6.交錯

 「何を言ってるんだ……ノーラ?」

突然、異様な事を喋り始めたカエルにロニは瞠目した。

カエルはロニに構わず、レンの蝋燭消しキャンドルスナッファーに向かって話し掛けた。

「マギア、未熟者の目は誤魔化せても、このノーラ・マーナは間違えぬぞ。知らん顔をするならば、その男ごと丸呑みにしてやるが?」

蝋燭消しは答えない。当たり前だ。杖が喋るなど聞いたこともない。代わりに声を発したのはレンだ。

「……ノーラ・マーナと仰いましたね? 貴方が『女王の泉マリアンヌ・レイク』を守っていた水妖ですか……」

「如何にも。懐かしい名を名乗っておる貴様は何者だ?」

問われたレンは丁寧に頭を下げた。

「……かつて、レヴィン・ガンズと呼ばれていました。今はレン・カンデラです」

「懐かしい名前が二つくっついておる。珍妙な奴だな。その杖をどこで手に入れた?」

「――今は無い、帝国総統府で……」

そこまで喋って、彼は小さく咳込み、不気味な黒い塔を見上げた。

「申し訳ありませんが、先にこれを片付けないと、この場所がちません。ドリュアスが消滅すると、どうなるかわからない」

カエルは見開かれた黒い目を、居心地悪そうに目を逸らす男の顔に置いていたが、すっと身を引いた。

「まあ、よかろ。ところでコレは何なのだ?」

ノーラが塔を見上げるのに合わせ、ロニも見上げた。イレーネに至ってはずっと不安げな眼差しを向けている。

「『火種』です。――元々は、帝国軍人だったフーゴという人間が変化したものです」

「変化とのう……」

美術品でも鑑賞するように見上げ、ノーラは首を捻る。

「人間が化け物に変化した事例はまま有るが、こやつの質量は一人の人間に可能な範囲を超えておるようだが?」

難癖付ける調子のカエルに、レンは逆らわずに頷いた。

「この世界の魔力を吸い上げているからだと思いますが……」

「果たしてそうかな?」

「ノーラ、どういうこと?」

めげずにまた問い掛けたロニに、カエルが答える前に地鳴りが響いた。

それまで物言わず佇んでいたイレーネが、素早く地を蹴った。乙女はロニに体当たりするようにその体を抱えると、風のように疾走し、離れた場所に軽やかに着地した。

同じく、さっきまで居た場所から飛び退いたカエルとレンも傍に降り立つ。

「ロニ様、失礼致しました」

唖然としている男を地に降ろして頭を下げたイレーネだが、さすがの鈍い男も何が有ったか気付いていた。先程立っていた地面から黒くねっとりした液体が吹き出し、今はごぽごぽと沸き立っている。何かはわからないが、本能的に踏むのは危険だと見て取れる。

「ありがとう、イレーネ……」

「いいえ。――ノーラ、こちらの御方の言う通り、先にあれを何とかしましょう」

「うむ。しかし、何とする? 私が一度に始末するには少々ばかでかい」

「――お手伝い頂けるのなら、あれの気を引いて下さい」

声を掛けてきたレンに――いや、蝋燭消しを見つめ、イレーネは眉を寄せると、彼女にしては警戒気味に言った。

「なるべく、お持ちの道具は使わない方が宜しいかと」

「……『火種』がフーゴである以上、奴を倒すにはこの道具が最適です。最後に使うのなら、先に使うも同じでしょう」

「良い、イレーネ。一度、そ奴が何をするのか見てみたい」

ロニの肩からぴょんと飛び降りたノーラを、咎めるような乙女の目が見た。

「ノーラ、しかし……」

「案ずるな。お前は小童を守れ。終わった後に要る」

「……かしこまりました」

蚊帳の外に居る面持ちのロニは、ちょいちょいと王冠を直しているノーラを見下ろした。立ち向かおうとしている黒い塔に比べて、その姿はまさに象の前のカエルより小さい。

「ノーラ……あの人は……助けることはできないの……?」

レンがちらとこっちを見たが、彼は何も言わなかった。代わりにカエルは、じろりと無遠慮な視線で睨んできた。

「小童よ、お前はあれが人に見えるのか」

ロニは臆しつつも首を振った。

「でも……人間だったって……」

「お人好しめ。魔力がわからぬお前にも、まともには見えんだろうに。もはや人として在らぬ者を、人の意志ある内に逝かせるも慈悲だぞ」

正論だろう一言に、ロニは拳を握りしめ、唇を噛んだ。

「だったらノーラ、僕も――……」

思わず声を掛けたが、カエルは鼻を鳴らしてぷいと背を向けた。

「私の心配なぞ千年早いと言ったであろ。お前の力はこの後必要だ。大人しく、我が雄姿を見ておれ!」

カエルがばさっとマントを翻して叫んだ刹那、その姿を足元から螺旋状に吹き上がった水が包んだ。うねり上がった水が消える頃、そこに立っていたのはカエルではなかった。

「ノ……ノーラ……⁉」

仰天したロニが見上げたのは、時が時なら、王様と疑わぬ格好をした恰幅のいい男だ。透き通るような薄緑の髪の下の顔は四十路かそれ以上か、渋さと自信に満ち、王侯貴族さながらの金刺繍が入った白い長裾のフロックコートがよく似合う。カエルの背にぴったりだった臙脂のマントは長い脚を持つ背丈に合わせて伸び、被っていた金の王冠だけが変わらない。

「どうした小童、この私のあまりの立派さに声も出ぬか」

声帯が違う為か、声も違う。低く威厳に満ちた声は、偉そうな口調がようやくマッチしていた。まさにカエルの王様――腰を抜かしそうになったロニが頭の先から爪先まで見て喘ぐ。ふと、絵本で見た水の精が浮かんだ。全く異なるイメージの中、髪の色だけがよく似ていた。

「そ、それが貴方の本当の姿なの?」

つい、カエルに姿を変えられた王の物語を思い出すが、ノーラは呆れ顔で笑った。

「いーや、私が人間ではないのは知っているだろうが。イレーネ同様、都合に合わせてこの格好をしておる」

「お……驚いた……え、でも、なんで?」

その姿で家に来てくれれば、リシェが悲鳴を上げる必要も、小麦袋に入る必要も無かったろうに! 言いたいことを理解したようにノーラは緩く首を振った。

「今の貴様らの世界は魔力が散漫としている……この姿は維持し辛いのだ。カエルはカエルで便利ゆえ、そうしておる――今は、この方が役に立つ。離れておれ」

反論の隙さえ与えず、イレーネがロニの手を引いて距離を取った。

「僕が”終わった後に要る”って、どういうこと?」

「弱ったドリュアスに力を与えてもらう為です」

此処に来て、イレーネの両目は殆どレンの蝋燭消しに注がれている。彼は今、ノーラの傍に立ち、今はどう見ても巨大なナイフのそれを携えている。

「お話を伺った限りでは、ドリュアスは『花園の魔法使い』を求め……見誤ったとはいえ、ロニ様の魔力を欲しています。単に熱が苦しいだけならば、他の者でも代わりが利きます――それこそ、自身の領域にノーラが入ってきたことはわかっている筈。顕現することは無理でも、呼び掛ける方法は他にも有るのに、彼も私も声を聴いていません。貴方を指名したことには、他にも理由があるのではと私たちは見ています」

「僕を指名……」

「はい。人間に個性が有る様に、私たち移ろわぬ者にも個性が有り、それに伴う相性が有ります。魔力も同じです。地水火風は大きな括りですが、実際はもっと細かく、複雑です。同じ水でも、海と川では性質が違いましょう……同様に、ロニ様の水と、ノーラの水にも各々の個性が有ります」

「個性か……ジョウロで注ぐ程度の僕が良いって言うのも、なんだか奇特な感じがする。ノーラはあの滝みたいに勢いが有りそうなのに」

へり下るロニの前にさりげなく立つようにしながら、イレーネはようやく振り返って微笑んだ。

「私も、頂くならジョウロのお水が良いですよ」

『花』らしい発言をすると、乙女は堂々とマントを翻す背の方を見た。

「仰る通り、ノーラは勢いでは貴方様を遥かに凌ぎます。水をつかさどるものの中では指折りの強者ですから」

自身の無力さを感じつつもロニは頷いた。まだ出会って一日と経っていないが、よくわかる。彼が羨ましい程の自信に満ち、眩しい程に心強い存在だということ。

その湖のような青い視線が見つめる先のノーラと、隣に居るレンは何か話しているようだった。彼らの周囲では、先程の不気味な黒い沸騰が続いている。次々と地面が震え、塔を中心に辺りをどろどろした黒で覆っていく。

「ノーラ様、塔の火を消せますか」

一転して見上げる巨躯になった男にレンが訊ねると、男は塔を見ながら両腕を組んで頷いた。

「造作もない。――が、珍妙なる者よ、ひとつ教えろ。これに変化したという人間は、”本当に人間か”?」

よほど珍妙な問いに、およそ冷静だったレンの表情が変わった。

「それは……如何なる意味でしょうか」

「吞み込みの悪い奴だ。貴様はあれを人間だと言ったが、人間とは思えぬ故に聞いておる。あれは他の何かが”混ざっておる”。貴様はどうだ? 答えぬならば、先に貴様を暴くもよいな」

頭一つは上からの睨みを向けられ、レンは青い顔で黙した。

「言わぬか。黙するも告白ぞ――あの者の呪い、帝国時代に見たことが有る。人間の体に、武器らしきものがねじこまれ、魔の気配がする”珍妙な”姿だった」

灰にくすんだ瞳にうっすらと滲んだのは、恐怖か、憐憫か。

――脳裏に浮かぶ仲間”だった”もの。

背に、腹に、幾つもの銃器を埋め込まれた姿、片腕が引き摺る程の大砲になった姿、肩から巨大なノズルが生えている姿、人の身など見る影もない彼らが、戦場で殺しに殺し――……やがて。

「あなた様の……予想通りかと存じます……」

罪を告白するように答えた男とその手に握られた蝋燭消しを、カエルの時よりも嘘を許さぬ目がねめつけた。

「そうか――では、始めるとしよう」

ノーラはおもむろに自身の口に手を突っ込むと、中から長いものを勢いよく引き出した。遠くでロニがぎょっとしたそれは、金の杖――王が持つ王杖だ。腰高ほどのそれを体の前でトン!と地に突くと、周囲で沸き上がる黒いうねりが驚いたように退く。

「逃げるか。賢いが、間に合うかな?」

再び、王杖が突かれた。今度は先ほどとは違う――教会の鐘でも鳴らすような、重い音が響き渡った。ノーラの周囲から水が円を描いてほとばしる。それは宙で無数の矢に変化し、塔に散らばる灯の一つ一つに襲い掛かった。塔は煙を撒きながらぶるぶると身を震わせ、山ほどの手をノーラに向けて毒蛇のように伸ばす。指の一本一本が牙のように尖った爪をぎらつかせて襲い掛かるが、それはニタリと笑った男に届く前にレンが手にした刃に薙ぎ払われた。切り落とされた腕や手は地にぼとぼとと落ちると、べったりした黒い液体に変わった。その間にも、水が次々と炎を消す。

「フフ……ヒヒ……なンてトモダチ甲斐の無い奴だ、レヴィン!」

たまらず、顔を出したらしい男が、塔の只中から上半身を現して吠えた。声に呼応するように塔は地を揺らして震え、機関車よりもどす黒い煙を吐き出す。

「貴様ガ、総統閣下ノお気に入リなんテ……‼」

男が怒りに顔を歪めてサッと腕を振ると、残った炎が瞬きひとつで拳銃に変化し、骸骨の手に握られた。自身も装飾が入った同じ型の拳銃を握り、嫌な笑みを浮かべた。

「ロニ様、耳をお塞ぎ下さい!」

イレーネの声にロニが慌てて耳を塞ぐと、まるで機関砲の如き轟音が鳴り響いた。

一度に大量の拳銃が発砲されたのはわかったが、音だけで自分の体がバラバラにされるようだ。小さな拳銃でも一糸乱れず一度に撃つとこうなるのか……! 恐怖に慄きつつも、ロニは戦闘に目を向けた。

「なんと、やかましい」

まるで弾丸を避ける気のないノーラがうるさそうに言った。不思議な事に、狙い撃ちされた筈の彼は、王杖を前に突いた格好のままだった。足元の地面はずたずたになっているにも関わらず、臙脂のマントは翻り、その裾さえ千切れた様子はない。

「ナ、何故……⁉」

狼狽えた様子で目を剥くフーゴが尚も銃弾を発射させるが、その弾丸は確かに地面を噛み千切るも、不遜な笑みを浮かべる男の体はすり抜けてしまう。

「ま……まさカ……――」

拳銃を持ったまま、何かを振り払うように腕を振ると、地面をどろどろと覆う黒い塊がノーラの身に襲い掛かった。やはり、彼は避けなかった。あろうことか、真上から黒い塊が大きな手のひらのように覆い被さるが、それでも微動だにしない――と、思ったところで、その姿はパシャッと水に変わって弾けてしまった。

「ど……何処ダ⁉」

微かに火がちらつく目が、ぎょろぎょろと周囲を見回した。塔の骸骨の手も、拳銃を握ったまま辺りを窺う。ノーラが弾けた水は霧散し、黒煙に入り混じりながら立ち込め――辺りはもやに霞んだ。ロニも、フーゴと同じことを考えていた。

……先程から、レンが居ない。

「レヴィンは――……」

フーゴが悔し気に呻いたとき、その声はすぐ傍で響いた。

「此処だ」

塔から生えた腕に足を掛け、フーゴの真後ろで巨大なナイフを振りかぶった青年は、肩にカエルを乗せていた。不自由である筈の片足を、生き物のようにうねる噴水が支えている。フーゴが振り向く。その口が裂けるように笑んだ刹那、間髪入れずに振り下ろされた刃が、胸の悪くなる風音と共にその首を薙いだ。

思わずロニは目を背けたが、軍帽ごとざっくり落とされた首から血は出なかった。

代わりに辺りを覆っていた黒いものを垂れ落としながら、塔を転げ落ちて地に落ちた。男の唇からはどろりとした黒煙が漏れ出たが、もはや言葉は出なかった。

レンは静かにそれに見つめていたが、カエルが口から吹き出す水に乗って滑り降りると、ゆっくりと近付いて、傍らに膝をついた。

目を見開いたままのその首に手を伸べると、そっと瞼を下ろす。

肩から降りたカエルと、ロニやイレーネも見つめる中、首も、塔も、黒煙を風に吹かしながら、音もなくハラハラと舞う灰となり……やがて消えていった。

後には、黒く消し炭になった樹が一本、暗い荒野に残るばかり。




 その頃、書庫に残されたマイルズは扉を背に、首を捻っていた。

目の前には、キャロルが気まずそうに椅子に座らされ、机の上にはロニたちが消えるのと同時に炎も消えた本がある。尋問でも始まる雰囲気で座れと命じられた女だが、別に縛り付けられていたわけではなく、本の方も静かなものだった。

猫のフランソワさえ、今はすっかり落ち着いて、机の隅で顔を洗っている。それを脇に眺めつつ、マイルズは言った。

「じゃあ、なんだ……テオドラに命じられて、本を集めていたんじゃないのか?」

「そ、そうよ……ホントに頼まれていたら、彼女の名前なんて絶対に出さない!」

見上げたファン根性を口にしたキャロルに、マイルズは呆れ顔で言った。

「なあるほど……俺はこれでも女の嘘は山ほど聞いてる。その耳の経験上、あんたは嘘をついてるわけでも、脅されてるわけでもないようだ。香水の趣味も良い」

「こ……香水?」

女から仄かに香るのは、先日行ったばかりのロニの家で嗅いだものと同じ香りだ。

胡乱げになる女の問いを無視して記者は聞き返した。

「何の用で此処に居たんだ? ロニには黙っておいてやるから正直に言えよ」

「……ほ、本を取りに来たのはホントよ……――こ、……此処にはたまに、貴重なものが入って来るから……傷んでるのを修復すれば、それなりになるから……その……リストが多少曖昧でも、誤魔化しがきくから……」

「ああ、納得した。オカルトどころか、よほど俗な理由だったわけか」

要するに、キャロルは此処に入って来る本の転売をしていたらしい。

大好きなテオドラ・カノンを追いかけ、つぎ込むために。

「じゃあ、後生大事に取っといた封筒は何なんだ? メゾン・ダリアの大量の紙袋は? テオドラに本を届ける為じゃないのかよ」

肩をすくめたキャロルは少し怒ったように答えた。

「違うわよ。封筒は写真集を買った時の包装紙で記念に取っておいたの。紙袋は服を買った時のもの。公演やサイン会に行く時にサブバッグが要ると、アレを使うの」

「サブバッグだあ? スーツケースをゴロゴロ転がして、まだバッグが居るのか」

「当り前よ! 映画ならグッズが販売されるし……万一、偶然サインを貰える機会があるなら取り出しやすいものに――」

「あーあー……わかったわかった、夢見がちなアンタには悪いが、実につまらん……とっとと外に出て煙草が吸いたい」

壁に貼られた火気厳禁の注意書きを眺めながら、マイルズはうんざり言った。

「ほ、ホントに内緒にするんでしょうね? 喋ったりしたら、そっちが私の部屋に勝手に入ったのを訴えるわよ!」

テオドラに纏わる尋問の為に、住居侵入の件を喋ったマイルズだが、ちっとも慌てる素振りを見せずに頷いた。

「安心しろよ、あんたの”無断欠勤”の件も含めて、バラす気はない」

ハッとするキャロルに、記者はよっぽど悪い笑みを刻んだ。

「わかっちゃいると思うが、対等じゃないぜ。俺は確かにあんたの部屋に入ったが、”出勤した筈が欠勤していた”あんたの事を心配した管理人に”付いていっただけ”だ。管理人は本当に心配していたから、同じ証言になるだろうな。正当性が疑われるほど、こっちは悪いことはしちゃあいないし、あんたには余罪がありそうだ。出るとこに出ちまったら、不利になるのはどっちかな?」

青い顔になるキャロルに、マイルズは尚も世間話の調子で告げた。

「どうも俺が思ってたのとはシナリオが違うようだ。書庫から慌てて出てきたのは、あの本が燃えてたからか?」

「そうよ……入った時、もう火が有って――びっくりして……消すものを持って来なくちゃって部屋を出たらあなた達が居たの……なんか変な物が居た気がするし、ロニは消えちゃうし……一体どういうこと?」

「俺にわかるかよ。まあ不審火じゃあないのは確かだ。流行りのオカルトだろ」

投げやりに答えると、ふと、自分の言葉が引っ掛かったマイルズは顎を撫でた。

「なあ、キャロル――テオドラの家で火の玉が出た話は知ってるか?」

「知ってるわよ」

「お、さすがファンは詳しいな。お前らは信じてるのか?」

「彼女が言うことを疑ったりするもんですか。……大体ね、アレは彼女にあの家を買わせた不動産屋の落ち度なのよ」

「落ち度ったって……豪邸だろ? 並の家の三倍以上はあるぞ」

「そうよ。問題は大きさじゃあないわ。あの家は、帝国時代に総統だった男の邸宅だった建物なの」

降って湧いた言葉に、マイルズは叩かれたような顔をした。

「総統って、ファウストっていう?」

「ああ、そんな名前だったわね。ファンの間以外にも、あんたの言うオカルト好きには有名な話よ。丸ごと無くなっちゃった総統府と、人は誰も居ないのに建物だけ残った邸宅は歴史でも習うでしょ?」

「そういや、あったな、そんな話……」

帝国時代の総統府が在ったのがこの町なのは、キャロルが言う通り、子供も習う歴史の一つだ。しかし、総統府だった筈の場所は、柱一つ、何なら外壁の煉瓦ひとつ残っていない。帝国時代の最期は、彼らの圧政に対し、腹に据えかねた民衆の蜂起による戦闘に始まり、最期まで降伏しなかった軍人らが立てこもる総統府が陥落して終わった――と、いう記録がある為、総統府周辺で、武器或いは兵器を用いた戦闘が有った筈だが……当の総統府は陥落の前に丸ごと消えてしまった逸話がある。

そして、これには確たる証言や記録が残っていない。諸説あるが、例えば民衆側が他国には言えない様な残虐非道、または危険過ぎる兵器を用いて建物ごと破壊した為に記録に残せなかった説や、魔法を用いていた帝国側が危険なそれを発動または誤作動させて総統府もろとも全滅した説、戦いの終盤を迎える以前に総統府は壊されていた説――等々。とにかく、一夜にして巨大な施設や軍レベルの多人数が消えるなど有り得ない為、オカルト界隈では有名だという。

非科学的な事象を嫌う学者の類は、津波が押し寄せたとか、竜巻や地震による倒壊も上げたが、此処は内陸だし、竜巻や地震なら他にも害が及ぶ為、全く記録が無いのはおかしい。一方、戦闘の前に無人となっていた邸宅の件は、単に危険を察知した使用人らがあらかじめ逃げ出したという説や、使用人自体が反逆者となったのではという人為的な説が有力で、総統府ほど怪しくは無いが、居た筈の人々の行方に関する情報もまた皆無らしい。

今なら魔法を信じられるが、そうだとして――誰が何をやったのか。

「『大喰らい』ねえ……」

呟いたマイルズは、毛づくろいを終えて香箱座りを始めたフランソワを眺めるキャロルを見た。

「総統府と、邸宅は別だったんだな。俺はファウストってのは、どっかの国の独裁者みたいに仕事中毒で死ぬタイプだと思ってたんだが」

「少なくともセンスは良かったんじゃないの? 肖像画はイイ男って感じだし……残されていた家具も含めて、テオドラはあの家が気に入ったらしいから」

「じゃあ、不動産の落ち度ってのは何だよ」

「だって……気持ち悪いじゃない」

「何が。悪しき帝国を率いた男の家だからか?」

幾らかふざけた調子のマイルズに、キャロルは付き合う気は無さそうに首を振った。

「……テオドラが入居した後に見つかった地下室よ。入口は塗り潰されてて、明らかに隠されていたって」

「ほー……拷問部屋か何かか? それとも死体や骸骨でもあったのか?」

デリカシーのない男の言葉に眉をひそめつつ、キャロルは首を振った。

「エクスター・ハウス社の情報誌の話だから……ホントかどうか知らないわよ?」

エクスター・ハウス社の記者が知らん顔で頷くと、女は意味もなく辺りを見渡し、片手をかざして声を小さくした。

「……病院みたいな施設らしいわ。死体は無かったらしいけど……薬なのか毒なのか、何だかわからないものや、武器の在庫なんかがあったみたい」

女優の家の地下に謎の廃病院。病院というだけなら怪しくはないが、使われなくなったそれほどオカルトに相応しいものもないし、治療現場に武器は不要の筈。何より本人が不気味だろうが、ファンも良い気分はしない様だ。

「その地下病院、どうなったんだ?」

「リフォームしたって。そりゃそうよね」

マイルズは机に置かれたままの本を見てから、怪談でも話した顔の女を見た。

「なあ、キャロル。ちょっと協力してくれないか」

「え、やだ、何を……?」

既に弱みを握られた女に、記者は悪党めいた笑みを浮かべた。

「協力してくれたら、テオドラに会えるかもしれないぜ」

「なっ……なんですって!」

「俺は腐ってもエクスター・ハウス社の記者だ。その情報誌を書いただろう奴も知っている。そいつもネタがありゃ協力するさ。今のところ、テオドラの所属事務所から、取材に対する苦情も無いしな」

キャロルは目を瞬き、落ち着きなく腕をさすり、頬を上気させた。冷静ではない様子で、それでも怪訝な顔で記者を上目遣いに見た。

「ほ……本当に会わせてくれるの?」

「ああ。だから協力しろ。法に触れることじゃあないぜ。お前には得にもなる筈だ」

警戒心よりも女優への想いが勝ったらしい女が頷くと、マイルズは言った。

「よし。さっき燃えていた本だが、ロニが言うには、此処の収蔵記録に無いそうだ。コイツが何処から来たのか知ってるか?」

「データに無い本? それじゃ……チェスター神父が持って来た本だと思うわ」

「チェスター? そいつはリシェの……いや、その前になんでデータに入れなかったんだ」

「……そ、それは……」

言い淀む辺り、根は正直な女らしい。

「ほっほー、後でくすねる気だったか。ま、俺は警察じゃない。チェスター神父殿は、よくこの手の本を持って来たかい?」

女は身をすぼめ、首を傾げてから頷いた。

「……そうね、何度か。教会は、寄付や遺品が集まりやすいそうだけど、そのまま使うには難が有ると、ウチに持ってくるってわけ。寄付で渡されたものを廃品に出すわけにいかないでしょ?」

教会は誰が見ているとも知れないし、正体が魔法書グリモワールでも、装いは聖書の姿だ。

修復が済めば改めて返すこともあるが、教会も託児所や図書館ではないし、彼は神に身を捧げた敬虔な男である為に独身――子供はいない。

「フフン、なるほどね――なかなかどうしてコイツは面白い。よし、ロニが戻ってきたら行こう」

総統府。総統邸宅。地下病院。そして、教会。

早く一服やりたいと思いながら、マイルズは溜息を吐いた。

「まったく、たかが数日ですごい情報量だ。俺は作家にでもなった方が良い気がしてきたよ」

その一言を合図にするようにフランソワが金目を瞬き、身軽に机から飛び降りて、のそのそと出て行った。




 「二人とも、大丈夫?」

ロニはレンとノーラに駆け寄りながら声を掛けた。

レンは元気のない笑みで頷いた。手の中の蝋燭消しは、今は杖の先端にベルが付いた姿に戻っている。彼が何か言うより早く、ノーラの方が伸びをしてから胸を張った。

「舐めるな小童。こんなものは朝飯前というやつだ」

胸をらせた拍子に落ちそうになる王冠を支えてやりながら、ロニは微笑んだ。

「本当だね。ノーラが来てくれて良かった」

様を付けろと言うかと思ったが、彼はケラケラと笑っただけで頷いた。

「もう、人には成らないの? すごく格好良かったのに」

「む? 意味が無い。格好良いという言葉は悪くないが、お前に言われてもなあ」

「ハハ……確かにそうだね」

「笑っておる場合か、小童。次はお前の番だぞ。イレーネよ、ドリュアスの気配は感じるか?」

「ええ、感じます。あちらに」

イレーネが示すのは、黒い塔がそびえていた場所だ。今は最初に見た時に生えていた消し炭同然の樹がある。四人でそちらに向かうと、もはや生きてはいまいと思える幹に、乙女は汚れるのも構わぬ様子で手を当てながら、探る様に樹の周囲を廻った。不思議そうに一緒に付いて回ったロニに、イレーネは振り向いた。

「ありました。これです」

彼女が指し示すそれは、ごつごつとした幹の隙間に潜むように在った。

「若木だ……」

もう死んだと思われる幹から生えている若木は、黒と灰に覆われた場所で宝石のように輝いて見えた。

「ロニ様、触れればドリュアスが力を取り戻しますが、かなりの量を奪われると思います。お支えしますが、お気を付けください」

「うん、わかった」

むん、と気合を入れて、ロニは若木に触れた。

傍目には、何も起きなかった。だが、急激に貧血が起きたような症状に襲われてよろめいた。触れている若木は、何もしていない――だが、ただ触れているだけなのに、手はくっ付いてしまったように離れがたく、辺りが虹色に見える程の眩暈を感じた時にはあっさり離れた。ロニはふらつき、酩酊したように地にへたり込んだ。

イレーネが幻惑に使った時の比ではない。生命力とは異なると言われたが、呼吸を止められていた様な苦しさを感じる。

「大丈夫ですか?」

体中の血の巡りがスローダウンしている気がしたが、優しい声にどうにか頷いた。

「……うん……、ちょっと熱っぽいというか、眩暈がするだけ……このまま休んでいれば……」

「なんちゅうヤワな小童だ。冷やしてやろう」

カエルの慈悲か発破かわからない水鉄砲を顔面に浴び、むせるロニにイレーネが慌ててハンカチを差し出す。その様子を見つめていたレンが、どこか切なそうに言った。

「本当に……魔法を携えて来るとは思いませんでした」

顔を拭いたロニは、寂しげな灰色の目を仰いで苦笑した。

「いえ、僕は結局なにも……彼らが来てくれたのは、ご先祖が結んでくれたえんのお陰です」

「……本当に、それだけだと思われますか?」

苦笑いを浮かべたレンが、消し炭となった樹の方を見た。

つられるように振り返ったロニの目の前で――仄かに輝く若葉が芽吹いていた。小さな若木の芽が柔らかに身を揺らしながら伸び行く様は、ゆったりとした鳥の羽ばたきにも似ている。息を呑むのも束の間、この世で最も眩いであろう緑色は葉となり、枝となり、また一枚、二枚と葉を茂らせ、溜息が出るような緑の連鎖を続けていく。

ほんの少し見つめていただけで、それは焼け焦げていた木を押し退け、青々と葉を茂らせる立派な大樹となっていた。何処かで水の流れる音が響き始め、小鳥の鳴き声が聴こえた。風がそよいで葉が揺れ、足元には草が生え始め、小さな花々が顔を覗かせ、蝶が羽ばたいた。

「貴方が来なかったら、此処は暗い灰色の世界のままだったんですよ。私には火は消せても、彼女を救うことはできなかった」

レンの穏やかな言葉に、ロニはぼんやりする頭で呆け……ぽつりと言った。

「…………良かった」

何故か胸がきゅっと締め付けられて少し涙声になると、ロニは慌てて鼻を啜り、誤魔化すように辺りを見渡した。

「ドリュアスは……まだ動けないのかな?」

独り言のように呟くと、イレーネが樹の方を見上げた。それはもう、見渡す周囲に緑陰を落とす、塔のように大きな樹になっていた。同様に、辺りも続々と緑が生え育ち、動物の類もどんどん賑やかになっていく。

彼女は樹そのものに向かって、小動物にでも声を掛けるように言った。

「ドリュアス――ロニ様が心配していますよ」

眼前の幹が震え、隆起したそこから、小さな女の子がちょっぴり顔を覗かせた。初めに顔を合わせたドリュアスではないのは一目瞭然だった。樹木の滑らかな木肌と同じ肌や、葉そのものの髪、緑と金入り混じる目は一致するが、容姿はずっと子供であり、あの厳しい目は怯えるようにか弱い。

〈……ロニさま〉

幹の隙間に潜むようにしながら気恥ずかしそうな声で言った少女に、ロニはポカンと目を瞬かせた。

「君、ドリュアスなのか……?」

〈ウン。おかげで森、戻る……アリガトウ〉

「随分、ちっちゃくなっちゃったんだね……もっと早く来ればよかったのかな。それとも、僕の力が弱いから……」

反省を始める男に、小さな森の少女は萌黄色の葉で出来た髪を揺らして首を振った。

〈へいき。良き力は森を育て……森を満たす……〉

「良き力……?」

〈水も、土も、風も、火も……全部、森には要る……潤い、育て、整え、巡る……すべてが回り……森は在り続ける……〉

ロニが不思議そうにその声を聴いていると、彼女は不意に握った片手を差し伸べた。

〈どうぞ〉

「?」

不思議そうに手を出したロニの手に何かを握らせた少女は、レンの姿を認めると、ぱっと幹に隠れてしまった。消えた後には、さわさわと枝葉が揺れる。何処からか光がこぼれ、深い森の香りが漂ってきた。

〈アリガトウ……でも……お願い。早く……罪人つみびとを連れて帰って――〉

声だけが響き、幹に以前開いたそれよりも小さな穴が開いた。ノーラならちょうどいいサイズだが、他の三人は腰を屈めてようやく通れる程度の穴だ。

「ま、長居することもない。戻るとしよう」

「う、うん……ちょっと待って――まだ頭がクラクラして……」

カエルの言葉に立ち上がろうとしたが、豊かな緑の景色が揺れて敵わない。傍らでレンが支えてくれたのに礼を言うのもままならず、さっさと行きかけたカエルものしのしと戻って来た。

「しょうがないのう。よしよし、私が楽に帰してやる」

何となく物騒なセリフを吐くノーラが、まだふらついているロニに穴の前に座る様に命じた。レンやイレーネに手伝ってもらいながらどうにか座ると、ロニは背後に迫ったカエルを見て、嫌な予感にハッとした。

「ち、ちょっと待って! ノーラ――」

「行くぞ小童!」

「待っ――あああああああああ――――‼」

感慨も疲れも冷めやらぬまま、背中から勢いよく水鉄砲を浴びせられ、ロニは即席のウォータースライダーに悲鳴を上げながら穴に吸い込まれていった。

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