第2話 家族
カイは、母親を幼少時に亡くしている。母の名はヒナ、マオリ族の血を持つニュージーランド人。カイの父、義海がニュージーランドへ短期留学した時に知り合った。義海はカイに母の事をあまり話さず、ただ『美人だった』とだけ頬を染めながら語った。
カイには5つ年上の兄ランギがおり、母親の愛を知らないカイであったが、父と兄の愛情に包まれて真っすぐに育った。
兄のランギは、聡明で、スポーツと武勇に優れ尚且つ、人望も厚く、カイは心から兄を尊敬していた。
そんな兄ランギが、昨年太平洋諸島へと旅立った後、消息を絶った。加えて父義海も突然2週間前から行方不明となり、3日前の早朝カイの家からそう遠くない崖下で遺体が発見されたのだ。
「ただいま・・・ って馬鹿だな、俺」
薄暗く音のない家の廊下がカイを出迎える。
カイはいつものように、自然と自分の中から零れ出た言葉に苦笑いを浮かべると肩を震わせた。そんなカイをレイノルドがそっと抱き寄せた。
「何で・・・ 何でだよっ・・・ 俺、一人になっちまったじゃないか・・・」
父の義海が行栄不明になった日から強く抱いていた希望が、粉々に砕かれると一気に絶望感がカイを襲う。
明るかった我が家から光が消え、父と兄の笑い声が聞こえない事に耐えられずに耳を塞いだ。
義海とランギを家族のように慕っていたレイノルドからも悲しみが湧きだし泣き出しそうになるが、カイの表情がスッと普通に戻ったため、涙を堪えた。
「ごめん。やっぱ、弱えな俺、ハハ」
「家族を亡くしたんだから、当たり前だよ。カイ、泣いてもいいんだよ」
カイの顔を心配そうに覗き込むレイノルドの額を軽く人差し指で押す。
「ありがとな。でも男が泣けるか。それにランギは何処かで元気なんだし、フラっと帰ってくるさ」
そう告げると明るく振る舞いながらリビングルームへと消える。
虚勢を張りながらも暗い影を落とすカイをレイノルドは無言で見送るしかなかった。
カイはキッチンに入ると冷蔵庫の中を覗き込み、大きなペットボトルを取り出した。そして、レイノルドが用意した2つのコップに飲み物を注ぐと、静かなダイニングルームに炭酸が弾ける音だけが響く。
「カイ?」
「ん?」
「コークがほら」
カイは見ていた筈のコップに焦点を合わせると慌てて、ペットボトルを机に置く。
「ごめん、一杯になっちゃった」
苦笑いを浮かべながら、なみなみとコークが注がれたコップをレイノルドの前に滑らす。
「タ(ありがとう)」
カイはレイノルドと向かい側の椅子を引くと重い身体を下ろした。
「そうだ。これ、マムから」
レイノルドは持参した紙袋をテーブルに置くとカイが中身を確認する。
「お、この香り、セラのマフィン。旨そう。レイも一緒に食べるだろ?」
セラは、レイノルドの母でニュージーランド人らしく、よくマフィンやスコーンを家で焼くのだ。
部屋に漂う甘い香りがカイの心を少し癒すと、長い間忘れていた食欲が蘇って来る。
「沢山あるなら、食べる」
「チョコ? それとも・・」
「ブルーベリー」
「オキードキー」
カイが立ち上がり食器棚から皿を2枚出していると玄関のドアが開く音がした。
「誰か来た」
先に物音に気付いたレイノルドがカイに声を掛けるのと同時に廊下を歩く足音が2人の耳に届く。
「カイ? 居るんでしょ?」
「お邪魔しまーす」
「カイ、大丈夫か?」
カイとレイノルドの居場所を知っているかのように廊下に響く騒がしい音が2人に近づいて来る。
カイも訪問者の予測がつくのか、食器棚から取り出す皿の数を増やした。
「あ、居た。カイ ・・・・この度は ・・何て言ったらいいのか」
「結月、いいよ。そう言うの」
「カイ ・・この度は ・・」
「だから、壮星もいいって。気を遣ってくれてアリガト」
結月と壮星は、カイの叔母美月の子供で、カイの従姉弟になる。
「カイ君 ・・大丈夫?」
「凛もサンキュ」
谷本凛は、壮星の彼女で、カイとは同級生。
「義海叔父さんが居なくなるなんて・・」
結月は未だ信じられない気持ちと共に唇を嚙んだ。
「ランギは何してんだよ!」
両手の拳を強く握ると壮星が吐き出すように呟く。
壮星が触れた"ランギ"の名に、その場に居る全員が誰かに
【静かに】
と告げられたように一瞬部屋から音が消えるが、すぐさまカイは顔を上げると小さく深呼吸をした。
「おいっ、皆突っ立ってないでさ、座れよ。サラがさ、焼いてくれたマフィン食べよう。コークも飲むよな?」
食器棚から取り出した皿をテーブルに置くと、再び皆に背を向け台所に向うカイを結月が呼び止めた。
「カイ、私がやるわ」
結月は、覇気のないカイの背中に、バトンタッチをするように、手の平で優しく触れると食器棚からコップを取り出す。
「カイ、ニュージーランドに行くんだよね?」
椅子に腰を下ろしたカイに結月がコップにコークを注ぎながら尋ねる。
「あ、うん。親父がこんな事になったから、ポパ(祖父)が、暫くはニュージーランドに住めって」
「そっか」
「うん」
カイは、自分がニュージーランドへ旅立ってしまう事に、尋ねてきた結月をはじめ皆があまり反応を示さない事に少し寂しい気分になる。
「ゴホン・・・ 話があるでござる」
レイノルドが姿勢を正しながら、そう告げると笑みを浮かべた面持ちでカイを真っ直ぐに見つめた。
「レイノルドったら、まだ変な侍言葉を使ってるのね・・ ククク」
「アハハ」
若干重苦しい空気に包まれていた皆の肩が上下に小さく揺れる。
「アハハハ、レイ、で、話って何?」
何故か嬉しそうなレイノルドに不可解な形相でカイは尋ねた。
「僕もニュージーランドに行く。カイと一緒にね」
レイノルドは、重大発表をした嬉しさで口角を上げると胸を張った。
「ふうん・・・ ニュージーランドに・・ って、え? まじで?」
レイノルドからの予想外の言葉に、カイは手にしたマフィンを落としてしまう。
「武士に二言はない・・・ ってそう、マジまじ。ずっと前からダディ、仕事でニュージーランドに帰ることになっててね。僕だけ高校卒業するまで置いていくつもりだったみたい」
「そうなんだ?」
「だから、僕もカイと同じ日にチケットを買うつもり」
そう告げると、レイノルドは右手の親指を立てカイの前に突き出した。
「すごい! カイ良かったね~。あ~私も行きたいな~」
「俺も~!」
「だったらさ、お母さんとお父さんに聞いて見ようか?」
「姉ちゃん、そうしよう」
「壮星が行くなら私も行く」
さっきまで曇りがちだった皆の心に木洩れ日が注がれる。
「おいおい、俺はニュージーランドに旅行に行くんじゃないぞ」
奇妙に高くなった皆のテンションに引き寄せられるように、カイも明るさを取り戻すと苦笑いを浮かべる。
「いいじゃない。皆で行った方が絶対楽しいよぉ」
「その意見に賛成!」
「レイ、お前まで」
「皆で海外旅行だなんて、夢みたい」
「姉ちゃん、ニュージーランドで美味しい物って何だろう」
「早速、ググらなきゃ」
「楽しみだな~」
父を失った我が家で一人になるのが怖かったカイは、皆の笑顔で心が温まると、そっと手を胸に置いた。
「皆、サンキュ」
カイは少し微笑むと皆の鼓膜には届かない小さな声で呟いた。
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