えりのあ通信
ゆう
第1章:希望
第1話:悲劇の山
オルト村。
ノース国に佇む巨大な霊山ガルデニアの麓にある小村の名だ。特産品は無い。だがガルデニアは別であった。
名峰と名高いガルデニアは一部の登山家や冒険家達に人気がある。オルト村の暮らしは、彼らに向けた宿泊業や小売などを生業に細々と支えられてきた。
「メイ、悪いけど明日の仕込みをお願いできるかしら?」
「ん、りょーかい。行ってくるよ!」
雑貨屋を営む我が家では、ガルデニアに自生する良質な薬草を調合した薬を販売している。
今方母から頼まれた仕込みとは、そうした翌日販売分の薬草及び食材用の山菜の採集のこと。ガルデニアはこうした資源も豊富で、村に大きな恩恵をもたらしていた。
私の名前はメイ。十七歳。
薬草採りはほとんど毎日の仕事だ。一人で山に入ることへの恐怖はない。むしろ私以上にガルデニアに慣れた人がいたら、その顔を拝んでやりたいってもんだ。そんなことを思いながら、私は竹で編んだ籠を背負い、深めの帽子を被る。これがいつもの登山装備。竹籠の澄んだ香りが鼻をくすぐって、ああ、今からまた山に行けるんだという高揚感が胸に灯る瞬間は、何度味わっても本当に気持ちがいい。
用心のため、今まで一度も使ったことのない懐中コンパスもポーチに入れておく。うん、今日はそこまで高く登るつもりはないから
「行ってきまーす、おかーさん! 」
「気を付けて行って来るんだよ。暗くならない内に帰って来るんだからね」
「ほいよー!」
母の声はいつもと同じ。優しくて、少し心配げだ。
だけどこの日は、なぜかその言葉がいつもより少し胸に響いたような気がした。そんな妙な違和感が一瞬頭をよぎったが、私はそれを些細なことと笑って、いつもの軽い調子で振り払った。
──まさかこれが母との最後の会話になってしまうなんて、この時は夢にも思っていなかったから。
◆ ◆ ◆
「よっし、こんなものかね」
ガルデニアの山中。私は籠の中を覗き込みながら呟いた。
籠は一割ほどの
採り過ぎは禁物だ。
野草は山に棲む動物達の食料でもある。それを人の都合で採り尽くしてしまっては、山の生態系を壊す原因になってしまうと幼い頃ユキちゃんに教わったことがある。
今はもう隣国に引っ越してしまったユキちゃん。彼女と過ごした日々は私にとって何物にも替え難い大切な思い出であったと確信している。成人を迎えたら週一で会いに行きたい。まあ、隣国だから金銭的に無理なんだけどさ。
「そろそろ帰るかな。……あっついし」
今は夏。日焼けや怪我防止のために露出を抑える服装が基本の日中登山では、数時間の活動が私の限界だった。
そろそろ山を下りよう。
入山してからまだ二時間も経ってないものの、山と言うものは非常に天候が変わりやすく、特に午後になると急に日が陰ることもある。
用心をして早めの下山を心掛ける。安全第一。それが両親との約束だった。
バサッ……バサッ……
登山家の父なら山で突然の雷雨に見舞われても平気で一夜をやり過ごせるんだろうけど、そんな彼と違って私は登山素人同然のへなちょこ女。間違いなくそんな芸当は不可能だから、何かあればすぐに下山するようにと言われている。
まず、もしもに備えて火を携帯しておけよと良く言われるけれど、火なんてどうやって携帯できるんだ。小さな火の玉をビンかなにかに入れて持ち運ぶ姿を勝手に想像してるけど、絶対そんなファンタジーな感じじゃないと思う。
バサッ……バサッ……
「ん……?」
考え事をしていたことで気付くのが遅れた。
どこからか聞こえる風を切るような音に、私の意識は現実に引き戻される。次第に背後から吹き込むようになってきた風に、私は身体を軽く煽られてバランスを崩しそうになってしまう。周囲の木々はザワザワと妖しくざわめき、それまで堕落を極めていたであろう鳥たちが慌ただしく一斉に飛び立っていく。
「な、何……?」
天候の変わりやすいガルデニアとは言え、突如として吹き込んで来たこの風は明らかに異常だ。それにこの風切り音、まるで何かの羽音のような────
私は振り返る。
上空、視界の端に大きな黒い塊が映った。
しかしその正体を認知するよりも先に、轟音と共に大きな地鳴りが私を襲った。
ドオオォォォン!!!
「うあっ……!」
大地が悲鳴を上げるかのようだった。耳をつんざくほどの爆音は全身を叩き、風が巻き上げた土砂が視界を奪う。私は受け身も取れずにその場で派手に尻もちを付いてしまった。一体、何が。私は確かめるように顔を上げて、
──そして、後悔した。
ドラゴン。
それ自身が山を想起させるような巨大な体躯に、日の光をも全て飲み込むかのような純黒の鱗。四足で立っているために手という表現が正しいのか前肢という表現が正しいのかは分からないが、人間の胴以上ある太く逞しい腕から伸びる手には鋭い爪が生え揃っている。
爬虫類特有の恐ろしげな切れ長の瞳は、完全にこちらを獲物として捉えていた。
声が出なかった。
山に棲む猛獣とばったり遭遇した…そんな表現すら生ぬるく思える程の恐怖。山中の小さな魔物達とは顔馴染みでよく一緒に遊んでいたものの、少なくとも私の生きてきた十七年の記憶の中で、こんな奴は知らない。山の中で見たこともなかった。
(ど、どうしよう、どうしよう……!)
思考が纏まらない。だが、例えこの場にいるのが魔物に精通する者でなくとも、この状況で取らねばならない行動だけは直ぐに分かることだろう。
逃げろ、メイ。早く。
本能が警鐘を鳴らす。そんなの分かってる。でも、肝心の身体が動かない。立ち上がって逃げ出すにしても、その素振りだけでドラゴンを刺激して殺されるかもしれない。それどころか、一瞬でもこのドラゴンから視線を外そうものなら、その瞬間に私という存在はそこにはなく、只の肉塊に変えられているかもしれない。
黒竜はただ無言で、ゆっくりとこちらに肉薄してくる。せめて威嚇や咆哮を挙げてくれれば、すぐにでも気を失い無駄な思考を放棄できただろう。それにも関わらず真綿で首を締めるかのような静かな肉薄が、私に気絶すら許して貰えなかった。
それも当然だ。そもそも威嚇は敵から自分の身を守るために力を大きく誇示する行為。初めから敵とすら見なされていない私に対して、巨大な竜がわざわざ威嚇などする筈が無い。
「こ……ない、で……」
私は恐ろしげな水色の瞳から視線を外せず、早鐘を打つ胸と詰まる息を必死で制しながら、尻もちを付いた状態のまま少しずつ後ずさることしかできなかった。
──そして、
後ずさろうと背後に伸ばした手が、空を切った。
「あっ……」
後退せしめんとする体重を支える地面が、そこにはなく。
縦穴。地下水や地盤沈下など様々な要因により局所的に形成される陥没孔だ。幸か不幸か、バランスを崩した私は後転し、転げ落ちる形でその穴に落ちた。
それだけであれば九死に一生の出来事であろう。穴はそこそこ広いが、竜が通れる程のサイズではない。それはつまり、このまま落ちていけばあの恐ろしい黒竜から逃げ果せられると言うこと。
しかし助かったと安堵するのも束の間、私はそれが儚い夢であったことを思い知った。
(地面が、ない……)
地面に辿り着かない。
穴に転げ落ちたことで空中で満足に体勢も整えられず、私はぐるぐると回転しながら落ちていく。穴の中は暗く、もうどちらが上なのかも分からない。
地面は、まだ来ない。
(これって、私……もう、助から……)
ドシャッ……
次の瞬間、突然全身を襲った大きな衝撃に、私はあっさりと意識を手放した。
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☆舞台裏 (以降本編とは関係ありません)
メイ「各話ごとにゲストを呼んで、自己紹介やお話を聞いていくコーナーだよ」
メイ「最初のゲストは黒竜さん」
黒竜『初めからゲストが敵なのかよ』
メイ「気にしない」
黒竜『じゃあ自己紹介……名前は』
メイ「待った」
黒竜『ん』
メイ「ネタバレは言わないようにね」
黒竜『名前ってネタバレになんの?』
メイ「多分なんないけど、念のためやめとこか」
黒竜『何も言えねえじゃん』
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