第24話 船上

 ウルタプに導かれてファレヌイを出たカイは、持ち主を待つようにポツンと置かれた自分の靴を見付ける。靴を脱いでファレヌイに入ってから随分と時間が経ったからか、裸足である事を忘れていたカイは、足元に視線を落とす。異次元から出たのだと直ぐに理解しながらも、顔を上げモーモとポウカイの姿を探してしまう。カイを取り囲むのは、雄大な森林や生物達では無く、テ・パパ博物館内であることに寂しさを感じると、モーモとポウカイの柔らかい羽毛の感触が残る手を見つめた。


「あ、カイ、ここに居たんだ」

 何故か久し振りに聞いたような声の持ち主に目を向ける。

「レイ」

「寂しそうな顔して、どうしたの?」

「え? あ、いや・・・」

 未だ現実と異世界との境を彷徨っているようなカイは返答が頭に浮かばず、ただ茫然とレイノルドを見つめた。

「カイっ! どこで合流するのか教えてくれなかったから心配したぁ」

「テ・パパ博物館、こんなに広いと思ってなかったから会えてよかったね」

 レイノルドとアリに続いて現れた結月と凜は、カイに呼び掛けると苦笑いを浮かべるも肩を撫で下ろした。

「だなぁ、ここデカいもんな。心配させてごめん」

 先程までの不思議な世界を脳裏から消し去り、フワフワとしていた意識を着地させたカイは、手を頭に置くと謝罪する。

「お、カイ、凛もよかった。迷子になったと思った・・・ あっ、ウルタプ様ぁ 探しましたよ~」

 マオリ族の歴史や伝統工芸品とカヌーの展示に心惹かれた壮星は、皆に後れをとったため額に薄っすらと汗を滲ませて現れる。

「皆、揃ったみたいやな」

「はい」

 壮星が右手を高く上げ誰よりも先に返答したため、皆の笑いを誘った。


 予定通りフェリーに乗り込んだ一行は、アリの車から降りると直ぐに船の甲板へと急いだ。

 心地良い浜風がデッキに出たカイ達の髪に絡まると、女性陣は頭髪を手で抑える。

 ウェリントン市の中心部から出航するフェリーからは、ウェリントン駅を行き交う電車と、ビルの街並みが見え、ウェリントン空港へと降り立つ飛行機の姿が目に入る。

 出航の合図と共に船が揺れ出すと車のセキュリティアラームを刺激する事があり、海上には不似合いな音を響かせる。500台以上の車に1000人の客を乗せる大型の船内には温かい食事を提供する食堂やカフェに加え、バーや映画上映にライブ音楽を享受しながら、北南島間の約3時間半の旅をエンジョイできる。ガラス張りのラウンジには座り心地の良いソファがあり、空調のきいた船内で雄大な景色を満喫したり、甲板で浜風を肌で感じながらスマホのシャッターを押す等、それぞれの船旅を楽しめる。


「うわーっ、気持ちいい」

 海鳥たちが海上すれすれを飛ぶ姿と船の上げる水しぶきを眺めながら結月が声を上げる。

「もう、ウェリントンの町があんなに遠いね」

 先程まで近くに見えていた町がどんどんと小さくなっていく姿に北島とは暫くお別れだと凜は小さく手を振った。

「南島楽しみだよな」

 時折左右上下に揺れる船上で、デッキの柵を摑まりながら壮星が胸を膨らませる。

「ニュージーランドって本当に緑が多いよね。視力にいいわ」

 強風の町で有名なウェリントンは悪天候に見舞われる事が多いが、幸い天候に恵まれたカイ達は、深緑の木々を挟む青い空と透き通るような海、まるでキャンパスに描いたような風景に息をのむと暫く静かな空気が流れた。


「カイ、腹減った。もう、並んでないんとちゃうか?」

 乗船後すぐ食事を求める人が多く、カフェと食堂には人々の列があったため、ウルタプも結月達と共に甲板に上がったが、空腹に耐えられず腹を押さえながらカイに懇願する。

「テ・パパでも食べたのに、燃費が悪いスポーツカーだな」

「南島は北島よりも移動距離が長くなるからな、マナをチャージせなあかんのや」

 反抗期の子供のように口を尖らせたウルタプが最もな言い訳をする。

「俺も腹減った」

「実は私も」

「テ・パパで食べなかったもんね」

 結月に加えレイノルドとアリも口々に空腹を訴えるとカイ自身も小腹が空いている気がして腹に手を当てた。

「じゃあ、下に行くか」

「軽食もあるけど、しっかり食うか?」

「しっかりって?」

「チキンカレーが旨い」

 黙って島々を眺めていたアリが突如口を挟む。

「カレーって言っても、日本のと違ってインド風だよ。他には、バーガーやパイにパスタとかもある。フライドポテトにサラダも付いてて、ボリューム満点」

 家族とよくフェリーを利用するレイノルドが付け加える。

「あ―ますます腹が減ってきた」

「食堂に行ってから決めればいい」

 足を食堂へと向けるアリの後を嬉しそうにウルタプも続く。

「行こうぜ」

 カイは、跳ねるように歩くウルタプの後ろ姿を頬を緩ませながら眺めると結月達に声を掛ける。

「ウルタプさまぁ」

 凛の手を引きながらも大急ぎでウルタプに追い付く壮星を呆れた顔で眺めていた結月だったが、表情が一変すると厳しい視線を前方に向けた。


 胃袋を満足させたカイ達は太陽の光を反射させて美しく輝く海を眺めながら、ラウンジでのソファに身体を沈めていた。

「俺と凛は映画を観て来ようと思うけど、誰か行くか?」

 満腹感から眠気に浚われそうな表情のカイに壮星が声を掛ける。

「カイ君、その様子じゃ映画が始まった瞬間に寝ちゃいそうね」

 凜が小さく笑いながら肩を竦める。

「だなぁ、レイノルドなんて半分寝てるぞ」

 興奮で眠気を感じない壮星は少し呆れ顔をレイノルドに向けると、次に結月に視線を移す。

「姉ちゃんどうする?」

「私もやめとく~ 字幕ないでしょ? アニメでも分からないと思うし」

「まぁな。でも雰囲気を味わいたいから、俺達だけで行って来る」

「おお」

 カイは、壮星と凛を見送ると再びガラスの向こうに広がる景色に意識を移す。

 遠くに広がる海を眺めながら、残りのポウナウ石と僕に繋がっている気がして、自身の首から下がるTIKIを握り締めた。

「カイ、ちょっと嫌な気配がするから鳥達に聞いてくるわ」

「え?」

 空腹を満たし満足気だったウルタプが険しい形相でカイの耳元で囁くと静かに立ち上がる。

「俺も行く」

「否、ここに居り。海に落ちたりしても、うちは助けられへんから、ここに居る方が安心や」

「分かった。ウルタプも泳げないから気を付けて」

 真面目顔で頭を上下させるとその場を後にする。

 マウイ神の僕であるウルタプは常にカイの身を案じた。自分自身に価値を見い出せないカイは、マウイ神の偉大さを改めて認知させられた気がして、生贄となる事への恐怖心が薄らいでいく。

「ちょっとトイレに行って来る」

 うつらうつらと船を漕ぎだしたアリとレイノルドに気遣うように小声でカイに告げた結月もソファから立ち上がると姿を消す。

 冷静を装っているが脳内の混乱を鎮める術が見つからないカイは、空席になったソファを眺めながら深い溜息を付いた。


「ウルタプちゃん」

 人気のない所で海鳥と会話をしていたウルタプの背後に険しい顔の結月が声を掛けた。

「何や?」

 結月の登場で驚いた鳥がその場から去って行くのをウルタプは見送りながら結月に応じる。

「ぼ、帽子が飛んじゃって、取るの助けてくれない?」

「はぁ? 私みたいなチビに頼む事か?」

「だって、ウルタプちゃんは飛べるでしょ?」

「う、海の上は・・・ あほか、こんな所で飛んだら皆がビックリするやろ」

「そっか・・ じゃあ、私が取るから足を掴んでて」

 結月は一歩前に出ると柵を両手で掴みよじ登ろうとする。

「ちょっと待ち。危ないな、しゃーない、デザートおごりや」

「え? うん、分かった」

 デッキ柵の少し向こう側でヒラヒラと風になびく結月の帽子は、デッキ柵の上から手を伸ばせば届きそうに見えたが、小さなウルタプには難しくデッキ柵を乗り越えた。

「ウルタプちゃん大丈夫?」

「え? ああ」

 結月の呼び掛けに応じようと振り返ったウルタプだったが、突如押し寄せた大きな波に船が大きく揺れるとバランスを崩してしまう。デッキ柵をしっかりと掴む結月でさえ、その場に倒れ込むと、遠くで他の乗客の小さな悲鳴が響いた。

 結月は座り込んでしまった身体を起こすと、眼前にヒラヒラと落ちて来た自分の帽子を掴み辺りを見渡した。

「え? ウルタプちゃん? 」

 帽子を取ってくれたウルタプに礼を言おうと姿を探すが、絶え間なく押し寄せる波しか結月の目に入らなかった。

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