第26話 マルボロ地区

 異形な生き物に襲われたカイは、未だ予断を許さない状況だったが一旦船内に戻ると一息つくことにする。

 幸い、誰にも被害はなく、獣と格闘したカイも、武具を旅行に携行させていたアリの機転で怪我を負う事もなく難を逃れた。


「ウルタプ、レストランにも居ないね」

 大きな椅子に全身を預けて少しの間、目を閉じていたカイの元に、飲み物とパイを乗せた盆を持つレイノルドが戻って来る。

「だなぁ。腹一杯になって昼寝してるんじゃないか」

「チルってるね・・ ははは」

 レイノルドは笑いながらカイの前にあるテーブルに盆を置くと腰を下ろした。

「本当に南島に先に行ったのじゃないのか?」

 レイノルドと共に戻って来たアリが懐に財布をおさめながらカイに語りかける。

「水の上では飛べないし、金槌だって言ってたんだけどな・・・ あ、結月」

 船内に戻って直ぐトイレに直行した結月がカイを探している姿が目に入る。

「カイ」

「ウルタプ、トイレに居なかったか?」

「・・・ ウルタプちゃん?・・・ 見てないけど」

 ウルタプの名に結月の心臓が激しく動くと、喉に何かが詰まった気がして小さな声しか出せなかった。

「どうした? 大丈夫か?」

「あ、うん、平気。ちょっと疲れただけ」

 そう告げると結月はカイの隣の席に腰掛けた。

「ウルタプが居ない時に襲われる気がするよね」

 何気にそう告げたレイノルドが、先程購入したパイをかじると、噛み跡からフワッと湯気があがる。

「確かにな。前襲われた時もウルタプと会う前だったし」

「マタカナマーケットでは襲って来んかったな」

「ごめん・・・」

 カイ達の会話を隣で聞いていた結月は小さく呟くと俯いた。

「結月? 何か言ったか?」

「あ、え? 同じ女子なのに私は役立たずで、ごめんって思って」

「何言ってんだよ。アリとレイノルドに知らせに行ってくれたから、俺助かったんだぞ。有難う」

 心から感謝を述べるカイの言葉が結月の心の傷を更に抉る。

 結月は膝上に置いた手を強く握ると硬い笑顔を返すしか出来なかった。


「ウルタプのことだ、仲間が迎えに来た可能性もあるし、ピクトンに着いたら待たずにカイコウラに向おう。ウルタプが居たらカイコウラまで短時間で移動できるし、クウィーンシャーロットトラックを歩く時間があるかなって期待してたから、残念だけどな。タカカヒルをひとっ飛びしてゴールデンベイも見せたかった」

 カイは肩を竦めると残念そうな顔をする。

「クウィーンシャーロット綺麗だもんね。それにネルソンもアベル・タスマンも素敵だし、帰りに寄れるといいね」

 軽い気持ちでそう告げたレイノルドがカイにウィンクを送る。

「そうだな、北島に帰る時・・・」

 何気なく吐いた自分の言葉にハッとしたカイはそれ以上言葉に出来なかった。

【生贄になる場所はウルタプから聞かさせれていない。俺は再び北島に戻れるのだろうか・・・】

 そう思うと急に愛着と喪失感に襲われ無意識に立ち上がってしまう。

「カイ、どうしたの? 食べないの?」

「あ、さっき外を見ようと思ってデッキに出たのにさ、襲われたから、もう一度外に行こうかと思って、ハハハ」

「危険かもしれんぞ」

「アリ・・ 俺なら平気、じょうも持って行くし」

 心配そうな表情でカイを見つめるアリとレイノルドに長い棒を持って見せる。

「なら、僕も外で食べるよ。その方が気持ちいいし」

「そうじゃな、なら儂もそうしよう」

 やっと腰を下ろしたカイ達だったが、再び席を立つと一人留まる結月を眺めた。

「結月はどうする?」

「私はここに残る。壮星達が戻って来るかもしれないし」

「分かった。でもさ、マルボロ・サウンドは景色がスッゲエいいし、秘境の宿泊施設とか見せたいからさ、一休みしたら出て来いよ」

 少し沈んだ様子に見える結月を残すのは気掛かりだったが、北島がまだ見えるうちに外に出たいカイはその場から立ち去った。


 薄っすらと残っていた北島の影が姿を消すと、カイを乗せた大型船がユックリと入り組んだ海岸線と原生林が連なるマルボロ海峡へと入って行く。透明度の高い海面と幾つものビーチ沿いを走る船の四方八方を深緑の森が包み込み、誰の鼓膜にも届く甲高い海鳥の声が響き渡る。

 心地良い潮気を含んだ浜風がカイを囲むと目頭が熱くなった。

 この旅行が自分の人生の締めくくりなのだと何度も言い聞かせていたカイだったが、久方振りに帰って来たニュージーランドの景色をもっと見ていたいと願ってしまう。

 月の僕だという獣、怪しげな女、自分の身体に現れた入れ墨、そして恐ろしい声を持つ炎の神マフイカ。全てが夢ではなく現に起こっている事で、もう引き返せない所まで来ている自分の状況に唇を嚙んだ。


 カイ達がピクトンに到着してもウルタプは姿を見せず、一行はアリの運転する車でカイコウラへ向けて出発した。

 ウルタプが居なくともTIKIが教えてくれるはず。

 それを信じてカイはTIKIに変化がないか隣に座るレイノルドと共に注視しながら、旅を続けた。


 インターアイランダーが到着するピクトンは小さな港町で、海岸沿いにはカフェやショップが並び、ビール醸造所や海洋博物館と水族館もある。波の穏やかな入り江を利用して、カヤックや釣り、イルカウォッチング等のマリーンアクティビティが楽しめ、またクウィーンシャーロットトラックへは水上タクシーやバスを利用して簡単に辿り着ける。


 一同はニュージーランドで最も有名なワイナリーが点在するマルボロ地区を横断しながら、美しい海岸沿いの国道を車で走行していた。

 緑豊かで広大な土地に綺麗に整列された葡萄の木が立ちならんでおり、丁寧に育てられているのが一目瞭然である。煉瓦造りの古風な建物や、白で統一された城のような佇まいのワイナリーではレストランが併設されており、自慢のソービニヨンブラン(白)ワインともに、ニュージーランドで広く養殖され栄養素が豊富で「奇跡の貝」と呼ばれるグリーンリップドマッセルや、溶けるようなサーモン等、シーフードを堪能できる。加えてニュージーランドは酪農も盛んで、多種多様なチーズが製造されており、チーズボードも人気の一品である。


 一同は、ワインタウンの呼び名を持つ、ブレナムでマカナチョコレート工場とマルボロ博物館を立ち寄った後、アリが大量に購入したチョコレートとワインを抱えながら車に乗り込んだ。。


「全部がハンドメイドのチョコだなんて素敵だったね~」

「うん、口溶けがたまらない」

 結月は凛に同意すると落ちそうな頬を押さえながら丁寧に作られたマカナチョコに感動する。

「結月、それで何個目だよ ・・ったく、アリも甘いんだから」

 後部席の結月に小言を告げた後、カイは隣で座るアリを覗き込んだ。

「チョコレートって魔物なのよね~ さっきの怖い犬にもこのチョコを上げてたら大人しくなったかも」

「だね~」

「おい、レイまで」

 チョコレートを1つ口に放り込み結月の意見に軽く賛同するレイノルドの右肩にカイは自分の左手を置くと呆れ顔を見せた。

「そなたも一つ御所望か?」

「うおっ、レイノルドの侍言葉、久し振りに聞いた気分だな。ハハハ」

「本当ねぇ フフフ」

 壮星が後部座席からレイノルドに突っ込むと凜も賛同する。

「苦しゅうない」

 レイノルドに再度チョコレートを勧められたカイは、吹き出しそうになるのを堪えながら受け取った。

「サンキュ、レイ・・ っぷ、あははははっ」

 獣の襲撃、怪しげな女の登場、ウルタプの失踪。固くなっていた空気がレイノルドの一言で解れると車内に笑い声が響き渡った。

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