第28話
僕の高校はそろそろ冬休みになろうとしている。
「じゃあ、私、帰るね。」
「おう。じゃあ、また明日。」
何も変わらない日常が今日も終えようとしている。それでも、季節は流れ、玄関を出た楓の吐息は空気を白く色付けている。楓を玄関で見送り、僕はリビングへと戻った。
「あのさ…頼みたいことがあるんだけど…」
僕はダイニングテーブルの椅子に腰を下ろしながら、いつもとは違う雰囲気で話を始めた。
「どうしたの?そんな改まって…気味悪い!」
母さんは笑いながらも、シンクでお皿を洗っていた手を止めた。
「冬休み、旅行行きたいんだけど…」
母さんは鼻で笑いながら、スポンジに手を伸ばしながら答える。
「もう高校生なんだから、行ってこれば?」
母さんはもう少し興味を持ってくれると思っていた。けど、ちゃんと言わなきゃ。
「…泊まりで…」
母さんの手は再び止まった。
「どこに?」
静かなキッチンに流れる水道の水の音。母さんの声は、僕を緊張させる。
「…熱海…」
「誰と?」
母さんの尋問は、マシンガンのように続けられる。
「楓と…」
母さんは質問の引き金を引くことをやめた。母さんの作り出す静寂は空気を重くする。しかし、再び放たれた母さんの声は、僕を突き飛ばす。
「楓ちゃんとそんな関係になったんだ〜!へぇ〜!」
からかうことが好きな母さんには、僕の恋バナはおもちゃの一つとなっていた。
「違う! 楓に元気になってもらいたいだけだよ…」
この言葉には、二言はない。
「ふぅ〜ん…」
母さんは、僕を見透かしたように、口元にいたずらな笑みを浮かべていた。そして、母さんは思いついたように話し始める。
「そういうことは、親に言わずに行くものって決まってるじゃん。それで、夜になっても帰ってこなくて、『今どこにいるんだ!!』って怒られるものでしょ。全く、真面目に育っちゃったんだから!」
母さんは僕を不良にしたいのか。僕には意味が分からず、ただ首を傾げるしかなかった。母さんはお皿をゴシゴシ洗いながら続ける。
「蒼が真面目にお願いしてしまったので、怒られない方法を与えます。」
母さんは皿洗いを止め、体を僕に向ける。
「母さんもついていきます!」
「……………」
「別にそれでもいいよ…」
別に悔しいわけではない。この旅行は楓を元気づけるためのものだから。楓も僕一人より母さんがいた方が安心だろうし。悔しいわけではない。ただ、少し胸の奥にモヤモヤしたものが引っ掛かっている気がする。僕は無意識にズボンをギュッと握りしめていた。
「なに…嫌なの…?」
「いいえ! よろしく願いします!」
「よろしい!」
母さんはなぜか鼻息荒く自慢げに仁王立ちしている。
「じゃあ、楓にも聞いてみる!」
「えっ?楓ちゃんと決めたんじゃないの?」
「え?…うん」
「こういうのは、二人で無断で決めて、『お願い!約束しちゃったんだよ!』って感じしかないと思ってた。全く真面目なんだから。」
母さんは僕に不真面目になって欲しいと思っていたのか。面倒臭いことを避けようとする僕には理解できなかった。
「そうだ! それなら、楓ちゃんのお母さんも誘ってみよう! いいよね!」
「はいはい。いいですよー。」
これで旅行に行ける。考えていた旅行とはかけ離れてしまったけれど。
「一応、お父さんにも報告しておいて!」
母さんは楽しそうにルンルンでお皿を洗っている。
お父さん。僕の父さんは海外へ単身赴任している。海外と言っても東南アジア付近の日本に近い所。時差もそれほどない。もう仕事も終わっているだろう。僕はスマホで父さんに電話をかけた。
僕から電話をかけるなんて何年振りだろう。父さんは僕が小学校の高学年ぐらいから単身赴任をしている。今の僕には父さんは年に一度か二度ぐらい帰ってくるだけ、いつもはいないことが当たり前になっている。そんなことを考えていると、呼び出し音が止み、父さんの声が聞こえた。
「おう、蒼か。珍しい。どうした?」
久しぶりの父さんの声。
「久しぶり。あのさ、冬休み、旅行行ってもいい?」
「旅行か〜いいな〜。お父さん、今年の年末は帰れそうにないから一緒に行けないんだ…すまない…」
父さんの言葉にびっくりすると同時に笑いが込み上げてきた。
「もともと父さんと行く予定じゃなかったし、大丈夫だよ!」
「え〜!悲しいなあ。それなら、誰と行くんだ?」
「楓と…」
僕のその言葉を遮って、父さんの声が飛ぶ。
「隣の楓ちゃん⁉︎ お前、そんな関係になったのか!」
ついさっき同じ言葉を聞いた。似た者夫婦だな。
「違うよ。母さんも楓のお母さんも一緒に。」
「そうなんだ…残念…」
僕は『なにが残念なんだよ』というツッコミをグッと飲み込み、乾いた笑いでやり過ごした。
「まあ、元気そうで何よりだよ。母さんからテニスやめてから元気ないって聞いてたから。」
「うん…」
僕の声は少し小さくなってしまった。父さんにも心配かけていたんだな。
「まあ、楽しんでこいよ!」
「うん!ありがとう!」
離れていることが当たり前になっていたけど、今日はなんだか、父さんに会いたくなった気がする。
「なんだ? 今日はやけに素直だな。」
「そんなことないよ〜」
電話越しの僕は少し口角が上がっている。
「まだ仕事残ってるから、切るぞ。」
「うん。じゃあね。」
そうして、父さんの電話は終わった。見えないほど遠くにいると思っていた父さんを、意外にも近くで見つけた。
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