第27話
僕たちは、同じ過ちを繰り返さなかった。僕たちは今、疎遠になっていない。
眠い目を擦りながら、机の上に無造作に置いてあるスマホに手を伸ばす。見飽きた壁紙の上に映っていたのは、一軒の通知。
『こちらこそ、ごめん。』
楓からの返信。内容はこれだけだった。でも、楓が返信してくれた。僕の中に張り詰めていた糸が一瞬にして緩む。僕はこれだけでこの上なく嬉しかった。
しかし、僕はすぐに次の壁にぶつかった。『返信はどうしよう…』既読をつけるだけでいいのか? それとも、スタンプ? 朝の寝ぼけた頭では解決できるわけがない。いったん変身することを諦め、身支度を始める。楓への返信は学校についてからにしよう。
「どうしよう! やっぱり、変に返さないほうがいいかな? まあ、軽くスタンプとか?」
しかし、いつまでも悩み続けた僕の返信はとうとう放課後になってしまった。最近の僕の下校は毎日騒がしい。僕は自問自動で答えを模索しながら、帰路についていた。
「どうしよう…」
僕は、最悪のシナリオを想像する。
「このまま、返信せずに帰宅して、もし楓が僕の部屋にいたら…怒られるかな…。でも、それなら、言い訳出来るから、そっちの方がいいのか?」
絡まった頭を整理しようと、僕の足はまたも昨日と同じ公園へと向かっていた。
「二日連続で来てしまうとは…」
次の日にも来てしまうなんて、昨日の僕は予想だにしなかった。『やっぱり、このまま帰るわけにはいかない。何か返信してから帰ろう。』その決意だけが、僕を公園へと向かわせた。
僕は昨日と同じベンチに座った。今日も公園には元気な子供達の声がこだましている。しかし、それどころではない僕の耳にその声は届いていない。真っ暗なスマホの画面が、僕を冷たくあしらう。
その時、僕の心の沈黙を一気に切り裂く、あの間の抜けたような鳴き声がした。
「ニャー」
思わず視線を上げた僕は、鳴き声のした方を見た。この棒読みの鳴き声。昨日写真を撮り損ねた黒猫だ。僕の隣のベンチの上で、まるで僕を待っていたかのように鎮座していた。
「よしっ」
僕は膝に手を置き、重かった腰をあげた。スマホを構えながらゆっくり隣のベンチに向かった。今日は雲一つない快晴。冬の訪れを感じさせる寒さも僕たちを包む太陽の光で十分暖かく感じる。今日は邪魔が入ることなく、スマホのレンズの中にその黒猫はしっかりと映っている。僕は勢いよくスマホのシャッターを切った。
『カシャッ』
黒猫は逃げなかった。僕のスマホにも、丸く身を寄せた漆黒の黒猫の写真がしっかりと収まっている。
「でも…楓って、猫好きだったっけ…?」
綺麗に撮れた黒猫の写真を楓に見せたい。楓に自慢したい。他愛もない世間話で笑いたい。また、楓の笑顔が見たい。
「よ〜しっ!」
僕は勢いよく立ち上がった。その拍子で軋んだベンチの音を聞いても、黒猫はまだ寝ている。
今日の楓は、もしかしたら来ていないかもしれない。それなら、僕から会いにいけばいい。今日会わなければ意味がない。僕の言葉でちゃんと伝えなければ、何も変わらない。
「ありがとっ!」
僕は黒猫に小さく手を振る。そして、冬の冷たい空気を切り裂きながら家へと駆け出した。
「ただいま!」
玄関のドアを勢いよく開けた僕の視線は、一目散にそれを探した。そして、僕の予想は確信へと変わった。僕の鼓動は一気に加速し、身体が徐々に熱くなっていくのを感じる。アツアツの決心と少しだけの不安。うるさい心臓を差し置いて、僕は自分の部屋へ向かった。
部屋のドアを開けると、案の定、楓がいた。僕の部屋の定位置。いつもの窓際、ベッドを背に座っている。冬らしいからっとした湿気のない冷たい空気がドアの向こうから部屋へと流れ込む。僕はこの時を逃すまいと、口を開いた。
「あのさ…昨日はごめん…」
僕は立ったまま。鞄も制服もそのままで。勢いそのままに。
「いや…こっちこそ…ごめん…」
楓は気まずそうに目線を合わせずに言う。太陽の光の入った僕の部屋はいつもより暖かく、二人の間を取り持ってくれている。
「あのさ…これ。公園に寄ったら黒猫がいたんだ…」
今の僕には、空気を読んでいる余裕などない。いや、逆に理解していたけど無視したのか。僕はスマホを操作しながら、楓に近づいていった。黒猫が口実でもいい。その場しのぎの時間稼ぎかもしれない。でも、僕は何もしないわけにはいかなかった。僕はスマホの画面を楓に向けた。
「えっ?」
楓の驚きと戸惑いが混ざった顔が、僕の早口を加速させる。
「実は昨日もこの猫と会ってて、昨日はカメラ向けたら逃げちゃったんだよね。でも、今日は撮らせてくれたんだよ。結構、綺麗に撮れたな〜っ思って…」
楓の驚いた顔は、僕の見たかった笑顔に変わっていた。その笑顔は僕の口を止めさせた。
「黒猫って……なんか不吉だね!」
その僕を揶揄うような楽しげな声とにんまりとした笑顔。僕はほっとしたと同時に体の力が抜けたような気がした。そして、僕は考えるよりも先に口が動いていた。
「なんだと〜!」
二人は笑顔だった。
「「ごちそうさまでした!」」
二人の声色は、リビングを暖かく照らしている。
「はい、お粗末さまでした」
母さんの声もなんだか嬉しそうに聞こえる。
続く事のないと思っていた日常は、今日も緩やかに変わり映えなく流れている。他愛もない話をして、夕食を食べて、楓が帰る。この日常は、僕にとって重要で、何にも代えられない大切なものだ。僕の心は素直だ。今の僕の心は、そう感じることができている。僕は、今度こそ『この日常』を手放すことはないだろう。そう信じている。
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