第8話 清浄の教会

「やっと帰ってきた……」


【朝霧】のヴァイゼからのしごきに耐え、命からがら家に辿り着いたリーナはベッドに倒れこんだ。時刻はまだ昼過ぎだが、もう眠気に勝てない。


「結局飛行魔法は使えないままか」


 学院にいる間から何度か取り組んでいるのだが、ちっとも上手くならない。箒の後ろに乗せてもらったり、高台から突き落とされたりした。もう二度と会いたくないくらいの恐怖に苛まれている。


「ばらされたり再構成されたり……私って私じゃないんだろうか」


 山に行けば再生魔法の依り代は腐るほどあるので、リーナは自分を捜索してくれた猟師のアベルに付いて行ってそれらを転移魔法で運んだり、野生動物を魔法で狩ったりした。まさか無属性の弓撃魔法があんなに喜ばれるとは。


「安息日だから稽古はされないし、最高だ」


 週に一度の安息日では、人々は教会に行ってお祈りをするか自宅で思い思いに過ごす。店は一切やっていないので、薬師も村長業も休み。


「アルバさん具合どうなんだろ、ついでに教会も行ってみるか」


 差し入れにいくつか果物を持ち、白い杖を持つ。特注の杖は再生魔法の触媒になったそうなので、代わりに使わなくなった杖を譲っていただいた。軽いものの耐久性に問題はなさそうで、程よく太陽の光を浴びたいい材質だった。高価そうだ。


「行ってきます」


 施錠魔法をかけて歩き出す。敬虔な信者はレリーフを肌身離さないそうだが、あいにくリーナはそうではない。友人が出立前にくれたネックレスを首にかける。12つの点が円状に存在し、中心点に一際輝く宝石の点。12人の魔女とエーテル様をモチーフにした作品らしい。この宝石は魔石らしく、魔力を込めると少し光る点も気に入っている。

 宗教的には十字架も重要な象徴だが、それは処刑された聖女を想起させるのであまり好まれない。

 しばらく歩き、中央区の村長宅へ到着した。


「おはようございます、アルバさん」


 一週間もすれば具合がよくなったようで、今では机に座って何かを書いている。リーナに気が付くとすぐに顔を上げ、笑顔を見せた。


「ああ、薬をありがとう。おかげですごい良くなったよ」

「ああ、よかった」

「向こうの魔女さんから聞いたよ、随分頑張ったそうだね」

「いえいえ、自分の無力さを痛感しました」


 飛び級したとはいえ簡単な魔法一つ使えない。あのまま助けが来なければ死んでいた。これでは独り立ちなんて夢のまた夢だ。


「ヴァイゼさんにもたくさん叱られましたよ」

「あの方は少し気が強いからな。昔の戦争の生き残りによくある」


 戦争。帝国が魔女部隊を投入した戦い。ただでさえ魔女は前線に出なくとも魔法の行使で忙しいのに、魔法で攻撃する部隊を編成、敵味方問わず多数の影響が出た。教師陣がしきりに実戦向きの魔法を教えたがるのはこれが基準となっている。


「戦争なんて起こるんですかね。やったって意味はないのに」

「相手がどう動くかを予想できないからな。平和が一番なのはみんな分かっている」

「そうですね。ただ魔法屋が出来れば僥倖なのに」

「それには多くの魔法が使えないとな」

「うっ」


 痛いところを付かれ、思わず杖を握りしめる。


「今日は安息日じゃから、特訓はしないぞ?」

「はい、病み上がりのアルバさんに頼むのも悪いですし。これは新しい杖に魔力を馴染ませているんです」

「そうか、いつも使っていた杖はどうしたんじゃ?」

「壊れたらしいです。はっきり覚えてないんですけど。補填として貰いました」

「補填?」


 これ以上はぐらかすのも時間の問題であるから、リーナは洗いざらい白状することにした。大規模な爆発を起こし、服も杖も悉く破壊してしまったこと、あと少しヴァイゼの助けが遅ければ死んでしまっていたこと。その一つ一つにアルバは大袈裟なほどの反応を見せた。


「魔女がこんな大変なら、目指すのを反対しておけばよかったよ。成長よりなにより、随分と危なっかしくなっている」

「自分で選んだ道ですから、どこが終着点になろうと覚悟のうちですよ」

「そうか。この村の星であること、忘れないでくれ。みんな大切なんじゃ」

「はい」

「王都にいる息子だけじゃない。リーナも、ここで暮らすみんな、誰一人とて欠けて欲しくはない」


 これまでに見たことのない真剣な表情をしていた。今回の病気で何か思うところがあったんだろうか。

 自分のことを心配してくれている人がいることをぼんやりと思っていた。だが、そこには呆れと憐憫が混じっていて、ここまで純粋に安否を心配してくれているのは初めてのことではないだろうか。


「何百年だって生きてやりますよ」


 リーナは眼頭に熱いものを感じて扉を閉めた。もっと真面目に魔法を使おう。魔法は万能であるが全能ではない。詠唱できなければ何の意味もない。もう一本の腕のようだ、と教師は形容した。その意味がようやく飲み込めた気がした。

 薬師のコロネとの会話は至って簡素に行われた。ヴァイゼから話は通っているし、世間話をする程度の間柄でしかない。焚きつけるような口調になってしまったことを謝ったくらいだ。

 北区のあぜ道を通り抜け、畑に囲まれた位置に教会はある。広い庭は毎年の収穫祭のために使われており、今年もささやかながら舞台が組まれている。


「久しぶりだな」


 周囲は独特な冷気に包まれていると錯覚する。荘厳な木の扉を開けると、女神像を中央にして長椅子が規則的に置かれており、色付きの飾り窓が視界を彩る。数人が熱心に祈っており、リーナも手ごろな椅子に腰かけた。


「女神様、どうか我らに祝福を。聖女様、どうか我らをお救いください」


 遠い神話の時代、女神は12人の女性に不思議な力を授け、混乱に満ちた世界を救ったという。彼女らの子孫も力の一部を手にし、やがて地上を覆いつくす現生人類となった。人類はある種後天的に魔術を手に入れたのだ。


「私は魔女として、皆さまを守り抜く力を付けて参ります。どうか私にご加護を」


 隣の人に迷惑が掛からないほどの声で祈る。魔力は込めず、想像もしない。あくまで自分の中にある考えを淡々と吐き出していく。


「帝国を守る宮廷魔女にはなれませんでしたが、魔法屋として村の皆の役に立ちたいと考えております」


 聖女が子孫を残した関係上、誰かしらの血が自分に交じっていると言うことはわかる、だが、それが誰かはわからない。自分に流れる魔力の源が、誰を依り代にすべきなのかがわからない。


「きっとどなたからの系譜でも、私が私であることには変わりはないのでしょう」


 たとえ両親に恵まれなくとも、育ちが王都でなくとも、女という性別に生まれて、魔法が行使できるほどの力を生来持っていた。それだけで十分、疑いようのないほどに幸福なのだろう。


「だから、私は信じています。たとえ小さくとも、私の中に灯る小さな炎は、決して消え失せることはないのだろう、ということを。そして、女神さまがいつでも私を見守ってくださるということを」


 指がひとりでに動き出し、胸元の装飾品に触れる。制御の付かないまま魔力が注入され、中心の文様が一際明るく輝きだす。


「ああ、ありがとうございます。私はこれからも心血を注いで参ります」


 日が暮れてシスターに声を掛けられるまで、リーナは深く深く祈っていた。

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