第7話 薬師の領域

 爆発音。


 ヴァイゼを眠りから覚ましたのは、昼間と見間違うほどの光と鼓膜をつんざく音であった。


 原因を特定しようとして、窓の方へ目を向ける。山の方だ。


「あの子は、あの子は無事なのか」


 寝る前に交わした約束が頭をよぎる。子供に魔獣退治はまだ早いのではないか。


 自分はとんでもないことをしてしまったのではないか。


「ばあちゃん、大丈夫か」


 近所の家に住んでいる猟師が尋ねてきた。


「ああ、びっくりしたよ」

「何が起こったんだ」

「山が爆発した、そうとしか。ちょっと山に様子を見に行ってくれないか。あそこに大事な人が眠ってるんだ」

「もちろんそのつもりだ。魔法屋は?」

「少し準備をするから、待ってな」


『まだその時ではありませんよ』


 目覚めると、リーナは暗闇の中にいた。ここはどこだ。


『貴方は今、引き返すべきです』


 戻るって、どこに?


『人間界に』


 声が聞こえる。意識が戻ってくる。体を集中させる。


 痛い!


 感覚としては猛烈な痛みだった。全身が火傷に覆われている。全身、と呼称できる

ほど体が軽い感じもしない。記憶の中から引っ張り出されたのは、強大な副作用。行き場を失った大量の魔力が、制御下を外れて体中を駆け巡ったんだ。自分で自分を破壊した。


 考えが及ぶのはそのあたりだった。腕には左腕があるが、他は見えないし見ようと思わない。


「加護魔法がなかったら、今頃どうしてたんだろう」


 口は動く。頭が働くなら魔法は行使できる。熊は仕留め切れたのか?


「【この世を等しく見つめる者であれ】――【木漏れ日を受ける芽のように伸び行け】――【治癒魔法】」


 危なっかしいから絶対に暗記しておけと皆に言われた術式を詠う。少し白み始めた太陽からの光が目に入る。痛みが収まったので、辺りを見渡してもどこにも熊はいなかった。熊と思わしき肉片がそこにあったからだ。


「やった、倒せたんだ」


 魔力の使い過ぎによる反動か、急激に瞼が重くなってくる。覚醒魔法を使うとも頭をよぎったが、今更誤魔化したところでどうにもなるまいと踏み、しばしの休息を決断した。



「待ちな」


 時刻は少し遡る。ヴァイゼの飛行魔法で一瞬にして山の麓にまで足を踏み入れた二人は、異変を感じて足を止めた。


「この感じ、罠魔法が設置されている」

「危ないのか?」

「命に関わる物じゃないが、死にたくないなら触れないほうが確実だな」

「除去できないのか?」

「まだ山に魔獣がいるかもしれない。警報機代わりとして放置した方がいい」


 住民が足を踏み入れそうな数か所だけ無力化すると、後は進んでいくしかないと言って足袋のようなものを渡した。


「なんだこれ」

「あたしが作った魔法無効の足袋だ。あの子くらいの規模ならほぼ効かないね」

「そいつはすごいな」

「それだけ単純なの。敷かれてなさそうなルートを探したから、歩いて行って」

「俺が先か!?」

「当たり前でしょ、魔女は発動するまで時間がかかるんだよ」

「はいはい」


 猟師は腰に差してあった剣を抜く。魔力のことはわからないが、血の匂いからしてかなりの数の魔獣がいるのだろうなと思った。


 しばらく歩くと、熊の死体の群れに遭遇した。半分ほどは血抜きのためか木に縛り付けられている。


「この肉は食べられないのか?」

「食べられないこともなさそうね。この個体は熊に大量の魔力が定着した形だから、魔力を抜けばね」

「抜かないとどうなるんだ?」

「最悪の場合全身が破裂するわ」

「えっ」

「当然よ。魔女みたいに日ごろから魔力を行使している者ならいざ知らず、あんたみたいな人なら急に魔力が流れ込んできて死ぬわ」


 なんてことない雑談をしているうちに、ヴァイゼは同じように木に括りつけた。


「敵がいるなら、この光景に驚いて匂いの元を辿る。よくやるわね」

「魔獣ならありえるか?」

「ええ。魔力によって知恵を得たんですもの。並の人間よりは賢いんじゃない?」

「それは警戒しないとな」


 しばらく歩くと、ヴァイゼは魔力が濃くなっている場所に気が付いた。ここが魔力溜まりか。


「ちょっと休憩しましょう、調査したいところがあるの」

「ああ……って、なんかいないか?」


 猟師の横から顔を出すと、辺りは血の海といくつかの肉片が転がっていた。座標からして、ここが例の爆発地点でもおかしくない。


 ヴァイゼは散乱している物を確認した。熊のものとみられる肉片と、人間らしきもの。


「まさか」


 急いで駆け寄る。それは数時間前に会話をした魔女だった。それも見習いの。手足は左腕以外が欠損しており、全身が血にまみれている。


「これは……随分と酷いな」

「ええ、きっともう助からないわ。私のせいで……」


 ヴァイゼが自分を責めようとした、その時。


「『子供たち、まだ生きていますよ』」


 少女の唇が動いた。


「アンタ、今すぐあの樹に吊るした熊持ってきなさい」

「えっ?」

「まだ息がある。諦めちゃいないよ」

「助かるのか?」

「出来るようにするのが、魔女ってもんさ」

「わかった」


 猟師は駆け出して行った。


 ヴァイゼはその間に術式の成功率を確かめるためにいくつかの処置を施した。


 リーナの体を少しでも魔力溜まりに近付け、熊の肉片を集める。少女の荷物に半壊した杖と教科書があるのを認めると、杖を少女の近くに置いて教科書をめくる。


 なんらかの付与が施されているようで、ページにメモ書きと血が付いているものの特に損傷した様子はない。魔女学校の正式な教科書。


 心臓の近くに手を置き、動作していることを確認、内臓の損傷具合も確認する。


「この感じ、最近組み直されたな」


 前に治療した魔女の腕前に感心しつつ、再生魔法のページを開く。滅多に使うものじゃないから、下手したら教会に咎められるかも知れない。だが、少女の犠牲を無駄にするわけにもいかなかった。


 猟師が「おーい、持ってきたぞ」と呼ぶ。残された時間はもうない。


「さあ、始めるとするか」


 ヴァイゼは少女の杖を握りしめる。まだ木が生きている。


「【この世を等しく見つめるものであれ】――【願いを繋ぎ留める糸を紡ぎ、互いを縛る鎖となれ】――【再生魔法】」


 詠唱は一瞬で終わる。だが、ここからが長い。ここは森林で、魔力溜まりで、死体があって、好条件に恵まれた。再生魔法は周囲のリソースと術者の集中力を犠牲とするからだ。


「左手があるから、右手は楽に組める」


 魔力を編んで筋肉を結う。皮で包装する。


「靴が転がってたぞ」

「でかした!」


 靴の寸法から大体の組成を、体重のかけ方から骨盤を再調整する。優秀な先達のおかげで、危なっかしい経路が一本化される。


「こんなもんだろう」


 杖が崩れ落ちた。もう吸える魔力はほとんどない。


「ここじゃ精密な治療ができない。私は一度家に戻って彼女を寝かせるよ。熊は転送魔法で送っとくし、魔法もすべて解除した」


「ああ、この子を頼む」

「あんたは森に異変がないか確認しておいで。そのうち迎えに行くから」



 リーナが家を出てから三度目の夜が明けた。


 ぼんやりとした夢の中で、いつまで寝ているんだろうと不意に思い、意識を浮上させる。そこは森林ではなく、家の中だった。


「ここは?」

「あたしの家だよ。やっと起きたか」

「あ、おはようございます。それで、薬草は」

「口を開いての第一声がそれか。まったく面白い」

「で、でもアルバさんが」

「昨日あんたを組み直してから行ったよ。飲ませたら楽になってた」

「よ、良かった……」

「安静にしてなよ。酷い有様だったんだから」

「すみません」


 朧げながら見た最後の記憶では腕がなかったように思えたので、きっとまた再生魔法を使われたんだろう。自分でも窮地に陥ったなという自覚はあった。


「で、どうしてあんなことになったんだ?」


 無我夢中すぎて口に出すのも躊躇われたが、命の恩人にそんなことを言っている余裕はない。


「それがですね、追い詰められた結果、魔力溜まりに炎弓魔法を打ち込みました。倍加もかけて」


「はぁ!?」


 無謀だったなあと今でも思う。でも、そうしなければ助からなかったと言う自信もある。


「どうして生きて居られるの!? 再生魔法をかけられるくらい残ってたし、意識もあったわよ!?」

「えっと、多分風加護魔法をかけていたので」

「あんな子供騙しの術で? よほど熟練度が高かったのね」

「え? いや、わたし、生活魔法は不得意で」

「な……これは御子ね、きっと神に選ばれたんだわ」

「大袈裟すぎですよ」


 それに気が付いたらここにいたので、喋ったと言うのも無意識か幻聴だろう。


「いつ帰るの? 明後日の交易馬車に乗る?」

「え、一人で帰れますよ」

「あなた病人でしょ、そんな子を一人で返せないし」


 そこでヴァイゼの目が光った。


「それに、村長から聞いたわよ。あんた、飛行魔法が使えないんですってね」

「ひっ!」

「時間ならたっぷりあるし、特訓しましょうか」

「嫌です!」


 それからの数日間は【朝霧】の真の由来を知りました。生きた心地がしませんでした。

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