第18話 石澤凪沙 駅まえにて。

 石澤凪沙なぎさ目線


 教室に入った時私はその変化にすぐに気付いた。昨日までは背を向け合っていた枇々木ひびき君と長内さんが向かい合って喋っていた。


 仲よさげに。これを見て気付かないわけがない。枇々木君に近寄って「これどういうこと?」って聞けるほどの関係じゃない。


 問い詰めるような関係じゃない。極論で言えば、長内おさないさんが私と枇々木君が話してることに、腹を立てたり落ち込んだりする方が変だっただけ。実際私と彼とは何もない。たまにおしゃべりするちょっとした仲よし程度の関係。


 ようは見せ方。

 私はワザと枇々木君と親密に見えるように、長内さんの目にうつるように見せた。理由は簡単。枇々木君の中に、私と同じものが見えたから。それを確かめたかった。近くで確かめてみたかった。


 それにはなんというか、長内さんとか、瀬戸さんの存在がどうしようもなく、邪魔だった。枇々木君を、こちらに向かせる方法はいくつかある。いくつかあるけど、効率的なやり方。


 それは本人を引き寄せるってことは誰にでもわかる。

 でもそれだけだと、それ程の効果は見込めない。人は誰も慣れた居心地のいい場所がいいに決まっている。慣れた場所を変えることはできない。だから私は居心地の悪い場所に変えた。


 長内さんが、枇々木君にとって居心地の悪い場所に変えてしまえば、引き寄せるのはそれほど難しくない。接点を増やし、露出を上げ親近感を感じさせようとしていた矢先。


 何がダメだったんだろ。

 枇々木君は私を守ってくれる人になる予定だった。確信に似たものがあった。枇々木君は明らかに庇護欲ひごよくが強い。自分より弱いものを守りたい。そんな願望が強い。


 私はそんな彼の密かな願望を満たす存在に思えた。私だって彼に守られたいと願った。言葉にすることはないけど、相思相愛だったと思う。何がダメだったんだろう。


 呆然ぼうぜんと、その光景を見ていた私の視界の隅に、ある人物の表情「そりゃそうでしょ」と訳知わけしり顔を一瞬浮かべて消えた。


 飯星いいぼしカンナ。

 この子も枇々木君と、何かわからない接点を持っている。心の何処かで警戒していた。警鐘が鳴った。でも結果は平凡な結果。元サヤ。ありふれた結末。


 いつもならきっと気にもしなかったのだけど、あまりにも呆気なさすぎる平凡な結果すぎて逆に戸惑った。目で追ってしまった。体育館脇。校舎の影。喧騒の溢れる廊下。くつ箱の前。つい先日。このくつ箱前で瀬戸さんに詰め寄られた時守ってくれた枇々木君は今はもういない。


 男女の関係か。

 そんなところだろう。こうも突然方針転換するとしたら、それくらいしか考えられない。ごねたり、泣き落としではない。理由は体なんだろうと何となく察した。


 察してもなお私の中で納得がいかない部分がある。それを引きずったまま、私はこの現実を受け入れられないで数日過ごした日のことだ。


 ***

「君はえっと、石澤さん?」

 府別駅。枇々木ひびき君をはじめ、例の3人の出身校の最寄り駅。府別中出身者の多くは、私鉄のこの府別駅を使うと見ていた。そしてその予想は当たった。


「へへっ、かける君だ」


 我ながら呂律ろれつが回ってない。

 部活が終わって来島瑛太――バンドをやっている一応彼氏なんだと思う。その彼氏の母親から『今日部活終わりにヘルプに入って』とメッセージ。


 彼女の経営するスナック。私は彼が母親の財布から抜き取ったお金を返すためにバイトをさせられていた。我が子が盗んだお金を彼女に弁償させる、ちょっと意味がわからない理論。


 でも、そうしていた。

 前からお小遣い全部彼に取り上げられていた。お年玉も全部。払えないと言うと母親の財布に手を付け、結果私がてんのバイト。でもこれは嘘だ。私に10代の私に水商売させるための作り話。


 つまりいいように、使われているわけだ。相談できる家族はいない。仲のいいお父さんは単身赴任。お兄ちゃんは大学で下宿生活。いるのは息の詰まるような母親だけ。


 ことあるごとに、私をライバル視して邪魔者扱いする母親に相談なんてありえない。だからこうしてやってきた。千鳥足ちどりあし


 彼氏の母親は私に飲酒をすすめ、お客に体を触らせる。服の上からだけど、最近その、なんていうか度が越していた。私をエサに客を呼ぶようになり、もし行かなければ見たことのない剣幕で怒る。


 昔お母さんに言われたんだったか、それとも、態度で示されたのだったか。この来島母子を相当胡散臭うさんくさい目で見ていた。


 私は母親への反発心から瑛太と付き合っていたのだけど、今となったら全部お母さんが正しかったと思う。後悔はそんなにしてない。どうせ相談したところで身から出たさびみたいに言われるのは目に見えてる。


 でも、今の私には守ってくれる人が必要で、それは枇々木君がしてくれるものと思っていた。だけど現実は厳しく、私の心にのしかかったものは重かった。


「へへっ、来ちゃった」

「来ちゃったじゃないだろ。なに、化粧してるの? それになんだその

 ほんとそれ。

 なんでこんな胸の開いた服着ないとなの。明らかにサイズもおかしい。胸を強調させる気まんまんだ。


 私は履きなれないヒールによろめき、翔君の数歩手前で踏ん張った。色々あって追い込まれてる状況とはいえ、胸に飛び込んでいい関係じゃないくらいわかってる。


 でも、せっかく会いに来たのに翔君の反応は冷たい。いや仕方ない。勝手に会いに来たんだし。そして彼の口から冷めた、冷たい口調で言葉が溢れた。


「なに、お前。お酒飲んでるの?」

「お酒? いや、違うよ。これはその、このニオイは、そう! 除菌スプレー! ほら私清潔好きだから‼」


 見え見えの嘘をついた。

 未成年に無理矢理お酒飲ませて、接客させるってホント最低。それに逆らえない私もホントつまんない奴。翔君は小さなため息をついた。

 実際は壮大な、ため息をつきたかっただろうけど、抑えた感じ。そして呆れた顔して言った。


「少しなら時間ある。話くらいなら聞ける。でも力にはなれない。あとそんな胸を放り出した格好で、臭い女とファミレスには入れない。それでいいなら」


 汗と埃のニオイ。

 肩に掛けたリュック。相当重たそう。きっと朝早くからこんな時間まで、部活頑張ってる子に、私はなにをしてほしいんだろう。

 しゃがみ込んだ私のお尻を靴先で雑に蹴り「そこの公園な。時間は15分。終わったら真っ直ぐ家に帰れ。いい? あと不用意な接触はナシだ」


 見上げた翔君の眼差しは、最近会わせてもらってないお兄ちゃんみたいだった。会わせてもらってない……か。


「不用意な接触って。いまお尻触った〜〜翔君のエッチ」

「鷹崎って、ケツを蹴られたのと、触られた差もわからないレベルなんだな、それとも、脳を直に除菌したのか?」


 もう一度、さっきより少しキツめに、お尻を蹴られた。痛くはない。痛くはないけど、心の何処かが痛んだ。こういう女子扱いされない関係は新鮮で心地いい。


 私はこの胸のせいか、そういう目で見られてばかりだ。違うか。こうやって困ったら、男子を頼るその行動が、そういう目で見られるように、仕向けてるんだ。私は負け惜しみに「どこ見てんのよ!」と胸元を隠すと、翔君は明後日の方向にスタスタと帰ろうとする。


 こういうのが、どうしようもなく新鮮だ。





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