第29話 元勇者、最後にひと仕事する

 腹に穴が開いている。

 血が溢れてくる。腸が溢れてくる。


「――見ろ! 女を突き飛ばしたぞ!」


 誰かが叫ぶ声。


「あの女剣士が本当に勇者なのか――あの、勇者アシェルなのか!?」

「見ただろ、今の光! 間違いない、アレが魔王をも滅ぼした伝説の聖剣ラディウスだッ!」

「一体、なんで、どうしてそんなヤツが決闘代理人に!?」


 僕を糾弾する声、擁護する声、ただただ困惑する声。

 すべてが渦を巻いて押し寄せてくる。


「バケモノから私達を守ってくれたんじゃないの!?」

「名誉のために第一皇子を見捨てたやつだぞ!! 何か裏があるに決まってる!」

「腹に穴が空いてるぞ!?」

「ざまあみろ! ラフェンディ皇子の仇だッ」


 仲間を失っても魔王を斃し、たった一人で聖都に帰還して。

 投獄され、裁判を受けて、斬首台に登らされた時も。


 こんな風に騒がしかったのを思い出す。


「――裁定人殿! 神聖騎士団の皆様ッ! ならびにお立会の皆々様! あの光を見ましたか!? あれこそ名高き“裏切者ベトレイヤー”の所業! 例え人々を救ったように見えたとしても、それは欺瞞による振る舞い! あの光が――聖剣の放つ浄化の輝きが、かつて皇子ラフェンディに向けられたように! 私達に向かないと誰が保証できるのですか!?」


 聞き覚えのある声。

 マルクだ。


 両手を失った傷を、仲間の魔法使いに塞いでもらったのだろう。

 失った血の分だけ青褪めているが、まだ人々を扇動する体力は残っているらしい。


 激しい身振り手振りで、よく通る声で訴えかける。


「彼は――“裏切者ベトレイヤー”は、ここで打ち倒されるべきです! 人々の安寧のため、世界の平和のために!」


 野太い雄叫びが応じる。

 あまりにもタイミングが良く、士気も高い――きっとデュシャン傭兵団のメンバーだ。


 群衆に紛れて、この機を伺っていたのだろう。

 フレッシュゴーレムと同じく、マルクの仕込み・・・に違いない。


(……これだから僕はダメなんだ)


 昔、シェルスカに言われた。


 眼の前のことに捕らわれすぎると、重要なことを見落としてしまう。

 二手、三手先を読めるようにならなければ、本当に大事なものは守れない。


 ……いつの間にか、落としていた膝に力を込める。


 腹の傷が痛んだ。

 今すぐのたうち回って叫び出したいぐらい。


(ラフェンディ。君がいれば、こんな傷、すぐに塞いでくれたのに)


 クソ馬鹿野郎、オレに男を治させるな、とか悪態をつきながら。

 治療のための時間はヴァネッサとメイゼルが稼いでくれただろう。

 いつの間にかシェルスカが敵の布陣に潜り込んで指揮官を探り当てて――


(もういない。誰もいないんだ)


 残っているのは彼らの想いだけ。

 自由に生きろと――幸せになれと言ってくれた、その想いを無駄にしないために。


 僕は、溢れそうになる涙をぐっと堪えた。


 鬨の声をあげながら、武装した戦士達――デュシャン傭兵団が突撃してくる。

 僕は、聖剣ラディウス放り捨てる・・・・・と。


「……分かってるよ。こんなところで、こんなことで、死ぬもんか」


 思い出に向けて、独りごちながら。


「うおおおおおおお――ごばっ」

「死ねやオラァァァァァあぎゃっ」


 一番最初に間合いに入った傭兵の槍を奪い取ると同時、みぞおちに踵を叩き込んだ。

 横合いから斬り掛かってきた一人を石突でいなし、もう一人の襲撃者に頭から突っ込ませる。

 その場で転身しながら身を沈め、背後からの一撃をかわすと槍で足を払う。


「コイツァ聞きしに勝るバケモンだ! 野郎ども! 気合い入れろ!」

「クビ取ったやつァはカネもメシもオンナも好き放題だぞ! やれ! ヤツをぶっ殺せぇぇぇぇぇぇぇぇっ!」


 ここからはもう乱戦だ。

 意識を空にして流れに身を任せるだけでいい。


 目に見えるものも、見えないものも。

 すべて倒す。

 動くものがいなくなるまで、斬って、突いて、叩いて、殴って、蹴って。


(腹が痛い。苦しい。息ができない)


 そんな感覚さえ置き去りにして。


 ――傭兵達に混じって、“影の一党”らしき連中がいた。

 相手の注意を引かない独特の歩法。

 技の起点を隠す密やかな呼吸。


(あまりにも目立たなすぎて、逆に目立つ)


 一、二、三、四……もっとたくさん。


 こんな乱戦に貴重な暗殺者を大勢投入するなんて、普段なら絶対にやらないだろう。

 “影の一党”はどうあっても僕を殺したいのだ。


(でも……気配を消すのは、シェルスカの方が上手かったな)


 初めて彼女に会った時、あっさり喉笛に剣を当てられたのを思い出す。


 ――肺を狙う短剣を鎧の突端で引っ掛けて、暗殺者のみぞおちを膝で突き上げる。

 組み付いてきた二人目の喉輪を叩いて動きを止め、後続の三人目と一緒に橋から放り落とす。


「――ひぁッ」

「ぎゃ、が、ああぁあっぁぁぁ――」


 短剣や針など、暗殺用の武器は間合いが短い。

 近づいてくるのが分かっていれば、対処は難しくない。


「止まれ、傭兵ども! その者はラフェンディ殿下の仇敵である! よって誅する大義は我々神聖騎士団にある!」

「ざけんなテメェら、順番を守――うぎゃああぁぁぁぁっ」


 傭兵達を押し潰しながら、名乗りを上げるのは貴族院が統括する神聖騎士団だ。

 曇天の下でも煌めく白づくめの騎士達。


 もともとは決闘での不正を防ぐために呼ばれたのだろう。

 だが、手に手に構えたのは、神聖皇帝を始めとする上級司祭の祝福を受けた輝かしきロングソード、ハルバード、グレートアクス――魔王軍と戦っていた頃と変わらない完全武装。

 土産にドラゴンでも狩って帰るつもりだったのか。


「第一隊! 進め! 進めぇい!」

「おおおおおおぉぉぉぉぉぉっ」


 蟻が逃げる隙間もないほどの完全包囲。

 全周囲から一斉に突き出される槍の穂先は、いっそ美しいほどだが。


「ぃやぁぁぁぁぁぁぁっ」

「――――ッ」

「――な……う、上だと!?」


 串刺しになる前に、僕は跳んでいた。


 槍の柄を渡り、使い手の兜を蹴りつけ、足場代わりにして。

 包囲の向こうに見えた長槍に飛びつくと、持ち主の鼻面にブーツのつま先をめり込ませ。

 奪い取った新しい長槍で騎士達を薙ぎ払い、へし折れた柄を目についた一人の膝に捩じ込む。


「馬鹿な、神聖武器が、折れるはず――ぎゃあああっ」

「怯むな! 所詮は紛い物の勇者だッ! 我らには女神の加護が――ァァァァァァ!?」


 聖騎士達の鎧はどれも業物だが、関節部分はどうしても強度が落ちる。

 そこを狙えば、拾い物の剣や斧でも五人ぐらいは手足を落とせる。


「一体、どういうことだ!! 相手は本当に一人なのか――いや、人間なのか!?」

「間違いありません! 加えて腹に深手を負っております!」

「なおさら理解できん――百を超える精鋭が! 陛下より剣を賜りし聖騎士が! この場に集っているのだぞ――!?」

「――隊長! 奴が来ます! 隼のような速さでッ、騎士を薙ぎ倒しながらッ、真っ直ぐにッ、こちらへ――ッ」


 遠く聞こえた隊長の言葉が真実なら、僕はそろそろ百名近く騎士を倒したことになる。

 デュシャン傭兵団と“影の一党”も加えると、倒した数は二百に届くか。


(まあ、どうでもいいか)


 ヴァネッサが言っていた。

 倒した数は真の武功ではない。 


 何を守ったか、それこそが武功なのだと。


(ミーリア達の名誉と自由を守り――みんなが守ってくれた僕を守る)


 忘れていた腹の痛みが蘇る。


 いよいよ傷が開いてきたらしい。

 もう少しで、完全に動けなくなるだろう。


(その前に、全部終わらせる)


 ――僕は、襲い来る騎士の脚を斬り飛ばし、暗殺者の頭を石畳に叩きつけ、傭兵を濁流に放り込み。

 刃を染める血脂を払いながら、最後に一人残った騎士を振り返る。


「なんてことだ――あの日・・・と同じ……聖都にいるすべての聖騎士が、たった一人の男によって斬り伏せられた……信じられない、本当に、貴様が……あの勇者アシェル、なのだな」


 兜飾りから察するに彼が隊長なのだろう。

 震えながらも剣を手放さないのが、何よりの証だ。


 訓練された動きで祝福された長剣を構えて、


「ふ、不信心――背教者――い、いや! ま、魔物ッ! 貴様は、魔王すら超えた――本当の災厄だッ!」

「買いかぶりだよ。魔王の方が、僕よりずっと強かった」


 存外鋭い騎士隊長の一刀。

 横にかわして、背後から膝の裏を斬り裂く。


「――きっ、さま――殺さない、のか――やはり……あの日と、同じ……っ」


 痛みに脚をかばいながら隊長が崩折れた。


「死にたいなら言ってくれ。後で介錯する」

「クソ……クソ、クソ――ぉ」


 ……これで、武器を持った敵は、終わり。


(残ってるのは――あと三人)


 顔についた返り血を拳で拭いつつ、僕は歩き出す。


 マルク・デュシャンと部下の女魔法使い。

 そして、その背後に隠れたザブロフ・ムーアのもとへ。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る