある……其の神は、私の生れを教えて消えた。私は『砂の子』、其の神を信じた民族の最後の生き残りだと」

 マコトは、「ワスバ」と云う名前に漠然と感じた「時間」の感覚が、砂時計からの連想だと確信した。ワスバ——「砂の子」と云う名前には、余りにも多くの意味が含まれている。崩壊、沙漠、民族の象徴……。マコトの足元で咲く、棘のある仙人掌が青く佇む。

 一方、隣のひよいは、神と云う概念を理解し切れずに呟いていた。

「……神に識らされた、と」

「然うかもしれない」

 曖昧な返答をする微笑は、直ぐに翳った。

「旱魃で滅んだ種族と明かされても、私は森の民の一員だった。併し、森は次第に引き裂かれ、仲間は離れていった。私は彼れらを守る為に、おさに、象徴なる事を選んだ」

 イレマ・ワスバは話を聞いている内に、花の薫りを感じていた。此処の花に匂いはない。芳薫の花々は、嘗ての再現だ。好きだった薫り。殺されたのか、殺されかけたのだったか、あの日も、此の日も、こんなものを嗅いでいた。

「仲間割れが終わったかと思えば、外からの攻撃があった。外とも和平をして、国内が安定して……だが、余りにも多くの死があった」

 屍山血河しざんけつが死屍累々しゝるい〳〵。只の人間ワスバは、生き残りを賭けて幾度も戦いを指揮した。内紛も、戦争も。其れは、ワスバと云う人間の魂を変えてしまったのだと、イレマさんは言う。二人も、自身に取り込んだ、イハと云う少年の事を思い出していた。

「何と云えばいいか……私は何うも、日本語で文章を組み立てる癖があってな。近い言葉は、『魔王』なんだがな……悪と云う訳ぢゃない。寧ろ、大量の魂の人生経験を取り込んだ、賢者みたいなものだ。あの世界の十二番目の其れに、私はなってしまった」

 イレマさんの纏う、過剰な迄の自然さは、体内に濃ゆくある、常人には在り得ぬ濃密な魂故だったのかも知れない。

「其れが、今生の摂理だったのですか」

「然うだ。死人に接し過ぎて、識り過ぎた人間は、魔王になる。而て人々を導く。平和な世界の実現の為めに……誰一人、殺されぬ理想郷には賢者たる魔王が必要だと、千年以上前から決まっていた」

 イレマさんは、雲のない天へと手を伸ばした。皆を守ろうとして、彼れは縛られたのだろう。

「平和は、皆が求めていた」

「然うでしょう。僕の地球でも、平和は理想です」変異生物が跋扈し兼ねない緊張感のある世界、其れでいて、新生国内は変異人種以外に脅威がない為めか、少し楽観的である。第一、観測の旅以前の自分が然うだった。「ですが……」

「平和の中で、人々は平和を求めていた事を忘れる」背の高いイレマさんは屈み、子供を見る様に、僕と目線の高さを合わせた。「よくある事だ。繰り返されてきた事だ」

「……私も、知っています。トクシマシカでも、似た事はありました」

 ひよいも、顔を上げた。

「二つ目の夢を思い出して、此れも思い出しました。トクシマシカ雇用戦役と云う、人が人を滅ぼした出来事です。雇用創出の為に軍需企業を頼った愚かな結果……らしいです。私は其れも知らずに研究に没頭していましたがね」

「ひよいの世界の人類って、滅んでたのか」

 ひよいの頷きに、今更ながら、出会った時にマコトが人間と思われなかった理由を理解した。イレマさんも、流石に人類の滅亡した世界だと知って呆然とひよいを見つめていた。

「一生物種の滅亡にしても、悲劇的だな。喜劇なら、好かったのだが」

「霊長が滅びたとなれば、尚更。でも、もう、いいんです……私には、仮想世界の私には、止める術は最初からありませんでした」

 滅亡の話の後に語るのも億劫になりながら、イレマさんは話の続きを語る。

「私は……私一人の力でもない……皆の力、私を信じてくれた、私と同じ理想を抱いてくれた仲間と、此の思いを引き継いでくれた人々の御蔭で、平和は二百年保てた。――其れでも、私を恨む人はいたらしい」

 語っている内に思い出される。あれは弑逆しいぎゃく。あれはテロルだった。

「私は今、死んでいるのか、生きているのかもわからない。けれど——何両方でも、構わない気もする。仲間と共にあれたのなら」

 揺らぐ花の光に、走馬灯が流れ出す。生死など最早どうでもいゝ様に思えてきて、消えてしまいそうになる——が、今日知り合った相手の好奇心が其れを阻んだ。

「仲間は、どんな人でしたか」

「優しい奴も、激しい奴も、色々だ」

 走馬灯の回顧を過ぎ去って、消えかけた記憶が明瞭に戻り始めた。

「……は長になった。外交には必要だったからだ。長になってから、発掘された遺跡の保全事業を視察した事もある。国内情勢も、外交も、途中から象徴に切り替えた所為で仲間を忙しくさせたな……」

 具体的な記憶が流れ出す。単なるワスバ砂の子が長、而て象徴イレマ・ワスバとなり、テロルで暗殺される一部始終が思い起こされる。

禱衆いのりのしゅうの一員として、デルからトストに遠征して、斃した神が俺へ最期に教えた……。

 俺の生死は分からなくなってまったわ」

「イレマ・ワスバさん」

「ん……」

「イレマさん、貴方の仲間は、テロルで……」

「死んでいない。象徴だけを狙って、テロルは効果的に行われた」

「なら……イレマさん。貴方は、何両方を選びますか」

 死人を転生させる神々と云う創作の産物を思い出す。其れもこんな質問をしていたか。薄々、イレマ自身も気付いていた。「私が死んだ」とは、一言も言っていないのだ。斯う訊かれれば、イレマ・ワスバも答えない訳にはいかなかった。

「生きたい。仲間と共に……君との時間も楽しかったがな」

「再会があれば、待ち望むとしましょう」

 敬語の所為で、益々此の二人の旅人が何かの化身に見えてくる。自分の在処を思い出させた二人だが、何かを待っているだけにも見える。

「其れぢゃ駄目だ。自分から会いに行かなかん」

「……説教、されてまったな」

「ただ待つンぢゃない。其の道を行くンだよ」

 生死と云う根幹を再発見して、失いかけた概念の境界が再び自分を作り上げる。こんな場所にはもう居れないのだと、三人の感覚が告げていた。

「……懐かしい香りがする」

 マコトの呟きに、イレマ・ワスバとひよいとが顔を見合わせる。

「私もだ。澄んだ森の空気に混じる、冬の花だな」

「然うね。自分の外側で咲く……暗い場所で、孤独に光を浴びた花だ」

 三人の感ずる匂いは異なれど、懐かしい。だが、其れは生きている感覚が伴っていた。マコトの足は匂いの漂い始めた方向へ歩き始めていた。ひよいも、イレマ・ワスバも同様に、其れでも別の方向へと。マコトの耳は独りでに電子音を聴く。「僕」が、寺内情栄が聴き慣れた、望遠鏡の発する音だ。記憶の音。其処に、自分が居る。

「僕は、識りたかったんだ」

——「識りたい事を」……

 「僕」は、然うして何を識ろうとしていたのか。ホルストの『惑星プラネッツ』を幻聴する感覚の中、気付く。

「此の世界の事を、人の夢の事を……僕自身を」

 其れが、「僕」の旅の始まり。彗星観測チームの面接でも語った気がする。歩きながら、「僕」は僕たる所以を取り戻していく。

 遠ざかるひよいの声が、風に乗って響いた。

——「また、識りに行こう」


 セイエイは、洗面台の絨毯の上で目を覚ました。

「……こんな場所で寝たらかん」

 苦笑しながら、布団に戻った。鏡は見なかった。寝台の横の窓を見れば、寝静まったルテチアの街並みが見えていた。

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