壁越しの視線
次の日、ユカは管理人室を訪ねた。
「隣の部屋、203号室の人って、どんな方ですか?」
管理人は少し口ごもってから答えた。
「…ああ、
「静かな方ですか?」
「まぁ……普通かな。ただ、ちょっと神経質かも。前の住人とも、何か揉めたって聞いたよ」
その「前の住人」という言葉に、ユカの胸がざわついた。
あのノートの持ち主か? それとも、記録されていた人物?
その晩、ユカはノートをリュックに入れ、郵便受けにメモを残してみた。
《お話があります。203号室の方へ》
数時間後、チャイムが鳴った。
「……はい?」
ドアを開けると、そこには20代後半くらいの男が立っていた。
やや細身で、黒縁のメガネをかけている。顔は整っていたが、目の奥には妙な冷たさがあった。
「あなたが…佐伯さん?」
「そうです。あなたが、隣に越してきた方ですね」
会話は丁寧で、無駄がなかった。
だが、どこか言葉の“熱”がなく、まるで読み上げられた台詞のように感じた。
ユカは意を決して、ノートを見せた。
「これ、ポストに入ってたんです。…前の住人のものか、それとも…」
佐伯の目が、ノートに向かう。
その瞬間、彼の表情がほんの少しだけ、揺らいだ。
「……それ、まだ持ってたんですね」
「え?」
「前の人も、それを持って…結局、出ていきましたよ。…壊れて」
「“壊れて”?」
「ごめんなさい、でも、それは僕のじゃない。…ただ、あなた、夜はカーテン閉めた方がいいですよ」
「……え?」
「この建物、壁が薄いので。……見られてるのは、あなただけじゃない」
それだけ言うと、佐伯はすっと身を翻し、自分の部屋へ戻っていった。
ユカの手の中には、開きかけたノートがあった。
その最終ページには、前の住人の最後の記録が書かれていた。
23:57 壁の隙間に、眼
23:58 声が聞こえる。「まだ気づいてない」
23:59 耳元で何かが囁いた。
0:00 終わり。
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