第19話 ワイトモ

 マタカナファマーズマーケットに到着した結月達は、賑やかな雰囲気に興奮を隠せなかったが、彼等とは真逆で険しい表情を浮かべるアリは注意深く辺りを見渡した。

「うちが一緒やから大丈夫やろうけど、まぁ、一応用心し」

「何? どういうことだ?」

「どこにでも鳥達がおるやろ?」

 そう問われたカイはフロントガラス越しに周囲を観察する。

「うん」

「監視役や。イヤな気配がすると報告してきよった」

 道中の楽しさから自分の勤めを忘れかけていたカイは、ハッとすると穴に落ちた気分になる。

「わかった。俺は車に残った方がいい?」

「いや、これだけ人がおるんや下手な真似はせんやろう。それに旨い物食べに来たんやろ。邪魔させてたまるか」

 ウルタプはそう吐き捨てると身軽に飛び降り、車から出て来たカイの腕に自分の腕を絡めた。

「やっと降りて来た」

 車から降りて直ぐにトイレに直行していた女子組がカイに声を掛ける。

「腕組なんてしてたら、恋人みたいね」

「凛、はいどうぞ」

 右肘を曲げ差し出した壮星の腕に凜の腕を組ませると二人同時に微笑んだ。

「早う行くで。お腹ペコペコやぁ」

「急いでるからって飛ぶなよ」

「そんな下手こかんわ。アハハハ」

「だなぁ~ ハハハ」

 多種多様の店が並ぶマーケットの中へと寄り添って歩みを進めるカイとウルタプの姿を厳しい視線が捉えている事に、その場にいる誰もが気付いていなかった。


 本格クレープやピザ、焼きたてパンとデザート、手作りジャムにジュース、クラフトビールとワイン。食べ物だけでなくハンドクラフトに絵画など、色取り取りの店が並ぶマタカナのファーマーズマーケットで胃袋だけでなく、美しい音楽と芸術に、心も満たされたカイ達は、再び車に乗り込むと、ウルタプの力で次の目的地であるワイトモケーブの近くに降り立っていた。

 南半球のニュージーランドは、南に下るほど気温が下がるためワイポウア・フォレスト同様、青々と木々に覆われた森だが若干肌寒い気がして、皆はジャケットを手に持つと車から降りた。カイ達が歩みを進めると、落下した枝や落ち葉を踏む音が静まりかえった森に響き渡った。

「こんなに自然の中を毎日歩いたの初めてな気がする」

「だなぁ~ 日本じゃ遠出しなきゃ、ここまでザ自然には会えないよな」

 ユックリと歩きながら深く深呼吸をする凜の隣で壮星も彼女に同意する。

「蛇が居ないのがいいよね」

 ニュージーランドには蛇が生息しないと知りながらも、草が生い茂った小路を一歩一歩慎重に足を進める結月は、自分の足元から目を離さずに凜の会話に付け加える。

「ぎゃっ!」

 そんな結月達の前にカイが木の蔓を投げると腹を抱えて大笑いをした。音の無い世界にカイの笑い声だけが木霊する。

「結月ビビり過ぎ、蛇いないって・・・ アハハハ」

「カイ君の意地悪」

「もうっ! カイっ!」

「いないって分かっててもさ、やっぱ繁みはビビるんだって」

 先頭をウルタプと歩くカイに詰め寄ると3人は強く抗議した。そんな様子にレイノルドとアリも頬を緩める。

 マタカナでは何者かに襲われる事もなく無事に過ごせたが、アリにさえ誰かの視線に気づくほど強烈な殺気に満ちていた。ウルタプが片時もカイから離れず、トイレさえも彼女の僕であろう鳥達に監視させたほどだった。カイ自身にもその緊張は伝わっており、この森に入るまでは肩に力が入っていたカイだったが、今は不思議と守られているように感じて、やっと緊張感から解放された気がしていた。きっとウルタプの力だろうと思うと、隣を歩くウルタプに視線を移す。

「何や?」

 不思議と目が合ったウルタプもリラックスした様子で口調に反して表情は優しく映る。

「いや、なんかさ、ここは居心地がいいなって思ってさ」

「そりゃ、ここも私のテリトリ―やからな」

 ウルタプは誇らしげに応えると森をぐるりと見渡した。

「そういや、ワイトモに用事があるって言ってたよな」

「マウイ様の槍を取りに行くんや」

「槍?」

「そうや。ワイトモケーブに置いてあるんや。ここワイトモは太古から神聖な土地なんや、マウイ様もよくここに来られた。昔は観光地じゃなかったから槍を納めておいたんやけどな・・・ はぁ―」

 ウルタプには珍しく不安な顔を見せると立ち止まり空を見上げた。


 マオリ語で「穴を通る水」を意味するワイトモ地区には複数の洞窟があり、ウェットスーツとヘルメットを着用し、浮き輪に乗って暗い洞窟内に流れる川を下りながら土ボタルを堪能できるブラックウォーターラフティングや、ロープを使って洞窟を下るアブセイリングを体験するため大勢の旅行者が訪れる。またワイトモ・土ボタル洞窟では、地下でありながら満天の星のように輝く土ボタルの魅力を小舟に乗って実際に体感できる。

 マウイ神の僕達はマウイ神の槍を洞窟の天井に生息する土ボタルの幼虫達に守らせていた。美しい青白い光を発しながら垂らす幼虫の長い唾液に槍を絡めさせて保管するのと同時に、槍の放つマウイ神のマナによって土ボタルも守られていたのだ。ウルタプ達の脳裏に土ボタルがつくり出す光が観光客を呼び寄せるなど想像もしていなかったのだ。


「ワイトモケーブって100年も前から商業化されてただろ」

「100年って昨日の事か?」

「え?」

 ウルタプの突拍子のない返事にカイの脳細胞は活発に働き出すと、ウルタプの言葉の意味を探る。

「ウルタプって幾つ?」

 空を仰いでいた顔を下すと怪訝な面持ちをカイに向ける。

「レディの歳を聞くかぁ・・・ はぁ」

「100歳以上って事?」

「ゼロが何個も足らんわ」

「えええええっ!」

 立ち止まってウルタプと会話をしていたカイが突然奇声を上げたためレイノルド達の視線を一同に集めた。

「カイ、そんなに大きい声を出してどうしたの?」

「それがさ ・・・痛って」

 レイノルドにウルタプの年齢を教えようとしたカイの足をウルタプが思い切り踏むと、怖い顔で睨みつけ、その場をさっさと去ってしまう。

「あ、ごめん。ちょっと待って」

 機嫌を損ねたウルタプの後を慌てて追いかけるカイをウルタプはもう一度睨みつけるとフワリと浮かび飛び去ろうとする。

「ウルタプ、ごめんって」

 カイとウルタプのやり取りを興味深く眺めていたレイノルド達だったが、彼等との間に距離が広がっている事に気付くと歩く速度を速めた。

 ウルタプは浮いていた身体を沈めると森を抜け道路に出る。静かな山岳地に不釣り合いな建物があり、観光バスや大勢の人だかりに異様な光景が広がっていた。

「ハァ――」

 ウルタプの口から再び大きな溜息が零れるが、ワイトモケーブ入口で集まる人間達にもう一度意識が動く。

【マウイ神の槍は普通の人間には見えない】

「そうやっ!」

 その事実を失念していたウルタプは怪しい笑みを浮かべると自分に追い付いたカイに振り返った。

「はぁ、はぁ、さすが早いな」

 時折通り過ぎる車を気にしながら上がった息を何度も深呼吸をしながら整える。

「あんたらケーブの中に入るんやろ?」

「え? どうだろ? 結構な値段するし、俺もレイも入った事があるから、結月たち・・・」

「入るなぁ」

 カイの返答を待たずにウルタプは企みを含んだ顔でカイに再度尋ねる。

「あ・・うん。入った方がいいなら入るよ」

「それでええ」

 ウルタプは腕を組むと満足そうに微笑んだ。

「マウイ様の槍は普通の人間には見えへん。でも、カイ、あんたには見えるはずや」

「え? そうなんだ。じゃあ、俺が簡単に取れるってこと?」

 ウルタプは組んでいた腕を解くと首を左右に振る。

「槍は手が届かん位置にある。あと、うちは洞窟の中では飛ばれへん。水にも入られへん」

「え? じゃあどうやって槍を洞窟の中に持って行ったんだ?」

「マウイ様には他にも僕がおるって言うたやろ」

「そっか・・・で、俺にどうしろって、まさかアブセイリングに参加して槍を取って来いって言うんじゃないだろうな」

「それもええな」

「え? マジか? ま、面白いからいいけど」

「残念ながら、一番人が集まる所に槍はある」

「え?」

「まぁ、カイはうちと一緒にボートに乗ってくれたらええ。マウイ様の槍はめっちゃ長いし重いねん。そやから、一緒に受取って欲しいんや」

「でも、ボートで立ち上がったりできないはず」

 カイの指摘にウルタプはいつものように自信満々の表情を浮かべる。

「土ボタル達に放せと言えばいいだけや。落ちて来る槍を二人でちゃんとキャッチするんや」

「なるほど、でも周りに怪しまれないようにしなきゃだな。俺、芝居下手なんだよなぁ」

「カイの芝居なんか期待してないわ。槍は重いからな。落ちて来た時、ボートが揺れるはずやから、皆一瞬慌てるやろ」

「そっか」

 ウルタプのアイデアに賛同したカイは右の親指を立てると歯を見せて大きく笑った。

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