第2話:闇の導き手【1】
『――もしもし』
誰かの声が響く。その呼び掛けの声は遠くから私の意識の
『困りましたね。このような場所で寝られては……』
目を開ける。遥か上空、自分が落ちてきたと思われる穴から弱々しく光が差しているのがうっすらと見えた。全身に感じる重さの余韻と、背中に当たる冷たい岩肌の感触に、私は今の状況をゆっくりと理解した。
ああ。私は今、仰向けに倒れてるんだ。
落ちる瞬間に見た陥没孔はそこそこの広さだった。それがあのような一リル硬貨程の小ささで見えているということは、相当な高さから落ちてきたことになるだろう。
『おや、ようやくお目覚めになりましたね。一体、このような所でどうされたのです?』
どこか中性的な雰囲気の声。聞こえてくる声に私は上体を起こそうとする。驚くことに身体はどこも痛まず、思いの外簡単にその命令を聞いた。あの状況で何処にも外傷がなく無事で済んだのは、幸運を通り越して奇跡としか言いようがないだろう。たまたま『落ちどころ』が良かったのだろうか?
「あの、私は――」
声の主に返事をしようとして、私は周囲の状況をようやく理解した。
暗闇。
陥没孔から差し込む弱々しい陽の光が唯一の光源で。呼び掛けてくれた人の姿も見当たらない。
「ここって……」
その不気味さで、途端に心細くなった。怖い事への耐性は……たぶん強いほうじゃないし。
問いかけへの返事も忘れ、私はポツリと呟く。少しすると、暗闇の中から先程の人が応えてくれた。
『……その、少々申し上げにくいのですが。ここは私の縄張りですので、お引き取り頂けると嬉しいのですが』
(──縄張り?)
言い方が引っかかった。縄張りとは動物等が自身の棲処として占有し、外敵を排除しようとする区域のこと。
それは決して、人の使う言葉ではない。
『辺りに散らばっていた山草の類は私が集めておきました。それを持って、この洞から出て行きなさい』
今度は、より直接的な表現だった。見ると側に私の背負っていた山菜籠が置かれていて、中には薬草や山菜が入っているようだ。
私が倒れている間に、このひとがせっせと拾い集めてくれたのだろうか。
「あの、ありがとうございます」
私はお礼を言うと、立ち上がって籠を背負った。籠は落下の衝撃で無残にもひしゃげていたが、物を入れて運ぶには差し支え無い程度であった。暗闇にも幾分か目が慣れ始めたことで、周囲の様子を多少伺えるようになって来ている。――うん。怖いけど、頑張らなきゃ。
右足をそっと前に出す。硬い地面がトレッキングシューズの靴底を押し返し、山中の熱気とは一転、ひんやりとした洞内の冷気が顔を撫でた。しかし、その時……私は重大な問題を見落としていることに気が付いた。
「ごめんなさい、出口はどちらでしょうか……」
その弱々しい声は、瞬く間に洞窟の闇に吸い込まれていった。
◆ ◆ ◆
『……では、私が案内しましょう。声の方向についてきてくださいね』
声の主は淡々とした様子で応えた。
(付いてくって言われても……)
正直なところを言うと、凄く怖かった。
暗闇の中、知らないひとの声だけを頼りに進むことがどんなに心細いか。別にこのひとを信用してない訳じゃないけれど、闇がどこまで続いているのかも分からない現状では、閉じ込められたような閉塞感が精神をじわじわと締め付けてくる。
足元もハッキリと地形を把握出来るわけでは無い。簡単な小石にも躓くんじゃないだろうか。目の前に至ってはまさに一寸先は闇の状況だ。私を探しに下りてきた例のドラゴンなんかとばったり鉢合わせしてみろ。一瞬で失神して美味しい出前ランチ一人前の出来上がりだ。
(こんなことなら懐中電灯とかスマホとか、持ってくるんだったな……)
だって要らないと思うじゃん。真っ昼間だったし、ガルデニアは圏外なんだし。
『ほら、行きますよ』
「あ、はい……!」
そんな不安を拭えぬまま、私は声に導かれるように恐る恐る歩き始めた。
しばらくは平坦な道が続いた。
不思議なことに、このひとの声は洞窟内でも反響せずにどちらにいるのかがハッキリと分かり、暗闇でも歩く方向に迷うことは無かった。
数歩進むごとに闇は深さを増し、まるで私の覚悟を試しているかのようだった。足元の岩肌は湿っていて、靴がきゅっと水音を漏らす。滑って転ばぬよう、私は普段使わないような場所の筋肉を駆使して慎重に歩く。大きな突起や窪みに何度か躓きそうになることはあったが、毎度声の主が事前に伝えてくれたために何とか事なきを得ていた。
「あの。私はメイ。メアリー・フェリシアって言います」
顔を撫でる冷気に当てられようやく頭が落ち着いてきて、私は今更ながら自分の名を伝えた。
……尤も、へっぴり腰で恐る恐る歩きながらであるが。
『そうですか』
声の主はそれだけ応えた。
少し気まずい雰囲気。てっきり向こうも名乗り返してくれるかと思ってた。こちらから名前を聞くのは失礼だろうか? そんなことを考えていると、声の主が返してくれた。
『ファーシルです。ファーシル・エルダ。 ……只の魔物ですよ』
「魔物……」
薄々気が付いていた。
このひとは、人間では無い。
魔物とは非人間族のうち、魔術を行使する者の総称だ。
彼らは人に害をもたらす者もいれば、友好的に人の生活に溶け込んでいる者もいる。我がオルトの村にもトカゲビトのソーリアさんやハルピュイアのカノンちゃんが住んでいるし、行商の大蛇サーペントさんがしばしば品物を持って村に来訪したりもしている。
『それにしてもメイさん、魔物の棲処で寝るのは些か無用心ですよ。……この辺りにも、まだ人間を敵視している者は居るのですからね』
ファーシルさんの言葉に、私はあの黒竜のことを思い出した。人を敵視する魔物。昔ほどでは無いが、今なお種族間の隔たりは存在している。
「ごめんなさい……。でも、ファーシルさんは人間の私にも親切にしてくださるのですね」
『気紛れですよ。変に縄張りを荒らされたくないのもありますが……』
ファーシルさんはそれに、と付け加えた。
『それにアナタは昔から、
(――え?)
なぜ昔なのだろう。
そもそもファーシルさんと私は今日が初対面の筈だ。
「あの、それってどういう――」
『待った』
「え?」
『そこ、下りの傾斜があります。手を付いてゆっくりと下りた方が良いですね』
「あっ……」
私はよく見えなかったが、言われた通り数歩先には下り勾配が広がっているようだった。指示に従い、手を付いてバックの要領で少しずつ下っていく。
それにしても、さっきのことについて尋ねるタイミングを逃しちゃったな。
◆ ◆ ◆
『よろしければ……、私に一つ教えて頂けませんでしょうか』
勾配を下り終え、もはや体裁を気にすることを諦めた私は汚れた手でそのまま額の汗を拭っていると、唐突にファーシルさんが切り出してきた。
「はい、何ですか?」
『最初の話に戻りましょう。アナタは何故、私どもの棲処……あの場所で寝ておられたのですか? 単に、迷い込まれた訳では無いですよね?』
「それは……」
私は事の顛末を話した。自分が麓の村に住んでおり、野草採集をしていたこと。突如飛来した黒竜に襲われ、生き延びたは良いものの陥没孔に落ちてしまったこと。
話す途中であの竜に襲われた当時の状況と死への恐怖がフラッシュバックして自然と足が震え、目から涙が溢れてしまった。
ファーシルさんは黙っていたものの、私の震える声で察してくれたのか『それ以上は結構ですよ』と途中で制止してくれた。
『そうでしたか……辛いことを思い出させてしまいましたね。同じ魔物として、私に気の利いたことを言う資格は無いのかもしれませんが……せめてアナタが今後恐ろしい思いをしなくても良いよう、私どもから「これ」を差し上げましょう。お受け取りくださいね』
カランと乾いた音を立て、私の目の前に何かが落ちる。
拾い上げるとそれは変哲の無い石のような物だった。
「えっと、これって……」
『それはただの石ですね。 その隣ですよ』
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☆舞台裏 (以降本編とは関係ありません)
メイ「暗闇の中で小石を拾い上げることの何と難しいことよ 」
ファーシル『人間は不便ですね……』
メイ「裏話だけど、結局あのあと真っ暗な中で贈り物を完全に見失っちゃって、ファーシルさんに五分くらい右とか左とか教えて貰ってました。スイカ割りかよって」
ファーシル『無造作に落とした私にも非がありましたね、これ……』
メイ「という事で、今回のゲストはファーシルさんです」
ファーシル『こんばんは』
メイ「作中の私はファーシルさんの正体をまだ知らないので、舞台裏でも声だけの出演としているよ」
ファーシル『お部屋にりっぱな暗幕を用意して頂きました』
メイ「ところで」
ファーシル『はい』
メイ「道中ずっと気になってたけど、結局ファーシルさんって何の魔物だったの?」
ファーシル『次のお話で言及がありますよ。でも、アナタならもうお分かりになるのでは?』
メイ「えっと、暗幕の大きさ的に私と同じくらいの身長の魔物」
ファーシル『メタ読みはよくないですよ』
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