第12話 子供の悪戯

 学園の正式名称はベルン帝国立魔術研究所といい、魔女ならある程度自由に回覧することができる。総敷地面積は王宮の約2倍とも言われており、当時の皇帝が軍事力と科学技術を重視していたことがうかがえる。流石に授業中の教室に入り込むのは許可が必要らしいが、新旧の宮廷魔術師が相手となっては通さざるを得ない。


「今日は一日休みを貰っていますし、放課後でも良かったのですが」

「愛弟子のために一肌脱いでやろうって気はないのかい」

「今じゃなくてもいいって話です」


 目的となる教室に向かう。この騒動の埋め合わせは宮廷魔女による特別講義だ。


「全く呆れたものです。あなた、話すのと授業するのとどっちがいいんですか」

「そりゃあ授業よ。アイツらに無詠唱の極意を叩き込んでやる」


 できるだけ早く切り上げよう、とアリスは固く心に誓った。生徒たちに悪影響を及ぼしかねない。


 階段を上がって侵入した教室は、大講堂ともいえるすり鉢状の形式だった。扉が開く音に、教室中の視線が集まる。教師の隣まで優雅に歩き通すと、アリスは一切躊躇せずに言った。


「こんにちは。授業中のところ失礼します。突然ですが、この中で誰が一番魔法が得意なのか教えていただきたいです」


 教室中の声はざわめきながらも一人の生徒にその方向を合わせていく。赤髪の少女が席を立った。


「先生を除けば、おそらく私だと思いますが」

「そうですか。では、一つ魔法を使っていただきたい。どんな魔法でも構いません」

「生徒の勝手な魔法の行使は禁止されています。そもそもいったい誰なんですか」


 彼女の怒りを孕んだ声が放たれると、アリスは眉を動かした。声に魔力が僅かに宿っている。威嚇か無意識か。


「私はベルン帝国直属の宮廷魔女、【夕闇】ことアリス・エリザベートです。弟子のリーナが世話になりました。私の名前において許可します」


 教室に数少ない動揺が走る。かつての同輩に想いを馳せる者、アリスの肩書に慄く者、そして感情の整理が付かないもの。


「ならいいでしょう。うまく受け止められなくても知りませんから。【繰れば巻け、吹けば飛べ。重撃を以て刺し貫け、卑小な我が身を手向けに】」


「【愚かな鎖よ弾け飛べ】」


「【風投槍魔法】」


 風を纏い速度と威力の上昇した槍。これは防げないと、誰もが確信する。教授も最早結界を張ることも忘れて、ただ二人の魔法が編まれる様を見ていた。


「【魔法無効魔法】」


 手を伸ばすまでもなく、有効範囲の増大化により、3列ほど前進した程度で霧散した。あまりのあっけなさに、まだ魔法が発動しきっていないと錯覚する生徒もいたようだ。


「なるほど。よくわかりました。話がしたいので付いてきてください」


 学校一の、正真正銘の優等生の一撃は、こうしてあっけなく躱された。これ以上の抵抗は無駄だと悟った彼女は、勉強道具をまとめて鞄を持った。


「はい」


 その技が魔女としての全力ではなかったことを、ただ一人ヴァイゼだけが見抜いていた。


「単刀直入に聞きます。この羽根に見覚えはありますか?」


「あります」


 実力差を見せつけられ、赤髪の少女であるストラ・ハリエットはうなだれたままアリスの話を聞いていた。ここは個人的な話に使われる小さな部屋で、椅子と机以外にはほとんど余剰空間は存在しない。


「授業の一環で、創造魔法を使う機会がありました。そこで鳥を作りました」

「その鳥がこれですか?」

「いえ……作った魔獣は安全上の観点から分解されました。そこまで耐久力も高くないですし、どっちみちすぐ壊れていたと思われます。そのあとクラスのみんなに声をかけて」

「待って、あなた一人だけじゃないの?」


 アリスが詰め寄るとストラは話を続けた。


「はい。アンネが――リーナと同室だった子が言ったんです。これでリーナのことを守る魔獣を作らないか、って。緘口令かんこうれいが敷かれたせいで、なんでリーナが卒業できたのかわかっていない子もいて」

「緘口令とは、魔獣侵入に対する措置ですか?」

「はい。学園として魔獣の出現は隠さないが、リーナの魔法については沈黙を貫くと」

「ああ、それはこちらの落ち度です。困ったことがあれば使いなさいと言ったばっかりに」

「いえ、むしろ助かりました。犠牲者も再生魔法で助かる程度には減少しましたし」

 ここで押し問答を進めても何の解決にもならないことを悟ったアリスは、咳ばらいをして話を続けさせる。


「普段の授業も、演習も成績が悪かった彼女なので、本当にわからない子もいて。もしかしたら強制退学なんじゃないかなって噂もありました。点火魔法に失敗して小火ぼや騒ぎなんて、ありえない話じゃなかったもので」


「そこまでなんですか?」


 基本中の基本に失敗するなんて、いくら何でもありえないはずだった。弟子の時は何の苦労もせずに発動できていたのに。


「まあ。それで、鳥に保護魔法と視界共有を付けて、定期的に様子を見れば安心だなってことになって、私が付与しました」

「他の人はしなかったのですか?」

「魔力が混ざってしまうのが気になってしまって。お遊びとはいえこだわりたくて。綺麗な青色の羽が出来て綺麗でした」

「青色でなく、虹色ですよ。他にも何枚か入っていますが、青色単色はありえません」

「そんなはずはありません。転写魔法で撮った写真があります。これです」

「なるほど。確かに嘘はついていないようですね」


 転写魔法はその人が見たものが直接映し出される。日の当たり具合に依存するとはいえ、流石にここまでの差異はない。


「あの子が書いた手紙には、治癒魔法も使えると書いてありましたが、その付与もなさったんですか?」

「いえ、そのようなことは一切していません」

「では、魔法生物として生命活動を開始した際に獲得したものでしょう」

「どういうことですか?」

「創造魔法然り、聖遺物然り、高純度の魔力が凝縮した物体には意志が宿ります。今回の事例だと、飛行中に大けがを負ったか生命活動が困難な状況に陥り、意志を持つ魔獣として再生したのでしょう」


 魔獣の類を倒しただけで安心してはいけないという定説が支持される原因を述べる。

「あの子が見つけたときには既に怪我をしていたそうなので、特に異論もないでしょう。それか他の人の魔力が混入した可能性ですが、まあこの説はないでしょうね」

「誰かに手を加えられたなら、魔力反応はあるんですか?」

「軽く試したところではないです。そもそもリーナが強い魔法をかけているし、まだ研究の浅い分野なのではっきりとはしていないんですよ。貴女が定期的に視野共有をかけているせいで他の人のがしない。

 一応関わった人の魔力反応を消す薬があるので、それを使用した可能性自体は否定できませんが。学生がこの薬を使うことに利点がなさすぎます」


「その薬剤なら実験で使ったことがあります」

「誰かがくすねたのかも、と? 確かにここは研究所ですし、やろうと思えばできないことはないでしょう。ただ、そこまでして級友を疑いたいのですか?」


 アリスが尋ねると、ストラはうなだれた。


「そういうわけではありません。ただ、気になっただけです」

「私も思うところはありますので、調べておきます。久しぶりにあの子とも会ってみたいですし。それと、他にリーナと生活できる人がいれば探しておきます。これでいいでしょう?」

「はい、ありがとうございます」

「今回のことは内密にお願いします。他の子たちには、適当に理由を付けて死んだとでも言っておきなさい。学生が手に追っていい範囲じゃない」

「そんな……せっかくみんなで作ったのに」

「その気持ちは分かります。ですが、私は宮廷魔女として一般市民の生活を守る義務と、それを可能にする実力があります。あなたも春になればわかるでしょう。また次の機会を楽しみにしています」


 アリスはそこまで言い切ると、立ち上がって面接室を後にした。

 一人の求道者として、治安維持官として、生半可な気持ちでは務まらないことだってあるのだ。時には児戯ですら躍起になって止めなければならない時が来る。

 最悪の事態を回避するためには、少数を犠牲にするのは仕方ないことなのだ。


 面談室で光が灯った。赤髪の少女は、爪を噛んでいる。

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