第13話 告白

 ハルカは最早、立っているのも辛い状態にある。活動するためのエネルギーは殆ど残っておらず、眠ってしまえば二度と目を覚ましそうにない。怪我も空腹も限界に近かった。

 それでも気力を振り絞って忌まわしい中庭に踏み込む。

 中央に鎮座する『異岩』が視界に入るだけで気分が悪くなる。その近くで火の後始末をしているニィナを見るとさらに気が滅入った。


「羽川さん……」


 こちらに気付いたニィナは血塗れの白衣を一斗缶の火に放り込んだ。

 もともと背の低い彼女がさらに小さく見える。けれど瞳は底なし沼のように暗く深い。

 フラつくハルカを見兼ねて椅子を差し出してくれた。その好意を小さく手をかざして拒絶する。

 白衣に燃え移った炎が一瞬だけ勢い付き、すぐに大人しくなった。

 ここに来れば心の中に残った感情が花火のように爆発すると思っていた。けれど勘違いだったらしい。ハルカの内面に凪が訪れる。怒りは不自然なほど鳴りを潜めていた。


「どうだった?」

「ボクが正直に答えると、羽川さんは怒ると思うよ」

「別に怒るつもりはないし、そんな元気も残っていない」

「そう? じゃあ、懺悔だと思って聞いて欲しいんだ。お願いできるかな?」

「……」


 去るわけでも首を振るわけでもない。それを肯定だと捉えたニィナはねっとりと口を開いた。脂ぎった唇の隙間からは血生臭い呼気が漏れ出してくる。


「楽しかったよ。


 自嘲気味に口端を持ち上げたニィナは、くるりと回転して背中を向けてくる。

 きっと笑ったままだろう。もしかしたら最初よりも凄惨な笑みを浮かべているかもしれない。


「真壁さんの裸は綺麗だった。その肌にメスを入れたんだ。皮膚は簡単に裂けたし、筋繊維も切れた。けれど骨はどうしようもない。そうなると知っていたボクは工作室からノコギリを拝借していた。時間はかかったけど、どうにか切断したよ。最初は右腕だった。死んだ人間は血が噴き出ない。ポンプの役割を果たしている心臓が止まっているから。血は完全栄養食だから無駄にできない。真壁さんの二の腕を切った後でそれに気付いたんだ。切断箇所を細い布でキツく締め上げて血を止めたよ。それから倉庫にあったロープを持ってきて、両方の足首を縛り付けた。調理室の天井にちょうどいいフックがあってね。ロープを通して真壁さんを逆さまに吊るしたんだ。そして血を抜くために首を落とした。腕よりもだいぶ骨が折れたね。流れ出る血は寸胴鍋に集めた。血が止まるまでボクはずっと真壁さんを眺めていた。腕の中で真壁さんの頭を抱きながら。髪の毛がサラサラしていて、いい匂いだった……」


「それで?」


「首と右腕の無い真壁さんを降ろして、左腕と両脚も切断した。胴体だけになった真壁さんはすごく小さいんだ。次はおっぱいの周りをメスでなぞった。こそぎ落とすように乳房を切り落として、調理台の上に並べた。皮を剥いでいくと肋骨にぶつかったんだ。小さいノコギリで一本ずつ切って胸を開いた。肺があって、心臓があって…… 食べられるのはどこだろうと考えたよ。だから豚を思い浮かべたんだ。ロース、カルビ、ヒレ、カシラ、ガツ、タン、レバー……綺麗な真壁さんと全然イメージが合わなくてダメだったね。でも骨や髪以外なら食べられると思った。胸の次はお腹を開いて、胃や膵臓を取り出した。腸って本当に長いんだね。びっくりしちゃった。だんだんと真壁さんが空っぽになっていくのが楽しかった」


「……」


「途中で空腹に気付いたんだ。ほら、人体を解体するのってすごくエネルギーを使うだろ? だから少しだけ…… 生で食べた。ひどい味だったよ。汗腺のせいかな、しょっぱいんだ。仕方ないから食べられそうな部位を集めてすり潰した。調理実習室にあった胡椒とか塩とかいっぱい入れてね。ガスも使えなかったから中庭で火を焚いて焼いたんだ。室内だと煙が充満するって理由もあるけどね。ボクは食事なんて栄養さえ摂れていればなんでもいいと考えていた。それでも、あの味は……」


 取り憑かれたように語るニィナは止まらない。

 ハルカは吐き気を堪えて最後まで聞くように努めた。そうでなければ、食糧にされたマリアが真の意味で浮かばれないと思ったのである。

 そんな業を犯してまで、こいつらは死にたくなかったのだ。

 加担しなくてよかった。けれど、止めることができなかった。


 おそらくハルカの予想は正しい。次にハルカかエリが飢えて死んだら、こいつらはすり潰してハンバーグにするだろう。そしてまた僅かな日にちを生き長らえるのだ。浅ましくて笑ってしまいそうである。

 エリは食われることに怯えていたが、ハルカに感慨は無い。死んだ後のことなんて考えられなかった。


 ニィナの独白はまだ続いている。

 耳を塞ぐつもりはないが、見窄らしい背中から目を逸らしたかった。かといって中心の『異岩』は不吉な感じがして視界に入れたくない。

 自然とハルカはある一点に目を向けた。ニィナも岩も視界に入らないクリーム色の壁を見上げる。

 そのとき、枯れかけていた心に電撃が走り、気力が湧いて背筋が伸びた。思わず声が漏れる。


……」


 熱を帯びながら食人体験を語るニィナを置き去りにして目を見開く。このことを誰に伝えるべきだろう? 果たして、この校舎の中に伝えるべき価値のある人間なんて残っているのだろうか?

 タブーに染まったニィナ、ミカ、クミは論外である。

 そうなると残るはエリだろう。しかし、彼女に相談しても良い結果が得られるとも思えない。


「羽川さん、知ってるかい? 雪山に墜落した飛行機の生存者が、死者を食べて72日間も飢えに耐えた話」

「知らない」


 急に話を振られて肩が跳ね上がる。いつの間にか人喰いニィナがこちらを向いていた。

 濁った瞳はさらに闇が深くなっている。タールか、ヘドロのようだった。


「ボクはその話に異常に興味を覚えた。どうしてだろう。それと、思い出したんだ。あぁ、ボクは以前も人間を解体したことがある……って。いつだったか覚えていないし、誰を解体したのかも思い出せない。けれど指先が覚えていたんだ。だからうまくいった。切断した真壁さんの頭を調理台の下にそっと仕舞った時、確信した。

「錯乱しているだけ」

「そうかな? そうかもしれない……」

「もう行く。さようなら」


 中庭を出たハルカは、自分が寝泊まりしている教室へと戻った。

 いつか出口が見つかったとき、脱出するのにエネルギーが必要となるだろう。そんな風に考えていたハルカは壁掛け時計の裏にチョコレートバーを隠しておいた。幸い、他の誰にも発見されずに残っている。


 大きなタオルをかぶったハルカは寝たふりをしながらそれを食べた。水分がなくて食べにくいから、ゆっくりと少しずつかじる。失いかけていたものが腹の底からジワジワと甦ってきた。


 そして、じっと待つ。

 中庭からニィナが去るまで、身体を休めながら機会をうかがい続けた。

 そうして何時間か経過するとハルカのいる教室の前を足音が通り過ぎた。靴底を擦り付けるような弱々しい調子である。

 誰のものかはすぐに察した。校舎の西側に残っているのはハルカとエリしかいない。西側から足音がして東側…… つまり、エリは中庭や校長室の方へと歩いて行った。


「……」


 ハルカは敵が増えることを危惧する。

 現状、3対2の状況だ。それが4対1になったらどうなるだろう?

 死ねば食われる。場合によっては、死を早められることも考えられる。

 泣きじゃくるエリに言葉をかけなかったのは失策だったかもしれない。けれど、本音を言えば他人に構っている余裕なんてハルカには無かった。


 追いかけて止めるべきか、話に耳を傾けるべきか……

 迷っていた時間は短かった。

 何故なら、のである。

 ハルカは起き上がり、補充したばかりのエネルギーを使って教室から飛び出した。

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