第14話 急転

 駆け付けたハルカは惨状に息を呑んだ。

 先ほどの悲鳴の主は新見ニィナである。仰向けに倒れ、廊下に腹を擦り付けながら這っていた。ニィナの背後にはモップの柄を握ったエリが立っている。ちょうどハルカに背を向けていて、どんな表情をしているのか分からない。

 だが、モップの先端には明確な意志が現れている。包丁を針金で括り付け、槍と化しているのだ。その刃にはべっとりと血が付着している。


「っ!!」


 ハルカは槍の射程外で足を止めた。

 得物の有無によるリーチの差は明白である。エリにその気があれば一方的に攻撃することもできただろう。

 明らかに殺そうとして襲いかかっている。ハルカは恐怖で足が震えてしまった。それでも凶行を止めるべく声を張り上げる。


「やめろ!!」


 エリは振り返らない。代わりに、這って逃げるニィナに追い付き、背中へ向けて無慈悲に槍を突き立てた。

 ニィナの矮躯が跳ね上がり、すぐに力が抜けて動かなくなる。

 その上に足を乗せたエリはようやく喋った。やはりこちらを向こうとはしない。


「死にたくないし、食べられたくないの。だから」

「殺すという結論に至った……とでも?」

「大丈夫。羽川さんのことは守ってあげるから」


 口調は優しく、子供を諭す母親のようだった。とても人殺しをした後には思えない。

 どう止めるべきか思案しているうちに校長室からミカが飛び出してくる。遅れてクミも顔を見せたが、扉の影に半分隠れて近寄ろうとはしない。

 先程の悲鳴がニィナのものだったとすぐに理解したらしい。ミカは倒れて力尽きている彼女を一瞥し、ニヤニヤ笑いでエリを見据える。


「クラス委員さぁ、ちょっとヤバいんじゃない? メガネちゃん死んじゃったよ?」

「あなた、最初から気に入らなかったのよ。私のやることにイチイチ文句言って」

「おーおー、怖い怖い♡ でもメガネちゃんを刺す必要ってあった? ムシャクシャしてやりましたぁ!ってカンジじゃないっしょ」

「人喰いを野放しにしておけないわ」

「偉そうなこと言ってるけどさぁ。あーし、知ってんだよ。江崎エリ。2年A組。同級生の糖尿病の女の子をいじめてた。で、だんだんエスカレートして機械室に閉じ込めたってハナシ」


「閉じ込められた子はインスリン注射が無くて死んじゃったんだよね~? 焦ったアンタは屋上から、その子を落として自殺に見せかけた。でも検死の結果でバレて逮捕されそうになったから、アンタも屋上から飛び降りた。違う?」

「なんの話? 私をおちょくってるの?」

「う~ん…… シラを切ってるか、本当に忘れているのか。あーしにはどっちもでいいんだけどぉ♡ 被害者の名前は報道されなかったけどさぁ…… もしかして、ハンバーグにされた宗教女ちゃんだったりしてねぇ♡」

「うるさい。あの穢らわしい女の話をしないで」

「なぁんだ、ちゃんと覚えてるじゃん♡」


 ゆらりとミカの上体が揺れ、それに合わせてエリが槍を構え直す。

 片や武術の経験があって食事を摂った者。片や付け焼き刃を手にして飢えた者。

 動きの差は歴然で、エリの繰り出した突きを易々と回避したミカが懐へと踏み込む。持ち手のすぐそばを掴み、握力にモノを言わせて捻るとエリの手から槍が落ちた。


「この手の長物って距離詰められたらどうしようもないっしょ♡」


 肉薄するミカを前に、エリの身体が下がる。

 二人の対峙をハルカは背後から見ていた。だからエリが何を企んでいるのか看過できてしまう。ブレザーの背中の辺りが不自然に膨らんでいる。

 その膨らみに手を伸ばすエリの横顔が目に入った。勝ちを確信したかのように笑っている。


「背中に何か隠してる!!」


 ハルカが叫ぶとミカは踏み込む足にブレーキを掛けた。ミカの頬にエリの腕が掠めると、ワンテンポ遅れて真っ赤な血が吹き出す。


「あっ……」


 エリの手には包丁が握られていた。背中にも隠し持っていたのである。

 斬りつけられたミカは傷口を押さえた手をジッと見ていた。


「信じられない!! よくも、あーしの顔に……」


 気を逃さずエリがさらに斬り付ける。技術も何もあったものではないが、当たればタダでは済まない。顔を引き攣らせながら避けるミカは出血のせいか動きに精彩を欠いていた。

 エリの攻撃は浅く皮膚をかすめ、ときには深々と肉を裂く。攻防の時間はたった1分間。エリの制服はあちこちが破れ、傷口が赤く滲む中で追い詰められたミカは壁を背にへたり込んでしまった。


 どちらの味方をしていいのか分からない。

 だがハルカは動いた。なけなしのチョコレートバーから蓄えたエネルギーで廊下を蹴り、エリの背中に向かって体当たりする。

 一瞬、エリは何が起こったのか理解できなかったようだ。包丁を握ったまま倒れた後で、ハルカに背後から押し倒されたのだと気付く。

 立ち上がろうとするエリと、それを押さえ込もうとするハルカは交互に上下を入れ替えながら転がった。

 ぐちゃぐちゃの揉み合いの中、エリはヒステリックな声を上げる。


「羽川さん!! なんで邪魔するの!?」

「いくらなんでもやり過ぎ……!!」

「こいつら人喰いなのよ!? 放っておいたら、私たちも食べられちゃう!!」

「だからって、こんなことしていいわけがない!!」

「ふざけないで!! 私から離れてよ!!」


 倒れ込んだエリはハルカの横腹を蹴って引き剥がす。

 ハルカが痛みで起き上がれずにいると、エリは逃げるように距離を取った。

 エリの顔面は蒼白で身体を校舎の壁に預けてハルカとミカを交互に睨んできた。


「包丁が……」


 エリの腹には包丁が刺さっている。体当たりを喰らって転んだとき、頑なに武器を手放さなかった。そのまま揉み合いになったせいで偶然、刃が腹へと食い込んだのである。


「手当する。保健室へ」

「私に触らないで! よく分かったわ、あなたもそいつらと同類! よくも裏切ったわね!!」

「違う。裏切るとかじゃなくて……」

「うるさい!! こっちに来るなっ!! なんでよ? なんでみんな、私の言うことが聞けないの? 私は正しいのよ。なのにどうして? ワケが分かんない!!」


 包丁を引き抜いたエリは切先をハルカへと向ける。脇腹はもう片方の手で強く押さえ、背を見せずにジリジリと後退していった。指の間からは血が溢れている。内臓に達するほど深く刺さったのだろう。

 ハルカは当然のように追うつもりでいたが、背後から肩を掴まれる。ミカの手だった。


「追ったらダメっしょ……」

「離して」

「待ち伏せて刺すつもりだよ、あの子~ 行ったら殺されちゃうよ~」

「……っ!」


 床にはエリの血痕が点々と残った。

 その姿が調理実習室の中へと引っ込むのを確認した後でミカへと向き直る。一応は助けられた形になるのだろうか。


「大丈夫?」

「んん? あちこち痛いけど、まぁ…… 平気っしょ」

「手当するから保健室へ」

「あーしを助ける気? 人喰いだよ~?」

「関係ない。保健室へ」

「はぁ…… 面白いねっ、あんた♡ じゃあお願いしようかなぁ。実は結構痛いんだよねぇ♡」

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