第15話 異岩
ハルカは保健室でミカの手当をしてやった。あれだけ生意気だったミカでも消毒液が傷口に触れる度に唇を噛み締め、声を押し殺していおる。そんな姿は少しだけいい気味だと思った。
ミカの手下のクミは見張りを命じられている。いつエリが調理実習室から飛び出てきてこちらに襲い掛かるか分かったものではない。しかし、誰かが見張っていないとミカの手当てなど出来なかった。その誰かはクミ以外にいないのである。
「サンキュー、棒女ちゃん」
「その呼び方はやめて」
「んじゃ、ハルカ」
「馴れ馴れしく呼ばないで」
「うわぁ、めんどくさい……」
一応の礼を言われ、ハルカは素直に受け取れず大きな溜息をつく。ミカが不倶戴天の敵であることに変わりはないが、争っている場合ではないというのは共通の認識だった。
「江崎さんは?」
「さぁ? かなり出血していたから、もう死んでるかもね~」
舌打ちしたハルカは廊下を覗き込んでみる。
中庭の出入り口の前ではニィナの死体が転がったままになっていた。校舎を覆う『壁』からの明かりに照らされてはいたものの、不気味なほど暗い。その奥…… 解体したマリアが置いてある調理実習室に至っては見通せない闇に覆われているような気がした。
「クミ、様子を見てきて」
ミカに名前を呼ばれたクミは大きく震えた。
目に涙を浮かべながら廊下とミカを交互に見ている。
「あーしはケガしてるし、ハルカはどうせ腹ペコで動けないっしょ。だからクミが行ってきてよ」
「で、でも…… 包丁を持ってたし……」
「刺されて血が出てたからへーき、へーき♡ どうせ向こうも満足に動けないんだからさぁ♡ いざとなったら全力で逃げれば大丈夫っしょ♡」
「む、ムリです…… 途中に死体もあるし……」
「死体は動かないから安全じゃん」
「でもぉ」
「あれぇ? ひょっとして、あーしの言うことが聞けないの?」
「ひぃっ……」
虎の威を借る狐が、蛇に睨まれた蛙になってしまう。
逡巡した末にクミは屈し、偵察に出ていった。ハルカは止めるつもりもない。弱々しい背中を見送った。
ミカと二人きりになったところでどうしても聞きたかったことを口にする。
「さっきのアレは何だったの?」
「んん? アレって?」
「江崎さんがイジメをしてたとか、自殺したとか、そういう話」
「あぁ、それねぇ。助けてもらったから教えてあげてもいいかなぁ♡」
勿体ぶるミカは何もない保健室の天井に視線を投げた。
どう切り出すかを考えている。そう判断したハルカは言葉を待つ。
ミカはポケットから平べったい板を取り出し、ハルカの鼻先に突き付けてきた。
「これ、なんだか分かる?」
「……手鏡?」
「やっぱりスマホを知らないかぁ。ここ来たときには電池切れちゃったから中身は見せられないんだけどねぇ♡ ところで、ハルカは何年生まれ?」
「最初に2年生だと話した」
「そうじゃなくてさぁ、あーしとハルカは生まれた年がぜんぜん違うってこと。あーし、学校の怪談に詳しいんだよ。羽川ハルカって名前の生徒が10年以上前に屋上から飛び降りて、中庭の岩に身体を叩きつけられて死んだってハナシ」
「……あり得ない」
意味が分からず、まともな反論もできない。どういう理屈でハルカを10年前の人間だなんて言い張るのだろう?
しかも、自殺しただなんて……
戸惑いの色を隠せない。心臓が押し潰されて血流が止まりそうになった。
どれだけ思い出そうとしても記憶が途切れている。遠い過去は覚えているのに、校舎に閉じ込められる僅かに前のことは一切思い出せなかった。
「さっき死んじゃったメガネちゃんは20年前くらいの生徒だったかなぁ。成績ぶっちぎりでトップだったらしいけど、人間の中身に興味があるとかでねぇ。校内で事故死しちゃった子の死体を隠して解剖しちゃったんだってさ。それがバレて屋上から飛び降りて自殺したんだよねぇ~」
「狂ってる」
「あーしが? それともメガネちゃん?」
「二人とも」
「あはははっ、どーだろ? でも、あーしの話を信じてくれたぁ?」
包帯の上から傷口を押さえ、ミカはウィンクしてみせた。歪なハートがハルカの前まで飛んでくるが鬱陶しくて顔を逸らす。とてもではないが真に受けるべき内容じゃなかった。嫌悪を示しても興が乗ったミカはどんどん続けて喋る。あるいは斬り付けられたショックから目を逸らそうとしているのかもしれない。
「知ってた? 中庭にある『異岩』って相当な曰く付きでさ~ 古戦場での墓石代わりだったとか地獄への穴を塞ぐために神様が置いたとか色々な説があるらしいよ? 注連縄されて小っちゃい祠まであるし」
「だからって、そんなバカな話があるわけない」
「怒らないで最後まで聞いてよ~ 多分、あの岩に当たって死ぬと『壁』に塞がれた校舎に来ちゃうんじゃないかなぁ。つまりココってさ、異界? 地獄? とにかくフツーじゃないってワケ」
「仮に、それが本当だとして……どうして黙っていたの? みんな記憶が無かったのに、あなただけが何故そんなこと覚えているの?」
「んん~? あーしだけ違うからかも」
「自分が特別って言いたいワケ?」
「そうじゃないよ~ だって、あーしは自殺してないもん。自殺してここに来ると記憶なくなっちゃうんじゃない? メガネちゃんやクラス委員やハルカみたいにさぁ」
ケロッと告げたミカの口ぶりから、その意味を汲み取るのが遅れた。
自殺していない…… つまり、ここが嘘偽りなく死者の世界だとしたら……
「まさか」
「うん、あーしは屋上から突き落とされて殺されたの。ハッキリ覚えてる」
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