第42話 改めて
「人の頭の中に入って暴れ回る演奏って……」
「そうでしょう? 羽田のストピで、俺をズタズタに切るようなイメージで演奏していたこと、忘れたとは言わせませんよ?」
「…………」
七沢から目を逸らす。あのとき、頭の中に描いた絵は、随分とはっきり届いていたようだ。それはそれで、なんとも言えないものがある。
「ごめん」と言うのも違うな、と考えていたら七沢が話を続ける。
「これは『藤崎君だ』と確信した日から、あの動画を繰り返し見ました。また、あなたの演奏が聴けると思わなかったから、すごく嬉しかった。他にも動画が上がってくるのかと期待して待っていましたが、残念ながらこのチャンネルには、夏生さんのピアノ演奏はこれしかなかった……」
「まぁ、あれは従姉妹が勝手に撮って、勝手に上げたものだからなぁ」
「そうですね。それを聞いたときは、ああ、そうだったのかと納得しましたよ」
従姉妹の動画にたどり着いた経緯は分かった。
そこから、自分のチャンネルに、どうやってたどり着いたのか気になったので、それをそのまま聞いてみる。
「たまたま、オススメ一覧であの動画に出会ったのは、わかった。……けど、俺のチャンネルには届かないだろう? それは……?」
「コメントのおかげですね」
「コメント?」
夏生は、少しだけ眉を寄せる。
七沢は、自分のスマホを触り、動画サイトを開いた。そして、従姉妹がアップした動画をこちらに見せる。
「ほら、これを見て下さい」
「えーっと……『この人の手って、なんかナツキチャンネルの人に似てない?』」
従姉妹が動画をアップして、二か月後に書かれたコメントだった。
こんなコメントあっただろうか? もしかすると、読み飛ばしていたのかもしれない。
「これを見た瞬間、検索しましたよ。思いつくワードを次々に打って、それでようやくあなたのチャンネルにたどり着いた」
「そ、そうだったのか」
七沢が、どうやって自分のチャンネルにたどり着いたのか、その答えをようやく知れた。しかし、なぜ、そこまでして追いかけるのだろう、という疑問が、次に湧いてくる。その執念が少し怖くもある……と感じてしまうのは、もしかしたら、畑中さんのことがあったからだろうか?
そんなことを夏生が考えているとは思っていないのか、七沢は言葉を続ける。
「また、あの藤崎君のピアノが聴けると思っていた。なのに……段々とあなたの演奏は曇っていった。コンクール参加してた頃も、そういうところは多少あったけど、その頃よりも更に悪くなっていく一方で……」
「あー……」
それには自覚がある。収益化ができるようになり、自分の演奏が『金』に変わると気づいてしまったからだ。目先のことに囚われて、澱んで腐ったぬるま湯に、首まで浸かりきっていたあの頃。
「正直、あの頃の夏生さんは最悪でしたよ。動画を見ながら、ふざけるな! と何度も怒りがこみ上げました。あまりにも腹が立って……それがあって、あなたに会って、一言、言ってやろうなんて考えて……気づけば、あなたが動画でストピを弾いている場所を調べ、あたりをつけて、休みの日にはそこへ通っていたんです」
「七沢。それ、ちょっとストーカーっぽくないか?」
思った言葉がポロッと口から出る。ツッコミを入れずには、いられなかった。
演奏を聴いて、怒りがこみ上げるのは、まだわかる。
そこから、直接会って物申してやろうと思って、動画でどこのストピかを調べ、行動範囲にあたりをつけ、通うまでとなると、少しどころじゃなく、行き過ぎな気がする。
「そうですね。自分でも、ちょっとおかしいなと思いました。なんでここまでって。でも、そうですね……きっと、俺は、夏生さんに会いたかっただけかもしれません。ただ、会って、あなたと話がしたかっただけかもしれない」
「ただ、会いたい……?」
夏生がそう言うと、七沢は待合室の中を見回した。何かを気にした様子に、自分も見回してみる。特に何か気になる点はないと思うのだが──と首を傾げそうになったとき、七沢が顔を寄せてきた。そして、そっと耳打ちする。
「あなたは、俺の初恋だから。だから、すごく会いたかった。夏生さんのことが好きだったから」
「──っ!?」
七沢がそう告げてきた直後、看護師さんが名前を呼んだ。診察の順番が回ってきた彼は椅子から立ち上がる。
「それじゃ、ちょっと行ってきます」
「あ、ああ……」
七沢はそう言うと、診察室へと消えて行った。夏生は、大きなため息を吐きながら、俯きつつ両手で自分の顔を覆った。
心臓がバクバクと脈を打つ。頬が熱い。そのせいで、額に汗が滲んできたかもしれない。今日は本当に色んなことがありすぎて、気持ちがついていかない。夏生は心が静まるようにと祈りながら、もう一度大きな息を吐いた
* *
「手を濡らさないように、気をつけてください。あとは、毎日来てください。だそうです」
診察の終わった七沢が待合室に戻ってきて、自分にそう告げる。
先生曰く、怪我が治れば、ピアノの演奏をやっても問題はないらしい。その言葉を聞いて、安堵する。ようやく心から安心することができた。
受付の看護師の人が、七沢の名前を呼ぶ。夏生は立ち上がって、受付に向かった。会計を終え、処方箋を貰って近くの薬局へと向かう。
七沢は「お金は自分が払う」と言っていたが、そもそも、彼が怪我をしたのは、自分のせいなのだ。だったら、このくらいは自分が負担すべきだ、と言って一歩も譲らずらなかった。薬局の会計も夏生が支払いを済ませ、それから、ふたりで駅へ向かった。
電車に乗り、最寄り駅に降りる。七沢の家を目指し、ふたり並んで歩き始めた。
真新しい包帯が巻かれた右手を見ながら、七沢が口を開く。
「これ、『濡らすな』と言われましたけど、よくよく考えてみたら、難しくないですか……? 使い捨てのビニール手袋があれば、大丈夫なのかな」
「あー……そうだな。使い捨てのビニール手袋があったほうが、便利かもしれない。途中のコンビニに寄ってみるか」
「……置いてありますかね?」
「なかったら、俺がひとっ走りして買ってくるよ」
コンビニに立ち寄ろうとして、途中ドラッグストアがあることに気づき、その店に寄った。使い捨てのビニール手袋を購入して、七沢の家に帰ったのだった。
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