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学校内の話題は落下した生徒の話題で持ちきりだった。ホームルームの時間に全校集会を行い、そこで校長から事態の説明がされた。我がツバキ小学校の生徒が歩道橋から転落したと。そして落下した生徒と一緒に登校していた友人二人が警察に事情聴取の為に、警察署のある庁舎エリアへと連れて行かれたという事を。
集会を終えた後、4-Aクラスにて歩道橋から見下ろした生徒が、状況を飲みこめていないバス登校の生徒に何があったのかを教えている中、蕨もまた他の生徒から詳しく話をさせられていた。余計な一言が加えられてはいたものの、蕨は自分の見たものを包み隠さず伝える。
「あの時私は鴨下達への愚痴をこぼしていたの。馬鹿とかアホとかクソッたれとかね。その最中に悲鳴が聞こえたと思ったら、次に聞こえたのは何かが落ちる音だったの。そんで私は歩道橋から道路を見下ろして見つけたのよ。頭から血を流して倒れてるここの生徒を」
「おい、さりげなく俺らの事をディスってんじゃねえよ」
「静かにしろ。それで、どんな人だった?」
「わからない。歩道橋から道路までかなりの高さがあるし、背丈からしても上級生だったって事ぐらいしか。でも車に引かれてはいなかったから、もしかしたら生きてるかも。 ——でもね、おかしかったの」
「おかしい? 何が?」
「知ってると思うけど、歩道橋は落下事故を防ぐために分厚いアクリル板でトンネルのように囲われているでしょ? だから普通に考えて落下事故なんて起こるわけがないのよ」
その疑問に賛同するように、聞いていた生徒たちは蕨の話を遮るように言葉を挟んできた。
「そこだよ、俺達が一番聞きたいのは」
蕨はひと呼吸をついた後、一滴の汗が頬を伝ってから意を決したように口を開いた。
「——穴が開いてたのよ。まるでトラックが突っ込んだかのような、人を何人も飲みこみそうな恐ろしい巨大な穴がぽっかりと。飛び降りた生徒が穴を開けたかなんてわからない。だけどあんな穴が子供の力で開けられるわけがないし、爆発が起こったのなら周りにいた人達にも被害が及んだはずなのに、そんなこと一切なかった。わからないのよ。間近にいたはずの私達でさえわからなかったのよ」
あまりにも不可解な出来事だと言わんばかりに蕨は訴えるも、その場所で起こった不気味な出来事のおぞましさを知るのは当事者のみ。それ故に背伸びをしたい年頃の小学生達は、薄い恐怖心を好奇心が打ち勝ち益々興味がわいたのだった。しまいには「見てみたい」などと口走る子供まで現れる始末。
「やめなさい! 人が大怪我をしたというのに不謹慎な事を言うものじゃありません!」
教室の扉を勢いよく開けて登場したのは、スーツを着こなした二十代後半の女教師だった。先生の登場と同時にそそくさと生徒たちは自分達の席へと戻って教壇の方に視線を集中させる。
いつも通りなのか、教師はそれ以上の説教はせず、先ほどまで生徒たちが話していた話題へと切り替えた。
「えー、落ちた生徒についてですが、先ほど病院の方から連絡がありまして、幸いにも意識を取り戻したという連絡が入りました。このクラスの中には落ちた生徒と面識がある子もいると思いますが、命は何とか取り留めたという事ですので安心してください。体を強く打ち付けた事で全身骨折となったからしばらく入院しなければならないけれどね」
クラスの生徒たちはほぼ全員が安堵したかのようにホッと息を吐いて緊張が解かれたような様子を見せた。その中には蕨もいた。
例え面識のない生徒だったとはいえ、目の前で血を流して倒れている人を見れば気が気ではなかっただろう。命が助かったと聞いたクラスメイト達は心底安心したように固まった表情がほころんだ。
「ただ、警察からは事件が解明されるまでは歩道橋の利用を停止し、全ての生徒はバス、あるいはご自宅の所有している車で登校するようにとの事でした。ですのでバスを利用したい生徒はバスの利用申請書を職員室まで取りに来るように」
確かに事件が解明されない限り、同じことが立て続けに発生するかもしれない。あまりに不可解な事件故に捜査も難航するだろうし、誰も立ち入らない事が唯一の対抗策だろう。しかし一体誰が20センチもの分厚いアクリル板に風穴を開けたのか、そしてどうしてあの生徒が巻き込まれたのか、それは偶然なのか。
当分の間バスでの登校となり喜ぶ教室内で蕨は難しい顔でそんな事を考えていた。
騒ぐ生徒を静かにさせるべく教師はパンパンと手を叩き、別の話題へと移り変えた。
「もうひとつ皆さんに報告があります。今日から皆さんと一緒に勉強する転校生を紹介します」
転落事故で頭の中がいっぱいになっていた生徒たちは、新しいニュースを聞いて全員が驚きの様子を見せた。一瞬訪れた
担任教師は両手で静まるようジェスチャーをとり、静かになったことを確認した教師は入り口の扉へと向かい、引き戸をゆっくり開けて廊下で待っている新入生に中に入るように促した。
ゆっくりとした足取りで教壇の方へと歩いていく転校生に、クラス中の視線が集り、やがてひそひそと声が聞こえてきた。男とも女とも見て取れる中性的な容姿をしていたことで、男か女かどっちかで話し合っていたようだった。
そんな失礼なひそひそ話が飛び交う中で、転校生は黒板に自分の名前を書き終え、振り返り自己紹介をするよう教師から言われた。クラスの全員が転校生の声を聞こうと耳を傾ける。だが視線は黒板に集中していた。声色で、名前で性別を判断しようというのだろうが、クラス全員が珍妙な姿勢だった事に、担任教師は笑いを堪えられず軽く噴き出す始末だった。
「初めまして。今日からクラスの仲間になった
「——どっちだ?」
打ち合わせなどしていないにも拘らず、クラス全員が声を揃えて落胆したようにそう言葉を零す。クラスメイトの考えを無意識に打ち砕きつつぺこりと頭を下げて自己紹介を終えたヒバナと名乗る子供は、先生が指さす方の席へと向かって行った。
クラスの席は名前順に決められている。結果的に我野 ヒバナは教室の左奥の隅へと座らされ、偶然にも隣には樋橋 蕨が座っており、愛嬌よく挨拶をする。
「よろしく!」
「よろしくね。わからない事があったら何でも質問していいからね」
「以上でホームルームは終わります。全校集会と転校生の紹介でかなりの時間が流れてしまったので、1時限目の算数は小テストのみにします」
小テストを行うという発表にクラス中がブーイングで盛り上がる中、蕨はとても同年代とは思えないヒバナの可愛らしさに目を奪われていた。くせっけのある髪に丸みを帯びたマロ眉、ぷっくりした頬に世界全体を投影したかのように反射する澄んだ瞳。他にも褒められる部位はたくさん存在するが、隣に座ったヒバナの事に意識が持っていかれた蕨の小テストの結果は散々だったという。
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