12.再逢
「ああ、よく来たわね、リシェ」
事務所を訪ねると、プラチナブロンドをきちんと纏め、大きめの眼鏡をかけたマダムが、揃って頭を垂れたリシェとイレーネに立ち上がって会釈した。
「こちらが、グラスワンド卿の話を聞きたいという御方?」
眼鏡を押し上げて訊ねるアイスブルーの目に、リシェはにっこり頷いた。
「はい、マダム・フリーゼ。ウチの遠い親戚のイレーネさんです」
「貴重なお時間を頂き、恐れ入ります」
お行儀本に載せても良い美しい所作で挨拶した乙女に、マダムも愛想よく微笑んだ。
「ようこそ、いらっしゃいました。館長のフリーゼ・オーレンと申します」
「オーレン……?」
はたと目を瞬いたイレーネは、薄紫の瞳で婦人をまじまじと見つめ、そっと尋ねた。
「失礼ですが……魔法と関わり深い御家では?」
握手を交わしたマダムは上品に微笑んだ。
「いえいえ……旧時代にそういう人は居たかもしれないですが、ソルベット家のような伝統ある旧家ではありませんわ。当時の歴史は夢があって好きですけれど」
そうですか、と言いつつもイレーネの視線はどこかマダムの別の顔を探す様だ。彼女は気にした風もなく、こちらにどうぞと二人を事務所から長い廊下へと招いた。
「マダム、兄はきちんとやっていますか?」
事務所に居なかったからだろう、歩きがてら訊ねる妹に、兄の上司は苦笑混じりに頷いた。
「ロニは表で当館の蔵書と戦っているわ。根を詰め過ぎて心配なくらい、頑張っているわよ」
「そうですか」
ちょっぴり嬉しそうな顔をしたリシェは、マダムが一つの小部屋の鍵を開ける傍ら、照れ臭そうにイレーネに振り返った。
「この図書館はね、秘密基地みたいな部屋が沢山あるの。子供の頃は、よく兄さんやマイルズと探し回ったわ」
「秘密基地?」
「ほほ、どれも鍵が掛かっているだけの小さな部屋ですよ」
そうは言うが、その部屋の鍵は一つでは無かった。隣の部屋が普通の鍵穴一つに対し、ダミーを含めて五つも有る上、錠前まで掛けられていた。
どうぞ、と招かれたその部屋は、天井こそ高いが、子供部屋ほどの空間だった。
薄暗い中、見えている
星や雫のような形の特殊なランプもそうだが、吊り下げられているものには、薄べったくキラキラした鱗のようなもので作られたモビールや、色とりどりの宝石がはめられた鏡、わずかな気流にゆらゆらと回る不思議な風車など、何に使うのかわからないものが複数ある。入口以外の壁は本棚に覆われ、そこにも目玉のような形の飾りや、細かい彫り物で覆われたお面、小さな鈴のような音を立てる木の実の吊るし飾り等々、様々なものがそこ此処を埋め尽くしていた。
「このお部屋は……懐か――いえ、アンティークが多いようですが……」
辺りを見渡すイレーネに、マダムは椅子を勧めながら言った。
「あら、やっぱりそうなのねえ……旧時代の物が多いのよ。初代からの館長室なんですけど、今は事務室に纏まっている方が楽なのよね。何代か前から使わなくなって、今は保管庫という感じなの」
「――”やっぱり”? オーレン様、やはり貴女は……」
振り向いた乙女に、マダムは軽くかぶりを振った。
「いいえ、ごめんなさい。私は貴女を存じているだけなの、イレーネ様。当家は代々、初代や女王様の記録から、英雄とその縁深い方々について受け継いでいます」
リシェが驚いた顔をした。
「マダム、イレーネさんのこと知って……――魔法使いの一族だったの?」
「残念だけど、魔法使いは初代様だけなのよ。伝統ある管理職ってところね」
「そう……でしたか――いえ、それでも貴女様はビルギッタ様の面影があります」
「男勝りの初代様に似ているなんて、ちょっと恥ずかしいわ」
苦笑するマダムに、乙女はにこりと笑い掛けた。
「ビルギッタ・オーレン様は、魔法に関わる犯罪を取り締まる機関に相応しい代表でした。お役目に熱心な、とても聡明で冷静沈着な御方で、魔法の才も――」
「あらあら、ウチのことはいいのよ。お約束のグラスワンド卿の話をしましょう」
二人に椅子を勧めると、マダムは手近な本棚から一冊抜いて机に置いた。
「グラスワンド卿に関しては、資料が少ないのよねえ……」
呟きながらも、その本はかなり分厚く、厳かな装丁は豪華だった。
「この方は高名な英雄の中で唯一、子孫がいらっしゃらない御方ですし、あまりご自身の記録を残されない方だった様なの」
開いた本のページを見て、イレーネが小さく声を漏らした。
そこにはグラスワンド卿の立ち姿と、戦場での一幕らしい火器を構える絵や、その説明などが書かれていた。無造作な淡金髪の髪や褐色の目、逞しい体つきや寡黙そうな口元は、石像とは異なる生気を感じた。
「ご覧の通りのいい男ですから、忘れ得ぬ想い人が居たという逸話は有名ですわね」
リシェがにこにこする傍ら、イレーネはちょっと恥ずかしそうに頬を赤くし、遠慮がちに訊ねた。
「生涯……お一人だったのでしょうか?」
「ええ、愛人を含め、ご家庭は持たなかったそうですが……戦後、戦争孤児を集めた孤児院を支援していたそうです。多くの孤児の兄となり、父となり、祖父となられ……晩年もそこに通いながら過ごされたと伝わっていますわ。女王の後継の指導をなさった話もございます」
「……レン様らしいです」
思わずぽつりと呟いて、イレーネはどこか慌てた様子で首を振った。
「あ、いえ……亡くなられた妹君のこともずっと想われたお優しい方なので……」
「そのお話もご存じなのですね。そうそう、墓参を欠かさなかったという話も有ります。こんな素敵な殿方、今いらしたら放っておきませんよね」
かくかくと頷く乙女は、冷静さを保たんと、書を見つめて言った。
「この孤児院は、今はどうなっているのですか……?」
「……帝国時代に解体され、当時居た子供たちは徴兵されたという話は有りますが、真偽は不明です。あの当時は、記録に残る間もなく、混乱と共に過ぎ去ってしまいましたから」
「そうですか……」
帝国時代は王政に反発した勢力から成るものだが、烏合の衆だったに違いない。
本を捲ると、そこにはグラスワンド卿以外にも、彼に従って戦った懐かしい顔ぶれが居たが、あくまで記録に過ぎず、自叙伝のような彼の思いは載っていなかった。
それでも、さすがに館長だけあって、マダム・フリーゼは詳しかった。
レン・グラスワンドの戦時の行動は、イレーネが知っている事実とほぼ誤りなく伝わっているようだった。人々が望んでの脚色も有るようだが、人物像に影響するほどのフィクションは無いようで、乙女は心なしかほっとした。この点からすると、彼はイレーネが知る人柄のまま、天寿を全うしたものらしい。
今、此処に彼が居たら……ファウストの再来をどう思うだろう?
心から友人だったろう、二人目の復活を信じて、彼を探しに旅立つだろうか……
「ご先祖様も気が利かないわねえ……」
大人しく聞いていたリシェが、不意に疎ましそうに呟いた。イレーネとフリーゼが怪訝な顔をすると、娘は頬を膨らませた。
「だって、そうじゃない。ご先祖様はイレーネさんとグラスワンド卿が親しいのは知っていたんでしょ? だったら……戦いが終わったんだし、自由にさせてあげれば良かったじゃないの」
確かにという顔でフリーゼもイレーネを見た。彼女は自身が責められているような顔で身をすぼめ、開いたページのグラスワンド卿を見つめていたが、しばらくして、ぽつりと言った。
「ディルク様は、戦いの後……『花園の魔法使い』をご自身の代で終わりにすると決められたとき……私のお召しを解くと仰られました」
「えっ?」
「私さえ良ければ……レン様と契約を交わせるように計らうと言って下さいました。ソルベット家に残されていた押し花は、その為のものだったと思います……」
「そ、そうだったの……? じゃあ、どうして――」
「お断りしたのは、私なのです」
静かな一言は、後悔というよりは、懺悔のような言葉だった。
「なんで……?」
「怖かったのです」
意外な答えは、淡々としていた。動きそうで動くことのない描かれた男を見つめ、イレーネは静かに言った。
「彼は人間で、私は移ろわぬ『花』です。人間の寿命は、私にはとても短く、儚い……受け継がれゆくソルベット家を見守らせて頂くのとは異なり、あの方が亡くなるのをお傍で見つめることが、耐え難かったのです。そもそも、レン様は潜在的に魔力が乏しく、私との契約が負担となるのはわかっていました。それに、私と居たら……人間と添い遂げられなくなってしまう。私には、人間の子供は産めませんから……」
言い訳めいた苦痛を吐露する乙女を、我が事のように瞳を潤ませたリシェが仰いだ。
「グラスワンド卿に……ちゃんと、お別れは言えたの……?」
イレーネはぼんやりと頷いた。
「お召しを解かれることは、お伝えしました……」
レン・グラスワンドはその頃、王都の復興に尽力しながら、魔法を捨てる為の新たな技術の導入を進める為、国外出張も多かったという。彼は戻る度、ソルベット家を訪れ、食事をしていったそうだ。
……きっと、食事だけではないわ。
会ったことも無い彼の気持ちが、リシェにはわかる気がした。
「レン様はあの日、お食事の後にお別れを申し上げた私の手を取り……長い事、黙ってこちらを見つめていました……『そうか』と、ただ一言、仰って――……」
それでも、まだしばらくの間、手を握っていたそうだ。
――離してしまえば、二度と会えないのを知る様に。
「どのくらい、そうしていたでしょうか……気付いたら、『イレーネ、また会おう』と穏やかに仰って……お帰りになられました」
ソルベット家のキッチンで、そんな切ない別れが有ったのか。お互いの気持ちを言葉にしなかった二人のもどかしさに、リシェはちょっぴり涙ぐんで鼻を啜った。
イレーネは当時を見ているような目で、静かに続けた。
「それきり、お会いすることはありませんでした。その後すぐに、レン様は他国との
ぽろ、と――乙女の瞳から涙がこぼれた。
「……すみません、あの頃を思うと、何かが身の内で溢れて……ままなりません」
やや喉を詰まらせながらもそっと涙を拭う乙女に対し、リシェも目を赤くし、フリーゼまで眼鏡を外してハンカチで目頭を押さえた。
「お二人とも、泣かないで下さい。私は大丈夫ですから」
「……うん、そうね、私が泣いたってしょうがないわ……ねえ、マダム・フリーゼ……何か良いお話はないの? 私、このままじゃ、英雄は気の利かない男たちの印象になっちゃう……」
「本当ね、リシェ……男が気が利かないのはまったく同意するけれど、英雄は英雄故に不器用だったと私は思うわ……」
ふう、と溜息を吐いてから、マダムは立ち上がった。
「今の話を聞いて……確信したことがあるの」
本棚から一冊の本を抜きながら、フリーゼは言った。
「何故、此処が初代館長の執務室かというとね……この部屋には、グラスワンド卿の私物を預かっている為なの」
そう言いながら、フリーゼは抜いた本はそのままに、棚の奥へと手を差し入れて、何やらカタカタと操作した。すると、本棚の上部――只の棚板と思われた部分がパタンと手前に開き、複数の鍵穴が露出した。入口と同じように、鍵束から一つずつ選んで差し込み、回していくと、最後の穴を回したとき、壁の向こうで何か大きなものが回転するような音と共に、本棚が床下に軋みながらずるずると落ちた。その向こうに広がった光景に、リシェとイレーネは目を見開き、声を失った。
「……問題なのは、お預かりしているのが、危険なものということね」
大きなクローゼットめいたそこには、隙間もなく山程の武器が格納されていた。グラスワンド卿の石像が手にしていた黒く巨大な火器を中心に、拳銃サイズのものから大型の火器まで様々だ。
「こ、こんなものが図書館にあるなんて……!」
唖然とするリシェに、フリーゼは厳しい顔で頷いた。
「当然、絶対的な秘匿情報なのよ、リシェ。これは国家にも報せていない当館の秘密中の秘密。ソルベット家の正当な血筋である貴女や、グラスワンド卿に縁深いイレーネ様だから教えたこと……万一にも外部に漏らさないでね。ああ、ロニやマイルズもダメよ。ウッカリとお喋りに容易に言えることではないから」
「それは言えてるわ……」
泣いたり驚いたり忙しいリシェが呻く手前、イレーネは微かに火薬かオイルのような懐かしい香りがする異質の空間を見つめていたが――正面の小さな棚に目を留めた。
「これは……レン様の妹君の……」
そこには、物々しい武器の只中には不釣り合いな写真が飾られていた。セピア色の、かなり古い写真だ。幼い女の子が微笑んでいる。
「やはりそのお嬢さんは、グラスワンド卿の妹さんなんですね」
フリーゼの問いに、イレーネは頷いた。
「はい。ニコラお嬢様です。ご病気で……このお写真の年齢で亡くなられました」
大切な妹の写真も武器と一緒くたに置く辺りに、グラスワンド卿の
「……これは何かしら?」
細工彫に塗りが
「覚えがありません。ニコラ様の遺品でしょうか?」
「マダム、開けてもいい?」
リシェがマダム・フリーゼを振り返ると、彼女は頷いた。
「ええ。それに関しては何も記録がないのだけれど……今のお話からして、私はその中身はイレーネ様の物だと思いますわ」
「え……?」
イレーネが不思議そうに木箱を開く。中身を認めたが、心当たりのない品らしく、目を瞬かせた。それは、カボションカットの小さな緑色の宝石が嵌められた金鎖のネックレスだった。すぐに
「持ってみたら?」
「……この装飾品から、かなり強い魔力を感じます。箱は……魔力を抑える役目をしている様です」
「え……! 危険なもの……?」
「わかりませんが、懐かしい魔力です……ディルク様のような……」
躊躇いがちにイレーネは手に取ったが、何も起きない。強いて言えば、金鎖は長めで、女性用よりも男性用に思えた。
「ひょっとして、一種の魔力増幅装置なのではありませんか」
フリーゼの言葉に、二人は顔を見合わせた。
「それって……つまり?」
「イレーネ様と共に居られるよう、グラスワンド卿の為にディルク様が作って差し上げたのではないかしら?」
「じゃあ……どうして此処に置かれたままなの?」
何故、イレーネを迎えに来なかったのか――咎めるように言ったリシェに対し、乙女はネックレスを見つめて呟いた。
「……
「え……?」
「レン様は……今のような時代が来るのを、予感なさっていたのではないでしょうか。戦後に、女王様が『火』の魔法を禁じられたのは私も存じています。そして今、魔法はこの地より殆ど失われている……魔力は受け継がれますが、使わなければやはり衰退します。再び、魔法が必要となったとき、魔力が少ない者しか居ないのを危惧なさったのかも……」
「今の為に……?」
「マイルズ様が押し花を見つけた場所のことは、私も気になっていました。ディルク様は性格的に、誰かに何かを託す際、隠すということはあまりなさらない方です。堂々と御本人に手渡したり、机の上に置くような手段を取られます」
顔の割に剛毅な男だったようだ。
「だから……あれは、一度はディルク様から受け取ったものを、レン様がご自身で改めて戻しにいらしたのではと思います」
「それが本当なら……グラスワンド卿は英雄として気取り過ぎだわ」
目元を拭い、リシェは本の絵姿を睨んだ。
「人や国を守ることは……そんなに大事なことなの? 目の前の人を泣かせても?」
怒る様な、呆れた様なリシェの言葉に、イレーネは困り顔を浮かべた。
「リシェ様……」
「……私には理解できない。傍に居た貴女の事を、一番に考えてほしかった」
「……そこが、英雄の境地なのかもしれないわね」
俯くリシェの双肩を後ろからそっと叩いたマダム・フリーゼは、イレーネに微苦笑を浮かべた。
「そのネックレスは、どうぞお持ちになって」
「宜しいのですか……?」
「ええ。表で頑張っているロニの力になってあげて下さい」
「……はい。ありがとうございます……フリーゼ様」
小箱に戻したそれを大切そうに
「……前言撤回しよっと」
部屋を出、事務所でフリーゼと別れた後、リシェがぽつりと呟いた。
「ご先祖様たちは気が利かないんじゃなくて、常軌を逸した気遣い屋さんだったみたいだわ」
「そうかもしれませんね……」
「でも、私は皆の為に頑張った人が、報われないのはおかしいと思う……イレーネさんだって……」
「……リシェ様、私はそうして思って下さる貴女様が居て下さり、幸せですよ」
リシェは不服そうに唇を尖らせた。不思議と、その顔つきは苦言や文句を云う時のディルクによく似ていた。
「さっきの涙を、グラスワンド卿に見せてやりたいわ」
不貞腐れたようなそれは、毒舌家の先祖を持つに相応しい、随分と恨みがましい一言だった。
その頃、マイルズは煙草を咥えてロニのミントカラーの車を走らせていた。助手席には、例によって小麦袋に納まったカエルが居る。そして後部座席には、ロニに頼まれた昼食が置いてある――といっても割り当てはマイルズとレン、ノーラのおやつだ。町を抜けると、畑や運河、まばらな木々が並ぶ牧歌的な風景が広がった。午後の日差しは穏やかで、危険な場所に向かう雰囲気は微塵も無い。
「お嬢ちゃん一人を置いて来ちまったけど、大丈夫かな?」
小麦袋に問いかけた男に、中のカエル――ノーラ・マーナはもぞもぞしながら大儀そうな声で答えた。
「奥方には断ったゆえ、問題有るまい。ルーシャはロニを好いておる。あ奴の為に頑張るだろう」
「頑張り過ぎると、ロニがガス欠を起こすんじゃないか?」
「その時はその時だ。精霊と契約を交わすことは相互の信頼を結ぶことでもある。互いを思う心が強い程、力は増し、負担は減る。あれはロニが頼んだことだ、懸命に取り組む代償を支払うのは当然であろ?」
――はて、その心構えがロニに有るだろうか?
わけもわからぬままぶっ倒れて救急搬送されそうな男を思い浮かべつつ、マイルズは隣町に近付いたところで路肩に付けた。こちらが高台である為、町が一望できる。
「よし、目と鼻の先は隣町だ。どうだ、カエル王。何か感じるか?」
新たな煙草に火を点けながら問う男に、袋からちょっぴり目を覗かせ、ノーラは黒い目を細めた。
「――嫌な感じだ」
「ほう?」
「先日、戦った『火種』と呼ばれておった蝋燭と似た気配がする。が、あれほど強くも無くば、邪悪とも言い難い……ただ、数だけが多い。百、二百はおるか」
「なあるほど、怪しいのはテオドラのファンだな。若しくはそいつらをどうにかする為の何かがあるか……」
「うむ、お前は察しが良い上、恐れておらぬな。その好奇心と度胸……『風』の魔力を持つ者らしいのう」
「フフン、持ち上げてくれるなよ。俺はただ、面白いことが見たいだけさ」
「フフ、まあ、そういうことにしといてやろう。では、行くか。ロニがピーピー言わぬようにレンを探してやらねばな」
「あんたも相当なもんだと思うぜ、王サマ」
妙に気の合う二人は似たような笑みを交わし合うと、再び車を走らせた。
傍目には、町に変わった様子は見られない。静か過ぎるというほどでもなく、本当に、何の変哲もない雰囲気だ。道路は配達の車や一般車、バイクなどが行き交い、学業を終えたと思しき子供たちが鞄を背に走っていく。玄関先で立ち話をする婦人たちや、公園のベンチでのんびり日向ぼっこをする老人、犬の散歩をする人、これから仕事か営業か、忙しそうに歩いていくスーツの若者……レンも通ったろう、駅の方に回り込み、マイルズは首を捻った。
「変だな」
「む? 何がだ?」
咥え煙草と共に見つめる先には駅がある。既に駅の利用客はまばらで、テオドラのファンらしき人々が続々と出てくるということはない。
「すまんがカエル王、ちょっと待ってろ」
そう言い置いたマイルズは小さなロータリーに車を停め、近くの売店に向かった。
「どうも、そこのマルハレータ・シガレット一箱くれ」
陽気に声を掛けた青年に「あいよ」と新聞を読んでいた高齢の店主はまったりした調子で応じた。支払いを済ませると、マイルズは一本取って火を点けながら、のんびり話し掛けた。
「なあ、御主人、ここんとこ有名人が来てるそうだが、景気はどうだい?」
「うん? いやあ……どうってことないねえ」
「なんだ、町を使っといてそいつはけしからん。一本如何かな?」
「おお、こいつはすまんのう」
差し出された紙煙草を嬉しそうに受け取ると、火を点けてやったマイルズにぺこぺこし、二、三吹かすと、店主は饒舌になってきた。こなれた様子で煙を吹くと、煙草で遠方を示す。
「ほれ、あっちの風車の方で映画か何かの撮影をしとるのは聞いとるが、だからってわしらにゃ影響せんわい。えー……なんだったか、若いモンが夢中の……」
「テオドラ・カノンか」
「おお、それよ、それ。そうは言うてもなあ……若いモンがぞろぞろとはしゃいで行って帰るだけで、どうということも無い。あの角の飲食店も馴染みだがね、人なんぞ増えやせんとぼやいとった」
「フフン、そうかい。都会の連中ってのは理解し難いな」
「全くだよ。こんな田舎にあっちこっちから来るんだから、大したもんだがねえ」
店主が煙草を吹かすのを待って、マイルズは何でもなさそうに言った。
「あっちこっちか。今日みたいな大勢が来るのは前にもあるのかい?」
「ああ、撮影ってのが始まってからは普段からちらほら来るがね、大勢が来るのは今日で三回目ぐらいかなあ」
「若いモンがそんなに集まっちゃあ、やかましくて敵わんだろ」
「いやいや、静かなモンさ。駅じゃあキャッキャしとるもんで、わしもそう思ってあの近所に住んでる連中に聞いたがね、なんだかきちんと並んで巡礼者の集まりみたいなんだと。ああいう連中のやるこたぁわからんね」
「あんたが言う通りだ。いや、仕事中に悪かったな、その菓子もくれ」
ピンクのアイシングで覆われた小さなケーキを摘まんで、愛想良く片手を挙げて売店を後にすると、車に戻ったマイルズは緩やかに走らせた。
「お前は上手いこと取り入るのう」
感心した様子のノーラに菓子を放りながら、マイルズは新たな煙草を咥えた。
「聴こえてたか、王サマ。俺が思うにこの町は相当マズイことになっていそうだ。レンの居場所はまだ感じないか?」
小麦袋の中でぺりぺりと上手に包装を剥がした菓子を丸飲みにすると、ノーラは首を振った。
「わからん。どうもこの大量の火の魔力で気が散る。あ奴の『火』は強いゆえ、近付けばわかると思うが」
「仕方ない。会場だとかいう場所はすぐそこだ。慎重に行くぞ」
「すっ飛ばさんのか?」
「ああ。さっきも言ったが、この町はヤバい。爺さんの話にあったろ? 『すぐ近くの連中も気にしてない』って。……そんなワケあるか。住宅街で若い連中が百も二百も集まれば、ヒソヒソ話だってやかましいんだ。ましてや、心身捧げるほど好きな女優を見に来てる連中が、そんなに大人しくするもんか。しかも御覧の通りの素朴で静かな住宅街だ、大抵は年寄りや、病人やガキの居る家から苦情殺到する」
「なるほどのう」
「旅行者が来るような場所じゃないしな……異変に気付ける奴はそう居ない。俺らをジャマと見れば、派手な手段も辞さないだろうよ――頼りにしてるぜ、王サマ」
「うむ。王とは
カエルの心強い言葉を聞きながら、マイルズは風車を目指した。
マイルズらが隣町に着くよりも少し前――レンは慎ましやかな印象の木製の聖堂から時計塔に続く階段を上っていた。見咎められるかと思ったが、聖堂には誰もおらず、事務所らしき場所にも誰も居なかった。自分の足音だけが響く中、当然かもしれないが、辺りの蝋燭や灯りに火は無かった。
怪しむ物すら無い階段を上り切ると、見晴らしのいい時計塔の上部に辿り着いた。
一人部屋ほどの広さの空間は、尖塔になっている天井がやけに高い。元々は鐘が備わっていたらしく、古びた梁の上に埃をかぶった大きな鐘がロープで固定されている。蝋燭消しが震えたようだが、鐘よりも上部は暗くて何も見えなかった。四方の壁には子供でも通るのは困難だろう縦長の開口部が並び、白い明かりがキラキラと舞い散る埃を露わにしながら差し込む。真新しい埃の積もった床には、鳥の羽根らしきものが数枚落ちていた。
――何の羽だろう? 羽毛は見当たらない中、随分と大きく白い風切り羽根にレンは首を傾げつつ、壁に身を寄せ、開口部から外をそっと覗き見た。
高所にも関わらず、風は殆ど感じない。見下ろす市街の殆どは至って普通に見えた。春の陽気の中、人々の穏やかな暮らしが広がる。列車が行き過ぎ、人も車も何処へ向かうのか、ただただ進む。公園らしき場所では、楽しそうに遊ぶ子供たちも居た。
「……」
ありふれた光景をしばし見つめ、レンはすぐ近く――違和感の有る場に目を向けた。
知り合いならばようやく顔を視認できる程度の眼下に、大勢の人間が集まっていた。この距離で、蝋燭消しがカタカタと震える。心なしか、懐のアルス・ノトリアも落ち着かない様子だ。人々は整然と並び、先程の娘らも居たが、話し合うことなく、物静かに列を成す。見えぬ灯を胸にした彼らは、参拝に訪れた信者そのものだ。
その行く先に、日差しを避ける為か、立派な天蓋が据えられていた。豪奢な房飾りの付いたそれは四人も入れば一杯だろう、彼らは一人ずつ片側から入り、五分と経たずに、もう反対側から一人ずつ通り抜けていく。
キャロルや娘らの話が本当なら、あそこに女優のテオドラ・カノンが居る筈だが……天蓋に向け、短い状態の蝋燭消しの先端を向けてみたが、ベル状のそれには何の反応も無かった。何か膨大な魔力を持つ者が居れば火が灯るか、ロニの時のように属性に応じたものが現れるが、何も起きない。代わりに、通り抜けた人々は身の内の『火』を弱めて出ていくようだ。しかし、異様に満たされた顔――多幸感を満面に、薬物でもやっているのではと思うような危うい顔付きで、等間隔にゆったりと駅の方へと戻って行った。
異様なことはそれだけではない。どう考えても奇妙なこの集まりを、野次馬したり、覗き見る町民が誰も居ないのだ。つい先ほども、配達員だろうか、ごく普通に自転車に乗った若者が脇を通り過ぎ、杖をついた老人も歩いていくが、見向きもしない。
「……一体、何を……?」
あれほど正気を失っている様子では、こちらを気にする者は居そうにない。近付いた方が――……
――ダメです!
ロニが耳元で叫んだ気がして、開口部から身を引いた時だった。
背後で何かが動く気配がした。素早く振り向いたレンの手が何者かを掴み――はたと気付いてぱっと離した。
「……!」
掠れた呻きを漏らし、
十には達していそうだが、まだ幼さの残るふっくらした頬を、あちこちに飛び跳ねている薄い茶髪が縁取る。
「……すまない。驚かすつもりはなかった」
後退る少年に片膝付いて謝ると、彼は怯えと戸惑いが入り混じった顔で、自分の耳を指差して首を振った。
「?……ああ、君、耳が……」
レンは軽く顎を撫で、ノトリアを取り出した。
「ノトリア、彼と話したい。写してくれないか」
本が勝手に捲れるのを、少年が驚いた顔で見下ろす。恐怖に好奇心が勝ったと見え、近付いてきて覗き込んだ。何も書かれていないページが開いた為、了承と見たレンはページに触れ、すらすらと浮かび上がったそれを少年に見せた。
〈私はレン。君の名前は?〉
少年の瞳に驚きと感心の煌めきが差すのを見て、レンはページに触れるよう促した。
恐る恐る少年が触れると、すうっと文字が浮き出た。
〈エト〉
目こそ丸くしたが、少年はもう恐れていない様子だった。難なく意思疎通できることが嬉しかったのか、小さくはにかんだ。それに笑い掛け、レンは続けた。
〈エト、驚かせてすまなかった。私は隣町から来たんだが、君はこの町の子か?〉
〈うん。お兄さんは魔法使い?〉
これにはレンが驚いて少年を見下ろした。
〈否定はしないが……君は、魔法がわかるのか?〉
〈わからない。でも、こんなこと魔法使いしかできないよね? あそこに居る女の人も魔女なんでしょう?〉
指さす先は、先ほど覗いていた開口部だ。
〈魔女とは穏やかならぬ表現だ。それは、テオドラ・カノンのことだろうか〉
〈うん……あの人が来てから、町の皆がヘンなんだ〉
〈変?〉
〈時間通りに動くんだよ。すごくきっかり。それ以外はいつも通りなんだけど。前は、おばさんやおじさんは僕がへまをすると物置に閉じ込めたりしたけど、しない。決まった時間に出掛けて、決まった時間に帰って、決まった時間に寝たりするんだ。だから此処に来られるんだけど〉
何気ない言葉に不遇な生い立ちが窺えて、レンは眉をひそめた。
〈君以外は、皆そうなのか?〉
〈うん、たぶんね。僕に話しかける人は少ないし、僕は話し掛けようがないから、わからないけど〉
聴覚に難の有る少年が正気ということは、音に関係する魔法が使われているようだが、今のところ辺りに目立った音は感じない。高齢者にも難聴者は居るだろうが、完全に聴こえない者しか防げないのか……それとも、この少年に何か有るのか?
〈……君は、此処に何をしに?〉
〈魔女の弟子にしてもらえないかなあと思って。此処なら少しだけ見えるから〉
〈彼女が魔女かはわからないが、どうして、弟子になりたいんだ?〉
〈魔法が使えたら、僕をいじめる人に仕返しできるでしょ?〉
無邪気な様子の答えに、レンは灰色の目を瞠目させた。思わず、じっと見つめてしまった少年の手は、子供にしてはしっかりし過ぎているように見えた。指先は強張り、暖かい時期にしてはささくれが多い。そのわりに肩や腕は細く、全体に痩せてみえる。櫛の通っていない適当に伸びた髪や、色褪せて少々たわんでいる服……
〈お兄さんでもいいんだ。魔法使いなら、僕を弟子にしてくれない?〉
〈……君、ご両親や兄弟は?〉
〈誰も居ないよ。施設のおばさんは、僕は捨て子って言うけど、ほんとのことは知らない。居なくなったって、困る人なんか居ないよ。何でもするから、連れてって〉
「弱ったな……」
常ならば断わるところだが、状況が状況だし、不当な扱いを受けている様だ。
ロニの元に厄介になっている以上、連れ帰るなど……まあ、人間の子供サイズの喋るカエルにさえすぐに慣れたあの一家は頓着しそうにないが……――せめて、待遇の良さそうな施設に連れていくか、どこかの教会にでも……
そう考えて、ふと、レンは少年を見下ろした。
〈その話の前に、この教会に人は居ないのか?〉
〈居たけど、魔女が来た日ぐらいに居なくなっちゃった〉
〈居なくなった?〉
エトによれば、此処は見た目通りの小規模体制の教会で、中年の神父が一人と若いシスターが二人居たそうだが、テオドラ・カノンの撮影が始まった頃に忽然と居なくなったという。しかし、妙なのは、信者は彼らの不在を気にも留めぬ様子ということ。
当たり前のように時間通りに教会を訪れ、そこに神父らが居るかのように行動し、勝手に祈りを捧げて帰っていくらしい。時計は機械仕掛けなので、誰も居ない状態でも時は告げるものの、明かりはそうはいかない為、夕方や雨などで暗い時間帯、信者らは明かりをつけようとはせず、互いにぶつかったり、何かにつまずきながらも礼拝し、やはりそぞろに帰るのを繰り返す。
エトは気味の悪いそれを魔女の仕業と思い定めて大人に聞いてみたが、学校の教師や警察さえ、まともに取り合おうとしなかった。最近では自分がおかしいのかと思い、やはり魔女の弟子になって聞いてみようと、一度は撮影現場を覗いたものの、スタッフに摘まみ出され、以降はこの時計塔からこっそり眺めていたという。
〈そうだったのか。私にも何が起きているかわからないが、君はおかしくはないよ〉
〈本当?〉
〈むしろ、君が正しい。恐らく此処は危険だ。君が皆と違うことは、もう気付かれているかもしれない。弟子に取るかはともかく、この町を離れた方が良い〉
〈此処以外なら、何処にでも行くよ。お願い、連れてって!〉
軽率な発言に不安を覚えつつ、レンは苦笑混じりに差し伸べられた少年の手を取り、ひとまず、ロニ達の町に戻るのがいいかと、階段に向かおうとして――息を呑んだ。
一体、いつからそこに居たのか。
階段の手すりに手を掛け、白の司祭服を纏った優美な男が立っていた。
柔らかそうな白金髪の下の容貌は若々しく整い、金の目は聖職者らしい穏やかさに満ちている。差し込む光に、神々しさを感じる金刺繍の入ったストラがきらめいた。
白々しい程、温和な笑みを湛えた唇が言った。
「久しぶりだね。会いたかったよ、レヴィン」
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