第6話 魔女の領域
「ごめんなさいね、魔女さん。いま丁度薬草を切らしていて」
店に駆け込んで薬師に事情を説明すると、薬師は申し訳なさそうに言う。アルバと同じか少し若いくらいの年齢で、どちらにしろリーナにとっては老婆であることには変わりなかった。
「で、でも、このままではアルバさんが」
「どっちにしろあの歳だし、もう長くは……」
情に訴えかけても効果はなかった。助けるべき人とそうでない人を知っている、経験に裏付けされた残酷までに美しい価値観。それが正しいとわかっていながら、今のリーナには許容できない。
「いいんですか」
「え?」
「いいんですか、そんな見捨てるような真似して。人を見捨てるんですか、薬師という職業は」
相手をうまく逆上させて口車に乗せる作戦も失敗した。
「薬師なんてね、そんな便利な職業あるわけないでしょ。いつでも誰でも救えるような魔女と違って、薬がなくちゃ何も出来ないんだ」
魔女の制約を知ってか知らずか、彼女は口を開いた。
「大体、救おうったってどうすりゃいいんだい。馬車が来ないせいで注文物が届かないんだ。あんたが取ってきてくれるのかい」
「取ります」
「ほお」
「アルバさんを、見捨てたくないから。どこにあるんですか」
しばらく睨み合いが続いた。面倒臭いと見切ったのか、老婆は口を開いた。
「ネーヴェル村のヴァイゼとかいう薬師が、相当薬草を貯めこんでいるらしい」
「かなり離れていますよね」
「馬車で半刻はかからないだろうから、飛行魔法ならすぐじゃないか」
「飛行魔法……」
「使えないってなら、歩いていきな。行商人はまだ来ないから、相当時間がかかるだろうけど。幸い今は昼過ぎだから、夕暮れの鐘までには着くだろ」
そう言って薬師は薬草の図解と特徴を記した紙を渡すと、こう言った。
「アルバのとこのコロネって言えば、あっちも話は通るだろうね」
「ありがとうございます」
リーナは礼を言うと、ネーヴェルまで続く街道に向けて走り出した。
途中で休憩を挟みつつ、数時間歩いたところで村に到着した。想定より大分日が傾いている。帰るころには一面真っ暗だろう。
「こんなことなら、もっと運動しとけばよかった……」
村民たちは基本的に村からそう遠くまでは離れない。精々、農地が遠くにあるだとか、漁をするためだとか、その程度。交易の馬車もしばらくすればやってくるし、贅沢を言わなければ生きてはいける。リーナはそんな皆が好きで、でも嫌いだ。
在学中も引きこもるか稀に外出するかなので、どちらにしろ運動習慣はなかった。
「やっと着いたな。さて、薬屋は」
豆ができて足が痛む。息だって上がっている。血走った目で住民らしき人間を見つけ出し、声をかける。
「あの、ここ、ネーヴェルであってますか」
「ああ。もう半刻ほど歩けば繁華街さ」
男は畑仕事をしているようで、その作業着は土で汚れている。
「それにしても嬢ちゃん。酷い格好だね」
「何回か転んでしまって。でも大丈夫です、魔法があるので」
「ああ魔女さんか。うちの魔法屋に弟子入りしたらどうだ? 飛行魔法を教えてもらえるかも」
「今回は急ぎの用事なので遠慮しておきます。次回があればですけど、その時は」
「へ、嬢ちゃんよりは長生きできるさ」
くだらない会話を応酬したあと、リーナは真剣な表情で問うた。
「薬師のヴァイゼさんに用があってきたのですが。薬屋はどこにありますか?」
「ああ、その人なら魔法屋と同じさ。繁華街の入り口にある」
「ありがとうございます」
「あの人早めに店を閉めるから、急いだほうがいい」
リーナは頭を下げると、歩きながら魔法書をめくった。
本の中の生活魔法の中に足を速くするものがあったので、それを見つけようと思ったのだ。
ページを繰る手を止めて、通行人の邪魔にならないように道端に除ける。
「【この世を等しく見つめる者であれ】」
イメージは、風防。障害物を撥ね退ける物。癒し、守る物。
「【吹けば飛べ、繰れば巻け。我は流浪の旅人なりて、どうかひと時の安寧を】――【風加護魔法】」
足元に緑色の魔法陣が出現し――木枯らしが足に纏わりつく。周囲の土は巻き上げずに、塵はむしろ遠ざけ、足の平に潜り込んで地面から離す。
「よし、これで行ける」
浮遊の感覚と共に足を回す。雲の上を歩くような、とは誰が形容しただろうか。先ほどまで感じていた足の痛みも、今では全く感じられない。
飛行魔法は使えないものの、こうした代用魔法は使うことができる。本来であれば風の膜を体表全面、もしくは周囲一帯に張り巡らせて使う、防御や結界のために使われる。だがリーナは出力の調整がおぼつかないので、怪我を恐れてブーツ状に成形することに留めたのだ。
この魔法を使ったことで足取りは軽くなるし、風の精霊の加護によって向かい風が軽減されるというおまけが付いてくるので、決して徒労ではない。
「緊急事態だから、仕方ない」
本当は帰りにだけ使いたかったんだけどな、と愚痴りながら急いだ。
リーナが繁華街に足を踏み入れたとき、辺りは夕暮れの色に染まっていた。街灯が点々と街を照らす。故郷よりも幾分反映している街並みに、思わず目を奪われた。帝都と比べれば辺境の一地域であることに変わりはないのだが、幾分想像がつくだけに不満が残る。
「もう閉まってるかな」
夕刻の鐘まで時間はあるのだが、目につく範囲の店は慌ただしく店じまいをしている。急がなければ、命が危ない。薬師の店は幸いにも空いているようで、これ幸いと駆け込んだ。
「アルバの村のリーナです。薬草を売ってください」
「なんだい、藪から棒に。今日はもう終わりだよ」
「それを何とか、お願いします!」
頭を下げて願うと、そのはずみで紙片が落ちる。目に入ったそれを広げると、薬師の前に突きだす。
「ネーヴェル村のヴァイゼ、【朝霧】のヴァイゼさん。アルバ村のコロネと」
「わかったわかった、そんな挨拶しなくていいから。で、何が言いたいんだ」
「風邪薬が必要で、少し譲っていただけませんか」
ヴァイゼは声も出さずに紙を見ると、少し表情を変えて言った。
「このまま渡してもいいんだけどねえ。無料ってわけには行かないのが世の常なのさ」
「じゃあ、どうすれば」
「一つ依頼を出そうかね。それの成功報酬として譲ってやろう」
リーナの表情に陰りが見えた。自分の要望だけが通るほど、甘い世界ではないのだ。
「やります。なんでも。私にできることなら」
「なんでも、ねぇ。命を差し出せって言われたら差し出すのかい。そうじゃないだろ。もっと自信持て。あんたも魔女の端くれなら、自分の頭で何とかしてみな」
「そんなあ」
「安心しな、今回の依頼は飛び切り簡単さ。なんてったって、魔獣討伐だからな」
「魔獣、って何の種類ですか」
「熊を原種とする魔獣。家族を作る。繁殖できる種は厄介だからね。出来れば魔力溜まりも特定してもらえるとありがたい」
「はい、それなら出来ます。血族の数は」
「10ってとこかな、まだあまり増えていないようだけど」
「炎弓魔法の許可は下りますか、罠布石の設置も」
「火事にならなければいいけど、基本的に自己責任だからね」
「わかりました」
「じゃあ、今日は遅いから泊ってきな。寝る場所も用意したげるから」
「いえ、大丈夫です。速攻で片付けるので」
リーナは所持品を手早く確認すると、魔獣の生息地を確認し、薬師の家を飛び出した。
魔獣の成り立ちは、大きく分けて2種類に分けられる。変異か生成。生物が過剰に魔力を取り込んだ結果、生き残るために身体を変質させた姿。もう一つは、魔力が意思を持つ姿。前者は動物の姿をしているが、後者はそうではない。山の奥深くに生息するために大した被害は出ないのだが、稀に人里に降りてくることもあるので油断はできない。
「大丈夫、この前は生成、これは動物みたいなもの」
暗視魔法による視界の確保と風加護魔法による移動速度の強化で、リーナはたいして時間もかからずに山に到着した。空気の匂いが変わる。空も見えない程に鬱蒼と生い茂る木々に心が折れそうになる。
「引火が怖い、火属性はやめておくか」
罠魔法をそこら中に張り巡らせているのと同時に、魔力の流れを感じ取ることによって索敵も果たす。一流の魔女とは精度も範囲も桁違いに低いが、演習授業で習ったことの応用だ。
「一人なら上出来、クラスメイトの心配をしなくていいのだし」
山頂に辿り着いたが、肝心の気配は一切しない。少し休んでおくか、と腰を下ろそうとしたとき、爆発音が鳴った。
「かかった! 無事に起動した、これで仕留められるといいけど」
属性は風とはいえ、魔力を多めに流し込んで威力を高めたものだ。逃がさないように一気に駆け下り、ようとしたちょうどその瞬間。
爆発音が連鎖した。
「えっ!?」
リーナも薄々感じていた。どうしてクランがこんなにも見つからないのか。頭数が多ければ痕跡があるのではないか。その答えは、集団行動を徹底しているから。常に単一の生物として行動すれば、斥候を出すより索敵に引っかからず、万が一傷つけられたとしても被害は少ない。
「どうしよう、向かってくるみたい」
魔導書をパラパラと捲る。どこが習ったものだとか、どこがそうでないものなのかを区別しない。自分の魔力と力量、それだけが図れればいい。
隠蔽? 鼻が効くし、魔力反応で気付かれる。炎弓、一本だけ用意して何になる。例の攻撃魔法? ここら一帯を吹き飛ばすつもりか。
魔物の群れに囲まれたらどうしますか、リーナさん。先生の言葉が頭をよぎる。答えに詰まる。いつまでも教科書をめくって唸るリーナを置いて、教師は次の生徒を指名する。
ストラさん、貴方なら。
「ああわかった」
対多人数戦闘の基本。分断と個別撃破。得意なことの押し付け。
「【この世を等しく見つめるものであれ】」
描くのは漁師の網。身動きを取れないようにしてやろう。
「【綴る台帳、揺れる荒波。我に海原のお恵みを】――【網製魔法】」
敵の姿が確認できた際、リーナは体を捻って力強く網を放り投げた。2、3体はかかる。ジタバタともがくが、余計に絡まるだけと理解してからは抵抗をやめた。
知能を持っている。だがどうしようもできない。話し合えば熊は襲撃をやめるか? 答えはないだろう。少なくとも、あいつらは魔獣で、人間に迷惑をかけて、そしてリーナは薬と人間のために殺そうとしている。そこには純粋な命のやり取りがあった。ただそれだけだ。
繰り返す。
風加護魔法で無理やり足を動かして、かろうじて出来た隙間に網を投げ込む。間隙を空けながら、リーナは敵の分断に成功した。
「【この世を等しく見つめるものであれ】」
もう流れ作業だ。生憎刃物の類は携帯していないので、ここも魔法で補うしかない。
「【吹けば飛べ、捲れば巻け。一太刀の元に神の裁きを】――【風刃魔法】」
両断。血や臓物が辺りに撒き散らされる。濃い匂い。釣られて他の動物も巻き込まれそうだ。
「よかった、おかげで魔力には困らない」
生物の肉体は死後、魔力となって空気中を漂う。人間だって植物だってそうだ。限りある資源を食い潰さなければ生きてはいけない。
「想像してたよりグロテスクだ。早く他のも仕留めなきゃ」
倫理的にどうこうと言った批判はもう頭の中に聞こえなくなった。複数体いれば風の刃で切り裂くし、一体なら炎弓魔法を試してみる。その後の死体の処理を含めると、もう朝の方が近い。
半分の死体を処理し終えたとき、不意に爆発音が鳴った。
「引き寄せられた?」
罠魔法によるものだと思っていたが、違う。
「魔力の揺らぎが大きくなってる、相当強い個体がいるんだ」
先ほど仕留めた個体たちは、どれも大きさが均等だった。つまり、血盟の頭首はまだ生きている!
風の音が強い。同胞たちが仕留められたから、仇を取るようにこちらに向かっているんだ。
リーナは切れかけていた付与効果をかけ直す。罠魔法を設置して時間稼ぎをしながら、もう一つの魔力の流れに向かう。
失敗すれば自分は恰好の餌だ、でもやらなきゃ困る人がいる。なら走れ、舌を回せ。飽きるほど見つめた教科書の、授業の風景を手繰れ!
爆発音は連鎖する。今度は山への影響なんて考えて居られない。地面が抉れる。
距離からして魔獣に追いつかれるの辿り着くのとほぼ同時か。
「【この世を等しく見つめる者であれ】――【白竜ヴェルナーの紅い傷】――【星火よ】」
何の魔法を送れば起動できる? まあ、何でもいいか。
自分なんてどうなってもいい!
景色が開ける。むせ返るような魔力のにおい。
ああ、ほんの少し触れるだけでいいんだ。
「【射貫け蒼穹の彼方】――【倍加:炎弓魔法】」
明滅。
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