第十話:ルールーとカリス

 俺はウォルトから話を聞き終えると、その情報をひっさげてルーテリアの元を訪れた。ウォルトとフェルによるQWのルール違反の件については伏せておくべきかどうか悩んだが、そうすると説明がややこしくなりそうなので結局全部 つまびらかに打ち明けてしまった。幸い分別を弁えた《水の女王》はこの一件と暗殺事件を無闇に混同して考えるようなことはせず、一先ず別々の独立案件として対処することで俺と合意した。無論、このQWにおけるグランビス侵攻がカリスペイア暗殺に繋がらないとも断定出来ないので、この点に関しては殊更慎重に事を運ばねばならないだろう。当事者の一人であるフェルには後にこの件を問い質す必要があるが、メラネミアやフレイン、アエルスにも同様に真実を暴露すると、確実に事態が紛糾すると思われるので、この三人への報告は現段階では見送ることにした。

「ウォルトとフェルがQWでカリスペイアの土地を狙ったのは事実として、実際にそれがカリスペイアの暗殺という結末に繋がってくると思うか?」

俺的には多分に疑問が残ると思われるこの点について、俺は参考までにルーテリアにも意見を求めた。

「わたくしとしては、その可能性は低いように思われます。彼らの目的があくまでQWでの侵略であるのなら、カリスを直接手にかける理由も利益もありません」

落ち着いた調子でそう明言したルーテリアの主張は、ウォルトが口にした<別次元>という単語を俺に想起させた。おそらく彼らにとってQWと現実のホーリレニアは全く別物として解釈されているのだろう。仮想世界か何かなんだろうか?話の分かるルーテリアならQWの正体について説明してくれるのではないかと期待して詳細を尋ねてみたけれど、やっぱり彼女も教えてくれなかった。その代わりに、彼女はQWにおける各国の情勢についていくらか情報を提供してくれた。

 QW内における勢力図は、実際のホーリレニアとは大きく異なっている。まず、四ヶ国の中心に存在するはずの《不可侵の聖地》が無い。ルーテリアによると、交易と交通、軍事の要衝となるこの地を巡っては長年熾烈な戦いが繰り広げられてきており、ヘイリオンが圧倒的武力で他軍を蹴散らして占拠した現在でも緊張状態が続いているとのことだ。また、四女王が《ホーリレニア祭》で頂上に立って儀式を行うための象徴的で神聖な四つの塔をヘイリオンがミサイル発射台に改築した件についても三ヶ国から「冒涜的だ」と強い非難の声が上がっていると言う。全く穏やかではない惨状だ。そんな軍事国家ヘイリオンはヒュアレーとかねてから同盟関係にあるが、《不可侵の聖地》の軍事利用問題をきっかけに両国の関係は急速に悪化しており、ヒュアレー側が一方的に同盟を破棄して他の二ヶ国と連携してヘイリオン包囲網を形成するのも時間の問題ではないかとみられていると言う。一方で、ルーテリアが統治するフルーレンシアは極力戦闘を回避して国力の増強に努めている。フルーレンシアはカリスペイアのグランビスと同盟関係を結んでおり、交易を通じて関係を深めている。ウォルトの軍が公式発表無しで易々とグランビスに進軍したのに不審がられなかったのはそれが理由らしい。グランビスはというと、心優しい君主の方針で一切の戦争放棄を謳っている真の平和の国なので、言うまでもなく好戦的な国から目をつけられている。自衛軍は配備しているそうだが、普段特に何の働きもしていないわけだから頼りないし数も少ない。四ヶ国で唯一空軍を率いるヒュアレーから空爆を受けたらひとたまりもないだろう。総合的に見ると、現時点で最も国土を広げたのはヘイリオン、最も豊かになったのはフルーレンシアで、この二ヶ国を中心とした北と南の冷戦がずっと続いている状態らしい。グランビスはヘイリオンの侵略により国土の四分の一を失ったものの、報復攻撃と奪還作戦は今のところ展開されていない。ヒュアレーはヘイリオンと同盟を結ぶ際に火山地帯を自国に編入して少しだけ領土を拡大して以降、別段の動きが無い。フェルが自国を勝利へ導くために膠着状態を打破しようとウォルトとの危険な取引に応じたのはそのためだろう。

「QWの勝利条件は最も国を豊かにすることだったよな?この戦争は勝者が決まるまでずっと続けられるのか?」

「そうですね。一国が他の三国を全て制圧してホーリレニア統一を果たすか、三ヶ国が降伏しない限りは続くでしょう」

終わりが見えない戦いだな。でもルーテリアが色々教えてくれたおかげで、フェルとウォルトの陰謀についてはもう少し理解が深まった気がする。いかんせんQWの実態そのものが謎に包まれたままなのはもどかしい限りだが、今は黙って不満を押し殺すしかない。

「そういえば、QWでは女王の軍と騎士の軍がいるのか?それとも、女王の軍を騎士が指揮してるのか?」

「女王も騎士も各々自軍を配備しております。ですから、現在グランビスに進駐しているのはウォルトの軍であり、わたくしの軍ではありません」

「それじゃあ、その気になれば騎士の軍がクーデターを起こすことも可能なわけか?」

「勿論、仰る通りです。QWにおいては女王と騎士の間に命を共有する制約もありませんので、騎士が王位を簒奪さんだつすることも不可能ではありません。ただし、一蓮托生ではない分女王が持つ魔力の恩恵も受けられませんので、騎士は魔法を扱うことが出来ないのです」

女王と騎士が使う魔法はそんな仕組みだったのか。それだと、女王が騎士との契約を解除したら騎士は凡人になるんだな。そういえば、今回の騎士は全員男だけど、女騎士というものは存在しないのだろうか?ふとそんなことを疑問に思ったのでルーテリアに質問してみた。やはり性別は無関係らしく、実際に歴史上には名高い女騎士も何人かいるそうだ。ただ、女王ではなく王が君臨した史実は無いと言う。

「別に男でも女性でも良かったのなら、ルーテリアは何故ウォルトを選んだんだ?」

無神経で無礼な所感を直截ちょくせつな言葉で問いかけてみると、ルーテリアは少しだけ目を細めて、静かにこう答えた。

「騎士として、ウォルトが一番信頼できると思ったからです」

彼女は具体的に彼のどんな部分がそう感じさせたのかは言わなかったが、その澄んだ眼差しにも玲瓏れいろうな声音にも全く迷いは無かった。聡明な女王にそこまで信頼されている彼が、彼女に内緒で怪しい行動をしているのは背信のようにも思えるが、ルーテリア自身はそのようには考えていないらしい。彼女の絶対的な信頼を裏切らないよう、ウォルトには今後より一層誠実な言動を心掛けてもらいたいものだ。

「じゃあ、ウォルトの動向については引き続きルーテリアが目を光らせておいてくれるか?俺はフェルにもう一度話を聞いてみるとするよ」

ルーテリアは「承知いたしました」と恭しく述べると、調査のお礼も兼ねて俺を晩餐会に招待してくれた。表情は相変わらずほぼ無表情なので感情は読み辛いけど、親切心は肌で感じられる。最近事件の関係でよく顔を合わせるようになってから、彼女の些細で微妙な表情の変化にも少しだけ気が付くようになった。それでも彼女と二人きりになると異様に緊張するのは変わりないが、それも大分慣れたと思う。大丈夫。もう怖くない。俺は心優しい彼女のお誘いを快諾すると、笑顔で別れて一旦自分の宿へ戻った。


 俺はあくまでストーリーテラーに過ぎないので、自分の身の上について細かい事をここで述べるつもりは毛頭ないが、それでも晩餐会なるものに招待されたことは生涯で一度も無いと言うことだけは言っておこう。というか、パーティーのような陽気で賑やかで気疲れしそうな多人数の集まりにはことごとく無縁の人生だ。そう言うと陰気で孤独な奴だと思われるかもしれないので予め断っておくが、俺は自分の在り方に誇りを持っているし、人付き合いという煩わしさから解放された自由な時間をこよなく愛して満喫しているので決して惨めではない。だが、だからと言って人との交流全般が嫌いだと言うほど偏屈でもないので、今回のようなお誘いを受けるのはとても嬉しい。リョーディア城での女王を交えた晩餐会ということだから、失礼のないよう身なりに気を付けていざ出発。例の渡し守さんは夕方までのシフトらしくて別の男に交替していたのでまた一から彼の信用を得るために苦労して根気強く説得することを余儀なくされてしまったが、どうにか舟を出してもらうことには成功した。この失礼な若造は、着飾った俺の姿を見るなり「道化か何かなのか?」と言って侮辱的な発言をはばかりも無く口にしたのだが、俺は大人なのでそんな見え透いた稚拙な挑発には乗らずに穏やかな笑顔を浮かべたままで彼の愚かな勘違いを全力で否定してあげた。長く馬鹿げた言い合いみたいな交渉の末、この卑しい若造は初回利用料金を上乗せして支払うことを条件に働くことに同意したので、俺は仕方なく無駄金を余計に払わざるを得なかった。この調子だと帰りは夜間割り増しとか言い出しそうなので、こいつを利用せずに宿へ辿り着く方法を何か考えておいた方がいいな。水は凍っていないので泳げないことはなさそうだが、水温からして対岸に渡る前に凍死して水底に沈むだろう。ウォルトかルーテリアに頼んでみたら何とかしてくれるかな?なんて甘い事を考えながら会場となるリョーディア城内の大食堂へ急ぐ。

「お待ちしておりました。ステラさん」

何故か必死で笑いをこらえている感じの悪い衛兵に先導されて目的地へ到着すると、ウォルトがにこやかな笑顔で出迎えてくれた。だが彼は俺の顔から全身へ視線を転じるなり一瞬硬直し、その行動を不思議そうに見ている俺に何処でこの衣装を揃えたのかと尋ねた。俺が市内の服飾店で店主のアドバイスに従って購入したと答えると、彼は渋い顔で「そうですか」と言って目を伏せた。渡し守の若造や衛兵だけではなくウォルトまでが難色を示したとあっては、きっと不適切な格好だったに違いない。このままルーテリアの前に現れて恥をさらす前に、ここで恥を忍んでウォルトに間違いを指摘してもらおう。

「服装に関しては、そもそも場違いというものはあっても間違いはないと思いますよ。おそらく、その店主の方はステラさんが寒がりな外国人であることを考慮してその外套を勧めてくれたのでしょうね。ただ、見ての通り寒さに強い僕達からすると、毛皮をまとっていること自体が既に少々異様に見えてしまうのです。……しかも……全身、文字通り頭の天辺から爪先まで……ですからね……。はっきり言うと、歩く毛玉か着ぐるみに見えます。本当にそれで暑くないのですか?」

最後は気を遣った文句で締めてくれたウォルトだが、そう言う彼も今にも失笑しそうなのを無理やり笑顔の裏に押し隠している有様だ。まさか他人からそんな風に見られていたとは知らなかった。元々ファッションに興味は無いのでこんなものなんだろうと信じて疑いもしなかったが、見ただけで吹き出すレベルはさすがに大失敗だ。

「ウォルト。いつまで客人を戸口に立たせておくつもりですか」

立ち話を不審に思ったのか、今一番俺の姿を目にしてはいけない高貴なお方が痺れを切らして自分からこちらへやって来た。絶体絶命。

「あら。ステラさん」

彼女はいつになく驚いた様子で目を見開くと、

「ふわふわの雪だるまみたいですね」

茶化すようにそう言って、今まで見てきた中で一番自然な笑顔で笑った。冷静に考えれば小馬鹿にされて笑い者にされているはずなのに、その不意打ちに見せられた笑顔があまりに意外であどけなかったので、つい思考が停止して成す術もなく茫然と見惚れてしまった。

「ルーテリア様は気に入ってくださったみたいですね」

惚けている俺に小声でそう告げると、ウォルトはもう一度俺の全身に目をやって、「確かに、悪くはないですね」と言って遂に我慢の限界に達した笑いを控えめに響かせた。


 気合を入れすぎて服装では赤っ恥をかいてしまった俺だが、食事の席に着いてからは自覚している限り非の打ち所がないマナーで礼儀正しく念願の豪華な食事を美味しくいただいた。フルーレンシアが《水の国》と呼ばれていることから容易に推測出来る通り、この国の特産は新鮮な魚介類だ。果物や野菜が特産であるグランビスでは精進料理みたいな超健康的過ぎて少々味気ない食事ばかりだったので、久しぶりに腹が満たされるものをたらふく食べられて腹も心もすっかり満たされた気分だ。ついでに、料理と一緒に供されたグランビス産の果実酒がやたら旨いのでつい飲みすぎてしまった。

「こうしてお客様をおもてなしするのは、前回カリスを招いて以来、久方ぶりになります。やはり、こうしてお話をしながら食事を楽しむのは良いですね」

心なしかいつもより上機嫌な様子でルーテリアはそう言うと、酔いが回って赤くなっている無様な俺の顔を見つめて静かに微笑んだ。今日はルーテリアが一段と美人に見えるなあ。今なら作者の推しが彼女なのも分かる気がする。

「カリスペイアはよく訪ねてきていたのか?」

このまま彼女の顔を眺めていると妙な事を口走りそうなので水を飲むふりをして目を逸らし、話と思考を紛らすために特に関心が無い話題を振ってみる。ルーテリアは俺の質問に「ええ」と答えて目を伏せると、カリスペイアとの思い出話を懐かしむように語ってくれた。


 ルーテリアがカリスペイアを初めてフルーレンシアへ招いたのは、まだ彼女達が女王として即位して間もない頃のことだった。ホーリレニアでは《代替わりの大禍》と呼ばれる天変地異で先代女王達が一斉に崩御すると同時に、守護獣によって選定された新女王がそれぞれの国で戴冠する。誰が新女王に選ばれるのかは運命の日が訪れるまで誰にも分からないし、一度選ばれてしまったらそれを拒む権利も無い。ただでさえ大災害に見舞われて国中が滅茶苦茶になっていると言うのに、そんな責任重大な役目を否応なしに押し付けられると言うのだから結構理不尽な話だ。そんなわけで、大体の新女王は即位後もしばらく精神的に不安定なことが多い。そんな中、前女王の娘であったルーテリアは冷静だった。彼女は女王である母を見て育ち、女王が負う責任と宿命を教わっていたからだ。自分が幸運にもそういう特殊な立場にいることを理解していた彼女は、自分が持つ知識や知恵を活用して他の女王達をサポートすることが出来ないかと考えた。それで、彼女はこれから長い間協力関係を築いて共にホーリレニアを守っていくことになる他の女王達についてもっと深く知り、親睦を深めるために彼女達をフルーレンシアへ招待することにしたのだ。しかし、折角の彼女の好意ともてなしも空しく、雪と氷に閉ざされた彼女の故国に好印象を抱いてくれた者はいなかった。最初に招待したメラネミアは寒さに耐えられないと言って一日も経たずにヘイリオンへとんぼ返りし、次に招いたフェルは初めこそ嬉しそうに雪と戯れていたものの、結局滞在中は暖房の効いた室内からほぼ出てこなかった。そんな二人に続いて最後に誘いをかけたのが、一番穏和なカリスペイアだった。立て続く失敗に心を痛めていたルーテリアは、どうせカリスペイアも常冬の北国など気に入ってはくれないだろうと半ば捨て鉢になって諦めかけていた。それでもカリスペイアが是非訪問したいと言ってくれたので、せめてその気持ちだけは無駄にしないよう、過去二名から学んだ失敗を活かして精一杯三人目の国賓を丁重にもてなそうと心に誓った。

 常春の国で生まれ育ったカリスペイアは、他の二人の女王同様雪も寒さも知らなかった。当然防寒対策など考えているはずもないので、ルーテリアとウォルトはフルーレンシアへ入る前にグランビス側の国境沿いにある小さな町に立ち寄って、そこで万全の準備を整えてから関所を越えることに決めた。

「見て!これすごく可愛いわ!」

旅行用品店に入るや否や毛皮製品のコーナーへ一目散に駆け出して行ったカリスペイアは、そう言うと子供みたいに目を輝かせながら真っ白な毛皮のコートを一着手に取った。それは例の《氷獣》と呼ばれる動物の毛皮で出来た上品な仕立てのロングコートだった。ルーテリアとウォルトが毛皮について説明してくれるのに耳を傾けながら、カリスペイアは感動した様子でその綿雪の如く柔らかく繊細で、羽毛のように軽い美しい外套に目を奪われていた。彼女は一目惚れしたそのコートを即決で購入することにすると、コートと同じ素材で作られた帽子や雪靴、手袋などもルーテリアの助言をもとに買い足した。そうして旅支度が無事整ったところで、一行はいよいよ春と冬の境界へ向けて出発した。カリスペイアは初めて買った冬服が気に入ってご機嫌な様子だったが、そうして今嬉しそうにしている分ルーテリアはとても不安だった。折角買い物で気分が良くなったところなのに、いざ実際に毛皮の主が棲息している極寒の白銀世界へ踏み出したら、たちまち幻想が崩壊して一気に嫌気がさしてしまうような気がしてならなかった。彼女のそんな心配をよそに、何も知らないカリスペイアはうきうきしながら買ったばかりの真新しい防寒具に身を包むと、真っ先に関所の外へと飛び出した。

「何て綺麗なの!本当に何処も全部真っ白だわ!」

彼女はメラネミアやフェルと同じく一面の銀世界に感嘆の声を上げると、近くに積もっていた新雪をそっと両手ですくい上げてじっと見つめた。ここまでは大体三人共ほぼ同じ反応だ。だがメラネミアはこの直後から既に寒いと苦情を言い始め、フェルは段々と無口になっていった。きっと、カリスペイアもリョーディア城へ着く頃にはすっかり寒さが嫌いになってこの訪問を後悔しているだろう。ルーテリアはそんな風に悲観してカリスペイアが自分の国を好きになってくれるだろうとは微塵も思っていなかったけれど、現実は彼女の暗い予想を見事に覆した。カリスペイアが全く寒がっていなかったと言えば嘘になるが、それでも彼女はリョーディア城までの道中ずっと楽しそうな笑顔を絶やさなかった。初めて目にする全ての物に感激し、あらゆる動植物に興味津々で、本当に心からこの旅を満喫してくれているようだった。

「フルーレンシアは本当に素敵な所ね!わたし、フェルの国の黄金の並木道も、メラの国の便利な都会も大好きだけれど、フルーレンシアの澄んだ空気と白い森も大好きよ」

リョーディア城に着いて一息ついた後、カリスペイアはルーテリアにそう告げるとともに、こんな美しい国へ招待してくれてありがとうと笑顔でお礼を言った。その一言が、ルーテリアにとってはどんな言葉よりも嬉しかった。カリスペイアはそれから一週間ほどリョーディアに滞在して、雪遊びをしたり、スケートを楽しんだり、《氷獣》と触れ合ったりして充実した日々を過ごしてから名残惜しくもグランビスへと帰っていった。それ以来、彼女は度々リョーディアまで遊びに来てくれていたそうだ。

「ステラさんのお姿を拝見した時に、ふとカリスの姿が頭をよぎったのです。カリスもまた、そのように全身真っ白な毛皮に包まれていて、まるで雪の精のように可愛らしかったものですから」

ルーテリアは最後にそう言って幸せな記憶を語り終えると、一転して寂しそうに顔を俯けた。《ホーリレニア祭》が終わった暁にまた訪問すると笑顔で交わした約束は、もう決して叶わない。彼女が美しいと絶賛してくれた雪景色も、彼女がいなくなった今ではひとしお物悲しく冷たいだけの殺風景にしか見えない。カリスペイアのおかげで色付いていた世界は、彼女を失ってまた真っ白な雪の中に埋もれて見えなくなってしまった。

「カリスは、本当にもう目を覚まさないのでしょうか?」

現実主義の彼女らしくない、奇跡にすがるような切実な願望が、乾いた唇からぽつりと零れ出した。正直、俺はどう答えたらいいのか分からなかった。カリスペイアの死を断定したのは医者の男一人だけだし、その後に遺体を直接確認したのはフェルとアエルスだけだ。実は彼女が仮死状態か何かでまだ生きていて、その内目を覚ますなんてことが絶対にないとは言い切れない気がするからだ。というか、そうであって欲しいとさえ思っている。犯人がカリスペイアを狙ったのかジェネスを狙ったのかは判然としていないけど、カリスペイアの喪失は彼女を慕っていた人々にとってあまりにも甚大すぎる。彼女はこんな形で命を失うべき人では決してなかったはずだ。

「カリスペイアの葬儀は《ホーリレニア祭》明けに国民に対して正式発表がなされた後に行われる予定だから、顔が見たいなら地の宰相に頼んだらいいと思う。きっと快諾してくれるだろ」

悲しい結末で話が終わってしまうと同時に、ほろ酔い気分だった俺は一気に酔いが醒めて空しくなった。駄目だ駄目だ。美食と美酒で最高だった夜をこんな形で通夜にしてたまるか。何か、何でもいいから明るい話題にすり替えて幕を下ろそう。

「そういえば、遂に《ホーリレニア祭》が来週から祝われるんだったよな?具体的にはどんなことをするんだ?」

俺がこう話を振ると、ウォルトが乗って答えてくれた。

「《ホーリレニア祭》での最大のイベントは、何と言っても四女王による平和祈念式典でしょう。東西南北に建つ高い塔の上へ女王達が登って、各々順番に魔法の技を披露するのですよ。今回はカリスの代役で魔法が使えないタリアが出演することになるので、他の女王達が少しずつ協力して儀式を行う予定です」

ああ、それでタリアの役割についてあれこれ相談してたのか。それは見物だな。

「ところで、カリスペイアの代役の話は出たのにジェネスの代役に関しては何も聞いてないが……。騎士達は参列しないのか?」

「勿論、四騎士も各自女王の傍らに立ちますよ。ただ、僕達は女王と違って魔法を使ったりしませんし、みんなが注目しているのも女王の方なので、それほど面倒はありません。ジェネスの代役は等身大の人形で事足ります」

何か随分安っぽい案だが本当にそれで大丈夫なのかと念を押すと、人形と言ってもアエルスが魔法を使って生きているみたいに操作するつもりなのでぱっと見では問題ないだろうとのことらしい。ついでに補足すると、女王と騎士が頂上に立つことになる塔はかなりの高さらしいので、地上から見上げている観衆達からはそもそもほぼ表情が見えないそうだ。そういうことならたぶん大丈夫かな。

「《ホーリレニア祭》は四つの季節にちなんで四日間通して祝われます。女王達による平和祈念式典が初日に行われた後、女王達は各自の国へ戻りますが、《不可侵の聖地》は引き続き民衆に開放されていて、様々な催し物で大変賑わいます。各国内でも同様にたくさんのイベントが予定されていますので、ホーリレニア中が陽気なお祭り騒ぎに湧くことになります。とても晴れやかで楽しい四日間になりますから、ステラさんも捜査を一旦お休みして気晴らしをされてはいかがでしょう?」

悲しい話から気が逸れて少し元気を取り戻したルーテリアが、俺にそんな気の利いた提案をしてくれた。確かに、彼女の言う通り祭りの期間中くらいは気を抜いてみるのもいいかもしれない。何より、普段は立ち入り厳禁となっている《不可侵の聖地》へ足を踏み入れることが出来るまたとない機会だし、年に一度のこの大祭を通じてホーリレニアについての造詣が深められるのも本業には役立つだろう。そういうわけで、俺は一週間後に迫った聖なる大祭を心待ちにしつつ、カリスペイアを見習って今回はリョーディアで冬ならではの様々な活動に挑戦してみることに決めた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る