第17話 酩酊の葡萄

「き、気まずい……」


 家の案内を早々に終え、それぞれの部屋に引きこもったリーナはそうこぼした。


 一切表情を崩さず、ただ淡々と話を聞いていたために、余り甲斐がなかった。常識や規範は理解している人だと思われるので、その心配はしていないが。


「まあ、料理でも作ってあげるか」


 本当は勉強をしたくないだけだが、そんなことは放っておいて居間に向かう。もうとっくに陽は落ちていた。


 食糧庫には小麦とパン、あとは果物と野菜が少し。干し肉もあったので、汁物とパン、切ったフルーツにしよう。


 干し肉を千切りにした後、キャベツ、人参を適当に刻む。鍋に水を入れ煮込み、調味長で味を軽く整える。


「ベイリーさん」


 部屋の扉をノックした後、声をかける。


「お食事の用意が出来たので、いらしてください」


 返事は遅れてやってきた。


「すみません、今手が離せなくて、少し待っていただいてもよろしいでしょうか」

「はい、もちろん」


 机を布巾で拭き、カトラリーの準備をしてもまだ来ない。流石に声をかけるのは早すぎると思われるので、少しばかり教科書に目を通すことにする。


 どのくらい時間が経っただろうか、途方もない眠気が襲ってきた。普段なら寝ている時間だろうか。明日の予定にも影響が出てきそうなので、自分で食べることにする。


 スープを再加熱し、パンを適当な薄さにスライスする。


 塩気のきいたスープだと思うが、あまりおいしさは感じられない。一人であることには慣れていると自負しているつもりだが、仮にも同居人がいるはずの我が家で一人なのはあまりにも心細い。


 パンをちぎり、レインにも分け与える。小さい口で懸命についばむ。


 いつだったか、リーナはアリスが帰ってこなかった日のことを思い出した。あの時は何を食べたのだろうかすら覚えていないが、ひたすらに寂しかったことが強く脳裏に焼き付いている。


 食事を済ませ、あまり音を立てないように部屋に戻る。もう使わない紙を千切り、ペンを持って文字を書きとめた。


 無理に急かすものでもないよな、と思った。



 翌朝リーナが目を覚ますと、同居人は既に席についていた。


「おはようございます、随分早いですね」

「おはようございます。エリザベートさん、昨日は大変申し訳ありませんでした」

「いえいえ、慣れない家だったでしょう。よく眠れました?」

「はい」


 朝食を食べるのは帰宅後なので別に今用意してくれなくても困らないのだが、ベイリーが鍋の方へ向かうのでスープだけ飲むことにした。


「そういえばベイリーさん。わたしの名前、リーナって呼んでくれませんか? ほら、エリザベートだとお師匠様と紛らわしいでしょう」

「承知しました。では、私もオリヴィアでお願いします。あまり家名に良い印象がないので」

「はい」


 リーナには幼少期の記憶――特に両親と呼ばれる人たちがどのような人となりであったか、どのような施しを受けたのか――が全くないので、少し羨ましいと思ってしまうが口には出さない。


 家族に良い思い出がないのは辛いことだと思う。自分にとって最も大切な人々と折り合いをうまくつけられていないというのは、それだけで触れられる世界が一つ減ってしまうということだからだ。


「オリヴィアさん、ありがとうございます。今日は少し外に出なくてはいけないので失礼します。家にあるものは基本何でも使って良くて、ここら一帯は私たちの敷地なので運動するときはご自由に。買い物があるなら街道を平地方面にまっすぐ行けば町に着きます」

 リーナはそこまで言い切ると、家を飛び出した。

 スープはまだ美味しくはなかったけれど、見込みがないわけではなかった。



「今日の予定は何もないはずだったのに、急に同居人が来たんですよ」


 村長に魔法を見せるのはいったんお休み、ヴァイゼとの修行もなしという、まさに願ってもない幸運なのだが、同居人のせいでそうもいかなくなった。


「ははは、そいつは災難だな、嬢ちゃん」


 パン屋の店主は気にも留めずに言った。


「肩が狭くって狭くってどうしようもないです。あなたもそんな経験ないですか」

「うーんそうだな、嬢ちゃんの言う意味だと、ないかもなあ」

「酷い」


 頭をぼりぼり搔きながら、店主は揺れる火を見つめていた。


「うちの家内とは恋愛結婚でね、お見合いと違って、既に大体の性格は分かるんだ」

「ほう、じゃあ悩みなんてないと」

「いや、違うね。実際どんなことを考えてるのかは分かんないから、こうしたらどう思うのか、感性は似てるのかって色々考えた。嬢ちゃんみたいな他人に対する感情じゃないね」

「あー、価値観のすり合わせってやつですか」

「そうだ。親しいからこそ、考えるんだ。結婚は大団円を意味しない」

「なんか、新しい考えですねえ」

「嬢ちゃんもいずれ分かるさ。アリス様との最初はどうだったんだ?」

「あー……」


 上空を見上げて考える。


「なんか辛かった思い出もあるんですけど、今はそれどころじゃないなっていう……実の両親と離れて、緊張より不安が大きい、というか」


 言語化している最中、なにか点と点が繋がったような感覚がして、頭の中がにわかにしびれた。


「きっと、あの子もそうなんですかね」


 ぽつりぽつりと語りだす。


「年は自分と離れてなくても、居場所を離れるなんて簡単なことじゃないし、今はまだ驚いているのかもしれません」


 自分を棚に上げると、普通は3月に所属の転換が起こるはずだ。何か事情を抱えているのは、寧ろこっちが聞き出すのは礼儀に反するのではないか。


「触れないほうがいいんですかね」


 火はぱちぱちと爆ぜながら揺らめいていた。


「いつか話したいときに言ってくれるのを待つんだな」


 それが大人ってもんだ、と呟きながら、男は瓶を取り出した。透明なボトルの中には琥珀色の液体が詰まっており、底には黒い物体が沈殿している。


 小瓶とスプーンを持ち出し、二つの器に液体と澱を入れていく。


「なんですか、これ」


 器を受け取ったリーナは怪訝そうに聞いた。薬臭いようなにおいがのどを襲う。


「採れたての葡萄を使ったラムレーズンだ。食ったことないか?」

「え、まあ好きと言えば好きですけど」


 遠征の時の行動食に干しブドウが出てきたことがあるのだが、酒漬けと言えば話は別。食べられないこともないといった程度。お酒の味には慣れていないので、気付け薬程度に嗜んだことはある。


「この前の行商で、いいのが入ってきたんだよ。毎年作ってる」

「へえ。いただきます」


 よほど強いお酒を使っているのか、口に入れただけでアルコールの味が飛び込んで来る。


「ちょっと強すぎじゃないですか?」

「まあな。教会の指定品なんだよ。収穫祭へのお供えとしてな」


 パンにレーズンを混ぜ込む場合、熱でアルコールが揮発するため、リーナが食べたことがあるのは大方加熱済みのものだ。


「お供えってことは、食べれるんですか?」

「そうだ。実際に食べてもらう」

「ええ? 私、ちょっと何個も食べたくは……」

「魔女なんだから食べれないのか? コロネさんに相談したら何か貰えないか?」

「うわあ……じゃあもうちょっと明るくなったら行ってみます」


 椅子から立ち上がると、リーナは足が覚束ないのか、ふらふらとし始めた。なにやら頭も正常に働かないような気がしている。


「どうした嬢ちゃん、水でも飲むか?」

「ちょっと立ち眩みしただけですよ、心配いらないです」

「そうは見えないがな」


 差し出された水を一杯飲むと、リーナはほの暗い町を歩きだした。


「あんなんで、ちゃんと務まるのかね」


 ふらふらと千鳥足になりながら、リーナは家に辿り着いた。あまりにも足が覚束ないので、たまたま空いていた店で杖を買った。金属で出来ているらしく、やたら重い。


 ヴァイゼさんからもらった杖はもったいなくてそんなことできないな、と思ったりする。


「ただいま~」


 痛む頭を抱えながら家に辿り着く。家の中にいた同居人は、居間で本を読んでいた。


「おかえりなさい……って、え?」


 たいそう驚いた声を上げ、急いで水道へ走っていく。


「どうしたんですか、その剣?」

「え、剣?」


 そういわれると、杖にしてはやけに重い気がする。金属だし、前かがみになっているからいいものの、少々短くて取り回しに苦労するような。


「これは杖じゃないの? ちゃんと鍛冶屋に寄ったんだよ」

「そんなことに使っていい代物じゃないですよ! この飾り、刀身、生活費数か月分を使うようなものですよ?」

「やけに高いと思ってたんだよねー」

「剣なんて振れるんですか? あなた魔女ですよね?」

「あー酔ったから気にしなかった、具合悪いから寝るね」

「こんな朝っぱらから?」


 彼女の剣幕が一段と強くなったことで、リーナは逃げ出すように自室へ引っ込んだ。


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ひよっ子魔女リーナ 飛び級で魔女になった落第生は田舎でスローライフを送りたい 青木一人 @Aoki-Kazuhito

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