第十三話:容疑者H 《地の騎士》

 いつも陽気に見えるアエルスが、実は生涯を独身で終えることにただならぬ不安を感じつつも、女王であり双子の妹であるフェルのために人生を捧げる覚悟で騎士の道を選んだという感動的な経緯を知った俺は、彼に対して憐れみにも似た同情と一層の親近感を抱くようになった。それと同時に、そんな複雑な事情を抱えていながら、それをおくびにも出さずに明るく笑って楽しそうに振る舞っていたのかと思うと、いじらしくも健気な努力に尊敬の念すら覚えた。そんな人格者である彼が、一体どうして誰からも愛されていた《地の女王》を暗殺しようなどと考えただろう?そもそも彼にはカリスペイアとの接点自体ほぼ無いではないか。ダンスパーティーの後一人で宿泊先のホテルへと戻った俺は、気疲れで疲れ切った身体をベッドの上へ投げ出してからしばらくそんな事を真剣に考えていた。アエルスも同部屋に泊まる予定だったのだが、彼は運良く意気投合したほろ酔いの女性達に誘われて嬉しそうに何処かへ行ってしまったので、幸運だけを祈って俺だけ宿に戻った次第だ。子犬か何かみたいに可愛がられていたから、きっとやましい展開にはならないだろう。その方が彼のためなのかどうかよく分からないが、アエルスがフレインみたいになるのは絶対嫌だから彼にはこのまま何の汚れも知らないままでいて欲しい。大きなお世話なのは百も承知だ。

 ようやく胃の調子も大分回復して気分も良くなってきたので、アエルスがいない今のうちに暗殺事件についての考察をもう少し深めてみるとしよう。俺は手荷物の中から捜査用のノートを取り出すと、それをベッドの上へ広げてペンを片手に腹這いの格好で覗き込んだ。これまで女王と騎士の人となりをそれとなく観察してきたが、人物調査に関して言えば今回のアエルスが最後になる。そこで、まずは調査結果をもとに人物相関図を作成してみて各々の関係を可視化してみよう。

まず、《炎の国》の女王メラネミアと騎士フレインは痴話喧嘩の絶えないバカップル。《水の国》の女王ルーテリアと騎士のウォルトは互いに無関心。《風の国》の女王フェルと騎士のアエルスは仲良し兄妹。各国の女王と騎士の関係は単純化するとこんな感じだ。

それでは次に女王同士・騎士同士の関係を見てみよう。メラネミアとルーテリアは犬猿の仲。メラネミアとフェルは同盟国同士なので仲は悪くない。だがフェルはルーテリアの国からも恩恵を受けているのでルーテリアにも好意的。一方騎士勢はというと、フレインはウォルトの堅物さを嫌っており、ウォルトはフレインを軽蔑している。アエルスはフレインのふざけたナンパ行脚に付き合うくらいには仲が良く、ウォルトには一人称問題とフェルとの密会の件で距離を置いて不信感を募らせている。だがウォルトの方はそんなアエルスのことを悪くは思っていない、というかあまり気にしていない。

今度は女王と他国の騎士についてだが、メラネミアは理知的なウォルトを毛嫌いし、ウォルトの方もメラネミアの傍若無人ぶりに辟易している。メラネミアとアエルスは特に接点が無さそうなのでよくわからん。ルーテリアとフレインは色々な意味で水と炎だし、ルーテリアとアエルスには特筆すべきエピソード無し。フェルとフレインもフレインが彼女を口説き続けて失敗し続けている以上の話は聞かない。ただ、フェルとウォルトの関係は何か怪しいものがある。

それではそれぞれがカリスペイアとジェネスとはどんな関係だったのかというと、メラネミアはQWの件でカリスペイアともめたけれども仲直りした過去があるが、QWでカリスペイアの土地を侵略して奪ってもいる。また、ジェネスを自分の騎士にしたいとわがままを言ってカリスペイアを大層困らせていたようだ。フレインはメラネミアがジェネスに執心していることを快く思っていたはずはないが、自信家なので自分の地位が揺らぐかもしれないとは微塵も思っていなかっただろう。ルーテリアはカリスペイアとジェネスを度々フルーレンシアでもてなしている。どう考えても彼女はこの二人に対して悪い感情を抱きようがない。ウォルトはカリスペイアについてもジェネスについてもあまり言及していないので、どちらともさほど親しくないか、あるいは何かを隠しているのかもしれない。フェルとアエルスはカリスペイアの遺体をこっそり見に行ったほど彼女のことを慕っており、彼女の悲報に誰よりも心を痛めている様子だった。そんな二人だが、ジェネスについてはやはり印象的な事を何一つ語っていない。

こうしてみると、どうもジェネスの存在が何か引っ掛かる。話を聞く限り、ジェネスと積極的に交流していた人物は誰もいない。それでいて彼は優秀で忠義に厚い騎士だったとの定評がある。実際のところ、彼は一体どういう人だったのだろう?彼自身について調査しても暗殺犯の特定に何か貢献してくれるかは今のところ未知数だけれど、被害者の一人でもある彼の交友歴や人物像が明らかになれば、もっと違った視点からこの事件を見直すことが出来るはずだ。例えば、暗殺されたのはカリスペイアではなくてジェネスの方だったかもしれないではないか。これは我ながら良いポイントに気が付いたのではないかと自画自賛して悦に入っていると、アエルスが帰ってきた。てっきり今日は帰ってこないと思っていたと言ってやると、アエルスは上機嫌な様子で「だって僕、今日はここに泊まるって決めてお金払ったもん」と律儀なのかケチなのかよく分からない答えが返ってきた。

「で?お姉さん達とはどうだった?」

「いっぱいなでなでしてもらっておもらったよ!」

ほらね。やっぱり子犬か子供だと思われてる。でも本人は満足そうだからこれでいいか。


 アエルスと話し合った結果、《ホーリレニア祭》三日目の今日は《地の国》グランビスを訪ねることに決まった。隣国であるグランビスまではアエルスの空飛ぶ葉っぱでひとっ飛びなので、折角だからソレイオンを発つ前に昨日見逃したこの国の伝統行事を少し眺めていくことにした。あくまで鑑賞するだけであって参加するわけではないので、岩山を素手でよじ登るパートは割愛する。俺達が《天の山》の上空に到着した時、山頂には疎ながら参加者と思しき人々が散見された。さて、彼らは一体どんな想いを叫ぶのか?まず一歩を踏み出したのは、見るからに大人しそうで真面目そうな青年。彼は断崖ギリギリの所まで落ち着いた足取りで進んでいくと、ぴたりと足を揃えて止まってから大きく息を吸い込んだ。そして、外見からは予想もつかないほど太く低い大声で職場への不満を吐き出した。やっぱりみんな仕事では何かしらの苦労をしているんだな。お次は《炎の国》美人の若いお姉さん。彼女の胸の内は——……愚痴だ。しかも女友達に関する辛辣でおぞましい本音だ。言い終わった本人はものすごくすっきりした表情で去っていったけれど、周囲の人間は絶句している。女性陣の本心というものは聞くものではないな。闇が深すぎる。その後にやってきた男性は、ありったけの愛の告白を市内に向かって響かせた。直前の女性の叫びが衝撃的だったせいもあり、一転して温かく幸せなムードに包まれたその場の一同から思わず拍手と歓声が起こる。男性は照れくさそうに後ろ頭を掻きながら一人の女性の前へ進み出ると、彼女の前に膝を折った。まさかのプロポーズだ。会場が一気に湧き上がり、この若い男女に注目が集まる。彼女は突然のことに戸惑った様子を見せていたが、やがて静かに口を開くと、申し訳なさそうに「ごめんなさい」と言って男性の前から立ち去ってしまった。公開プロポーズが公開処刑に終わり、期待した一同にも失望が広がる。哀れな男性はしばし茫然としてその場に凍りついていたかと思うと、おもむろに立ち上がり、ふらふらとした足取りで歩いていってそのままふわりと崖から飛び降りた。唐突に起きた惨劇を目にした人々はパニックになり、悲鳴をあげたり崖の下を覗き込んだりして場は騒然となっている。何か心温まる良いものを見るつもりが、公開自殺を目の当たりにする羽目になって俺もアエルスも気が滅入り、青ざめた顔で言葉もなく互いを見つめあった。ちょうどその時、山の中腹の辺りから巨大な獣の前足が現れ、落下してきた男性をボールでも跳ね返すみたいにぞんざいに投げ上げた。男性は綺麗な軌跡を描いて宙を舞い、元いた山頂の上に巻き戻し映像の如くぴたりと両足で着地した。すかさず駆け寄った数人が、彼に何やら語りかけながら彼を引き連れてリフト乗り場の方へ消えていく。こうして事件が一件落着すると、場に張り詰めていた緊張も解けて会場に和やかな空気が戻った。いやあ、思いの外すごいものを目撃してしまった気がするが、守護獣様の立派な肉球を拝めたのは僥倖ぎょうこうだった。それにしても、心底うっとうしそうに跳ね返していたな。やはりかなり迷惑しているのは疑いない。


 そんなこんなで俺達は遂に《炎の国》に別れを告げ、穏やかな風に乗って一路 《地の国》へと足を伸ばした。《地の国》グランビスは常春の国なので、いつも色彩豊かな花々が咲き乱れ、国全体が仄かに甘い香りに包まれている。気候も温暖で人々も優しい。移住するならこんな国が良いなと改めて思う。まずはソレイオンの時と同様、この国の女王様に《ホーリレニア祭》のイベントに関する注目ポイントをアドバイスしていただくことにしよう。

「ようこそ、アーシスへ。《ホーリレニア祭》は楽しんでいらっしゃいますか?」

いつも通りの優しい笑顔で出迎えてくれたタリアは、何だかもうすっかり新女王の貫禄がついている。彼女にならこのまま王権を委ねても全く問題無さそうだ。俺が挨拶がわりにそんなことを言うと、彼女は謙遜して「そう言うわけにはいきませんよ」と困ったように微笑した。

「今ヒュアレーとヘイリオンを見て回ったところなんだ。今日はアエルスと一緒にアーシスでグランビスのお祭りを体験しようと思ってきたんだけど、何かお勧めのイベントを紹介してもらえないか?」

「そうですね……。人気なのは音楽祭かしら。コンテスト系でしたら、果物狩り競争や特大野菜コンテストがありますね。花園の迷路や森の宝探しも楽しいですよ。あとは……《天の木》の下でお花見なんていかがでしょう?ちょうどこの時期が満開で見頃なんです」

どれも平和的でほのぼのしたイベントだ。ヒュアレーみたいにバンジージャンプとか、ソレイオンみたいに山登りとか危険なスポーツイベントがないあたりが実に素晴らしい。今紹介してもらった中だと、個人的には音楽祭が一番気になるかな。果物狩り競争にも是非参加したいし、迷路や宝探しも童心に返って楽しめそうだ。お花見は他を一通り見て回った後で休憩がてらに満喫するとしようか。俺は親切に教えてくれたタリアに礼を言うと、アエルスと一緒に早速一際色鮮やかな市内へと繰り出した。


 最初にやってきたのは果物狩り会場。一応コンテストなので、制限時間内に一番多くの果物を収穫した者が勝者になるのだが、勝っても負けても自分が獲った果物はお持ち帰りして良いらしい。それでいて参加費が無料なんて信じられない。さぞかし強欲な大人達でごった返すのだろうと覚悟を決めた俺だったが、グランビスの国民は無欲なのか、果物なんて年中食べ慣れているからなのか、参加者は圧倒的に子供や子連れの家族が多かった。俺とアエルスのような独身男二人がそんな中に混じると一層惨めさと欲深さが浮き彫りにされる気がして何か恥ずかしい。ここはあえて勝ちを他者に譲ろう。そう決意した矢先に、優勝者は今年の《花娘》と記念撮影が出来ると聞いて前言撤回。ちなみに《花娘》とは、グランビスで年一回開催されるミスコンの優勝者のことで、歴代が妖精レベルに可愛らしく、アニメキャラみたいに巨乳である。フレイン曰く、グランビスは別名 《巨乳美女の国》らしいので、そもそもこの国に胸が豊かな女性が多いのは事実だ。まさに夢の国。結局邪念と下心に負けて本気で勝負に挑んだのだが、これが意外にも全然楽な戦いではなかった。何故なら、この国の住民達は当然どの果実が熟しているのか、どのようにして収穫するのかを心得ているのに対し、俺とアエルスはその辺の知識が皆無だ。焦って熟す前の果実を狩れば減点対象だし、その上食べられもしない。なので、まずは慎重に他の参加者がどんな実を選りすぐって獲っているのかを確認するところから始めなければならず、俺はレースで出遅れざるを得なかった。一方で、アエルスはしれっと他の参加者に話しかけてちゃっかりコツを教えてもらい、何の苦もストレスも無く果物狩りを楽しんでいる。俺もあのポジションだったら人生がどれだけ楽になるだろう……。だがここで泣き言を言っていても始まらないので、俺は俺なりの不器用なやり方で最後までやり通すしかない。そう決心して、俺はベストを尽くした。誰にも頼らずに自分の力だけでこのコンテストを戦い抜いたのだ。その不屈の努力の結果はといえば、それはそれは惨憺たるものだった。俺ががむしゃらに収穫した果実の内半分以上が規定以下の熟し具合と判明し、入賞どころか主催者の方から公衆の面前でお叱りを受けた。何て屈辱だ。更に、そうして俺が子供達から笑い物にされている横で、アエルスの方は鼻の下を伸ばして《花娘》と記念撮影をしていたのだから屈辱もひとしおだ。スタートラインは一緒だったはずなのに、彼は持ち前の愛嬌だけであっさりと優勝まで上り詰めたのだ。何と言う不公平か。俺が憤然と押し黙ったまま会場の片隅に身を縮めて裏切り者の帰りを待っていると、しばらくして彼が近付いてきた。

「ステラさん。ステラさんも一緒に写真ろうよ!」

何を呑気なと苛つきながら顔を上げると、彼の横には花冠を戴いた女神の如く美しい女性が立っていて、こちらに笑いかけているではないか。

「え?でも《花娘》との記念撮影は優勝者の特権だろ?」

「優勝者の友達も一緒でいいんだって!だからステラさんもおいでよ!」

アエルス……。お前の純真さは荒んだ世界を救うと思う。本当にありがとう。そしてみっともなく嫉妬してごめん。色んな感情がごちゃ混ぜになって涙目になり、おかげで写真写りがいつも以上に酷くなってしまったけれど、俺はこの記念写真を無くさないように大切に日記帳の間に挟んでおくことにした。


 果物狩りが終わった後、隣で開催されていた特大野菜コンテストを覗き見してみると、会場にタリアの姿があった。どうやら《地の女王》は毎年審査員としてこのコンテストに参加しているようだ。特大と言っても所詮は野菜だろ?と高を括っていた俺の常識と予想を遥かに凌駕する大きさだったのにも驚いたが、その怪物級の野菜の大きさだけではなく鮮度や味、見た目まで含めた総合評価で勝者が決まると言うシステムにも意表を突かれた。参加者達は各々自慢の巨大野菜に飾り彫りを施したり、馬車に仕立てたりと創意工夫を凝らしていて、俺が考えていたよりもずっと面白いイベントだった。そうと知っていれば初めから観戦していたのにと少し惜しい気持ちになったものの、幸い優勝者が決定する歴史的瞬間には居合わせることに成功した。審査員・観客の両方から高い支持を得て栄冠に輝いた人物は、何とまだ10歳ぐらいの女の子だった。彼女は自分の身長よりもずっと大きく育ったメロンの中をくり抜いてバスケット状にし、外皮を繊細な彫刻と花々で見事に飾り付けていた。その外観の芸術的美しさだけでなく、くり抜かれた身の部分が余すところなく数種類のデザートに加工されていた点も大好評だった。表彰式ではタリアが壇上で受賞者達に花冠や記念品を授与して彼らの健闘を称え、終始和やかなムードでコンテストは終了した。

 ここでアエルスが空腹を訴え始めたので、適当なカフェに入って一休みしながら今後の予定を確認することにする。俺的にはこの次に迷路へ行って、それから宝探しに参加しようと思っているのだが、この迷路の難易度と規模によっては宝探しに間に合わないかもしれない。それに、どちらのイベントも郊外の方なので移動時間がかかる。そこで、アエルスと俺で一つずつ参加してみるのはどうかと思いついて彼に打診してみると、アエルスはそれなら森で宝探しがしたいとのことだった。それじゃあ、俺は花園の中で迷子になってくるとしよう。

「なあ、アエルス。ジェネスも毎年何かのイベントに参加したりしてたのか?」

これまでの例を見る限り、どの国の女王も騎士も皆何かしらの形で祭りのイベントに参加している。それならジェネスにも何か役割があってもおかしくはない。俺はそう思ってそんな質問を口にしたのだが、アエルスは「う〜ん」と深刻そうに顔をしかめて唸った後、静かに首を横に振った。

「ジェニーが《ホーリレニア祭》の期間中になにしてたのか、僕は全然わかんない。ただ、毎年別の国のお祭りを見に行ってたみたいだよ。昨年きょねんはフーシェで見かけたし」

「じゃあ、とりあえずカリスペイアとは別行動をしていたと考えていいんだな?」

「ジェニーだって、さすがにずっとカリスと一緒にいたりしないでしょ」

普通はそうだろうが、どうもこの二人はセットで動いている情報ばかりだったからな。となると、ジェネスはこの祝祭期間を利用して他国を訪問していたわけか。それが単なる彼の休暇なのか、あるいは何か用事でもあったのかは後でタリアや《地の宰相》に聞いてみよう。この二人の方がジェネスと交流があっただろうしな。さて、それじゃあ捜査はそのように進めると言うことで、今は難しい事は全部忘れて童心に返って楽しもう!


 タリアが紹介してくれた花園の迷路というのは、花咲く生垣を入り組んだ形で配置した迷路のことだ。毎年 《ホーリレニア祭》になると郊外の特設会場に設営されるもので、広さは100メートル四方くらいだろうか。迷路と聞いて勝手に子供向けだと思ったのは大きな間違いだった。冗談ではなく本気で迷子になったし、歩き回って疲れたし、一向に見えてこない出口に不安を超えて身の危険さえ感じた。だが、迷路の至る所に親切な係員さんが立っていて、ヒントをくれたり飲み物をくれたりするので、心細さは感じなかった。結局三十分ぐらい彷徨った挙句に情けなくもギブアップし、近くの係員さんに地図をもらった。でも何せ敷地が広いので地図を眺めながらでも脱出には苦労を要した。ただ、地図を見て気が付いたが、ほぼ全ての分岐点に係員さんが配置されていたり、行き止まりが休憩所やトイレになっているなど、みんなが迷路内を楽しく冒険出来るようきめ細かい心遣いがされているのには感動した。自力で脱出することは叶わなかったが、存分に楽しめたので大満足して市内へ戻る。森の宝探しに向かったアエルスとは終了後にアーシス城の前で落ち合うことになっていたので向かってみると、アエルスは彼らしくないくたびれた様子でベンチの上に腰を下ろしていた。聞けば、宝探しに夢中になり過ぎているうちにうっかりコースを外れてしまい、気が付いた時には元来た道が分からないほど深く森の中へ迷い込んでしまっていたそうだ。彼は周囲に人気が全く無いのに気付くと不安になり、誰かいないかと辺りに呼びかけながら森の中を歩き回った。やがて彼の呼びかけに反応があったので喜んで駆けつけてみると、そこで彼を待っていたのは巨大な熊だった。アエルスは慌ててその場を逃げ出してどうにか怪我を負わずに済んだが、おかげで彼は完全に方向感覚を失って遭難した。仕方がないので最終手段で風を起こして空へ舞い上がり、上空から人々の姿を見付けて無事に安全なコース内へ戻ったが、その頃にはもう隠された宝のほとんどが持ち去られてしまっていたのだった。それで彼は落胆したままアーシス城前へと帰ってきたというわけだ。お宝が一つも手に入らなかったと拗ねているアエルスを何とかなだめ、タリアと《地の宰相》に会うために再びアーシス城内へ向かう。アーシス城は聖木である《天の木》から張り出した太い枝と幹に支えられるようにして建てられているので、城からはこの神聖な木が咲き誇る満開の薄桃色の花々がよく見渡せるのだ。それで、タリアがお花見がてらに俺とアエルスを城へ招待してくれたのである。ちなみに、タリアが一番人気だと言っていた音楽祭は《天の木》の下で開催されている。城からだとミュージシャンの姿はかなり小さくしか見えないけれど、会場の熱気と音楽はここからでもはっきり感じられる。後で下に降りてじっくり観賞するとしよう。

 宝探しが散々な結果に終わって不機嫌そうだったアエルスの顔は、タリアが用意してくれたグランビス特産素材の豪華ディナーを平らげた後にはすっかり元通りの笑顔に戻った。昨日ソレイオンでソーセージを食べ過ぎて胃もたれした直後なので、野菜と果物がメインの料理は体にも優しく、とてもさっぱりと感じられて格別だった。きっと、極限まで痛めつけられた俺の胃と肉体もこれで回復するに違いない。アエルスはデザートのフルーツを食べ終わるなり慌ただしく外の様子を見に飛び出していったが、俺は彼の後を追う前にここで少しタリアと《地の宰相》からジェネスに関する情報を集めることにした。ルーテリアは《ホーリレニア祭》の期間中くらいは捜査を中断して祭りを楽しんではどうかと気遣ってくれたが、俺はやはりどうしてもこの謎多き事件の真相が気になって仕方がないのだ。だから何だかんだ言って情報収集とか続けちゃってるけど、ちゃんと祭りも存分に楽しんでいるつもりだぞ。

「《ホーリレニア祭》の期間中にジェネス様が他国を訪問されていたのは、グランビスを離れられないカリスペイア様の代わりに表敬訪問をされていたからだとお聞きしたことがあります」

俺が唐突に問いかけた質問に少し戸惑った様子を見せつつも、タリアは落ち着いた調子でそう答えてから、確認するように隣に立った父の顔色をうかがった。宰相は「その通りです」と短くはっきり答えると、俺に向かってこう言った。

「ジェネス殿は、誰もが認める誠実で誇り高い騎士でした。彼はカリスペイア様をお守りするために普段は決して女王陛下のお傍をお離れになりませんでしたが、《ホーリレニア祭》は聖なる祝祭でございますから、その期間だけは女王陛下のお傍を離れて行動することをよしとしていらっしゃったようです。カリスペイア様自身も、ジェネス殿にはもっと息抜きをしてもらいたいと仰っていましたから」

それじゃあ、ジェネスはその唯一の休暇期間も進んで各国との関係維持のために費やしていたのか?どれだけ忠義に厚いんだ。

「俺が聞いた限り、ジェネスは誰からも信頼されて一目置かれていたようだ。ただ、信用されている割には彼と親交があったという人物の噂を一つも聞かない。ジェネスには誰か親しい友人はいなかったのか?」

「アーシス市内に何名か古いご友人がいらっしゃるとお聞きしましたよ。それと、彼のご両親もまだご健在のはずです」

「他の騎士や女王とは仲が良くないのか?」

「メラネミア様が無理難題をおっしゃってお聞きにならないので、対応に苦慮しているご様子ではございました。あと、あちらの騎士の方が品行方正とは言い難い振る舞いで女性達を困らせていらっしゃることも頭痛の種だったに違いありません。中でも、やはりカリスペイア様に対する彼の狼藉は目に余るものがございましたから、涼しいお顔の下で激しいお怒りに駆られていらっしゃったとしても不思議はありません」

ここで《地の宰相》がここぞとばかりにフレイン批判を展開し始めた裏に彼の私怨がある事実は否めないが、ジェネスは四騎士達の中で誰よりも自分の身分を弁え、主を大切に思っていたようだから、カリスペイアをセクハラで悩ませ続けているフレインに好感を抱いていた道理は皆無だな。俺はその後もしばらくジェネスの人柄について二人から話を聞いていたが、結局期待以上の成果を上げることは出来なかった。皆が口を揃えて言うジェネスの人となりは善人そのもので、彼自身が誰かに強い憎しみや殺意を抱くとは考えにくく、同時に誰かから死を望まれるほど恨まれることもあり得なさそうだった。こう言うと意地が悪いが、裏がない人間ほど胡散臭い奴はいないと俺は思う。なので、俺はぼやけた善人面しか持たないジェネスのことは、一癖も二癖もある他の連中よりずっと信用出来ない。だがこればかりは本人に直接聞く機会が無いのだからとやかく言ってもどうしようもないので、ジェネス以外の疑惑を検証することに専念するとしよう。俺は今日一日の出来事を日記にまとめると、音楽祭の賑やかな調べを追って花吹雪の舞う夜の街へ向かった。

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