第10話 虹色の翼

 黒い渦を抜けた先は荒野だった。帝国内にこんな場所があったのかと疑いたくなる。見渡す限り一切の遮蔽物もなく、乾いた空気と強い日差し、そして土というより砂の地面。


「どこなんですか、ここ」

「どうだっていいだろう、魔法で作った空間だとしても」

「本当に魔法が上手なんですね」


 そういう種類の魔法がある、とは聞いたことがあるが、実際に使ったことはない。


「宮廷魔術師目指してたんだろ? これくらいのことが出来ないでどうする」

「今は魔法屋が継げればいいので!」


 近い距離だと肉弾戦で負けてしまいそうになるので、賢明に距離を取る。


「そんな慌てなくてもいいさ。今から30秒間、あたしは何もしない。勝負の間中、この空間を捻じ曲げるような真似もしない。これで対等だろう?」

「対等なんて言ったって、私勝っちゃいますよ?」

「生意気な子だね」


 リーナは教科書を開いて詠唱を開始する。もう勝利への道筋は立った。


「【吹けば飛べ、繰れば巻け。我は流浪の旅人なりて、どうかひと時の安寧を】――【風加護魔法】」


 いきなり攻撃魔法を使ったって意味がない。大事なのはどうやって勝つか。


「【この世を等しく見つめる者であれ】――【星火よ手繰れ記憶の糸を、真実は道程にあり】――【火罠魔法】」


 時間稼ぎならこれで終わった、あとは必殺の詠唱だけ!


「【この世を等しく見つめる者であれ】――」


「【凍てつく時の扉、今開け】」


 ヴァイゼが動いた。


「【灼熱の業火による血の浄化、穢れなき大河による命の選別】――」


「【開錠魔法】」


 ヴァイゼはリーナが張り巡らせた赤い魔法陣を一瞬にして解除した。リーナの顔にも動揺が走る。


「そうか、ここまでやるか。【飛べ】」


「【山風を前にして】――」


「【黙れ】」


「っ!?」


 リーナは突如としてせき込んだ。魔力を練ることができない、というか、体内に一切存在しないという幻想に陥った。


「【大河よ巡れ】」


 リーナを取り囲む風の膜は瞬く間に剥がれ落ち、洪水はリーナを飲み込む。


「やれやれ、もうお終いかい」


 ヴァイゼはため息をつくと、意識を失ったリーナを担いで黒い渦に飛び込んだ。



 リーナが目を覚ますと、ヴァイゼの家の天井が目に入った。


「負けた」


 呟きは虚空に消える。正直杜撰な手だったと思う。だが、あの場でもう一つ補助魔法を使う時間もなく、炎弓魔法では仕留め切れないだろうなという確証があった。危険を負ってでも、飛び込む価値はあったのだ。そう思わなければこの悔しさのやり場がない。


「ってか魔法の詠唱速度速すぎるよ」


 自分を荒野に放り込む転移魔法でさえ詠唱しているようには思えない。彼女の真の実力はどれほどであるのか。


「なんて言っても仕方ないか」


 服装の乱れを正し、杖を持ってベッドから起き上がる。


「ただいま戻りました」


 居間に繋がるドアを開けると、ヴァイゼはレインを掴んでいた。


「な、何を!」

「おや、起きたのかい」

「レインから離れてください。私の家族です」

「そうは言われても、あんたにはそれはできないだろ」

 ヴァイゼはため息をついて立ち上がる。

「あんた、魔力のにおいを知らないのか?」

「え?」


 魔力に香りなんて付いているのか? 只の溶媒如きに何を言っているんだ、と思う。だが、最近思い当たる節があるような。


「多分知ってます。この前、ヴァイゼさんから依頼を受けて、それで。魔力溜まり? に、変なにおいがしていたような気が」

「そう。収束した魔力は独特の臭気を放つんだ。嗅いでみな」


 ヴァイゼはレインをリーナの鼻の頭に持ってくる。独特の獣臭はそこまでしないような気がする。それよりも、薬品のにおいとでもいうのか、涼しげな感覚が鼻を刺す。


「お風呂入ったから……でもないですね」

「これがその匂いだ。良くわかったか? これが何を引き起こすと思う?」

「えっと、魔法を使える?」

「そうだ。この子は固有魔法を使える。治癒魔法だけどな。立派な魔獣だよ」

「えっ!? すみません」


 ヴァイゼの語気は強く、指導のような雰囲気を纏っていた。魔女は魔獣を倒すのが主な役割となっている。その魔女が短期間とはいえ魔獣を飼育していた。これがわからないような人間ではない。


「こいつは体全体を魔力で編まれた人工魔獣だ。幸いなことに害はない。誰が作ったか分かるか」

「えっと、私の村には魔女は私だけです。師匠は帝都に行ってしまいましたから」

「コロネはただの薬師だしな」

「魔獣を作った? として、帝都から飛ばすことはできるんでしょうか」

「できないことはない。未熟な魔女ならそもそも一日も持たないから、相当高位の魔女の仕業だ」

「それくらいなら転移魔法も使えますもんね」

「ああ」


 重苦しい空気が流れる。どうすればいいのか、何も手に付かない。


「お師匠様に、手紙を出して貰えないでしょうか」

「あ?」

「思い出したんです。ひとり一人魔力の波が違うって、昔おっしゃったこと。師匠は12魔女の系譜を読み取って、誰のものか特定するのが得意だったんです。昔帝都に行ったとき、見知らぬ人の失くしものを探していました」

「そんなことできるのかい」

「はい。レインの羽一枚を抜いて、保護魔法で崩れないように封筒に入れます。手紙と一緒に送れば、きっと探してくれるはず」

「ふむ。師匠の名前は何て言うんだい」

「アリス。アリス・エリザベート様です」

「住所は分かるのか」

「はい。今は王都の教会にいると伺っています」


 ヴァイゼは深く考え込み、レインを机の上に放した。虹色の鳥は怯えるように飛び立ち、リーナの肩に乗る。


「……許可しよう。ここで始末するより、犯人を捜しだした方が楽だ」

「はい!」

「ただし、契約魔法の締結が条件だ。ひよっこと、鳥の」

「わかりました。準備します」


 リーナは教科書を開き、ヴァイゼはテーブルクロスを魔法陣の文様が描かれたものに取り換えた。


「【この世を等しく見つめる者であれ】――」


 右手で杖を握り、左手はレインに添えられている。


「【暴虐なる災禍の化身、盟約の天秤。リーナ・エリザベートとレイン・エリザベートの名のもとに、未来永劫の平穏を誓う】――【契約魔法】」


 二人を取り巻く鎖が出現した。紅色の鎖は炎で焼け落ち、両者の体に吸い込まれていった。


「成功しました」

「まあ、魔獣と言っても人間製だ、これくらいはできるだろう。ほら、翼を抜きな」

「はい」


 自分で手懐けたからか、こうして傷をつけるのは心苦しかった。だが、やるしかない。リーナは鋏をもち、レインの羽を広げると、外側の毛を3枚ほど切り取る。


「できました」

「よし。【我が形見なれば我が身体、どうか千歳の細石】――【保護魔法】」


 黄金色の光が羽を包み込む。光は溶け込んで一体化した。


「これでよし。郵便にでも出すのかい?」

「そうしようと思ってます」

「あたしちょっと帝都に顔出す用事があるから、そん時に一緒に渡しとくよ。あんたの師匠とも話したいし、さ」

「えっ、あの、ありがたいです」

「そうと決まればさっそく手紙書いてきな、昼飯食ってからはさっきの戦いの振り返りだよ!」

「はい!」


 リーナは別室に向かって駆け出した。久しぶりに言葉を残せるのだ。何から伝えればいいのか、わからないほどに濃い経験をしたのだ。躊躇っている時間は、一秒たりとも残っていない。

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